不殺の剣
激戦が繰り広げられていた。
死を覚悟し、滅びさえも受け入れ、騎士たちがカンダクイゾルテの剣を手に、立ちはだかる勇者へと突撃していく。
天蓋が落ちるまで、もう幾許もない。
「恐れるなっ! 立ちはだかるは魔王の配下。この至高世界にて我らの剣さえもはね除ける、一騎当千の怪物なれど、未来を見据えるアガハの騎士に敗北はないっ!」
団長ネイトが声を上げ、部下たちを強く鼓舞する。
「我らが偉大なる剣帝も、あの覇王城の中で戦っておられるっ! この強き勇者を打倒し、我らが矜持、我らの誇りを王へ示せっ!!」
騎士たちは再び波状攻撃を仕掛けていく。
<愛世界>の力でいかに速く動こうとも、彼らの疑似神眼には、未来が見えている。
闘争に限局した至高世界、とナフタは言った。
つまりは闘争に限り、未来がよりよく見えるのだろう。
疑似神眼と言えども、竜騎士団全隊が、互いの死角を補えば、未来を見るその視界はナフタが持つ神眼にひけを取るまい。
ネイトやシルヴィアを同時に相手しながら、竜騎士団全隊と互角に切り結ぶレイは、しかし、避けようのない隙を突かれ、肩口を、首筋を、右腕を、左足を斬り裂かれた。
彼の根源が消滅する。
カンダクイゾルテの剣に幾度となく斬り裂かれ、限局され、彼にはもうその根源が、最後の一つしか残っていない。
「竜技――」
シルヴィアが追撃とばかりに、<竜闘纏鱗>を自らの剣に纏わせる。
迎え打つが如く、レイは騎士たちの攻撃を避け、根源が放つ魔力を無とした。
「霊神人剣、秘奥が壱――」
神風の刃が嵐の如く吹き荒び、宿命を断ちきる聖剣が振り下ろすより先に剣閃を描いた。
「<竜翼神風斬>ッッ!!!」
「<天牙刃断>!!」
レイの刃とシルヴィアの刃が一瞬の内に幾度も衝突する。
未来を見据えた神風の刃は、必中にして必殺であったか。
数度の激突を経て、レイの心臓に切っ先が触れたとき、シルヴィアは勝利を確信したかのように、その瞳を悲しみに染めた。
だが、霊神人剣は竜騎士団全隊が見た未来の死角から、その剣を繰り出し、シルヴィアの手にしたカンダクイゾルテの剣を弾き飛ばした。
エヴァンスマナが、宿命を断ちきったのだ。
「終わりだ、レイ・グランズドリィ」
冷静に<天牙刃断>の隙を見据え、ネイトが飛び込んだ。
たとえ疑似神眼が見せた未来から外れた結果になろうとも、今更彼らが怯むことはない。
再び<天牙刃断>にて、迎え打とうとしたレイの体を、左右から刃が貫いた。
「ぐっ……!」
副官ゴルドーと、シルヴィアの父リカルドである。予知が外れるのを想定し、決死の覚悟で突っ込んできたのだ。
「……う・おおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉっっ!!!」
ゴルドーが更に踏み込み、レイが手にしたエヴァンスマナに自らの体を突き刺し、その剣を封じた。
「団長ぉぉぉっ!! とどめをぉっ!!」
すでに目前まで迫っていたネイトが、切っ先に<竜闘纏鱗>を集中する。
そのまま竜技を突き出せば、ゴルドーがレイの盾になる。
だが、回り込んでいる時間を与えたなら、<愛世界>を発動しているレイは、難なくその一撃を躱すだろう。
ゴルドーもネイトも覚悟を決めていた。
「竜技――」
ネイトの切っ先が、ゴルドーごとレイに向けられる。
「――<霊峰竜圧壊剣>!」
すべてを圧壊する霊峰竜の突進が如き刺突。
それがゴルドーの背中を貫く数瞬前、レイはエヴァンスマナから手を放し、彼の体を払い飛ばした。
カンダクイゾルテの剣はかろうじてゴルドーをすり抜け、無防備になったレイの心臓に突き刺さる。
ドゴオォォォォォォッ!!! 魔力と魔力が衝突する激しい音が鳴り響き、彼の背後にあった、秋桜の花が半分散った。
砂塵が舞い、覇王城の門が崩れる。
残る根源は一つだった。
だが、立っている。
限局世界の街すら破壊する<霊峰竜圧壊剣>に貫かれてなお、全身から流血しながらも、レイは未だ彼らの前に立ちはだかっていた。
「…………なぜ……倒れんっ…………!」
ネイトがレイの腹から剣を抜き、大上段に振りかぶる。
振り下ろしたその剣を、レイは素手で受け止めた。
手の平が裂かれ、血が溢れ出す。
「……僕が倒れれば、君たちは死ぬ……」
ネイトの剣をぐっと握り締め、それをレイは押さえ込む。
「……倒れるわけには、いかない……!」
彼の想いに呼応するが如く、秋桜の花が、強く輝く。
<愛世界>が、その愛の秩序が、肉体を超越し、彼を無理矢理に立たせている。
傷が癒えるわけでも、潰れた根源が回復するわけでもない。
魔法が切れれば、彼は今にも崩れ落ちるだろう。
「この心が折れない限り、僕は決して倒れはしない」
魔法陣を描き、彼は左手で一意剣シグシェスタを抜いた。
<愛世界>が剣身に集い、それをネイトに振り下ろす。
「ふっ!」
剣を放し、ネイトは飛び退く。
向かってきた騎士たちに、レイは奪ったカンダクイゾルテの剣を投擲する。
一人がそれに足を貫かれ、崩れ落ちた。
ネイトが手をかざせば、至高世界に漂う水晶の破片が、再び剣を構築する。
シルヴィアもまたカンダクイゾルテの剣を再構築し、その手に握っていた。
「認めねばならんな」
ネイトが言う。
倒れていたアガハの騎士たちが、剣を支えにして、よろよろと立ち上がった。
「聖剣を捨て、<霊峰竜圧壊剣>にその身を曝してまで、奴はゴルドーを守った。我らが命を捨てる気で挑んでいるというのに、あの男は、我らを生かす気で戦っている。理想に目が暗み、甘さを捨てきれぬのだと思っていれば、なんと誇り高き剣か」
シルヴィアは剣を構え、僅かにうなずく。
「彼は一人ではありません」
「そうだったな」
ネイトはまっすぐ前に出て、再びレイと対峙する。
「見事なりっ! アゼシオンの勇者、レイ・グランズドリィ。そして、その恋人ミサ・レグリアよ。貴様ら二人の想いと剣は本物だ。我らを救おうという、預言を覆そうという、その信念に一点の曇りもないっ! 我らと同じ、否、それ以上の気高き誇りを持ち、貴様たちはこの場に立っているっ!!」
堂々とネイトはレイを褒め称えた。
「最後の戦場で、このような誇り高き勇者たちと剣を交えられること、我らアガハ竜騎士団、望外の誉れぞっ!」
鋭い視線を放ちながら、レイは言った。
「最後には、させないよ」
ネイトは僅かに笑う。
「貴様たちは強い。もしも命の奪い合いであったなら、我らの負けであっただろう。だからこそ、負けられん。レイ・グランズドリィ」
気勢を上げ、ネイトは根源から魔力を振り絞る。
これまで以上の<竜闘纏鱗>が彼の体を包み込む。
「貴様ら二人の愛を、それ以上の誇りでもって斬り伏せ、その門をくぐってみせよう!!」
竜騎士団を奮い立たせるように、ネイトは大きく声を上げた。
「全隊構えっ!! この一撃に全力を込めるべしっ! この信念を持ちて、あの尊き想いを上回ることこそ、我らに無償の情けをかけてくれた戦友たちへのせめてもの返礼である! 命尽きるまで、決して止まらぬ、アガハの進撃を見せてやれっ!!」
ネイトを先頭にし、シルヴィアを中央に据えた陣形。
「突撃ぃっ!!!!」
彼らは一斉に地面を蹴った。
竜騎士団から気勢が上がり、溢れ出した魔力が、部隊を包み込む。
ネイトの<竜闘纏鱗>が更に膨れあがり、そこに部隊のすべてを包み込む霊峰の如き巨大な竜が現れる。
「行・く・ぞおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
シルヴィアの声とともに、彼女の<竜闘纏鱗>が霊峰の竜に、八枚の竜翼を生やした。
それが大きく羽ばたけば、竜騎士団の突撃が、目にも止まらぬ勢いで加速した。
ミサの<四界牆壁>を突破したときと同じ、恐らくこれが、一糸乱れぬほどの統率からなる彼らの切り札。
全隊を一個の竜と化し、戦場を進撃する軍勢竜技――
「「「――<神風霊峰竜突進撃>ッッ!!!」」」
雄叫びとともに疾走する竜騎士団は、巨大な一つの竜であり、巨大な一本の剣であった。
全隊の魔力をその一突きに振り絞った進撃は、いなすことも、受け止めることも、叶わぬだろう。避けるのが正しいが、それはできぬ。
神風が吹く如く、迫りくる騎士たちに対して、レイは時間の流れが食い違う自らの世界にて、ゆるりと一意剣を構えた。
彼らは命尽きるまで、決して止まることはないであろう。
それでもなお、命は奪わぬとレイはその剣に想いを込めた。
「行かせはしない――」
根源から放たれる魔力を無にし、レイは一意剣をつかむ。
だが、それではまだ足りない。
彼は無にした一つの根源で秘奥の準備を行いながら、<愛世界>の光をシグシェスタに集めた。
根源の魔力を無にする秘奥と、魔力を使う魔法は同時に放つことはできない。
だが、今の彼の愛魔法は、想いのみで成立している。
「――<愛世界反爆炎花光砲>」
相手の攻撃が強ければ強いほどに、威力を増すカウンター魔法。
それを彼は一意剣に纏わせる。
シグシェスタが、臙脂の輝きを放つ。
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉっっっ!!!」」」
「一意剣、秘奥が壱――」
彼の背後の秋桜の花が散る――
押し迫る竜騎士団、一振りの剣と化した<神風霊峰竜突猛進>の切っ先が、レイの左胸を刺し、鮮血が溢れたその瞬間だった。
「――<想断一閃>」
秋桜の花びらが無数に舞う。
それは竜騎士団を飲み込んでいき、彼らの神眼を一瞬眩ます。
一閃――
一意剣から繰り出されたその光が、三〇余名の騎士たちが作り出した<神風霊峰竜突猛進>を斬り裂いた。
「…………………ぁ………………………な…………」
止まらぬはずの竜騎士団の足が、止まる。
「ま、だ……だ……」
がくん、と力が抜けたかのようにネイトは膝を折った。
「……な……ぜ……? まだ、私は……まだ……行かなければっ……!!」
シルヴィアは剣を支えに立ち上がろうとするも、体がまるで言うことを利かない様子だ。
他の騎士たちも同様に、その場に倒れ込んでいる。
「……なぜっ?! 言うことを聞けっ!! まだ動けるっ!! 斬られたわけではないんだっ……!! 動けぇっ!!」
「想断一閃は、敵を斬らずに斬る不殺の剣」
一意剣を納めながら、レイは言った。
「斬られた相手は、痛みもなく、傷もなく、それだけのダメージを受ける。君たちは<愛世界反爆炎花光砲>に斬り裂かれ、本来なら根源が消滅している。想断一閃の効果が消えるまで、立つことはできないよ」
想断一閃だけでは、到底、竜騎士団の進撃に対抗できなかっただろう。
彼らを消滅させる<愛世界反爆炎花光砲>を想断一閃に纏わせることで、レイは竜騎士団を殺さずに制した。
命を取らずにして、命を奪ったのだ。
その魔法と秘奥の合一は、シンにもできぬ。
二千年前、暴走する仲間を斬ることのできなかった彼が、後悔し、そして乗り越えるため、ついに辿り着いた境地だろう。
「……く…………そ…………」
シルヴィアが、その場に崩れ落ちる。
仰向けになったまま、彼女は落ちてくる天蓋を見つめ、歯を食いしばる。
涙の雫とともに、彼女の無念が、こぼれ落ちた。
「大丈夫だよ」
レイの言葉に、僅かにシルヴィアは彼の方を向く。
「あれは落ちない。絶対に。僕たちが――」
激しく波打ち迫りくるその空を見つめながら、レイは言った。
「――暴虐の魔王が、落とさせはしない」
魔王への信頼は厚く――