未来を見る騎士、過去を見る勇者
折れた天柱支剣には、レイと対峙する竜騎士団の姿が映っている。
アガハの剣帝、ディードリッヒは言った。
「死闘になるであろう。我らの前に立ちはだかるのは、かつてないほどの強敵。これを乗り越えなければなるまいて。ナフタ」
彼は未来神の方を向く。
「先に騎士の道を示すがよいだろう。お前さんが天柱支剣ヴェレヴィムとなり、この地底の礎となったならば、誰が止めようと後には退けぬ。必ずや彼らは奮い立ち、魔王の配下すら退けてあの門をくぐり抜けるであろう」
「ナフタは承諾します。この身を捧げてなお、至高世界はここに残る。やがて、それは天柱支剣ヴェレヴィムに内包され、天蓋を支え続けるよう、未来永劫限局する判決を下すでしょう。ただその未来だけを見続ける、秩序として」
その神眼で彼女はディードリッヒを見た。
言葉を口にせずとも、わかっているというようにディードリッヒはうなずく。
彼の背後に魔力の粒子が溢れ出す。
<竜闘纏鱗>だ。竜の姿を象った光が、剣のように変化していく。
ディードリッヒの体が光に包まれた。
「あなたの未来を、ナフタが引き受けます」
その手に現れたカンダクイゾルテの剣を、ナフタはディードリッヒに向ける。
突き刺すことで、彼の未来は彼女のものになるのだろう。
そうして、一瞬の逡巡もなく彼女は、それを自らの王に突き刺した。
腹を貫通した水晶の剣は、けれども血を流すことはない。
「さらばだ、ナフタ」
首を振り、ナフタは別れの言葉を口にする。
「ずっとおそばに。あなたの地底を、あなたの国を、ナフタは未来永劫支えます」
ディードリッヒの<竜闘纏鱗>が目映く輝く。
その光が、カンダクイゾルテの剣を通して、次第にナフタへと移っていく。
ナフタの輪郭は光の中に溶け、それは輝く巨大な剣のように形を変えていく。
カンダクイゾルテの剣が抜かれ、天から響く地割れの音が僅かに弱まったと思った直後、一際大きく震天が起きた。
未来神を包み込んだ光は収まり、彼女は変わらぬ姿でそこにいた。
「……こいつは…………?」
「……未来神の秩序が、止められました…………」
ナフタが呟く。
「惜しかったな、ディードリッヒ」
二人が天を見上げる。天井の吹き抜けから、飛び降りてきた俺の姿に、ディードリッヒとナフタが目を見張った。
トン、と床に着地すると、俺は滅紫に染まった魔眼をナフタに向けた。
「至高世界での未来神の権能だけあって、滅ぼし尽くすのは骨が折れるが、僅かでも秩序が乱れれば、完全な身代わりにはなれまい。俺の目の前にいる内は、その力は使えぬと思え」
今もなお、ナフタはディードリッヒの未来を身代わりにしようとその権能を使っているが、秩序が具現化しようとする度に、俺の魔眼がそれを滅ぼし続けている。
「魔王や」
ディードリッヒが俺に向かって足を踏み出す。
「どうやら、道を違えたようだな」
何故立ちはだかるのか、とは今更ディードリッヒは問わなかった。
聞くまでもなく俺の目的はわかっていよう。
「出立の前に、お前さんに言った」
言葉を並べたところで奴が俺に賛同せぬことを、俺がわかっているのと同じように、奴もまた問答を繰り返しても俺が意見を翻すことはないと知っている。
ならば、取るべき行動は明白だ。
「我らアガハは正々堂々と魔王に挑み、そして敗れるであろう。これは決して違えられぬ預言」
奴はぐっと拳を握った。
預言に挑む覚悟を滲ませて。
「なればこそ、騎士の誇りにかけて、最後の一兵となろうと戦い抜く。国を守るこの剣を持ちて、今こそ未来を切り開いて見せようぞっ!」
「俺も言ったはずだ」
気勢溢れる剣帝を、迎え打つが如く、リヴァインギルマを構えた。
「俺の行く手を阻むならば、容赦はせぬ。我が魔王軍は正々堂々アガハの剣帝を迎え打ち、その全力を持って、立ちはだかる兵を粉砕するだろう」
支柱の間では、アガハの剣帝と未来神が俺と対峙し、覇王城の門前では竜騎士団とレイが睨み合っている。
奴らも、俺たちも、負けられぬのは互いに同じ。
長びけば、天蓋に地底は押し潰される。
一気に、決着をつけるしかあるまい。
互いの機先を制しようと、ナフタとディードリッヒは、その神眼を俺に向ける。
僅かながらの勝機が見えているのか、俺を前にしても、ナフタは自壊してしまうことはなかった。
ガ、ガガガガ、ドドドドドッ、ガガガガガガッと空からは、けたたましい地響きが轟く。
ナフタとディードリッヒはまだ動かない。
俺は奴らを見据え、泰然と構えている。
最初に行動を開始したのは、天柱支剣に映っている門前の竜騎士団たちだった。
「全隊突撃っ!」
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!」」」
ネイトの号令で、シルヴィアとネイト、リカルド、ゴルドーを残したアガハの騎士たちが、全員レイに向かって突撃していく。
覇王城の門は開いている。
それを閉じる時間はレイにはなく、彼は一人で竜騎士団を止めなければならない。
ならば、あえてレイを倒す必要はない。
二十数名の騎士たちが、レイの動きを一瞬でも止めれば、その隙にシルヴィアとネイト、リカルドが覇王城の門をくぐる。
中に入ってしまえば、ナフタの予言通り、その場でシルヴィアとネイトは天柱支剣となり、リカルドは王竜にその身を捧げるだろう。
至高世界に覆われたこの場において、一人しかいないレイに、それを止める術はない。
ナフタの疑似神眼を有する彼らは、そう予知したのだ。
雪崩の如く、アガハの騎士たちが、そのカンダクイゾルテの剣を向けて、立ちはだかる勇者に飛びかかった。
三本の剣がレイに突き刺さり、鮮血が散った。
敵を取り押さえた――そんな未来を見たか、ネイト以下四名は、まっすぐ門をくぐり抜けようと足を踏み出し、直後、ぴたりと立ち止まった。
「ぐあぁっ……」
「なっ……!!」
「ぐぅぅぅっ……!!!」
レイに飛びかかった二十数名が、全員その聖剣によって薙ぎ倒された。
その内、三名はその場に倒れ、すぐには立ち上がることができない様子だ。
「……緩やかなのに、速い……」
シルヴィアがたった今、レイが繰り出した剣に目を見張る。
「……馬鹿な……お前の切り札は、一人では使えないはず……!?」
彼女は思わず、後ろを振り返った。
三〇本を超えるカンダクイゾルテの槍を無防備に受け、竜騎士団全隊の突撃を真っ向から食らったミサは、真体から仮初めの姿に戻り、その場に倒れたままだ。
回復魔法も利かず、再び真体に戻ることもできぬだろう。
一定以上の傷を負ってしまったため、それが至高世界によって、限りなく彼女が不利な状況に限局されたのだ。
直視することも憚れる無残な姿である。
シルヴィアは憂いを帯びた表情を滲ませ、しかし次の瞬間それを振り切るように頭を振った。
「……続けっ! 私が行くっ!!」
シルヴィアが、竜騎士団を率いて、レイに向かって駆け出した。
<竜闘纏鱗>が八枚の竜翼となり、羽ばたき、彼女の体が加速する。
「竜技――」
波状攻撃とばかりに、間隔を空け、斬りかかる騎士たち。
その中を、神風が吹き荒ぶ如く、シルヴィアは駆け抜けた。
「<竜翼神風斬>ッッ!!!」
嵐の刃が、幾重にも分かれ、レイの体を飲み込もうとする。
疑似神眼にて未来を見据えるシルヴィアの剣が、彼の胴を薙ぎ、肩を突き刺し、胸を斬り裂いた。
だが、どれも致命傷には及ばない。
レイが寸前のところで、疑似神眼が予知する盲点に入り、それを躱したのだ。
次なる刃が彼の心臓に放たれたその刹那、彼は旋風が如き連撃と打ち合いながらも、波状攻撃を仕掛ける騎士たちを斬り伏せ、押し返した。
「……いいのか?」
激しく剣を交えながら、シルヴィアが問う。
「いいのかっ。未来神の至高世界で、あのまま放っておけばミサは死ぬぞっ!」
レイは答えず、ただ彼女に優しい視線を向けた。
「……私は……」
本音を漏らすように、彼女は呟く。
「……私は羨ましかったんだ。お前たちが、眩しかった……」
口にする毎に剣は速くなり、彼女の想いが昂ぶっていく。
「ああ、憎たらしいぐらいに憧れだったっ! 私には決して届かない……だからっ!」
シルヴィアの剣がレイの太ももを裂く。
唇を噛み、彼女は懇願するように言う。
「……だから、助けに行ってやれ……それが、恋人というものだろう……」
なおも止まらず、シルヴィアの嵐の刃と、レイの優しい刃が激しく幾度も切り結ぶ。
「私たちが争って、私たちが戦って、なんになるっていうんだっ!? 私はお前たちの愛を斬り裂きにここに来たわけじゃないっ! 守りにきたんだっ!」
シルヴィアの剣がレイの胴を薙ぎ、鮮血が散った。
怯まず、レイは一歩踏み込んだ。
「……はぁっ……!」
<竜翼神風斬>の終わり際、霊神人剣がシルヴィアの左肩を突く。
回避する術もなく、彼女は歯を食いしばった。
ガギィンッと、その一撃を受け止めたのはネイトの剣である。
しかし、レイの膂力に押し返され、彼も後退を余儀なくされた。
「……むぅ……」
続く霊神人剣の追撃をシルヴィアは寸前で飛び退いて躱し、レイに疑似神眼を向けた。
また三人、そこにアガハの騎士が倒れていた。
「止められなかったんだ。僕は、止められなかった」
全身から血を流しながらも、優しく霊神人剣を構え、なおもレイは竜騎士団に立ち塞がる。
「二千年前、僕は僕の仲間の暴走を止められなかった」
彼の背後に光が集う。
強い魔力の瞬きが、彼の想いに呼応するが如く、魔法陣を描いていた。
「あのとき、僕には力がなかった。想いを貫くだけの力が。正しい行いを正しいと見せつけるだけの力が、僕には足りなかった」
彼は秩序に反している。
至高世界に完全に限局されず、その枠から半歩踏み出す。
「だから、彼女は僕に時間をくれたんだ。償うための時間を。命を懸けて」
数秒間、ミサが竜騎士団を食いとめたことで、レイは間に合い、彼らの前に立ちはだかることができた。
「助けてほしいなんて、いつだってミサは言わないよ。僕に戦えと、一緒に戦うと言っている。それが、僕たちの恋だ」
レイの背後に現れたのは、巨大な門を覆うほどの大輪の秋桜だ。
倒れ、今にも命が尽きかけそうなミサ。
手は離れていても、心は強くつながっている。
これまでもよりも、ずっと強く。
愛の深淵に沈み、尊き境地に至る。
<愛世界>の真の力が、そこに確かに花開いていた。
「やがて、君も、君たちも。恋をして、愛を胸に抱くだろう。他人に嫉妬され、見ているだけで胸焼けする、そんな平和が君たちにも訪れる」
「なにを世迷い言を……」
「きっと、訪れるよ」
ゆるりと霊神人剣を前へ向け、彼は言った。
「死なせはしない。君たちの誇り高き剣をすべて受け止め、僕はその明日を守ってみせる」
明日を望む、二人の剣――