受け継がれる想い
低く、竜騎士団は飛ぶ。
眼前からは、雨あられのように魔法砲撃が放たれる。
それは漆黒の太陽、<獄炎殲滅砲>。
幻名騎士団による一斉放射に対して、ネイトは前面に出て<竜闘纏鱗>を展開した。
その魔力は、霊峰の如き巨大な竜の姿となり、次々と撃ち放たれる<獄炎殲滅砲>を受け止める。
二千年前の魔族による集中砲火、いかな子竜と言えども、無傷で切り抜けるわけもなし。盾のように張り巡らせたネイトの<竜闘纏鱗>はみるみる焼かれ、削られていく。
しかし、シルヴィア以下彼の部下たちは、誰一人としてその後ろから出ようとはしない。
信頼があるのだろう。団長であるネイトが先陣を切った。ならば、いかほどの困難があろうと必ず道を切り開く。
ただそれを信じ、ネイトの次の命令を待てばいい。
「う・お・おおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!」
降り注ぐ魔法砲撃をすべて受け止め、後陣の部下たちには一発たりとて被弾させずに、ネイトは幻名騎士団に押し迫る。
そうして、鬼気迫る気迫を発しながら、とうとうネイトは敵を自らの間合いに捉えた。
「竜技――」
竜に乗ったまま突きの構えを取り、その切っ先に<竜闘纏鱗>を集中していく。
「――<霊峰竜圧壊剣>ッッ!!!」
それは、さながら霊峰の竜の突撃だった。
立ちはだかるすべてを蹂躙する一突きが、目の前に布陣する幻名騎士団数十名を吹き飛ばした。
「全隊突撃ぃぃっ!!」
ネイトの号令とともに、竜騎士団たちから雄叫びが上がる。
「ネイト団長が道を開かれた。全体突撃せよ、敵を蹴散らせぇっ!!」
副官ゴルドーが言う。
竜騎士団を乗せた白き異竜は、ネイトに並び、一塊となってガデイシオラの兵を突破していく。
「<風竜真空斬>ッ!!」
シルヴィアの風の刃が吹き荒び、幻名騎士を悉く切り捨てる。
魔族の力も一方的にやられるほど弱くはないが、死を決した彼らの突撃は到底止められるものではなかった。
竜騎士団は、前方に敷かれた敵の布陣を突破してのけ、首都ガラデナグアに建てられた覇王城を視界に捉える。
だが、そこには、たった今突破した以上の数の兵が、地上も上空も埋め尽くしていた。
竜の翼と角、爪を有し、槍を手にしている。ガデイシオラの禁兵だ。
兵力は、凡そ二〇〇といったところか。
竜騎士団の六倍以上だ。
「竜砲準備っ!」
「「「は!」」」
アガハの騎士たちは皆、自らが乗った竜の手綱に魔力を込める。
白き竜の顎が開き、そこに赤い炎が溢れ出す。
「放ていっ!!」
白竜から放たれた灼熱のブレスが、防衛線を敷く禁兵の体を飲み込み、燃やしていく。
「敵の右翼が手薄だ! このまま突破するっ!!」
一糸乱れぬ隊列のまま飛行し、禁兵の右翼に空いた穴へ竜騎士団は突き進む。
しかし、突如、彼らの前にそびえ立つような暗黒の壁が現れた。
いや、それは壁と見紛う如く無数の覇竜である。
焼かれた禁兵たちが灰となり、その灰の一粒一粒が覇竜に姿を変えていくのだ。
その数は、数千か、数万――あるいは、それ以上の数だった。
まるで絶望が覆いつくすが如く、国に巣くった覇竜が彼らの前に立ちはだかった。
「怯むなっ! 殲滅する必要はないっ!! ここを突破し、覇王城まで辿り着ければ、我らの勝ちだっ!!」
先程の返礼とばかりに、地上の覇竜も、空の覇竜も、皆一斉に口を開き、紫の炎を涎のように垂らしている。
そうして、迫りくる竜騎士団めがけ、一斉に紫のブレスを吐き出した。
ゴオオオォォォッと轟音を立てながら、ネイトとシルヴィアが展開した<竜闘纏鱗>が燃えていく。
さすがの竜騎士、子竜と言えど、あまりに物量が違いすぎる。
<竜闘纏鱗>の盾は脆くも崩れ去り、彼らはその炎に巻かれた。
「おのれぇっ……!! こんなところでっ!! 志半ばで倒れては騎士の名折れぞっ!!」
魔力を全開にし、ネイトはブレスを振り払う。
彼がガデイシオラ軍の一角に視線を向ける。
ぬっと暗闇が、そこに現れていた。
更に同等の数の覇竜が援軍に訪れ、竜騎士団へ向けブレス掃射の準備をしているのだ。
このまま突っ込めば、死は必至。
さすがの彼らも、足が止まる。
そのときだった。
『――アガハの英雄たちよ、恐れることはありません』
響いた声は、彼らの国の神、ナフタのものだ。
同時に、無数の水晶の破片がキラキラと荒野を覆いつくしていった。
まるでそれは、世界を塗り替えるが如く。
『限局された未来が、この現実空間に顕現します』
水晶の破片がネイトの前に剣の形を作り、それはナフタが使っていたカンダクイゾルテの剣と化した。
アガハの騎士、一人一人の前に、その剣は現れていた。
『焼かれぬ未来が一つでもあれば、あなたたちを焼く炎はない』
水晶の破片が、騎士たちの鎧を覆い、そこに未来神の加護が宿る。
『斬り裂く未来が一つでもあれば、あなたたちの刃を避ける術はない。あなたたちの勝機が万に一つもあるのなら、あなたたちが負けるはずがありません』
彼らの瞳に水晶の破片が入り込み、それは擬似的な神眼と化した。
限局世界の力を、この現実にも及ぼし、竜騎士団全員にその恩恵をもたらす。
『闘争に限局した、この至高世界において、勝利の未来はすでに我ら竜騎士団全軍に見えている。これが共に戦場を駆け抜けたあなた方への手向け、未来神ナフタの奇跡』
かの神の声が、荒野に響く。
『ナフタは予言します。アガハの英雄。あなたたちは、勝利します』
直後、無数の覇竜から竜騎士団めがけ、紫のブレスが放射された。
荒野を覆いつくすほどの竜炎、どこもかしこも燃え、なにもかもが瞬く間に灰へと変わっていく。
だが、彼らと彼らが駆る白き異竜はそこにいた。
まるで炎がその身を避けるかのように、未来は限局され、彼らを焼くことはない。
覇竜が動揺したその不意を突くかのように、遠くから激しい咆吼が聞こえた。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォッッッ!!!」
<四界牆壁>の壁を突き破り、彼方から飛来してきたのは、巨大な異竜。
アガハで見た王竜だ。
突っ込んでくるその巨大な竜に覇竜たちが、ブレスを放つも、その炎は限局され、アガハの王竜を避けていく。
反対に王竜が白き炎を吐き出し、目の前の覇竜を一掃した。
至高世界で限局された未来は、覇竜の力に干渉し、増殖さえ妨げる。
布陣に空いた穴を突き、一気に王竜は覇王城へ降りていった。
その意味が、アガハの騎士にはよくわかったことだろう。
「ネイト団長」
リカルドが言った。
「どうやら、私もお供ができるようです」
天蓋を支えるためのもう一人の子竜を、今この場で産むということだ。
王竜に生贄を捧げることで。
「生まれたての子竜には、過酷な責かもしれませんが……」
すると、副官ゴルドーが言った。
「次の子竜には竜核がおります。私の兄メティス。兄は誠の騎士なれば、見事、役目を成してくれるでしょう」
リカルドがうなずき、今度はシルヴィアの方を向いた。
「父上……」
「お前一人を逝かせはせぬ。ともに役目を果たそう」
「……はい」
ネイトは、遠い覇王城の門へと魔眼を向け、カンダクイゾルテの剣を高く掲げる。
「全隊へ告ぐ。これより、アガハ竜騎士団は死地へと赴く。後には退けぬ一本道。誰も生きては帰れぬだろう」
死の恐怖を振り切るように、力強くネイトは言った。
「我らは望んでこの戦場に立った! 我らは望んでこの騎士の道を邁進してきた! 今、あの場所に、我らの目指した誉れがあるのだっ!」
彼らはただ前を向く。
自らが目指した場所、その終着に、ひたすら視線を投げかけた。
「ならば、この誇りにかけ、ともに笑って駆け抜けようぞ」
先陣を切るように、ネイトを乗せた竜が飛び立った。
それを追いかけるように次々と竜騎士団を乗せた竜が空に舞い上がっていく。
無数の覇竜たちの攻撃を、しかし竜騎士団はいなし、避け、受け流す。
至高世界により限局され、アガハの騎士たちは瞬く間に覇竜を斬り裂き、燃やし尽くしては、突破口を切り開いた。
「行くぞぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!」
覇竜の布陣を突破し、彼らは未来へ加速するように、ぐんと速度を増した。
ガラデナグアの街中へ入り、低空に飛んでは、覇竜のブレスから身を潜める。
そうして、縫うように建物と建物の間を飛んでいき、彼らの視界に覇王城が見えてきた。
「――あなたたちの想いと信念は見事ですわ」
どこからともなく声が響く。
「ですけど、これ以上、行かせるわけにはいきませんの」
竜騎士団の進行方向、覇王城を守護するように大きく展開されたのは<四界牆壁>だ。
その内側で立ちはだかったのはミサだった。
「竜技――」
ネイトの<竜闘纏鱗>がその切っ先に集中する。
「――<霊峰竜圧壊剣>ッ!!」
竜騎士が繰り出した渾身の突きを、彼女は右手を前にし、<四界牆壁>に膨大な魔力を注ぎ、受け止めきった。
その衝突に、バチバチと激しい魔力の粒子が飛び散り、周囲の建物がガラガラと音を立てて崩れて落ちる。
「なんのつもりだ、魔王の配下。我らを行かせねば、あの天蓋は支えられんっ。我らも貴様らも、目的は同じはずだっ!」
「目的は同じですけど、道が違います。わたくしたちの魔王は傲慢ですの。犠牲は許さぬとのお達しですわ」
僅かに、ネイトの剣が<四界牆壁>に押し込まれる。
ミサは険しい表情を浮かべた。
「それに、これはわたくしの事情でもありますの。ここであなた方を止めなければ、悲しみに暮れる人がいますわ」
後ろから次々とアガハの騎士たちが追いつき、<四界牆壁>に刃を突き立てる。
一〇層張り巡らした<四界牆壁>が、一気に半分以下まで吹き飛んだ。
最後にシルヴィアの乗る竜が飛んできて、ミサめがけて、<竜闘纏鱗>の剣を突き出した。
再び<四界牆壁>が弾き飛ばされ、その魔法障壁が残り二層となる。
「もういいだろうっ、どけっ!」
ミサに向かってシルヴィアが言う。
「いいえ。どきませんわ」
「犠牲なくして地底が救えるというのならば、ディードリッヒ王も心を痛めることはなかったっ! あの天蓋は秩序の柱でしか支えられないっ! たとえ地底の竜人すべての力を結集しても、力で支えられるものではないんだっ!!」
「わたくしたちには魔王がいますわ」
「魔王になんとかできるのならば、とうにその預言があったっ!! いいから、どけっ!」
バシュンッと<四界牆壁>が斬り裂かれ、残りは一層を残すばかりだ。
それでもミサは退こうとはしない。
アガハの騎士、一人一人の前に、水晶の破片が集まり、それはカンダクイゾルテの槍と化した。
彼らはそれを手にし、ミサへと投擲の構えを取る。
「……頼む。どいてくれ。今更私たちは、剣を引くわけにはいかない……」
「弱音を吐かずに、なすべきことをなしなさいな。あなた方の全力をすべて受け止め、それでも、わたくしたちが勝利しますわ」
シルヴィアがミサに悲しげな視線を向ける。
「放ていっ!」
カンダクイゾルテの槍が三三本、ミサめがけて投擲される。
それは限局され、<四界牆壁>をすり抜けていく。
避けることは容易い。だが、その瞬間、竜騎士団を足止めするための<四界牆壁>に注ぎ込み続けている魔力が、僅かに弱まるだろう。
ミサは動かず、彼らの前に立ちはだかる。
そうして、カンダクイゾルテの槍が、彼女の全身に次々と突き刺さった。
「……馬鹿な……馬鹿なことをっ……! この至高世界で、そんなことをしても、数秒時間を稼げるだけで、私たちを止められはしないっ。それぐらい、わかっているはずだっ!!」
血を流しながら、彼女は言う。
「……退くわけには、いきませんわ……」
カンダクイゾルテの槍に全身を貫かれながら、なおも彼女は立ち尽くし、魔法障壁に魔力を全力で注ぎ込む。
「……わたくしたちも本気ですの。天蓋が落ちようとしている。それが、いったいなんですの? 魔王も、彼も、誰一人諦めていませんわ。こんなことぐらいで……」
ネイトが号令を発し、竜騎士団全体を<竜闘纏鱗>が包み込んだ。
「……あなたたちが命を捨てて、地底を救うとおっしゃるのなら、わたくしたちは命を懸けて、すべてを救ってみせますわ……」
瞬間、竜騎士団が、さながら一つの巨大な竜のように見えた。
その突撃の前に、最後の<四界牆壁>が弾け飛ぶ。
全隊が前へ突き進む勢いは殺せず、膨大な力の<竜闘纏鱗>がミサを轢き、弾き飛ばした。
そのとき、彼女は笑う。
「…………それに、数秒時間が稼げれば、十分ですの……後は彼が……」
宙を舞ったミサの体が、地面に叩きつけられる。
「……馬鹿…………」
一瞬、ミサに視線をやったシルヴィアは頭を振って、前を向く。
彼女たちは、とうとう覇王城の門に到着した。
そのままの勢いを殺さず、騎士たちは竜から飛び降りる。
白き異竜は、覇竜に竜騎士団の邪魔をさせぬようにと、上空へ飛び立ち、防衛線を敷いた。
すぐさま、ネイトが言った。
「突入する」
一歩、彼が足を踏み出す。
ガゴンッ、と音を立て、覇王城の正門がゆっくりと開いていく。
警戒するように、竜騎士団が剣を構える。
一人の男が、門の奥から歩いてきた。
「――昨日の酒宴はとても楽しかった」
静かに響く、憂いを帯びた声。
「君たちは和やかにお酒を飲んでいた。とても楽しそうに、なんでもない幸せを噛みしめるみたいで」
そこに現れたのは、レイだった。
彼は霊神人剣を右手に携えている。
「よく見知った、とても見覚えのある」
そっと彼は言葉を放つ。
「とても悲しい光景だった」
一気に突撃しようとしたシルヴィアとネイトは、しかし、彼の視線に気圧され、踏み出すことができなかった。
「二千年前、僕たちもそうだったよ。魔族との戦いで、いつ死ぬともしれないガイラディーテの兵士たちは、今日が最後と思って、本当に心から酒宴を楽しんでいた。馬鹿みたいに騒いで」
僅かに震える声で、レイは呟く。
「……馬鹿みたいに、楽しんで……」
門をくぐり、彼は竜騎士団の前に立つ。
「終わりがもうすぐそこだってことを、君たちは知っていたんだ」
シルヴィアが彼に対峙し、口を開いた。
「そうだ。それが預言を賜った、アガハの騎士だ」
「君はだから、恋が嫌いになったのかな。恋をしたって、愛する人を遺していくことになるから」
「今更、止めないでくれ。私たちは祖国を守る。死んで、この地底の礎となる。これが祖先から、ずっと受け継がれてきた私たちアガハの騎士の誇りなんだ」
レイは数歩前へ出て、彼らの前に立ち塞がる。
「君たちの気持ちはよくわかる。僕も、昔同じことをしたよ。友人を守りたくて。世界を守りたくて。それですべてがうまく回ると信じて。勇者として、死のうと思った」
静かにレイは言った。
「だけど、間違いだった。命を捨てなきゃ、守れないものなんかあるものか。そんな希望のない、悲しい戦いがあるものか。それを僕は守ろうとした友から教えられた」
まっすぐシルヴィアを見据え、心から彼は訴える。
「本物の勇者から」
「どいてくれ、レイ。もう時間がないんだ。見てくれ、あの天蓋をっ! 今にも落ちようとしている。私たちの王が、この城の奥で待っている。なあ……私たちは、ともに酒を酌み交わした、ともに平和のために戦う、戦友だろう?」
シルヴィアが剣を構える。
話し合っている時間などあるわけもない。
ミサのとき同様、力尽くでも通ろうというのだろう。
「行かせてくれ。アガハを、この地底を守るために」
レイも彼女たちの想いは、痛いほどよくわかっているだろう。
言葉だけでは止まらぬことも。
聖剣を構え、彼はアガハの騎士たちへ、断固たる決意を込めて言い放った。
「行かせはしない。君たちの、すべてを守るために」
受け継がれた想いを胸に、両者は激突する――