天を震わす儀式
あがくように、覇王ヴィアフレアは、リヴァインギルマの刃に手を伸ばす。
彼女は不可視の剣身をつかみ、それを抜こうとするが、手から血が流れるばかりで、びくともしなかった。
「……わ……わかっているの?」
苦しげに、脂汗を垂らしながら、ヴィアフレアが俺に問う。
「なにがだ?」
「人質は……ゴルロアナだけではないわ……。あなたはアヒデを助けなければならない。わたしをこのまま殺せば、彼がどうなるか、わかるでしょう……?」
苦痛を堪えながらも、彼女は薄笑いを浮かべる。
「命乞いならば、もっとうまくやることだ。なにもお前の命を奪うことだけが、覇王の死というわけでもあるまい。王として死にさえすれば、この国は救われよう」
「殺さなくても、これ以上手を出せば同じことだわっ!」
「ならば、好きに選ぶがいい。アヒデを殺せば、お前を苦しめ殺す。だが、助けると約束するならば、楽に殺してやる」
リヴァインギルマの刃をぐいと押し込む。
「あっ、ぎゃああああああああああぁぁぁぁっ……!!」
「どうした? 手を出したが、アヒデを殺さないのか?」
呼吸を荒くし、手を震わせながら、ヴィアフレアは言った。
「できないとでも思っているのかしら?」
「そうでなければ、とうにやっている」
更に刃を根源に押し込むと、ヴィアフレアの表情が苦痛に染まる。
声を殺してそれに耐えながら、彼女は叫んだ。
「後悔なさいっ……!!」
ヴィアフレアは、震える右手を上げ、魔法陣を描く。
不敵に笑い、魔力を送ろうとした途端、その顔が困惑に染まった。
魔眼を強く働かせ、彼女は自らの城中に視線を巡らせている。
「どこを探している? 頼みの人質ならば、もうここにいるぞ」
俺のそばに、雪月花がひらりと舞い降りる。
目映い光が放たれると、二つの人影がそこに浮かんだ。
それは、アルカナとアヒデの姿だった。
アヒデは床に倒れ込んでいる。
「言いつけ通り、アヒデ・アロボ・アガーツェを救出した。今は気を失っている」
「よくやった」
人質だったはずのアヒデと、その傍らに立つアルカナを見た後、ヴィアフレアは再び俺の方を向いた。
「まったく気がつかなかったといった顔だな? お前が俺と遊ぶのに夢中になっている間に、アルカナが牢獄を破った。幻名騎士団は外で竜騎士団の相手に忙しい。警備も杜撰なものだった」
そう言って、奴に顔を近づける。
恐怖に沈むヴィアフレアの顔を、冷めた視線で撫でてやった。
「さて。人質は殺してしまっては意味がない。それを殺す決心をしたということは、俺に命乞いをするための切り札がまだ他にあるということだな?」
脅えたように、びくっとヴィアフレアは体を震わせた。
「話せ。それとも、ボルディノスに二度と会えない呪いでもかけてやろうか?」
血相を変えた彼女を見て、俺は不敵に笑ってみせる。
「ああ、奴が忌避するようなおぞましくも醜い姿に変えてやってもよいな」
目を開き、ぶるぶると小刻みヴィアフレアは首を振る。
やめて、やめて、それだけは、とか細い声で、何度も何度も繰り返す。
「いや。この国を狂った愛が壊したのなら、二度と愛など囁く気にならないようにしてやるのが一番か。お前の目が、ボルディノスを映す時、お前が最も憎む者の姿に変わるようにするというのはどうだ?」
彼女の瞳に、絶望がよぎったのがはっきりとわかった。
「どれがいい?」
ぱくぱくとヴィアフレアは口を開くが、声は出ない。
「ふむ。迷って選べぬか。ならば、特別に三つとも贈ってやろう」
その言葉が一番効果があったか、呪いの魔法陣を描いた途端、ヴィアフレアは言葉を発した。
「は、話すっ……! 話すわっ! だから、話すからっ……!」
「言葉は選ぶことだ。次に益のないことを口にすれば、お前の悲恋は儚く散る」
「せっ、選定審判を終わらせる方法を話すわっ! 選定審判を終焉に導くには、審判の勝者となってはならないっ。それでは神の思惑通り、秩序に従う羽目になるのっ!」
脅えたようにヴィアフレアは一息でまくし立てた。
「ほう」
ようやく聞くに値する言葉を口にしたか。
しかし、選定審判の勝者となってはならぬ、か。
「選定審判を司る秩序は、整合神エルロラリエロムだったな。その神は、選定審判を勝ち抜いた勝者の前に姿を現す。整合神を滅ぼすためには、選定審判を勝ち抜かなければならぬはずだが?」
未だ脅えた瞳をしながら、ヴィアフレアは答える。
「それは、事実だわ。けれど、選定審判を勝ち抜いた選定者は、整合神エルロラリエロムの秩序からは逃れられないっ。選定審判という儀式に則った時点で、その神の権能を受け入れる準備をしてしまっているのっ」
選定審判を勝ち抜くことは、言わば避けられぬ呪いを受けるようなものというわけだ。
「それで整合神を打倒しようとした初代覇王ボルディノスも、なす術なく神の代行者をお仕着せられたということか?」
「そう。ボルディノスの力でも、選定審判を勝ち抜いてしまっては、整合神に逆らうことはできなかったの」
セリスが神に敵わなかった、か。
あの男の深淵は底が知れぬ。正直、これまでに見たどの神にも、後れを取るとは思わなかったが、選定審判の強制力はそれほどなのか?
「ふむ。他の者に選定審判の勝者を譲り、現れたところを横から滅ぼしてやればどうだ?」
「エルロラリエロムが現れるのは、選定審判の勝者と、その選定の神の前だけだわ。他の誰がそこにいても、彼らは整合神に触れるどころか、見ることもできない」
選定審判を司る神の名が殆ど知られていない理由がそれか。
「では、どうやって終焉に導く?」
「選定審判の途中で、エルロラリエロムに出会う方法があるの。整合神の秩序は、表面化していないだけで、確かにこの地底に存在するわ」
「それは少々妙な話だな。選定審判を勝ち抜かなければ現れぬはずの神が、そこらへんを歩いているというのか?」
「さっき説明したのは、整合神の秩序が安定を保っていたときの話。けれど、それは歪んでしまったの」
ふむ、ありえぬ話ではない。
破壊神アベルニユーとて、今では魔王城デルゾゲードに姿を変えた。
「なにがあったのだ?」
「地底で行われた最初の選定審判で、最初の代行者となった竜人が、エルロラリエロムの秩序を乱したの。その竜人を選定者に選んだのが、創造神ミリティア。彼女はその力でもって、整合神エルロラリエロムを封じ込めようとした」
視界の隅でアルカナが俯く。
なにかを考えているかのようだ。
「なるほど。選定者にも、普通の神にも、整合神は手に追えぬが、この世界を創ったミリティアであれば、どうにかなったというわけだ」
「そうね。けれども、創造神の目論見は失敗に終わったわ。エルロラリエロムを封じ、選定審判を終焉させようとして、あと一歩というところで、自らが選んだ竜人に裏切られた。ミリティアは死んだわ」
滅びたではなく、死んだか。
「死んでどうなった?」
「……わからないわ。転生したのかもしれないし、それも邪魔されたのかもしれない。わたしが知っているのは、その裏切った竜人が、封じられていたエルロラリエロムを滅ぼしたってことだけ……」
整合神が一度滅びた。
にもかかわらず、今現在、選定審判は執り行われている。
「つまり、こういうことか? ミリティアが途中で死んだため、半ば封じられていた整合神エルロラリエロムの秩序が働いてしまった。選定審判を勝ち抜いた者に、整合神を滅ぼすことはできない。お前の話では、神の代行者とされてしまうからだ。それでもなお、整合神を滅ぼせばどうなるか」
選定審判の目的を思い出す。
「本来、代行者とは、失われた秩序を補うためのものだったな?」
これまでのヴィアフレアの話からすれば、結論は一つだろう。
「最初の代行者は、失った秩序を補うために、エルロラリエロムの秩序をその身に宿した。だからこそ、今も選定審判は続いている。そして、その最初の代行者はこの地底にいる。ゆえに、選定審判を勝ち抜けば、その者が整合神の役目を果たすわけだ」
彼女は、はっきりとうなずいた。
「そうよ。だから、選定審判が決着する前に、最初の代行者に会いさえすれば、この神の儀式を終焉に導くことができるわ」
「どこにいる?」
「それがわかれば苦労はないわ。わたしたちも探しているの。でも、手がかりはあるのよ。その最初の代行者は、世界を恨んでいたわ」
世界とは、大げさな話だ。
「なぜだ?」
「敵だったのよ、なにもかもが。ずっと、その竜人は迫害され続けていた。アガハに生まれた竜人は、生まれながらに忌むべき存在として扱われたの。その竜人を迫害することが、多くの民を救うことにつながると神の預言があったから。地底のどこへ行こうと人々から虐げられ続け、竜人は憎しみを積み重ねていった」
残酷な預言もあったものだ。
たとえ、それで犠牲になる者が最小限になったとしても、罪もない一人の民を犠牲にしたのでは、道理が通らぬ。
「とうとう竜人は、王竜の生贄となった。根源を飲み込まれ、竜人はなんの救いもなく生涯を終えた。だけど、その強い憎しみは消えず、王竜の胎内に残った。生まれた子竜は、激しい憎悪を胸に抱いていたわ」
一度言葉を切り、ヴィアフレアは説明を続けた。
「アガハは子竜を祭り上げた。だけど、底知れぬ怒りが子竜にはあった。理不尽に迫害された感情が残っていた。やがて、八神選定者に選ばれたその子竜は、この地底の民とその神に復讐を誓ったの。その顛末がさっき言った通り」
「つまり、最初の代行者は結局、目的を果たせなかったわけか?」
こくり、とヴィアフレアがうなずく。
「そうね。残念ながら、憎悪のままに動いただけのその竜人には、なにをつかむこともできなかったわ」
民と神に復讐しようとして、結局、自らは望まぬ代行者になってしまったのだからな。
「なぜ、そこまで最初の代行者のことを知っている?」
「……これはガデイシオラに伝わる禁書に載っていることなの。初代覇王、つまり、ボルディノスが残したものだわ」
禁書を残したのがセリスとなれば、ずいぶんと胡散臭く聞こえる。
だが、嘘とも言い切れぬな。
「禁書には、選定審判を終焉させろと書いてあるのか?」
「……そうよ。アガハの預言では、選定審判を終焉させてはならないと言われているみたいだけれど、ディードリッヒもあなたに伝えていないことがあるわ」
それが起死回生の一手だとでも言わんばかりに、ヴィアフレアは薄く微笑む。
「選定審判こそ、震天の原因。やがて、秩序の柱は耐えきれなくなり、地底は天蓋に押し潰される。それが、アガハに伝わる、災厄の日だわ」
ようやく見えてきた選定審判の真実。
様々な謎がつながり始める――