歪んだ心
あはっ、とヴィアフレアは狂気が混ざった声をこぼす。
「おかしいわね。どこで気がつかれたのかしら? 演技には、自信があったのだけれど。男なんて、みんな簡単に騙されるのに。ボルディノス以外ね」
「ふむ。悪女を気取ってみたつもりか知らぬが、慣れぬ真似は今日限りでやめておくことだ。俺の友に転生してまで魔王を演じた名優が一人いるが、せめてそのぐらいの才がなくては、男は騙せぬ」
俺の眼光を真っ向から受けとめ、彼女は憎しみを込めて睨み返してくる。
「あなたを騙そうとしたのは事実。さっきのは確かに偽物だったわ。けれど、ボルディノスの話は嘘ではないわ」
「ほう。つまり、本物がいるというわけか」
「ええ。教えるつもりはなかったのだけれど、騙されてくれないのなら仕方がないわ。わたしに仕える幻名騎士団の団長」
小娘のようにはしゃいだ声で、ヴィアフレアは言った。
「あなたの父親、セリス・ヴォルディゴード。彼が初代覇王ボルディノスよ」
今度は、セリスが初代覇王ときたか。
まあ、ありえぬわけではないが。
「それはまた先程よりも、一段と胡散臭い話になったものだ。あの男が整合神とやらに挑んで破れ、そして代行者になったと言いたいのか?」
「そうよ。彼と話したでしょう? なにかおかしいことはなかった?」
「あいにくと俺は奴の記憶を失っている。頭のおかしそうな男だとは思ったがな」
「そう、彼は壊れてしまったの。ボルディノスは神の代行者となったことで忘れてしまったのよ。祖国を愛した心を、民を慈しんだその愛を。わたしへの恋心とともに」
代行者になったから、心を失った、か。
確かに、肝心なものが欠けているかのようには見えた。
うまい言い訳のようにも聞こえるがな。
「だけど、彼は完全にすべてを忘れたわけではなかった。僅かに、わたしへの想いを残していたのよ」
淡い希望を抱くようにヴィアフレアは呟いた。
「心のこもらぬ声で、彼は囁くの。何度も、何度も、わたしを愛していると」
あはっ、となんとも言えぬ笑い声がこぼれる。
悲しみと、狂気と、溢れんばかりの憎しみが彼女の表情に滲んでいる。
「ねえ、わかるかしら? その空しさが、あなたにわかって?」
暗い表情で彼女は俺に問いかける。
「わたしは、許さないわ。絶対に、許さない。優しかった彼を、あんな風にした神々を。彼を変えてしまった選定審判を」
「だから、滅ぼし、取り戻すと?」
「ええ、そうよ。彼の悲願を果たせば、彼が元通りにならなくても、きっとその心を思い出してくれるはず」
信じがたい話ではある。
しかし、変わる前の奴を知らぬ以上は、断定はできぬ。
「お前の選定神はセリスだということか?」
「ああ、それも嘘だわ。そうだといいと思ったの。だから、ついでだから嘘をついてみただけ。わたしの選定の神は暴食神ガルヴァドリオン。もういないのだけれど」
ヴィアフレアが不敵に笑う。
今度は正直に話したが、わからぬ女だな。
「なぜ嘘をついた?」
「ボルディノスには内緒にしておきたかったのよ。あなたには会うなと言われているの。恐ろしい力を持っていて、聞き分けがない息子だって。だけど、さっきの話をすれば、あなたはボルディノスがどうなったか気になるでしょう。だから、とりあえず偽物を作ったわ」
妙な答えだ。
「会ってなにがしたかった?」
「あはっ。なにがしたかった? なにがしたかったって? あははっ。おかしなことを言うのね」
くつくつと喉を鳴らしながら、ヴィアフレアはまた笑う。
「ねえ、アノス。あなたはボルディノスの息子だわ」
ねっとりとした口調で、覇王は言った。
「さて、あの男が勝手に言っているだけのことだ」
「間違いないわ。ボルディノスが、わたしにそう言ったのだから」
「嘘の多い男だ。信じるに値せぬ」
「いいえ。確かに彼は嘘つきだけれど、わたしにだけは絶対に嘘をつかないの。だから、あなたは間違いなく、あの人の息子だわ」
くすくすっとヴィアフレアは嬉しそうに微笑んだ。
「あの人がかつて愛した女との証。壊したいぐらいに腹立たしいけど、でも、その女はもういない。許してあげるわ。だって、あなたはわたしの息子になるのだから。一目見ておきたいと思うのは、当然のことじゃなくて?」
「それだけか?」
「ええ、そうよ」
なにか問題でもあるのか、といった表情をヴィアフレアは浮かべている。
「理解できぬな。俺に会うというのは、国の行く末を左右することに他ならぬ。国を背負う王が、配下にも告げず、私情で動くか」
「問題ないわ。ただ息子と会うだけ、そうでしょ?」
本気で口にしているのか、それともこれも嘘なのか。
どうにも真に迫っているようには感じるがな。
「ああ、けれど、そうね」
ふふっ、と笑い、彼女はねっとりとした言葉を発す。
「実際に会ってみて、気が変わったわ」
ヴィアフレアが、俺に仄暗い視線を向けてくる。
「あなたと仲よくなれば、ボルディノスはきっと喜ぶ。そうしたら、あの人は心を取り戻すかもしれない。そうは思わないかしら、アノス」
ふむ。またずいぶんと突飛なことを言い出したものだ。
「そうね。やっぱり、未来神ナフタを一緒に倒しましょう。そうすれば、きっとあの人も喜ぶわ」
「セリスも胡散臭い男だが、お前も相当なものだな。父親かどうかも怪しい男の、会ったことすらない伴侶を前にした者が、それを聞いてどういう心境になるか、一つ考えてみてはどうだ?」
「嬉しいわよね?」
自分の善意をまるで疑っていないような言葉であった。
「いかれているとしか思えぬ」
「聞き分けのない子ね。あの人の言った通りだわ」
まるで思い出に心を傾けるような調子で、ヴィアフレアが言う。
「大丈夫よ。わたしはあなたの母親になるのだから。ちゃんと躾けてあげるわ」
ヴィアフレアが手をかざす。
「おいで。わたしの可愛い子」
すると偽物のボルディノスの灰の中から、紫の翼がぬっと現れた。
そこから這いずるように出てきたのは、覇竜だ。
「心配しないで、アノス。お母さんがあなたとボルディノスの仲を取り持ってあげる。この竜に身を委ねなさい。そうすれば、親子三人、仲睦まじく暮らせるわ」
真に迫った表情で、ヴィアフレアはそう言った。
「ふむ。一つ尋ねるが、正気か?」
「あなたこそ、正気かしら? ボルディノスは心をなくして、寂しい想いをしているわ。普段いがみ合っていても、いざというときは助け合うのが家族の絆というものよ」
「本当に家族ならばな」
「さっき証明してみせたでしょ? それは疑う余地はないわ」
「だから、その竜を俺に寄生させて無理矢理仲を取り持つと? くくく、くはははは。なるほど、大した家族の絆だ」
かんに障ったように、ヴィアフレアが俺を睨む。
「反抗期の子供には、厳しく躾けるのが当然のことではなくて? ボルディノスは心をなくして、それができない。だから、代わりに、本来の彼が望むことをわたしがするのよ」
彼女はそっと指先を俺へ向ける。
「ほら、可愛いわたしの覇竜。彼に巣くいなさい」
覇竜が唸り声を上げ、筋肉を躍動させながら、俺に襲いかかった。
獰猛な牙が向けられるが、それを難なく割け、漆黒の指先で八つ裂きにする。
「あはっ、無駄よ。この間も試したでしょう? どれだけ斬り裂いても、その子は数が増えるだけ」
斬り裂かれた八つの竜の肉片がぐにゃりと歪み、八匹の竜の頭に変化する。そいつらは同時に、俺に牙を突き出す。
「<魔黒雷帝>」
漆黒の雷が俺の右手にまとわりつき、雷鳴を轟かせながらも、この場を覆いつくしていく。
膨張していく稲妻が一気に弾け、上下左右すべてを撃ち抜き、八匹の竜を瞬く間に消し炭に変えた。
「本当、聞き分けのない子ね。良い子になりたければ、母親の言いつけは、しっかりと聞くものよ。いい? 無駄だと言ったのよ、わたしは」
押しつけるように言い聞かせ、ヴィアフレアが微笑む。
一つの消し炭から、今度は十数体の覇竜が現れる。
合計で、凡そ一〇〇といったところか。
「理解したかしら? さあ、良い子ね。やりな――」
命令の途中でヴィアフレアが絶句する。
数を増やした一〇〇匹の覇竜に、黒き雷の牙が食いついていたのだ。
「なんなの、これ……?」
「<殲黒雷滅牙>」
それはかつて、緋碑王ギリシリスに使った古文魔法。
先程、撃ち放った<魔黒雷帝>の狙いは、覇竜ではなく、壁と床。
それらに黒き雷で魔法陣を描き、<殲黒雷滅牙>の術式を構成していたのだ。
魔力効率の良い<殲黒雷滅牙>は一度食らいついたが最後、根源が二つに分かれようと、三つに分かれようと、決して離れぬ。
一〇〇匹の覇竜は黒き雷の牙にズタズタに食いちぎられ、灰と化す。
そこから無数の覇竜が姿を現すが、しかし、その一体一体に<殲黒雷滅牙>は食らいついたままだ。
「覇竜の根源は群体ゆえ、斬ろうと燃やそうと分かれるようだが、さすがに分割できぬほど刻んでやれば滅びよう」
覇竜がみるみる増えて、そして<殲黒雷滅牙>によって食いちぎられていく。
ヴィアフレアの顔が真っ青になった。
「……そんな、はず……わたしの覇竜が……滅びるはず……そんなはずはないわっ……! ねえ、可愛いわたしの子っ! なにをしているのっ!? そんな魔法、はね除けなさいっ! 命令よっ! 早くなさいっ!」
彼女は必死に叫いているが、覇竜たちは阿鼻叫喚を上げ、ひたすら数を増やす。
つまりは、細切れにされているのだ。
「不可能を命ずるとは、もうろくしているようだな。お前が俺の母親になるというのは、どうにも承伏しかねるが、まあ、そこは一つ寛容さを見せよう。ただし、魔王の母に相応しいよう、まずは常識を身につけてもらおうか」
ギギギギギ、ガガガガガッと激しい雷鳴が鳴り響いた後、無数に増えた覇竜が一匹残らず消滅した。
「老いては子に従え、ヴィアフレア」
そして、覇王ヴィアフレアは、かませの境界線上に立つ。
行きつく先は、強者か、かませか――