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憎しみに嘘を一つ


 覇王ヴィアフレアから差し出された手を、俺は一瞥する。


「いいのか? 確かに選定審判を終わらせるのが俺の目的だ。しかし、それ以外の思惑が一致するとは限らぬ」


 そう口にし、ヴィアフレアの手をとった。

 彼女は笑顔で握手に応じる。


「ここでは皆そうだわ」


「ほう」


「ガデイシオラは、自由の国、そして家族の国なの。雑多な考えを、雑多な種を、雑多な在り方を許容するわ。誰がどんな人でも、食卓を一つにすることでわたしたちは仲よくなれる。だって家族だもの」


 比喩でもなんでもなく、まるで本当にそう信じているように彼女は言い切った。


「ここで求められるのは一つだけ、世界に神はいらないということよ」


 神を信じられなくなった者が集い、作られた国。

 この土地は元々アガハのもので、ジオルダルから来た民もいただろう。


 幻名騎士団は地上の魔族だ。


 敵を神とすることで、異なる思想を持つ者同士が手を取り合い、様々な考えを認める土壌が出来上がっていったのかもしれぬな。


「ガデイシオラはアガハと敵対関係にある。共に行動こそしてはいないが、俺はあの国に味方するだろう。それでも、同盟を結べるつもりか?」


「そうね。とりあえずは構わないわ。ガデイシオラのみんなに危害が及ぶなら、そうはいかないけれどね。あなたはまだなにもしていない。どんな危険な思想を持っていても、それだけで迫害することはない。思うだけならば、自由を認めるわ」


「ふむ。ずいぶんと寛容なことだな」


 禁兵が、レイとアルカナを襲ったのもその緩さがあってのことか。


「だってほら、ガデイシオラにいる内に気が変わるかもしれないわ」


 ヴィアフレアが、笑う。

 その笑みには、僅かに、薄暗い感情が含まれていた。


「あの男、セリス・ヴォルディゴードをジオルダルの地下遺跡リーガロンドロルに向かわせたのは、お前の命令か?」


「ええ、そうよ。ジオルダルの教え、<神竜懐胎ベヘロム>を防ぐためにね」


「地上がなくなっても、ガデイシオラに害はあるまい」


「そうね」


 言いながら、ヴィアフレアは自らの髪に指を絡ませ、手遊びをしている。


「<神竜懐胎ベヘロム>により、天蓋は消え、恵みの雨が降る、だったかしら? 神が降らせる雨でしょう?」


 彼女の瞳に狂気が潜む。

 嗜虐的に口元を歪め、覇王は笑みを覗かせた。


「そんな押しつけがましい幸せ、死んでもご免だわ」


「ずいぶんと神族が嫌いなようだな」


 あはっ、とヴィアフレアは笑声をこぼす。


「嫌い? あははっ、嫌いだなんて、なにを言うのかしら? うふふっ、あはっ、あはははははっ!!」


 半ば狂ったように笑い飛ばし、彼女は突如、仄暗い瞳で俺を見据えた。


「わたしは、神が憎いの。秩序が憎いわ。あいつらを残さずこの世界から消し去る。そのためのガデイシオラ、そのためだけに、わたしは覇王になった」


 怨念じみた声で、ヴィアフレアはそう想いを吐き出した。


「ね。昔話をしようかしら? この地底で起きた、つまらない喜劇よ」


「ふむ。それは面白そうだ。聞かせてもらおうか」


 そう言うと、ヴィアフレアはくるりと背を向け、歩き出した。


「昔々、アガハの国に、ある竜人の女の子が生まれたわ。名前は、ソフィア。彼女はアガハの民らしく、剣を尊び、修練に勤しむ、ありふれた普通の女の子だった。一つだけ、悲劇があったのだとすれば、それは彼女の寿命が生まれつき、短かったということ」


「短命種か?」


「そうね」


 ヴィアフレアは軽い調子で答える。

 短命種……つまり、老衰病に冒されていた。


「自らの境遇を人並み程度に、彼女は恨んだ。だけど、それでどうなるわけではないわ。命剣一願、その身に神が宿るのだとしても、定められた寿命は覆ることはなかった。ソフィアはアガハの預言に従い、王竜の生贄になることが決まった」


 静かに足音を鳴らしながら、ヴィアフレアは天柱支剣の方へ歩いていく。


「それはとても誇らしいこと。先のない自分の命が、災厄の日に国を守る剣となり、礎となる。アガハの騎士として、最高の名誉が、その女の子には与えられた。悔いはない、と彼女は思っていた」


 床に突き刺さった巨大な大剣に、彼女は触れた。


「ある人に出会うまでは」


 じっと、ヴィアフレアは、天柱支剣ヴェレヴィムを見つめる。

 透き通った輝きを発するその剣身に、彼女の顔が映っている。


「当時も、選定審判が行われていた。ソフィアは、アガハを訪れた選定者の一人、ボルディノスと偶然知り合った。彼は、背理神ゲヌドゥヌブを葬ったガデイシオラの初代覇王だった」


 ほんの少し、ヴィアフレアの声に優しいものが混ざる。


「覇王ボルディノスは、ソフィアが生贄の騎士であることを知ると、彼女の手を取り、そして自らが治める国、ガデイシオラに連れ去った。困惑するソフィアは、だけどどこかほっとしていた。本当は、彼女は王竜の生贄になるのを恐れていたの。それが、ボルディノスには伝わっていたのだと思うわ。彼はいつまでも、ここにいていいと口にした」


 彼女は手をそっと握りしめる。


「ソフィアはボルディノスに自然と惹かれていき、やがて恋をした。生まれて初めての、一生に一度の恋だった。彼女の寿命はまもなく尽きる。ソフィアはボルディノスに想いを告げ、そうして、アガハに帰ろうとした。最期は騎士として、死のうと思った」


 ヴェレヴィムの剣身に映ったヴィアフレアは、穏やかに微笑む。


「ボルディノスは彼女を引き止めた。彼は助けられると言った。短命は治せなくとも、<転生シリカ>の魔法で転生させることができると。王竜に食べられれば、その根源は子竜のものとなってしまう。ボルディノスはもう一度会おうと、ソフィアに約束した。もう一度、恋をしようと。その言葉で、彼女は転生を決意した」


 ヴィアフレアは僅かに唇を噛み、俯いた。


「けれど、ソフィアの転生が完了しても、二人が再会することはなかったわ」


「なぜだ?」


「ボルディノスは、選定審判を勝ち抜いたわ。彼の目的は、選定審判の勝者のもとに姿を現すといわれる神、整合神せいごうしんエルロラリエロム。それを滅ぼし、神々の儀式、選定審判を終焉に導こうとしていた」


 整合神か、初耳だな。


「選定審判を司る秩序は見えぬからこそ、地底では<全能なる煌輝>エクエスの存在が、示唆されているのではなかったか?」


「誰も知らないわ。これはガデイシオラの禁書にのみ記されていること。他に知っているのは、アガハの剣帝と未来神ナフタくらいかしら? 教皇は、どうでしょうね? わたしも、ジオルダルの教典の中身は知らないもの」


 選定審判が終焉に近づけば、すなわち世界は終焉に近づく。

 アガハの預言がある以上、あの二人が他に漏らすことはあるまい。


 ジオルダルの教典にあったとしても、滅多なことで他言することはないだろう。


「ともかく、ボルディノスは、整合神に挑んだ。けれども、届かなかったわ。彼は敗れ、そして神の代行者となってしまった」


「ガデイシオラの禁書というのは書物ではなく口伝なのだろう? 初代覇王ボルディノスが神の代行者となったのならば、それを誰に訊いたのだ?」


 振り向き、ヴィアフレアはまっすぐ俺に視線を飛ばす。


「勿論、本人からよ」


 すっと彼女は指先を伸ばし、選定の盟珠を掲げる。

 その内部に描かれたのは、<使役召喚リテルデ>の魔法術式だ。


 魔力の粒子がそこに集い、現れたのはローブの上に鎧を纏った男である。

 彼は虚ろな瞳を虚空に向けていた。


「神に感情はいらない。神の代行者ボルディノスは、その心を失い、ただ秩序を維持するだけの存在となった。彼は転生したソフィアを選定者に選び、そして彼女にすべてを伝えたわ」


「……ソフィ……ア……」


 ぎこちなく、ボルディノスが口を開く。


「……カミヲ……ホロボセ……」


「ええ。わかっているわ。もう少しよ」


 悲しげに、ヴィアフレアはその代行者を見つめた。


「これが、神に逆らったものの末路。初代覇王ボルディノスのなれの果て。ねえ、とんだ喜劇でしょう? 再会したソフィアとボルディノスは、恋なんてできなかったの。だって、心がないんですもの」


 彼女の全身から、魔力が溢れ出す。

 底知れぬ憤怒が、その瞳に溢れた。


「……そんなの、冗談じゃない……冗談じゃないわ……」


 強く、血が滲むほどの力で、彼女は拳を握り締める。


「秩序なんていらない。神を滅ぼし、秩序を滅ぼし、わたしは彼から心を取り戻す。選定審判もなにもかも、神と名のつくすべてを終焉に導いて」


「神を滅ぼしたところで、その男が心を取り戻すかはわからぬ」


「僅かでも可能性があるのなら、仮に世界が滅びてしまっても構わないわ」


 代行者になったからこそ、彼は心を失った。

 ならば、代行者の秩序が不要となれば、心を取り戻す可能性はあろう。


「事情はよくわかった。どのみち、俺は選定審判を終わらせる。お前の目的が本当にそれならば、つき合ってやってもいいが、まずはどうするつもりだ?」


「あなたの手前、ディードリッヒとアガハは見逃すわ」


「気前のいいことだ」


「その代わり、未来神ナフタを滅ぼす。選定審判を終焉に導くには、あの神が一番の障害なの」


 確かにそうだろうな。

 選定審判の終焉はアガハの預言にて回避すべきこと。


 ナフタがいる限り、その未来を回避することは、ディードリッヒには容易だ。


「あなたに手を下せとは言わないわ。わたしたちのすることを邪魔しないでくれれば、それでいい。どれだけ未来を見つめようとも、幻名騎士団が、あの神を必ず滅ぼす」


 セリスとイージェス、カイヒラムならば、それも可能か?

 ナフタを滅ぼすには、彼女が生存する未来を残らず潰せばいい。


「あなたに、未来神ナフタに情けをかける理由があるかしら?」


「ふむ。別段、情けをかけるつもりはないがな」


 嗜虐的に、ヴィアフレアは笑った。


「一つ尋ねるが、その代行者は、なんという名の神になったのだ?」


「名は変わらず、ボルディノス。代行者は神とは違うわ。その名が秩序を表すわけではない」


 なるほど。


「治してやろうか?」


 ヴィアフレアが警戒するような表情を俺に向ける。


「……そんなことができるのかしら?」


「代行者から人に戻せるとは言わぬが、神とて心を持つものだ。天父神ノウスガリアも、俺の前では最期に恐怖をあらわにしたぞ」


 俺はゆるりと歩いていき、ボルディノスの胸に手を当てる。

 ヴィアフレアが心配そうな視線を向けてきた。


「<根源死殺ベブズド>」


 漆黒の指先がその胸を貫き、根源を抉る。

 ヴィアフレアが目を見張った瞬間、<獄炎殲滅砲ジオ・グレイズ>でそれを焼き尽くした。


 後に残ったのは灰ばかりだ。


「どうした?」


 咄嗟のことに、ヴィアフレアは唖然とするばかりで声を発せない様子だ。


「最愛の者が滅びたというのに、ずいぶんと冷静だな、覇王ヴィアフレア? こういうときは、もう少し取り乱すものではないか?」


 ヴィアフレアは表情に狼狽の色を覗かせる。

 だが、それは決してボルディノスを失ったためではない。


「それも当然か。こいつは神に似ているが、秩序を持ってはいなかった。ただ根源を神のように見せかけているだけだ。仮にも神の力を持つ代行者ならば、こうも容易く滅びはせぬ」


 冥王イージェスは、ヴィアフレアを選んだ選定神は暴食神ガルヴァドリオンだと言った。

 だとすれば、彼女の説明と辻褄が合わない。


 どちらかが嘘をついているということだ。


「なかなかどうして、真に迫った猿芝居だったぞ、ヴィアフレア。愛する者を救うために、選定審判を終焉に導くか。地底の者が、俺への慈悲の請い方をよくもまあ知っているものだ。さて、誰の入れ知恵か知らぬが」


 奴の心中を探るように、俺はじっと魔眼を向け、黒く染まった指先を軽く持ち上げる。


「嘘がバレたときの作法も、ちゃんと聞いてきたのだろうな?」


魔王の魔眼は欺けない――



そういえば、前々回で300話達成していましたっ。

いつもお読みくださり、ありがとうございます。

読者の皆様に支えられ、こんなにも長く連載を続けてこられました。


また今後も、コツコツがんばっていきますね。



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