囚われの神
「……貴様ら神は、どうやら、よほど我々の神経を逆なでするのが好きなようだな……」
ひれ伏す体に鞭を打つように、禁兵は魔力を振り絞る。
周囲の者たちも同じだ。奴らは新たな槍を抜き、それを支えにしては、レイとアルカナを睨みつける。
その視線は神に対する憎悪に染まっていた。
「勇気など、とうに絞り尽くした後だ」
ゆっくりと、その女は立ち上がった。
「お前たちが奪ったのだ。この世の秩序が、この世界が、我々の子を、大切な者たちを、追い詰め、踏みにじり、理不尽に殺した。あたしは、あの子を助けるためなら、地獄の業火の中にさえ飛び込んだぞっ!! それをこの世の摂理だと、涼しい顔で見殺しにしたのが、貴様らだろうがっ!!」
女の言葉に鼓舞されるが如く、他の者たちからも魔力が溢れる。
「自ら絶望の淵に叩き落としておきながら、今更、なにが勇気かっ! ある神が地獄を見せ、ある神が救いあげる。なるほどこいつは、とんだ自作自演だ。お前たちの作り出したゲームに、つき合ってやる道理はない。神が人に救済をもたらすというなら、なぜ初めから、まともな世界を作らなかったっ!?」
レイは答えず、ただ黙ってその禁兵の言葉に耳を傾ける。
「耳障りが良いだけのお前たちの言葉や、信徒の説法など、とうに聞き飽きたわっ!」
決死の覚悟が見てとれた。
刺し違えてでも、殺す。その気迫で、彼女たちは一斉に地面を蹴る――
「――止まれ!」
声が鋭く響き渡り、彼女たちはぴたりと動きを止めた。
現れたのは、深緑の全身甲冑を纏った、二人の兵士だ。
幻名騎士団である。<羈束首輪夢現>がついていないところを見ると、先程追い払った連中とは別人のようだな。
彼らが前へ出ると、道を空けるように禁兵は退いた。
「私怨に駆られ、我らが悲願を忘れたか。ここで矮小な神と刺し違えることに、なんの意味がある?」
幻名騎士の言葉に、禁兵たちは罰の悪そうな表情を浮かべた。
「その憎悪を買い、覇王はお前たちを禁兵へ抜擢した。だが、ヴィアフレア様がそう何度も大目に見ると思うな」
「…………申し訳ない…………」
「言い訳はいい。役目に戻れ」
なにか言い返したそうな表情を浮かべつつも、禁兵は去っていった。
「そこへ乗れ」
幻名騎士にそう言われ、レイとアルカナは目配せをする。
そうして、大人しく固定魔法陣の上に乗った。
「どこへ連れていくんだい?」
「覇王城だ」
幻名騎士の一人が魔力を込めると、彼らはその場から転移した。
視界に映ったのは、牢獄である。
紫の炎が周囲の壁と天井、床に魔法陣を描き、<覇炎封喰>の魔法が発動している。
神を閉じ込めるための檻であろう。
アルカナは表情を険しくした。
「効いていないな」
幻名騎士がレイを魔眼で見つめる。
彼の<根源擬装>を見抜くことはできぬようだが、さすがに<覇炎封喰>の影響がまるでないことは不審に思ったか。
「僕は勇気神。勇気を縛る鎖はこの世に存在しない。それが秩序だよ」
その幻名騎士は眉をひそめる。
レイは爽やかに微笑んだ。
「神の処遇は覇王ヴィアフレアが決めると聞いたけど、それが本当なら、しばらくは大人しくここで待っているよ。知りたいことがあるからね」
「……貴様は本当に神か?」
訝しむように、そいつは言った。
「僕が神じゃないというなら、他のなにに見えるんだい?」
幻名騎士は、レイの持つ聖剣に視線を落とす。
「霊神人剣エヴァンスマナ。二千年前、地上にて勇者カノンが操っていた聖剣だ」
幻名騎士は二千年前の魔族だ。知っているのは当然と言える。
「詳しいね。そう、勇気神レイグランズが、祝福し、彼に与えた聖剣だよ。彼は死に、僕のもとに帰ってきたんだ」
さすがに、暴虐の魔王を演じていただけあって、嘘をつくのは堂に入っている。
決定的なことさえなければ、そうそう見抜けぬだろう。
「来い」
幻名騎士はレイの手を取った。
アルカナから離されるように、彼は壁際に連れていかれる。
「確かめてやろう。貴様が神ならば、その処遇はヴィアフレア様が決める。もしも、そうでないというのなら、ここでその命を貰い受けよう」
幻名騎士がレイの首もとへ手を伸ばす。
それは、途端に黒く染まり、魔力が急激に上昇した。
「避けて。その魔族の子の身に、覇竜が潜んでいる」
アルカナが声を発す。
「なに、心配は無用だ。覇竜は血をすすり、神か否かを見分けることができる。貴様が神ならば、食いつかれようとも滅ぼしはせん。だが、そうでなければ、そのまま死ぬと思え」
幻名騎士の手が黒から紫へと変色する。
その爪が鋭く伸び、レイの喉もとへと突きつけられた。
身を躱そうにも、後ろは壁だ。
さすがに覇竜に食いつかれては、正体を隠し通せぬだろう。
レイは息を吐き、一瞬止める。
「ふっ……!」
エヴァンスマナが一閃され、幻名騎士の腕がぼとりと落ちる。
その傷口から、紫の竜頭が出現し、牙を剥いた。
「やはり、貴様は神ではないな?」
「君が勘違いして、滅ぼされても困るからね」
「愚かなことを言う。抵抗すれば、疑われるのは道理だっ!」
体に潜んでいた竜の頭が、ヌルヌルと腕から這い出ては、レイを食らわんが如く襲いかかった。
彼はそれを霊神人剣にて、一刀両断に斬り伏せる。
だが、二つに分けられた覇竜はぐにゃりと形を変え、そして、二つの竜頭へと変化した。
『全隊へ告ぐ――』
腕から覇竜を出し続けながらも、幻名騎士は<思念通信>を送る。
そうはさせまいと、レイは地面を蹴った。
「霊神人剣――秘奥が壱」
エヴァンスマナに集った光が、無数の剣撃と化し、振り下ろすよりも先に、二つの竜頭を、そして、幻名騎士を斬り刻む。
「<天牙刃断>ッッ!!」
あっという間に騎士はバラバラになった。
しかし、その一片一片が形を変え、三〇匹の覇竜と化した。
『八神選定者が一人、不適合者アノス・ヴォルディゴードが盟約を交わしていた神を二名捕らえた――』
なおも、<思念通信>が響いている。
三〇匹の内のどれが本体なのか? それとも、どれも本物なのか?
レイは迷うように視線を配る。
『その内の一人は――』
神ではない――と言い終えるより先に、三○匹の覇竜すべてに紅い槍が突き刺さっていた。
「……が、ぁ……貴様……」
覇竜の視線が、もう一人の幻名騎士に注がれる。
深緑の全身甲冑を纏ったそいつは、穂先のない真紅の槍を突き出していた。
紅血魔槍ディヒッドアテムだ。
「――<次元衝>」
三〇匹の覇竜すべてに穴が穿たれる。
その穴の中に、竜は吸い込まれていき、ぱっと消滅した。
『全隊へ告ぐ。二名の神を捕らえた。一人やられたが、支障はない』
男は改めて<思念通信>を飛ばすと、自らに魔法陣を描く。
全身甲冑がふっと消えれば、大きな眼帯をつけた隻眼の顔があらわになった。
「魔王のやり方は、相も変わらず強引よ。それにつき合うお前も、勇気というよりは、無謀が過ぎるというものぞ」
四邪王族が一人、冥王イージェスであった。
エールドメードにやられたが、どうやらその後、蘇生したようだな。
「……なぜ、僕たちの味方をするんだい?」
霊神人剣を納め、レイは問う。
「単に目的が一致したまでのこと。お前はまだしも、背理神ゲヌドゥヌブをあの男の思惑通りにさせるわけにはいかぬ」
「それは、セリスかい?」
「警告しておこう」
レイの質問には答えず、イージェスは言った。
「覇竜は神を食らい、秩序を食らう竜。覇王ヴィアフレアを八神選定者に選んだ、暴食神ガルヴァドリオンのなれの果てよ」
「覇竜は、神だというのか、魔族の子よ」
アルカナが問い、<覇炎封喰>の中、ゆっくりとイージェスのもとへ歩いていく。
「正しくは、神であったのよ。今はただ神を食らう荒れ狂った竜にすぎぬ」
「どうしてそんなことに?」
レイが訊く。
「覇王の仕業よ。愛に狂った末、神を憎み、秩序を憎み、神を信じる信徒たちを憎んだ覇王ヴィアフレアは、世界の秩序を破壊する術を欲していた。暴食神ガルヴァドリオンの秩序をねじ曲げ、神食いの忌むべき竜にすればいいと吹き込んだのが、あの男、セリス・ヴォルディゴードよ」
秩序をねじ曲げ、神を別の存在にした、か。
生半可な魔法ではないな。
「覇竜は神を食らい、人を食らい、その根源を我が者とする。あの竜は数多の根源の群体よ。食えば食うほど数を増し、その中の根源がすべて滅びるまで、斬ろうが焼こうが増殖を続ける」
イージェスのように、次元の彼方へ吹き飛ばすのが手っ取り早いということか。
しかし、それでは滅ぼしたことにはならぬことだしな。
「神の根源を食した覇竜は、歪んだ秩序を持つ。先程の個体は神を食らっていないがゆえに大したことはないが、痕跡神と福音神を食らった覇竜は馬鹿げた力よ。奴らは神の力でもって、神を食らう忌むべき竜ぞ」
「禁兵が半分竜の外見をしているのも、神を封じる魔法を使えるのも、覇竜に寄生されているからかい?」
レイはそうイージェスに問うた。
「禁兵だけなら、まだマシだったものよ。このガデイシオラの民殆どが覇竜に寄生されている。いざとなれば、奴らは皆、術者である覇王の思うがまま動く、操り人形と化すであろう」
「覇王の目的はなんだい?」
「知れたことよ。ヴィアフレアは、恨みを晴らしたいのだ。自らの愛する者を虐げた神を、その信徒たちを、残らず滅ぼしたいのだ」
レイは小さくため息をつく。
「正気とは思えないけどね」
「愚かなものよ。愚かなものだが、あまりに哀れな女だ。そそのかした男に比べれば、可愛いものであろう」
イージェスはディヒッドアテムを魔法陣に収納し、踵を返す。
「幻名騎士団と竜騎士団は依然として小競り合いをしているが、すでに連れ去ったアヒデは、一つ下の階の牢獄の中よ。助けたくば、警備の薄い今が機会であろう」
「君はなぜ幻名騎士団に?」
「やるべきことがあるのだ。余は二千年前の借りを、返さねばならん。魔王に伝えておけ。今度ばかりは邪魔してくれるな、とな」
そう言って、イージェスは立ち去っていく。
しかし、途中で足を止めた。
「勇者カノン」
振り返らず、冥王は言う。
「お前の兄弟子は生きているぞ」
その言葉に、レイは驚きを隠せなかった。
「カシム、が……?」
「竜人に転生した。今はこの城にいるが、勘の鋭い奴よ。お前のことにも、すぐに気がつくだろう」
そう言い残し、イージェスは立ち去った。
レイは一瞬、神妙な表情を浮かたが、気を取り直すように頭を振った。
そうして、アルカナに言う。
「……行こうか。覇王が君をどうするのか知りたかったところだけど、それよりも先にアヒデを助けてしまった方がいい」
「雪は舞い降り、地上を照らす」
雪月花がアルカナの周囲に舞い、その光が<覇炎封喰>の効果を減衰させる。
アルカナは静謐な瞳を、レイへ向けた。
「あなたは、あなたのなすべきことを」
彼は申し訳なさそうに微笑んだ。
「今は、過去にこだわっている場合じゃない。カシムはたぶん、僕から逃げるだろうしね」
アルカナはゆっくりと頭を振った。
「事情は知らない。けれど、あなたは今、勇者カノンとして苦しみを抱えているのだろう。この身は救いを与える秩序でありたい。アヒデはわたしがなんとかしよう。人の子としてのあなたの救いがそこにあるのなら、行きなさい」
レイは俯く。
しばらく考えた後に、彼は言った。
「ありがとう」
その牢獄を出ると、レイとアルカナは二手に分かれた。
魔王が歌を広めている最中、勇者は深刻そうな事態に――