奇跡の歌
ガデイシオラの首都ガラデナグアを、俺たちは歩いていた。
ジオルダルのように教会もなければ、アガハのように騎士もいない。
禁兵の姿も、街中にはないようだ。
人々の暮らしぶりを把握するように、俺は様々な場所へ魔眼を飛ばしていた。
「んー、ガデイシオラって、地底の三大国なのに、けっこう小っちゃくなあい?」
のんびりとした口調でエレオノールが言う。
「そうよね。<四界牆壁>に囲まれてるのが、国の領土だとすると、あれが見えている範囲でしょ」
サーシャが、国境線上の<四界牆壁>を指す。
「首都はけっこう大きいけど、それ以外に街ってあるのかしら? <四界牆壁>の中には、収まらない気がするわ」
こくり、とミーシャがうなずく。
「他の街はないと思う」
「やっぱり、地底でまつろわぬ神を信仰する人たちって、そんなに多くないのかしら?」
サーシャが街を見回しながら、疑問を浮かべる。
地底で神に頼らず生きていくのは至難だ。
その生き方に背こうというのだから、ここへ来るのは相応の事情がある者だけだろう。
「しかし、昨日、今日生まれた国ではない。外から入ってくる者は少なかろうが、外へ出ることもできぬのだ。人口もそれなりに増えるだろう」
アガハやガデイシオラなどより、往来を行き交う人々の数は多いように見える。
「土地が足りぬというわけでもなさそうだ。自然に任せれば、街が増えそうなものだがな」
首をかしげ、ミーシャが言った。
「<四界牆壁>を広げられない?」
「さて、セリスと冥王イージェス、詛王カイヒラムもいる。この国を治める覇王とて、それなりの魔力を持っていよう。あえてこの規模の大きさに留めている、といった気もするがな」
いたずらに領土を広げれば、<四界牆壁>の維持はそれだけ難しくなるだろうがな。
「領土を拡大すればいいというものではないのはわかりますが」
シンが殺気立った視線で周囲を警戒しながら、俺に言った。
「なぜガデイシオラの民は、禁兵や幻名騎士以外ここから出られないのでしょうね? <四界牆壁>は神族に有効ではありますが、外に出た途端、敵が襲ってくる環境でもないでしょう」
「あの禁兵や、幻名騎士団がいるのですから、各国への睨みは十分に利かせていそうですわ」
ミサが言うと、エレオノールが感心したように声を上げた。
「あー、そっか。隣のアガハだって、ガデイシオラの民にいきなり襲いかかるような人たちじゃなかったし、ちょっとぐらい外に出ても平気そうだぞっ」
「じゃ、なんで出ちゃいけないのかしら?」
うーん、とサーシャが頭を捻る。
「わかり……ました……!」
ゼシアが得意気な顔で言った。
「すごいぞっ、ゼシア。天才だっ」
エレオノールが褒めると、ゼシアはじとっと睨んだ。
「まだ……なにも言ってません……そういうのは……だめです……」
不服そうなゼシアを見て、くすくすとエレオノールが笑う。
「よしよし、ゼシアは賢いね。じゃ、覇王はなにがしたかったのかな?」
「……みんなを……閉じ込めたかったです……」
「閉じ込めてどうするのよ……」
言わずにはいられなかったか、大人気なく、サーシャがそんな言葉をこぼした。
「……近くに……いてほしかったです……!」
「寂しがり屋じゃないんだから」
「……ゼシアは……寂しいです……! 覇王も……寂しいです……!」
両拳を握り、ゼシアはサーシャに訴える。
「そ、そうかもしれないわ……」
「もう一つ……思いつきました」
ずいとゼシアはサーシャに詰め寄る。
「なに?」
「この土地が……すごいです……」
「えーと、なにがすごいの?」
「とにかく……すごいです……!」
ゼシアは勢いで押し切ろうとしている。
「そ、そう……。それですごいから、どうなの?」
「すごいから……閉じ込めました……!」
「意味がわからないわ」
サーシャは困ったような様子で、額に手を当てている。
「民が国から出られぬこと以外にも、不自然なところはあるがな」
「そうなの?」
サーシャが疑問を浮かべると、ミーシャが言った。
「食べ物のお店がない」
しばらくこの街を歩いていたが、ガデイシオラの街並みは、ジオルダルやアガハと比べても特に遜色ない。
商店を見る限り、日用品などの物品は足りている。
だが、なぜか食料を売る店だけがない。
「みんな、自給自足とかかな?」
エレオノールが人差し指を立てる。
「地底の環境で、そううまく食物が育つとは思えぬ。この街でうまく自給自足を行ったとしても、足りぬ分を外から手に入れてくる必要があるだろう。それを考えただけでも、民を外に出さぬのは腑に落ちぬな」
狭い土地に、人口が密集しているのなら、外に出た方が食料も手に入れやすくなるだろう。
それとも、魔法でどうにかしているか?
「領土を広げぬというのなら、民を閉じ込めて人口を増やしたいのだとしても疑問が残るな。増えれば増えるだけ、この街では、やがて手狭になろう」
そもそも他と交流のない怪しい国では、滅多に外から人が入って来ないだろうしな。
出入りは自由にしておいた方が、ここを訪れる者も増える。そうなれば、民も増えるだろう。
「じゃ、あれだ。他の国に行くってことは神を信じるってことだから、この国から出さないってことでどーだ?」
エレオノールが人差し指で俺を軽くさすと、ゼシアが勢いよく言った。
「天才……です……!」
「こら、ゼシアっ! 仕返しだなっ!」
追いかけっこでもするように、二人はじゃれている。
「戻ってさえくるのならば、国から出たところで問題はあるまい。あるいは、ここを一度出れば民は自分の意志では戻ってこない、と考えているのかもな」
「それって、ガデイシオラがろくでもない国だって言ってるようなものじゃない……」
サーシャがうんざりしたような表情を浮かべる。
「まあ、思いも寄らぬ事情があるやもしれぬ。ろくでもない理由ではないことを祈りたいものだ」
「あれっ、あそこっ、なんかすごい穴が空いてない?」
エレンが言った。
街のど真ん中に大きなクレーターができており、その中心に深い穴が空いているのだ。
「ほんとだっ、なにこれ、すごい深いっ」
「奥が見えないよね?」
「見せて見せてっ」
ノノやジェシカたちが楽しそうに走っていき、クレーターの中心にある穴を覗いている。
「ふむ。預言通りだな」
「震雨?」
ミーシャが尋ねる。
「ああ。これは昨日降ったばかりのものだ」
震雨の起こる日と場所はディードリッヒから聞いた。
<四界牆壁>がドーム状に空も覆っているとはいえ、落ちてくる岩は全能者の剣の力により、永久不滅と化している。
勢いよく降り注いだとなれば、防ぎきれるものではない。
「これを使う」
サーシャが疑問の目を向けてくる。
「これって、えーと……震雨を?」
俺がうなずいたそのとき、後ろから声をかけられた。
「おいっ、そこのあんたらっ」
振り向けば、ローブを纏った者たちがそこにいた。
ガデイシオラの民だ。
「見ない顔だが、その場所は、立ち入りを禁じられている。入国したばかりなら、早々に覇王城へ行くことだ」
リーダーらしき男がそう言った。
「ふむ。ちょうどいいところに来た。お前たちは、震雨を調べている者か?」
怪訝な表情で男は答えた。
「それがどうした?」
「空の結界が、急に震雨を防げなくなって困っているのだろう? 一つ、手を貸してやろうと思ってな」
僅かに驚きを見せ、ローブの男は言った。
「……なにが起きているのか、わかるっていうのか?」
「端的に言えば、背理神ゲヌドゥヌブの仕業だ。あの天蓋と、そして震雨は、決して壊れることなき、永久不滅の塊と化した。そして、もうまもなく、この街に、再び震雨が降り注ぐ」
「……なにを根拠に、そんなこ――」
男の言葉をかき消すほどの地響きが天から響いた。
震天である。<四界牆壁>の向こう側に魔眼を向ければ、天蓋はガタガタと震えながら、次第に落ちてきている。
天蓋の一部が外れるように、大岩がせり出した。
合計で一三個である。
「今回の震雨は数が多いぞ」
「たっ、ただちに震雨の落下位置を予測し、避難勧告をだせぇっ! 神払いの魔壁ならば、僅かだが耐えられるっ。その間に、安全な場所へ避難するんだっ!!」
男が叫ぶ。
しかし、天蓋から大岩の一個が更にせり出してきた。
「だっ、だめですっ。あれは間に合いませんっ!!」
「と、とにかく逃がせっ! 震雨からできるだけ離れるんだっ!!」
慌てふためく、ガデイシオラの民たちをよそに、俺はすっと手を挙げた。
エレンたちはそれを見て、意図を察したように、魔法陣を描く。
<音楽演奏>が発動する。
流れた伴奏は、魔王賛美歌第六番『隣人』だった。
「お、おいっ!? なにやってんだっ、あんたらっ。そんなことをしている場合じゃないぞっ。こっちへ来いっ! とにかく一緒に逃げよう!」
「逃げれば、お前たちの街が壊れよう。案ずるな。彼女たちのあの歌が、震雨を滅するだろう」
「なに言って――」
ガガガガガガガッと激しい音が天から鳴り響き、巨大な震雨がこの地めがけて降り注いだ。
瞬間、俺は全能者の剣リヴァインギルマを取り出した。
<波身蓋然顕現>を使い、魔眼にて空に視線を向ける。
みるみる加速した震雨は止められぬほどの勢いに達し、空を覆う<四界牆壁>に衝突した。
ガゴオオォォォンッとけたたましい音を響かせながら、震雨は<四界牆壁>にめり込んだ。
僅かに勢いは減速されたものの、すでに下半分はその魔法障壁を貫通している。
ああなってしまっては、最早落ちるのは時間の問題だろう。
しかし――
「あー、神様♪ こ・ん・な、世界があるなんて、知・ら・な・かったよ~~~っ♪♪♪」
「「「ク・イック、ク・イック、ク・イックウッウー♪」」」
その歌声が鳴り響いた瞬間、震雨はぱっと跡形もなく消滅した。
「なっ……!?」
「えっ……」
「震雨が、消え……た……?」
<波身蓋然顕現>を使い、可能性のリヴァインギルマが、永久不滅と化した大岩を斬り裂き、霧散させたのだ。
男たちは、その光景に驚愕の表情をあらわにし、息を飲む。
「……な…………なんだ、今のは、いったい……?」
「見ての通り、そして聴いての通りだ。彼女たちの歌が、震雨を打ち払った」
ありえないといった表情で、彼らは魔王聖歌隊に視線を向ける。
「馬鹿な……」
「神払いの魔壁すら、容易く貫通し、この地底を貫いた、あの震雨を……?」
「歌で打ち払った……そんなことがあるのかっ……!?」
「……ありえない……ありえないはずだが……しかし……」
「あの歌が聞こえた途端、目の前で、震雨が消えたのは、疑いようもない事実……」
リヴァインギルマは鞘から抜くことなく放つ刃。
彼らの目には映りもしない。
ガデイシオラの民たちは、呆然とその場に佇んでいた。
「なにをしている?」
「……え?」
困惑した様子の男に対して、俺は天に手を掲げてみせた。
「見よ。震雨はまだ残っており、やがて、この地に降り注ぐだろう。彼女たちだけの力では、歌の勢いが足りぬ。ガデイシオラの民をここへ集め、共に歌わせるのだっ!」
「しかし、そんな歌など我々には……」
「ク・イック、ク・イック、ク・イックウッウー、それさえ言えればよい。後はそれをこちらで力に変えよう」
一瞬考え、彼らは言う。
「……それぐらいなら……」
「あ、ああ。俺たちにも……」
ローブの男たちは顔を見合わせる。
「……だが、信じていいのか?」
「そんなことを言っている場合じゃないっ! まずは震雨を防がねばっ! 街を守りたい気持ちは、誰でも同じはずだっ」
「確かに……そうだな……」
彼らはうん、とうなずいた。
「人を集めてこよう!」
「俺は、ディアス。ディアス・アロンド。教えてくれ。俺たちにもその歌をっ! 共に力を合わせ、あの震雨を乗り切ろうっ!」
ディアスは俺に手を差し出す。
握手を交わし、俺は言った。
「アノス・ヴォルディゴードだ。よろしくな」
天蓋が大きく揺れ、再び震雨の兆候が見える。
魔王聖歌隊は大きく声を上げ、「開けないでっ♪」と歌い出した。
広場には、次々とガデイシオラの民たちが集まってくる。
ローブの男たちは、その者たちに歌を歌って震雨を打ち払うのだと、真剣な表情で説明していた。
やがて、どこからともなく、ク・イックと、練習するような声が漏れ始める。
それはどんどんと数を増し、次第に大きな唸りとなっていく。
ジオルダル、アガハに続き、この地でも、今まさに、禁断の門が開こうとしていた。
――ガデイシオラの民に響くか、『隣人』っ!?