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希望の未来は絶望か


 逆鱗酒を先に飲み干したのは、レイとミサ。

 彼らの勝利が決すると、騎士たちからどよめきが溢れた。


「……この限局世界は、我らアガハ竜騎士団の懐も同然」


「まさか、この場において、あの団長と副団長を打ち倒す者がいようとは」


「預言に挑むという名目上、彼らにも勝機はあったはあったが……」


「いや、それにしても一〇万分の一。僅かに等しい希望の道を選び取るとは、あの二人、並の力ではない……」


「団長たちを退けた魔法の要になったのは、あのレイという男。剣士でありながら、剣を持たず、自らのパートナーを信じ切るという覚悟、それを上回るほどの深き愛情。そして、なんという勇敢さだ」


「我らにできるか? 剣を捨て、仲間を信じ切ることが? 口で言うほど簡単なことではないぞ」


「剣を極めた末に、剣を手放した。あの男、無剣の境地に至っているというのか……」


「しかし――」


 騎士たちが称賛の声を上げる中、まるで彼らの仲間かのように、背後の男が続いた。


「二人だけの愛の世界というのなら、斬り裂かれてからが本番でしょう」


 シンが冷たい視線を放つと、レイが殺気を感じとったように苦笑いを浮かべていた。


「機会があれば、試してみるがよい。あの二人はまだまだ強くなるだろう」


 ぎらり、と魔眼を光らせ、シンは言った。


「仰せのままに」


 足を踏み出し、俺はディードリッヒとナフタの前に歩み出る。


「文句はあるまい」


 すると、ディードリッヒは豪快な笑みを覗かせた。


「さすがは地上の勇者、アゼシオンの英雄だ。二千年前、魔王とやり合っただけのことはあるものだな。預言の審理に挑み、彼らは見事それに打ち勝った。称賛しようぞ」


 騎士団たちは姿勢を正し、剣を持った右手を胸の辺りに持ってきて敬礼した。


「たった今、レイとミサが見せたように、一〇万分の一の未来を選び取ることはできる。ならば、なにを諦める必要もあるまい。お前は、すべてを救う道を歩むべきだ」


 ディードリッヒは笑みを崩し、真顔で言葉を返す。


「この未来は滅多なことでは訪れはしないものでな。だが、なぜだろうな?」


 不思議そうに彼は言う。


「お前さんならば、この未来に辿り着く、そんな予感がしてならなかった」


 ディードリッヒはゆるりと俺の近くへ歩いてくる。


「この未来が今となったならば、お前さん方をガデイシオラにつれていくのはやぶさかではない。だが、一つ、約束してもらいことがあってな」


「ほう」


「選定審判の終焉を、諦めてもらいたいのだ」


 ふむ。意外な申し出だな。


「理由を聞こうか。お前が神の代行者になりたいようにも見えぬ」


「確かに、そんなものは俺の柄ではあるまいて」


 自嘲するように彼は笑い飛ばした。


「だが、柄ではないからといって、やらねばならぬことはあるだろうよ。理由は二つだ。一つは力よ。神の代行者となれば、秩序と張り合うだけの力が得られる。預言を覆すだけの権能を得ることもできよう」


「そうは思えぬ」


 ディードリッヒの言葉を俺は即座に否定した。


「神は秩序だ。代行者もまた同じ存在だろう。未来神ナフタが見る数多の未来は、その秩序によって構成されている。どれだけの力を持とうと秩序たる神には、秩序だった未来を、覆すことはできまい」


 秩序は秩序を守り、成立するように働く。

 代行者になってしまえば、逆に預言を覆すことはできなくなるだろう。


「お前さんの言うこともわかる。正しかろうよ。しかし、それが預言を覆すに至る、最善の未来だ」


「ふむ。それは、もう一つの理由とやらがあるからか?」


 ディードリッヒが大きくうなずく。


「未来神ナフタにも、ただ一つ先の見えない未来がある」


 アガハの剣帝は神妙な顔つきで切り出した。


「お前さんのいう盲点ではなく、暗闇の未来がな。それこそが、選定審判の終焉だ。終わりの始まりから先、ナフタの神眼にも映らぬ未来が訪れる」


「早い話、選定審判が潰える未来は、預言が効かぬというわけか?」


「端的に言うのならば、そういうことになるだろうよ」


「ならば、答え合わせは早い。俺は選定審判を終わらせるつもりだ。お前の預言にすべてを救う未来がないというのならば、見えていないその選定審判の終焉にこそ、希望があるのだろう」


 俺の言葉に、ディードリッヒは厳しい面持ちをしたままだ。

 無論、これとて奴にはわかっていた未来ではあるからな。


「選定審判の終焉には、絶望の未来しかない。我ら騎士は命を賭して、かの審判を守るべし。これが代々我が国に伝えられてきた、アガハの預言だ」


「その預言は誰が伝えた?」


「初代剣帝だ。彼はナフタと盟約を交わし、その預言をアガハに遺した」


「つまり、選定審判の終焉をかつてナフタはその神眼で見たというわけだ。一度見えた未来が、なぜ今見えなくなった?」


 俺の問いに、ナフタが答える。


「ナフタは伝達します。未来神の秩序は、未来から力を得ています。未来が続くからこそ、見えるもの。複雑な秩序ゆえのことなれど平易に述べれば、近い未来よりも、遠い未来がよく見えるのです。選定審判の終焉が訪れる未来が、今現在においては近づいてしまいました。終焉の暗闇を、ナフタの神眼が見るだけの力が、その未来には残っていないのでしょう」


 冷静にその神は告げた。


「すなわち、選定審判の終焉は、この世界の終わりの始まりです。世界が消え、先がなくなるからこそ、そこへつながる未来を、ナフタは見ることができません」


「なるほど。世界が終焉に至り、未来が潰える。未来が潰える暗闇が近づけば近づくほど、未来神の神眼では見づらくなるというわけだ」


「その通りです」


 初代剣帝がアガハを建国したのは、凡そ二千年前か。


 そのときならば、選定審判の終焉までに二千年分の未来があった。

 それだけの未来があれば、それだけ遠い未来であれば、世界の終焉であろうと、ナフタの神眼は働いたのだろう。


 やがて、ナフタにも世界の終焉が見えなくなると知り、初代剣帝はアガハの預言を遺した。決して選定審判を終わらせぬようにと。


「初代剣帝に伝えたときの未来は、覚えていないのだな?」


「ナフタは未来の秩序。過去は見えず、瞬く間に忘却します」


 まあ、それは予想通りだ。仕方あるまい。


「そういうわけだ、魔王アノス。心から頼もうぞ。どうか、選定審判の件は諦めてくれぬか?」


「ふむ。選定審判の終焉が、世界の終焉とはいえ、ナフタに見えぬ未来というのは間違っていまい」


 ディードリッヒは苦い表情でうなずいた。


「お前さんの言うことはわかっている」


「世界の終焉だからと言って、そこに希望がないと思ったか?」


 俺の言葉に、ディードリッヒは目をつぶり、首を左右に振った。

 深く、唸るように、彼は息を吐く。


「そいつは、どうだろうな?」


「見えぬ未来にこそ、希望があるはずだ」


「そいつは間違ってはなかろうて。だが、今見えぬだけだ。アガハの預言がある。初代剣帝は確かに、その暗闇の中を覗き、世界が滅ぶと知った。選定審判は決して終わらせてはならぬと伝えたのだ」


「初代剣帝が、本当に終焉を見たのか? 確かめたわけではあるまい」


「おうとも。だが、不可能が見えぬゆえに人は希望を見るのだ。突き進んだ果てが、絶望であることも知らずに」


「未来が見えぬ道なら、ディードリッヒ、預言者の出る幕ではないぞ。数多の絶望、無限の悲劇が襲いかかろうと、余さず俺が滅ぼしてくれる」


 俺の顔を真っ向から見返し、堂々とディードリッヒは言葉を述べた。


「最善の道を積み重ねた先にこそ、真の希望があるはずだ。世界の終焉が未来に横たわっているというに、それを希望だと突き進むのは愚かであろう」


「さて、俺にとってはいつものことだがな。お前も、ナフタも、よく見える神眼を持ってしまったがゆえに、ただ一つ見えぬ不安に脅えているだけではないか?」


「おうさ。脅えているとも。俺は国を背負っている。この世界の命運さえも、預言一つにかかっている。脅え、恐れ、戦き、脅威から民を守るのが王の役目に他なるまいて。戦以外で、勇猛さを見せつけても民は守れぬだろうよ」


 道理ではあるがな。

 だが、それでは救えぬものもある。


「アガハの預言では、それは世界の終焉だ。希望と信じ、突き進んだその未来に絶望があったとき、お前さんはどうするつもりだ?」


「預言など覆せばいい。つい今しがた、我が友レイがやってみせたのと同じようにな」


「一〇万分の一の未来を勝ち取ったにすぎまいて。預言に挑みはしたが、預言を覆したわけでもない。ネイトとシルヴィアの疑似神眼には見えなかったとはいえ、ナフタの神眼には鮮明に見えていた未来だ」


「俺の力とて預言の範疇の内、お前はそう言ったが、ディードリッヒ、本当にそうか?」


 奴に問い突きつけ、続けて言った。


「この限局世界で、ナフタが作り出したのは仮想的な預言だ。仮想的な預言者として用意されたのがネイトとシルヴィア、そしてその預言の枠に収まらぬ仮想的な不適合者として用意されたのが、レイとミサだ」


 ナフタとディードリッヒは俺の言葉に、真剣な表情を浮かべながら、耳を傾けている。

 一度は未来を見て、この説明を聞いているにもかかわらずだ。


「ネイトとシルヴィアに見えなかった道こそが、一〇万分の一の未来。ナフタの言葉で彼らはミサとレイにも勝機があることは知っていたが、その道筋までは完全に見えなかった。ナフタの言葉がなければどうだ? 彼らはミサとレイが勝つ未来が存在しないと預言したはずだ」


 それは正しいと示すように、ディードリッヒは反論しない。


「ネイトとシルヴィアを預言者とすれば、確かにミサとレイはその予言を覆した。つまり、ナフタの擬似神眼に盲点があったのだ。無論、未来神ナフタの神眼にはその盲点が見えていた。だが、ナフタ以上に未来が見える存在がいると仮定するなら、今と同じことが起きるはずだ」


 ミサとレイがやってのけたことは、程度の問題にすぎない。

 つまり、預言は覆すことができるという証明だ。


「そいつは、お前さんの仮定が正しいとするならばの話だ」


「ナフタは真実を伝えます。この身は、未来を司る秩序。ナフタ以上に未来が見える存在はなく、この神眼は余さず未来を見据えるでしょう」


 ナフタの言葉に、続けてディードリッヒが言う。


「ナフタの盲点があるという根拠がない。お前さんにも、必ず未来が覆せるというわけではなかろうて。もしも魔王にすべてのことが成せるのならば、記憶を失いはしなかったはずだ」


「つまり、それが根拠だ、ディードリッヒ」


 当たり前のことを、俺はただ当たり前に告げてやる。


「この俺でさえも、記憶を失うことがある。ならば、未来神に見えぬ未来があって然るべきだろう。完璧な存在などありえぬ」


 ディードリッヒは重たい表情のまま、しばらく黙り込んだ。


「……ナフタの神眼が、お前さんに宿ったなら、よかったのだがな……」


 そう、呟いた瞬間だった。

 爆音が耳を劈いた。


 けたたましい雷鳴が轟き、限局世界が激しく揺れる。

 すぐさま、<思念通信リークス>が室内に響いた。


『敵襲っ……! 敵襲っ……!! 何者かが王宮内に侵入しました!』


「おいでなすったか……」


 ディードリッヒが険しい表情で言うと、ナフタは手を掲げ、魔法陣を描いた。


 水晶で出来た街並みが風にさらわれるように砂嵐に変わり、俺たちは元の場所へ戻ってきた。限局世界が解除されたのだ。


 剣帝王宮が激しく震動する中、ディードリッヒは言った。


「襲撃者は、ガデイシオラ幻名騎士団、紫電の悪魔セリスだ」


預言通り、現れた襲撃者。譲らぬ両者の行く道は――?



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