時の番神
<魔力時計>が十一時五十九分五十五秒を指した。
サーシャとミーシャが見据える起源に向かい、<時間操作>の魔法は二人の根源を過去へ誘う。
<魔力時計>の秒針が動き、五十六秒を示した。
途端に世界が白く染まった。
床も天井も壁も、なにもかもが真っ白だ。
また一秒、二秒と時間が経過する。
だが、<魔力時計>の秒針は止まったままだ。
この場が、この空間が、世界から隔離されたのだ。
「来たか」
そのとき、なにもない目の前の空間が切り裂かれた。白銀の刃先が見える。まるで空間の後ろに隠れていた者が、こちら側に入ってくるために幕を切ったかのようだ。
空間を切り裂いた得物は刃先だけでは変わった槍のようにも見えるが、それが鎌であることを俺はよく知っている。
「なんなの、あれ……?」
驚いたようにサーシャが言葉を漏らす。
「……魔力の底が見えない……」
ミーシャが言う。彼女が底を見通せないほどの魔力を持った者に出会うのは、俺以外では初めてのことだろう。
「起源を見据えるのに集中していろ。まだ魔法が完全に成立したわけじゃない。それにこいつは、お前たちの手に負える相手じゃないからな」
切り裂いた空間を広げるように、ぬっと手が現れた。白い手袋をはめている。そいつは両手で空間をこじ開け、ゆっくりとこちら側へ姿を現した。
真っ白なフード付きのローブを纏っており、どれだけ魔眼を凝らしても、顔は見えない。あるいは顔などというものは存在しないのかもしれない。
「ねえ。アノス、あれはなに……?」
再度、サーシャが俺に訊く。
「時の番神エウゴ・ラ・ラヴィアズ。簡単に言えば、時間の秩序を守る神だ」
「……か、神って…………!?」
呆然とサーシャは言葉を漏らした。
「過去を大きく変えようというんだ。神ぐらいは出張ってくる。奴らはどうにも、時間の秩序が狂うのが許せないらしくてな」
エウゴ・ラ・ラヴィアズがこちらを向く。
そうして、俺を認識すると、こう言った。
「――許サヌ――」
厳かな声が、ただそれだけで空間を激しく震わせる。
「ほう。喋る個体には初めて会ったな」
二千年経てば、神も変わるか。
「――許サヌ――」
再びエウゴ・ラ・ラヴィアズが声を発する。
「ふむ。できれば、目をつむってもらえると助かるが? 過去を変えるといっても、単に一人の魔族を救うだけだ。それとも、この世から、ただ一つ悲劇が消えるだけのことを、神ともあろう者が許せないか?」
「――許サヌ――」
魔法で過去を変えようとすれば、それを防ごうとする超自然的な力が働く。
この世の秩序、この世の法則、あるいは摂理、それらが具象化したのが番神だ。
時の番神エウゴ・ラ・ラヴィアズは、過去を変える原因を取り除くことで、時の秩序を取り戻す。
つまり、<時間操作>の術者を殺そうとするのだ。
「やれやれ、二千年経っても狭量だな、お前たちは。自らの専売特許だとでも言わんばかりに、神以外が奇蹟を起こすことを許容しない」
人間の祈りを無視し、魔族の誇りを踏みにじる。
誰も救わず、ただ秩序を守るだけの神に、いったいなんの価値があろうか。
「貴様らが勝手に決めたこの世界のルールは理不尽だ。悪いが、そんなものに従う気はないぞ」
「――時間ノ流レヲ乱スコトハ許サヌ。汝ニ、時ノ裁キヲ下ソウ――」
エウゴ・ラ・ラヴィアズが光と共に消える。
次の瞬間、奴は壁にはりつけにされたアイヴィス・ネクロンのそばにいた。
なにをするつもりだ?
「――七魔皇老、アイヴィス・ネクロン――」
エウゴ・ラ・ラヴィアズが手をかざすと、魔剣ガドルが逆再生されるかのように抜け、床に転がった。
串刺しにされたアイヴィスの顔面がみるみるうちに治っていく。
魔剣ガドルの傷は癒えない。時の番神である奴は、アイヴィスの時間を戻したのだ。
魔剣ガドルが突き刺される前に、<獄炎殲滅砲>で焼かれる前に。
そうして、アイヴィスの体が完全に治癒した。
否、傷などなかったことにされたのだ。
「――汝ニ、時ノ神ノ力ヲ授ケル。アノス・ヴォルディゴードを滅セヨ――」
エウゴ・ラ・ラヴィアズが光と化し、アイヴィスの体に吸い込まれるように、すっと消えた。
残ったのは奴が手にしていた白銀の武器、<時神の大鎌>だけだ。
「フフフフ……」
低い笑い声が響く。アイヴィスのものだ。
「さすがの貴様も、こうなるとは思ってもみまい。アノス・ヴォルディゴード」
アイヴィスが<時神の大鎌>を手にする。
先程までとは比べものにならない魔力が奴の体からこぼれ落ちていた。
「……神の力……」
ミーシャが呟く。さすがにいい魔眼をしている。
奴の深淵を覗けば、根源から時の番神エウゴ・ラ・ラヴィアズの魔力が溢れ出しているのがわかる。
「今のエウゴ・ラ・ラヴィアズは、より効率的に秩序を乱す対象を抹殺する。<時間操作>の術者と敵対している者に力を与えることにより、な」
アイヴィスの魔力にエウゴ・ラ・ラヴィアズの魔力が上乗せされるというわけか。
だが、そんなことよりも、だ。
「今の、と言ったな、アイヴィス」
俺の言葉に、アイヴィスは反応を見せず、ただ悠然とこちらを見つめている。
「まるで昔のエウゴ・ラ・ラヴィアズを見たことがあるような台詞だな?」
アイヴィスは<時間操作>の魔法の存在を知らなかったはずだ。
ならば、当然エウゴ・ラ・ラヴィアズのことも知るはずがない。
万が一、俺が<時間操作>を見せた後、他の七魔皇老あたりから聞いたのだとしても、今の台詞は不自然だろう。
初めから知っていた。そして、嘘をついたのだ。
それがもっとも辻褄が合う。
「なにを隠している?」
「これから死にいくそなたには関係のないことだ」
ふ、くくく、やれやれ、こんなときに笑わせてくれる。
「はは、くはははは。これから死にゆく? 借り物の力でそう粋がるな。器が知れるぞ」
前方に魔法陣を描き、<獄炎殲滅砲>を放つ。
漆黒の太陽が彗星のように光の尾を引き、アイヴィスを襲った。
だが、奴は<時神の大鎌>を振るい、<獄炎殲滅砲>を真っ二つに切り裂いた。
時空に飲まれるかの如く、一瞬で漆黒の太陽は消滅する。
反魔法でも、攻撃魔法で相殺したのでもない。<獄炎殲滅砲>の時間を戻し、なかったことにしたのだ。
「どんな魔法も、時が戻れば消え失せる。貴様の攻撃は、我には通じぬ」
「ずいぶん嬉しそうだな、アイヴィス」
嘲笑ってやると、奴は不愉快そうに俺を睨んできた。
「たかだか魔法の一つを防いだぐらいで、なんだそれは? 勝つつもりがあるのなら、それぐらいできて当たり前といった顔をするものだ」
続けて魔法陣を六門描き、<獄炎殲滅砲>を六発放った。
「<遡航障壁>」
大鎌を振るい、アイヴィスが前方に魔法障壁を展開する。<遡航障壁>はそこに触れた魔法の時間を、生じる前の状態まで巻き戻す。魔法をなかったことにするのだ。対魔法においては、ほぼ無敵の盾だろう。それに阻まれ、六発の<獄炎殲滅砲>はあっけなく霧散した。
「強がるのはけっこうだが、時を戻す魔法障壁をどう突破するつもりだ?」
ふ、と思わず鼻で笑った。
「なにがおかしい?」
「もう突破した」
口にした瞬間、アイヴィスの魔法障壁の内側に六発の<獄炎殲滅砲>が出現する。
「なに……!?」
漆黒の太陽に包まれ、その体が黒く炎上していく。
「<遡航障壁>は魔法の時間を巻き戻す魔法障壁だ。普通の<獄炎殲滅砲>では触れた途端に消えてしまうが、時間を逆行する<獄炎殲滅砲>を撃てばそうなる」
時間を逆行する<獄炎殲滅砲>は通常はなんの役にも立たない。時間を逆行しているのだから、世界に一切の影響はなく、つまり魔法は生じていないも同然なのだ。しかし、<遡航障壁>はその逆行している時間を巻き戻す。つまり、時間を正しく戻し、魔法が生じた状態に変えてしまったのだ。
要するに最初に放った六発の<獄炎殲滅砲>は囮である。それに隠し、俺はもう六発の時間を逆行する<獄炎殲滅砲>を放っていた。無論、<時間操作>を重ねがけして、魔法の時間を逆行させている。
「エウゴ・ラ・ラヴィアズの力を借りたわりに、時間概念の予習が足りないんじゃないか?」
暗闇の炎の中心から、低い声が返ってくる。
「確かにそのようだ。そなたを侮っていた」
<獄炎殲滅砲>が消える。アイヴィスは無傷だ。
「だが、エウゴ・ラ・ラヴィアズの力を得た我は不死身である。傷をつけることはできぬ」
エウゴ・ラ・ラヴィアズは時間を支配する神だ。自らの体の時間を戻すも早めるも、自由自在。傷をつけようにも体の時間を止めればそれは適わず、万が一傷を負ったとしてもただ戻せばいいだけだ。
永遠にして不死身の存在。その力を得たアイヴィスもまた不死身というわけだ。
エウゴ・ラ・ラヴィアズを相手取るなら、狙いは一つだが……
「わかっているぞ。そなたの狙いはこれだろう」
アイヴィスが<時神の大鎌>を掲げてみせる。俺の<時間操作>でも、時の番神であるエウゴ・ラ・ラヴィアズ本体の時間を操ることはできない。だが、<時神の大鎌>を使えば、それが可能となる。
奴の持つ<時神の大鎌>こそが、唯一、永遠である時の番神の時間を有限にすることができるのだ。
「残念だが、思い通りにはさせぬ」
くるりと<時神の大鎌>を自らに向け、アイヴィスはその刃先を己の腹に突き刺した。
「<魔法具融合>」
立体魔法陣がアイヴィスの全身を覆う。
奴の骸骨の体が、白銀の輝きを帯び、両腕に鋭利な刃が現れる。
<時神の大鎌>と融合したのだ。
「さあ、どうする? これで我の弱点はなくなった」
通常の融合魔法には制限時間があるが、エウゴ・ラ・ラヴィアズの力を得ている以上関係ないだろう。
これで<時神の大鎌>を使い、アイヴィスを倒すことはできなくなった。
その上、<魔法具融合>で奴の魔力は十数倍にも膨れあがっている。
「そして、そなたの弱点は丸見えだ」
アイヴィスは大鎌と同化した鋭利な両腕を思いきり振るう。
空から地上を切り裂くが如く、遠距離からの巨大な斬撃に対して、俺は壁を作るかの如く、全力で反魔法を展開した。
バチバチと魔法と反魔法が衝突する激しい火花が散る。
奴の狙いはミーシャとサーシャだ――
「ふむ。妙なことだな。始祖を転生させるための大事な器を自ら壊そうというのは。またいくらでも簡単に作れるのか。それとも――」
アイヴィスは俺の言葉に反応を示さず、更に両腕に魔力を込めた。
「せっかく用意した器を壊してまで、俺を殺す理由があるのか?」
「話をしている余裕はもうないのではないか。とっくに形勢は逆転しているぞ」
バキンッと音を立て、俺が展開した反魔法の第一層が砕け散る。
「大したものだ。<魔王軍>を使っているそなたは、魔王のクラス特性の影響下にある。総魔力は三割ほど低下しているはずだ。あげくにその二人に<時間操作>を使うほどの魔力を供給し、二人分の魔法行使を制御している。それでなお、神の力を得た我が一撃をここまで耐え抜くのだからな」
ギギィィンッと音が鳴り、反魔法の第二層が砕け散った。
「……アノスッ……!」
「…………」
心配そうな目で、サーシャとミーシャが俺を見る。
「お優しいことだ。<時間操作>での過去改変が終わっていないのだろう? いかに熟練した者の助けがあるとはいえ、起源魔法は制御が難しい。早々に見切りをつけ、足手まといは捨ておくがよい」
アイヴィスの言う通り、サーシャとミーシャの根源を15年前に送り込むための<時間操作>は、まだ途中だ。魔法が完全に成立しない理由は一つ。二人が俺を始祖だと信じ切れていないことだ。いくら頭で思ったところで、心の底から、根源からそう信じなければ起源魔法は完了しない。
「もっとも、足手まといがいなくとも、結果は同じではあるが」
ビギィィッンッと、反魔法の第三層が破壊された。
残る反魔法は第四層のみ。
「……アノスッ、もういいわっ! このままじゃ、全員やられるっ。あなただけでも……!」
「逃げて」
サーシャとミーシャが言う。
「ふむ、やれやれ、それが原因だ。この俺が万が一にも負けるなどと思っているようでは、到底始祖だとは信じられないだろう」
「そんなこと言ってる場合じゃ……」
「心配するな。お前たちが起源魔法を完了させるまで時間を稼いでいるだけだ」
ギイイイイィィンッとけたたましい音が鳴り響き、最後の反魔法が突破される。
「よくぞ、そこまで虚勢を張った。だが、終わりだ」
両腕の鎌をアイヴィスが大きく振り上げる。
すぐさま俺はミーシャとサーシャに反魔法を張り直す。
「最後までその二人を庇うと思ったぞ、アノス・ヴォルディゴード」
一瞬前まで、離れた距離にいたアイヴィスの声が耳元で響く。
自らの時間を加速させ、ほぼ0秒で俺に接近を果たしたアイヴィスは、その右腕を俺の腹部に突き刺していた。
「自らの反魔法が疎かになったな」
アイヴィスの腕に宿った<時神の大鎌>が、俺の体の時間を狂わせていく。
「永劫の時に飲まれて消えよ」
白銀の光が俺を包み、時が加速する。十億年――百億年――否、永劫の時が一瞬のうちに重ねられる。いかに魔王の体と言えど、無限の時を生き延びることはできない。やがては朽ち、消え果てる。
光が弾けると同時に、永劫の時を経た体は消滅し、死に絶えた。
「フ……フフフフ、フハハハハハッ!! どうだ? どうだ、思い知ったか、愚かな、始祖よ。運命は変えられぬ。我が不死身となった時点で、否、二千年前、そなたが戦いから逃げた時点で、今日こうなることは決まっていたのだ!!」
ふむ。なるほどな。ようやく本音を口にしたか。
「過去を消しておきながら、なぜ記憶があるのかわからないが、どうやら俺のことを忘れたわけではなかったようだな、アイヴィス」
背後から、奴の肩にそっと手を置いた。
アイヴィスは信じられないと言った様子で、ゆっくりとこちらを向く。
「……な……ぜ……? 確かに死んだはずだ……」
アイヴィスが生まれたのはもう戦いも終わる間際だ。
神話の時代の魔族とはいえ、真の魔法戦は知るまい。
「殺したぐらいで、俺が死ぬとでも思ったか?」
アイヴィスが魔眼を働かせる。だが、からくりなどなにもない。確かに先程の俺は殺された。
「そう驚くな。ただ<蘇生>を使っただけだ」
「……根源だけで……魔法行使をしたというのか…………!?」
肉体は滅びようとも、魔力の源である魔なる根源はそこに残る。魔法を極めた者は、その根源のみで魔法行使が可能となる。だからこそ、転生という離れ業が実現できるのだ。死んで三秒以内ならば、確実に肉体を蘇生できる。
「だが……!!」
アイヴィスは瞬間移動し、俺の後方一○メートルほどの位置へ逃げた。
奴の足元に魔法陣が描かれ、そこから白銀の世界が一気に広がっていく。それは万物の時間を停止する大魔法。球状に広がった白銀の結界。その内側に足を踏み入れれば、すべてが停止する。一瞬だけではなく、永遠に。
「ふむ。さすがに神話の魔法だな、これは」
時が止まった世界で、俺はゆるりと足を踏み出した。
「な…………」
「時間を止めたぐらいで、俺の歩みを止められるとでも思ったか?」
「馬鹿な……!? なぜ止まらぬっ!! なぜっ!?」
アイヴィスは必死に魔力を込める。だが、無駄なことだ。
俺の瞳に浮かぶ<破滅の魔眼>。この視界に映るものは万物のみならず、魔法さえも滅ぼす。この魔眼は究極の反魔法なのだ。
「……なんなのだ、この魔力は……? <魔王軍>の魔法を使っているのだぞ。足手まとい二人を抱えてなお、神の力を得た我を遙かに凌駕するというのか……!? ありえぬ。そんなことは決して……!?」
「ここがどこか忘れたか、アイヴィス」
そう口にしながら、俺はまっすぐアイヴィスのもとへ歩いていく。
「魔王城で魔王に挑むのがどういうことか、貴様に教えてやろう」
ぽうっと、その場所に黒い光の粒子が立ちこめる。
次の瞬間、光の粒が無数に増え、室内を満たしていく。
いくつもの魔法文字が、壁や床、天井など、所狭しと描かれていく。
魔王城が真の姿を現す。アノス・ヴォルゴードが所有する最強の魔法具。
巨大な立体魔法陣として――
とうとうアノスの切り札が姿を現す。
果たして彼は、不死身のアイヴィスを倒すことができるのかっ……!?
次回「魔王」こうご期待。
※次回予告してみたくなったのです……。