宴の始まり
アガロフィオネ剣帝王宮。
宴会場には、竜の肉をメインとした豪勢な料理と大量の酒が並べられている。立食形式だ。
酒宴の席についているのは、俺たち魔王学院と、ディードリッヒ、そして剣帝直属の騎士たち、アガハ竜騎士団であった。
「改めて紹介しよう」
ディードリッヒが言った。
「彼らはあの天蓋の彼方、地上にあるディルヘイド国を治める偉大なる魔王とその配下たち。すなわち、我らが教え、アガハの預言にあった地上の英雄たちである」
その言葉に、竜騎士ネイトは唸るように声を発した。
「うむぅ。では、ジオルダルの祈り、<神竜懐胎>を止めたのは?」
「おうよ。魔王アノスと、その選定神アルカナだ。この者どもは、ガデイシオラの幻名騎士団を退け、ジオルダルの信徒を蹴散らし、教皇ゴルロアナの祈りを打破してのけた」
驚きの声が発せられる。
「……幻名騎士団ということは、あの紫電の悪魔を……?」
セリスのことなのだろう。
ディードリッヒは大きくうなずいた。
「なんと勇猛な……」
「すでに病を発症しかけていたとはいえ、シルヴィア副団長ですら、あの悪魔には及ばなかったというのに……」
騎士たちから、感嘆の声が漏れる。
「でもって、こいつらが俺の腹心。いずれアガハを守る英雄たちだ。今は三人ばかし、足りないがよ」
その内の二人は、リカルドとシルヴィアだろう。
「ま、細かいことは抜きだ。各々交流を深め、今日は朝まで飲み明かそうぞ」
ディードリッヒは酒が注がれた酒杯を掲げる。
「地上の英雄たちの来訪に!」
騎士たちは酒杯を持った右手を胸の中心に持ってきて、敬礼した。
「「「我らが剣の祝福を!」」」
俺たちを歓迎するように、揃えた声が上げられる。
そうして、彼らは全員、酒杯になみなみと注がれた酒を一気に呷った。
竜人ゆえか、皆、これぐらい特になんでもないといった顔を浮かべてる。
「ふむ。酒豪というだけのことはある」
俺も手にした酒杯の酒を呷る。
「んー、これ、すっごくお酒強いぞ。四〇度ぐらいなあい?」
言いながら、エレオノールは早速おかわりをしてごくごくと酒を飲んでいる。
「ガハハ、気に入ったか。アガハに伝わる、竜牙酒という代物だ。こいつは五臓六腑にガツンと染み渡ろう」
言いながら、ディードリッヒは酒を呷る。
「ガツンと染み渡るって、全然美味しそうな表現じゃないんだけど……」
サーシャが酒杯に入った竜牙酒をじっと睨む。
「君はやめておいた方がいいんじゃないかな?」
レイが言う。
「あははー、そうですよね。サーシャさんはけっこう弱いですしね」
「だ、大丈夫よっ。これぐらいなら。ね、ミーシャ」
ミーシャはぱちぱちと瞬きをして、小首をかしげる。
「舐めるだけなら?」
不服そうにサーシャは唇を尖らせ、じとっと彼女たちを睨む。
「ほら、サーシャちゃん、果実水があるぞ、果実水」
エレオノールが酒杯に入った果実の絞り汁をサーシャに差し出す。
「……ゼシアと……おんなじです……」
「もう、みんなして。心配いらないわ。あれから魔力もずいぶん上がったし、毒への抵抗力だって強くなったんだから。致死性の毒だって耐えられるのに、お酒なんかで酔うはずないわ」
思いきったようにサーシャは顔を上げると、酒杯を傾け、竜牙酒を一気に煽った。
ミーシャたちが心配そうに彼女の様子を見守る。
サーシャはコツン、とテーブルに酒杯を置く。
そうして、まったく問題ないといった風に優雅に微笑んだ。
「あら、今夜は星が綺麗だわ。さしづめ、星くずを散りばめた夜の川といったところかしら」
真っ昼間である。
「サーシャちゃん、一秒で酔っぱらってるぞっ! 地底から星は見えないしっ!」
「あら? さまりゅなれろら」
呂律が回っていない。
「んんっ? なんて言ったんだ?」
「些末なことだって」
ミーシャが解説した。
彼女は舐めるように、ぺろぺろと竜牙酒を飲んでいる。
「今のよくわかりましたね」
感心したようにミサが言う。
「でも、全然些末なことじゃないぞっ。むしろ、サーシャちゃん、今、大ピンチだぞ」
サーシャが自然と手にした竜牙酒を、エレオノールがすっと取りあげ、果実水を渡す。
「うー、なによ……。子供扱いしてっ」
「そ、そんなかわいこぶっても、だめなものはだめなんだぞっ」
エレオノールが人差し指を立てる。
「かわいこぶってなんかないもんっ……」
たった一杯で、完全に酔っていた。
「大丈夫なんだもんっ。なにもかも滅ぼすこの<破滅の魔眼>で、アルコールなんて滅ぼしてあげるんだからっ」
「あっ……サーシャちゃんっ、だめだぞっ」
エレオノールの隙をつき、サーシャは竜牙酒の瓶と果実水の瓶をつかむ。
「破滅の魔女の力、見せてあげるわ」
竜牙酒の瓶を傾け、いくつもの酒杯に次々と中身を注ぐ。
酒瓶が空っぽになったところで、サーシャはそこに果実水を勢いよく流し込んだ。
「どうかしら? あっという間に、お酒がジュースに早変わり。滅ぼしてやったわ」
中身を移し替えただけである。
「うんうん。じゃ、サーシャちゃんはその破滅の魔眼で滅ぼしたお酒を飲むんだぞっ」
その様子を横目で見ていたディードリッヒが俺に言った。
「愉快な配下を持っているものだ。羨ましい限りだぞ、魔王」
「あいつは見ていて飽きぬ。だが、お前のところの英雄とやらも、なかなかどうして、面白い」
俺は視線を横にやる。
少々離れた場所で、生真面目な顔で酒を飲んでいるのは、竜騎士ネイトである。
あの男の切り替えの速さたるや、二重人格の詛王カイヒラムもびっくりといったところだ。
「アガハにはこんな言い伝えがあってな」
豪放に笑い、ディードリッヒが切り出した。
「あるとき、強大な竜が国を襲った。いかなる刃も通らず、いかなる魔法も効かぬその竜を相手に、アガハの騎士たちは劣勢を強いられる。まともに戦っては勝てぬと踏んだ騎士たちは、さあ、いったいどうしたと思う?」
「さてな。酒でも飲ませたか?」
「おうよ、その通り! 一か八か、酒を振る舞ってみたのよ。すると、その竜は思いもよらず酒好きでな。そのまま酔わせて、仕留めてしまおうと騎士たちは考えた。そうして、酒戦を開いたのだ」
「竜と酒戦か? 面白い話だな」
ディードリッヒが声を上げて豪快に笑った。
「まあ、実際のところはわかるまいて。だが、言い伝えによれば、竜と酒戦に興じたあげく、なんと倒そうとしていた敵とわかり合ってしまったそうだ」
「ほう。なかなか傑作だ」
「そうであろう。以来、アガハには、酒杯竜戦と呼ばれる宴の作法が生まれた」
酒を呷り、ディードリッヒは酒杯を空にする。
竜牙酒の瓶を持ち、奴に注いでやる。
「早い話が、強い酒を飲み比べ、勝敗を競うという催しでな。酒を酌み交わし、酒量を競い、わかり合おうという代物なのだ」
俺が酒を飲み干すと、空になった酒杯にディードリッヒが瓶を傾ける。
「せっかくアガハに来たのだ。この国の文化を味わうのも悪くはあるまいて。一献、交えてみまいか?」
「望むところだ。存分にわかり合おう」
ディードリッヒはニヤリと笑い、手を上げた。
すると、何人かの騎士が、酒樽をいくつももって、宴会場の中心やってくる。
そこは僅かにせり上がり、ちょっとした舞台となっていた。
酒樽を舞台に配置すると、騎士たちはまた席に戻っていく。
「それでは勝負と洒落込もうや。酒戦に挑む配下を選ぶがよかろう」
「ふむ」
さて、誰を選ぶか?
「こちらは、そうさなぁ。ネイト・アンミリオン」
「は」
ディードリッヒの声に、竜騎士ネイトが毅然とした歩調で舞台へ上がった。
「俺の腹心中の腹心、竜騎士団の団長だ。戦闘もさることながら、酒量もアガハの騎士団一だ」
「ほう。では、こちらも、相応の者で迎え打たねばなるまい」
すると、ネイトは俺の方を向き、頭を下げた。
「畏れ多くも、地上の魔王。もしも、許しをいただけるのならば、この竜騎士ネイト、一献交えてみたい相手がございます」
「許す。申してみよ」
すると、ネイトはシンをその手で指した。
「一分の隙もない所作、油断のならぬ視線、酒席でありながら、常に王であるあなたを守るような立ち居振る舞い。彼は間違いなく、ディルヘイド一の使い手でしょう。先程から見ていましたが、もう七杯も飲んだというのに、まるで酔った気配のせぬ底知れぬ酒量。アガハを背負う騎士として、彼とやってみたい」
ふむ。シンに目をつけたか。
「さすがは災厄の日にアガハを救う英雄、なかなかの魔眼だ。その男は、俺の右腕、シン・レグリア。魔族最強の剣士と謳われ、その酒量も魔族随一だ」
そう口にして、俺は彼に視線をやった。
「シン」
「御意」
シンはまっすぐ舞台に上がった。
その冷たい表情は、決して酔うことなどないという力強さを感じさせる。
「ならば、まずは前哨戦と行こうや」
ディードリッヒが言った。
「ルールは簡単だ。交互に酒を飲み、潰れるか、あるいはもう飲めないと降参した方が負けということで、どうであろうか?」
「承知」
ネイトが生真面目な顔で言い、舞台に置いてあった酒杯を手にする。
かなりの大きさであった。
彼は酒樽の竜牙酒を酒杯ですくった。
「受けて立ちましょう」
シンも酒杯で竜牙酒をすくう。
「予め言っておく」
ネイトは、シンに言葉をかけた。
「この竜牙酒は特注品、その度数は通常の竜牙酒のおよそ三倍にもなる。覚悟することだ」
「自らの優位をあえて捨てるとは、それがアガハの騎士道ですか。見上げたものですね」
冷静にシンは言葉を返した。
「先に飲む方がお好みか?」
「ご自由に」
二人は視線の火花を散らす。
「では、私から先に行かせてもらおう」
二人は酒杯を近づけ、カンと音を鳴らす。
「ふむ。度数が三倍ということは、一二〇度か。なかなかどうして、強い酒だな」
「お酒は一〇〇度までだと思った」
隣に来たミーシャが、不思議そうに言葉をこぼす。
「それは魔法の時代にできた新たな概念だ。酒に弱い魔族が増えたせいかもしれぬな。二千年前は違った」
常人ならば、ただではすまぬであろう竜牙酒を、ネイトは迷いなく呷った。
周囲からは感嘆の声が漏れる。
「さ、さすがはネイト団長……! 相も変わらず、ハンパねえ飲みっぷりだ……」
「一二〇度だろ、一二〇度……。竜人だって、あんなもん飲んだらただじゃすまねえっていうのに……」
「おお、見るがいい。まだ一〇秒も経ってないのに、あっという間に空に……」
竜牙酒を飲み干し、ネイトは酒杯をテーブルに置く。
「さあ。今度は、そちらの番だ」
「あえて早飲みすることで、酒を飲むだけではなく、重圧に私を飲み込もうというわけですか」
「なんのことだ」
生真面目な口調で、ネイトは言った。
「これが私の普段の晩酌だ」
一二〇度の酒を、一〇秒足らずで一気飲み。
常人には理解し難いほどの大酒飲みであった。
「さあ、喋っていないで、そちらの番だ。酒杯竜戦はまだ始まったばかり。地上の戦士の飲みっぷりを見せてもらおう」
ネイトがシンに飲酒を迫る。
「……団長も人が悪い。あれだけの飲みっぷりを見せられちゃ、引くわな……」
「いくら地上の猛者だからって、酒飲みとは限らねえもんな……」
「いやいや、あの人は真面目だかんな。本気で飲めると思ってんじゃねえか?」
「つっても、見ろよ。ぴくりとも飲もうとしねえぜ」
「さすがに、無理だろ。俺だって団長と張り合う気にはなんねえよ」
「おーい、地上の剣士さんよっ! 無理するこたぁねえっ。やめといてもいいんだぜっ。こりゃ、ただのお遊びだからさっ」
一人の騎士がそう助け船を出した瞬間だった。
「申し訳ございません。少々速すぎましたか?」
ネイトが険しい表情を浮かべた。
「ま、まさか……」
ばっと彼は歩を踏み出し、シンの側においてあった酒樽を覗く。
「樽でいかせていただきました」
なみなみと竜牙酒の入っていた酒樽が、すでに空になっていた。
「なっ……!? ばっ、馬鹿なぁっ……!?」
「見たか、今の!? 一瞬の間に酒樽の酒をぜんぶ飲み干したのかっ……!?」
「いや……! いや、見えなかった。酒量だけじゃない。なんて呼吸力! 信じられないほどの吸引力だ……!?」
「言い伝えの竜だって、そんなに飲むかっ……!? なんという男だ、シン・レグリアッ!」
ゆるりと歩を踏み出すと、シンは軽く酒樽を持ち上げる。
「久しぶりの酒席ですからね。どうぞ、お気になさらず。あなたがその酒杯で一杯おやりになるごとに、私はこの樽で一杯いかせていただきましょう」
二千年前の魔族シン、現代の魔族サーシャ。いったい、進化の過程でなにが起きたのか……。