表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
277/726

身中に潜む竜


 永久不滅の神体と化した天蓋が、白銀に輝いていた。


 その天の光が地底に降り注ぎ、リーガロンドロルを照らし出す。

 跪き、祈りを捧げるゴルロアナの体に、目映い光が差し、思わず奴は頭上を見上げた。


「……一五〇〇年の……祈りが……」


 呆然とした言葉が、こぼれ落ちる。


 神竜の歌声は消えた。音韻魔法陣が途絶え、痕跡神が滅んだ今、もう一度、<神竜懐胎ベヘロム>を使うことは不可能だろう。


 俺は床に落ちた痕跡の書を拾いあげると、ゴルロアナのもとへ歩いていった。


「……これが、答えですか……」


 まるで自嘲するように、ゴルロアナは言う。


「……どうやら、あなたのおっしゃる通りだったようですね……」


 虚ろな瞳で天蓋を見つめたまま、奴は言葉を続ける。


「私の祈りも、神も、<神竜懐胎ベヘロム>も打ち砕かれました。あなたを裏切るはずの背理神は、あなたを裏切らず、天蓋は今もなお、私たちを隔てている……」


 ゴルロアナは奥歯を噛みしめる。

 その虚ろな瞳から、うっすらと涙が滲んだ。


「神は、<全能なる煌輝>エクエスは、正しき道へ導いてくださる。されど、私が歩むこの道には、もう先はありません。祈りと神を失い、これまでのジオルダルのすべてを失いました……」


 眼前に佇む俺に、ゴルロアナは視線を向ける。


「あなたの言う通り、我々はただ一五〇〇年の積み重ねを、この意味なき徒労を、意味のある教えだと、思い込み続けてきただけだったのでしょうか……?」


 教皇は俺に問いかける。

 その祈りのすべてが一瞬で水泡に帰したからか、まるで新たな希望にすがるように。


「……聖歌祭殿せいかさいでんで、祈りをやめ、あなたの手を取っていれば、私は、私たちは、今日この日、救われていたのでしょうか?」


「知らぬ」


 予想外の言葉だったか、ゴルロアナの表情が驚きに染まる。


「俺が否定したのは、地上を丸ごと転生させるという馬鹿げた侵略行為だけだ。それだけが徒労であり、それ以外のことは知らぬ。この国の、地底の救済を願い続けた、お前たちの心までは否定しておらぬ」


 考えが追いつかないのか、ゴルロアナはただ呆然と俺を見つめた。


 ここでもっともらしいことを言えば、奴は俺を崇拝するようになるかもしれぬ。

 一五〇〇年の祈りが水泡に帰した今、より大きな奇跡を見せた俺を、神として崇め、すがりたくもなるだろう。


 だが、ご免だな。

 それでは祈る対象が変わるだけだ。


「ジオルダルは地上へ侵略し、ディルヘイドの王である俺はそれを阻止した。この戦いに、それ以上の意味などないぞ」


 祈り続けたが、救われなかった。

 戦争を挑み、ただ敗れた。


 俺が突きつけたいのはその無情なる事実のみだ。


「この国に対する俺の要求は二つだ。侵略するな。そして、できる限り、民の幸福を守れ」


 奴は諦めたような表情で、ゆっくりと首を左右に振った。


「……残念ながら、私には、最早それをお約束する資格がありません……」


 ゴルロアナは脱力したように祈りの手を解く。

 そして、魔法陣を描いた。


「教皇には生涯で一度だけ、祈りを休むことが許されております」


 魔法陣の中心に手を入れ、その中からゴルロアナは短剣を取り出した。


「ご安心を。これは懺悔の剣。道を誤った教皇が、その命をもって罪を懺悔し、神に許しを請うためのもの。一五〇〇年の祈りは届かず、救済はならなかった。すべては私の罪。この祈りが足りなかったのでしょう」


 懺悔の剣を喉元に当て、ゴルロアナはその柄をぐっと握る。

 奴は魔力を極限まで無に近づけた。


「この罪深き魂を神のもとへ。我が血を持って罪を洗い流し、どうか、ジオルダルを、我らを正しき道へ導きたまえ」


 鮮血が散り、大量の血が懺悔の剣を伝い、滴り落ちる。


「……か、はぁ…………」


 言葉にならぬ声が漏れる。

 死の激痛がゴルロアナを苛み、その表情が苦悶に満ちる。


 そうしながらも、奴は最後とばかりに再び手を組み、祈りを捧げた。


 ゴルロアナはその懺悔の剣に対して、あらゆる抵抗を抑制している。

 回復魔法も使わなければ、ものの数秒で死に至るだろう。


 本来であれば。


「……う……ぁ…………な……ぁ……な、ぜ…………?」


 驚愕し、恐れ戦くように教皇は疑問を浮かべた。


「…………なぜ、私は生きて……」


「<仮死インドル>の魔法をかけた。どんな状態になろうと、死ぬことはない」


「……な…………」


 教皇の顔が絶望に染まる。


「教皇が祈りを休むのは生涯で一度きり。これでお前はもうその罪を洗い流すことはできぬ」


 祈りを捧げるその手が、わなわなと震えていた。

 

「地上の民の命は奪わず、ただ境をなくすだけ。お前は敵である俺たちに慈悲かけた。ゆえに俺がお前から奪うのは、その懺悔だけで許してやろう」


「……あな、たは……なんということを……。魔法を解きなさいっ! 今すぐにっ!」


「断る」

 

 奴の喉元から、懺悔の剣を引き抜く。


「……がはぁっ……!」


 ゴルロアナの体を光の魔法が包む。

 <治癒エント>でその傷を癒してやった。


「死にたければ、もう一度短剣を手にすることだ。教えに背いてな」


 できない、というようにゴルロアナは奥歯を噛む。


「……一五〇〇年の祈りを、成し遂げることのできなかったこの魂は、穢れています……この命を返さなければ、ジオルダルは、罪を洗い流すことすらできぬまま、滅びの一途を辿ることになりましょう……!」


「穢れたまま、罪を背負ったまま、懺悔を成し遂げられなかった最初の教皇として、生き恥を曝すことだ」


 ゴルロアナが絶望的な表情を浮かべる。

 教えに従い、死ぬことのできなかった教皇。


 いったい、どれだけの信徒から、後ろ指を指されることになるか。


「苦しみ、苛まれ、そして生きながらに、自らの頭で償いの手段を考えよ。それに気がついたならば、存外、思うやもしれぬぞ。果たして、ここで取るに足らぬ血を流した程度のことで、罪を洗い流せていたのか、と」


 これから自らを待ち受ける運命に、ゴルロアナは全身を振るわせた。


「死んで償えるほど、罪というのは軽くはない。たまには神に頼らず、自らの手で後始末をつけるがよい」


 魔眼に魔力を込め、ゴルロアナの収納魔法陣を、力尽くで開く。

 そこへ懺悔の剣とリーバルシュネッドが持っていた痕跡の書を返してやった。


 不可解そうに、ゴルロアナが表情を歪める。


「……あなたは、あなたの神も、過去の記憶を求めているはず……。痕跡神なき今、痕跡の書の力は限定的と言えど、これは記憶の手がかりになるはずです。なぜ、それを私に返すのですか……?」


「痕跡神の最期の言葉を忘れたか」


 ここに、そなたらの祈りを残す、とあの神は言った。


「この魔法具には、お前たち歴代の教皇が国へ捧げた一五〇〇年分の願いが詰まっている。多少の物忘れを恐れ、これに手をつけるようでは、平和を口にする資格などあるまい」


 俺が<時神の大鎌>を使えば、壊してしまう。

 痕跡の書も同じだろう。


「……なにがお望みなのですか?」


「要求は先に述べた二つだ。それを守るならば、神を信じようと信じまいと、それはお前たちの行く道、いちいちやかましく口は出さぬ」


 片手を上げ、軽く一度、それを握る。


「だが、いつの日か、手を取り合える日が来ると信じている。ディルヘイドとジオルダルだけではない。アガハもガデイシオラもアゼシオンも」


「……地上のことは存じませんが、地底の争いは根が深い。教えを異にする者同士が、わかり合うときが来るとは到底思えません……」


「俺も二千年前の大戦ではそう思っていた。人間と手を取り合うことなどできぬ、とな」


 困惑しているゴルロアナに、俺は言った。


「神も祈りも途絶えたばかり。大罪を背負い、お前も考えることが山ほどあろう。今は手を差し出しはせぬ。だが、次に会う機会までに心を整理しておくことだ」


 <飛行フレス>の魔法陣を描き、魔力を込める。


「一つだけ問おう」


 飛び立つ前に、俺は言った。


「アルカナが背理神なのは疑う余地があるまい。しかし、お前は以前、彼女を創造神ミリティアだと口にした」


 教皇は俺の言葉に耳を傾け、まっすぐこちらを見つめている。


「あれは、俺を謀るための嘘だったか? それとも、彼女は創造神でもあったのか?」


 背理神は、正確には神の名ではない。

 秩序に背き、裏切りを続けた神を、地底の民がそう呼んだだけのこと。


 ならば、ゲヌドゥヌブは、元々の神の名を持っているはずだ。

 それが創造神だったとしても、不思議はない。


「あれは……」


 ゴルロアナが小さな声で呟く。

 視線を向ければ、選定の盟珠をつけた奴の右腕が黒く変色していた。


「それは、なんの真似だ?」


「……なんのことでしょうか?」


 ゴルロアナが疑問を顔に浮かべる。嘘とは思えぬ。

 しかし、魔眼を凝らしてみれば、右腕から発せられる魔力が、異常なほど上昇していた。


「ふむ。なにかがお前の身中に潜んでいるぞ」


 言葉と同時、リヴァインギルマで、ゴルロアナの右手を斬り落とした。

 

「……ぐぅっ……ぁ……!」


 すると、右腕の切断面から、紫色の竜の顔だけがぬっと姿を現す。

 こちらに向かってくると警戒したが、そいつは、ゴルロアナの右手を食らった。


 蒼い火が二つ、魔眼にちらついた。

 食らいたかったのは、選定の盟珠、滅びたことでそこに宿った痕跡神と福音神か。


「どの者の神だ? 名乗るがいい」


 <波身蓋然顕現ヴェネジアラ>でリヴァインギルマを一閃する。

 竜の頭はぼとりと落ちた。


「……ぐっ……がああああああああぁぁぁっ……!!」


 ゴルロアナから悲鳴が上がる。

 どうやら、奴の体に寄生していたか。痛みも共有しているのだろう。


「……は……覇竜…………ガデイシオラの覇王か……がはぁっ…………」

 

 ゴルロアナの体を突き破り、一対の竜の翼が奴の背に生える。


「……愚かな異教徒め……この体は神に捧げたもの、あなた方の自由にさせるとお思いですかっ……!!」


 教皇が描いた魔法陣から、巨大な槍が現れる。

 奴はそれを<飛行フレス>で飛ばし、自らの胸に突き刺し、床に体を縫い付けた。


「ごっ……!」


「ふむ。そのまま離すな」 


 リヴァインギルマにて、その竜の翼を斬り落とす。


「……がっ、うがあぁぁぁぁぁ……!」


「少々痛むぞ。耐えてみよ」


 <根源死殺ベブズド>の指先で教皇の体を貫く。

 根源に寄生している覇竜とやらをわしづかみし、無理矢理引きちぎった。


「ギエエエエエエエエエエエエエエエェェェェェッッッ!!」

 

 竜の悲鳴が耳を劈く。

 右腕を引き抜く毎にゴルロアナの体から、巨大な竜の体が抜けていく。

 

「ふむ。こんな馬鹿でかい竜が潜んでいようとはな」


 巨大な覇竜を持ち上げ、床に思いきり叩きつけた。

 だが、それでも怯まず、顎を開き、俺を食らわんが如く、紫の竜は突進してきた。


 リヴァインギルマにて、それを両断する。

 真っ二つに切り裂かれた竜の根源は消滅した。


 だが、次の瞬間、二つに切り裂かれた竜の体がぐにゃりと歪み、それが二匹の竜に変わっていく。


 床を蹴り、左右から飛びかかってきたその二体も、一瞬のもとに斬り捨てた。

 二つの根源が確かに消滅した。


 だが、今度はその肉片が四体の竜に変わる。


「ぐああぁっ……!」


 ゴルロアナの悲鳴に、視線をやれば、奴の体が半分竜に変化していた。

 瞬間、ゴルロアナは頭上へ飛び上がった。

 

 俺のもとに四匹の竜が飛びかかったが、それをリヴァインギルマで斬り捨てる。


 今度は肉片が八体の竜に変わる。同時に襲いかかってきたそいつらを斬り捨てた瞬間、ゴルロアナは口を開き、そこから俺めがけ、紫の炎を吐き出そうとしている。


 刹那、今度は一六体の竜が俺の目の前に立ち塞がった。

 そいつらを斬り捨て、眼前を睨むと、すでにゴルロアナの姿は消えていた。


「ふむ。逃げたか」


 ゴルロアナからは、確かに根源を引きちぎり、合計で三一匹の竜を滅ぼした。

 どれも確実に手応えがあった。


 ということは、覇竜は複数の竜の集合体なのか。

 それともレイと同じく根源が複数あるかのどちらかだろう。


 目的は最初から、ゴルロアナだったようだな。

 奴が神の力を失い、抵抗できなくなるのを待ち構えていたのだろう。


 己の身に潜んでいることは、痕跡神が見抜けそうなものだがな。

 それをさせぬというのが、覇竜の力か?


 あわよくば、消耗した俺も始末したかったのかもしれぬが、挑んで来なかったところを見る限り、力の差のわからぬ馬鹿ではなさそうだ。


 セリスのこともある。


 ガデイシオラの覇王にも、挨拶をせねばと思っていた。わざわざゴルロアナを殺さずに連れていったのなら、しばらくは生かしておくだろう。


 会いに行く口実ができたというものだ。


一五〇〇年の祈りは徒労に終わり、教皇はさらわれて、ジオルダルはどうなるんでしょうね……。



地底編はまだまだ続きますが、この章は次回でエピローグです。

またすぐに新章が始まります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ