虚実の戦い
冥王が倒れたその直後、セリスは彼を蘇生しようともせず、指先をエールドメードへ向けていた。
「<紫電雷光>」
セリスの声が響く。
けたたましい雷鳴とともに、荒れ狂う紫電が放たれる。
それは熾死王が反応できぬほどのほどの速さで彼を貫き、その神体を容赦なく削る。
「カカカ、ようやくやる気になったな。遊んでもらおうではないか、魔王の父、セリス・ヴォルディゴードッ!!」
刹那、セリスは熾死王の眼前に接近を果たしていた。
その手が、ぬっと伸びてきて、奴の顔面をわしづかみにする。
人の良さそうな顔で、セリスは言う。
「お遊びは終わりだよ」
「ようやく隙を見せましたね」
白刃が駆ける。
セリスが踏み込む呼吸を読み、シンはこれ以上ないといったタイミングで、略奪剣ギリオノジェスを、奴が展開し続けている球体の魔法陣へ一閃した。
「見せた覚えはないよ」
紫電が瞬く。
ガガガガガッと激しい音を鳴り響きかせ、放たれた<紫電雷光>はシンの略奪剣を叩き折った。
いとも容易くギリオノジェスが折れたのは、その瞬間、シンの魔力が無と化していたからだ。
「断絶剣、秘奥が弐――」
魔力を吸う呪いの魔剣、断絶剣デルトロズが冷たく、美麗な刃と化す。
一撃のもとに敵を断絶するその秘奥が、閃光より素早く走った。
「<斬>」
「<迅雷剛斧>」
恐るべき秘奥の刃が前に、セリスは一歩も退かず、真っ向から右腕を振り上げた。
球体の魔法陣から溢れ出す紫電が、彼の右腕に纏うように集い、攻防一体の巨大な戦斧と化す。
そうして迅雷の如く、断絶剣デルトロズを迎え打った。
断絶の刃と迅雷の斧が衝突し、ジジジジジッと耳を劈く爆音が鳴り響く。
セリスの<迅雷剛斧>は真っ二つに折れ、そして、シンのデルトロズは黒こげに焼かれた。
「もう一度試してみるかい?」
セリスが魔力を手に集中すれば、折れた<迅雷剛斧>が再生していく。
「カッカッカ、素晴らしいではないか。シン・レグリアの剣をそこまでできる者は、そうそういるものではないぞっ!」
セリスの背後に立ったエールドメードが、黄金の炎を手から立ち上らせる。
「さあ、更なる力を見せたまえっ!」
神剣ロードユイエが勢いよく射出された。
しかし、それはセリスに斬りかからず、あさっての方向へ飛んでいく。
「カイヒラムの<自傷呪縛>は続いているよ」
「おかげで渡す手間が省けるというものだ。なあ、シン・レグリア」
カイヒラムに向かって飛んだロードユイエを、シンがつかんだ。
「オマエならば、使えるだろう」
その神剣の主を一瞬で自らに書き換え、シンはセリスへ向かって前進した。
彼を押し潰すが如く、セリスが上段から<迅雷剛斧>を振り下ろす。
重さと速さを兼ね備えた稲妻の戦斧と、シンはロードユイエにて切り結ぶ。
三度の衝突。先刻同様、凄まじい轟音が鳴り響くも、今度は双方の刃は、共に無傷。
流れるような技法で鍔迫り合いの形に持ちこんだシンは、次の瞬間いなすように、その戦斧を技でもって、打ち払った。
<迅雷剛斧>は強力なれど、剣技ではやはりシンが勝る。
懐に入るや否や、彼はロードユイエを一閃した。
<迅雷剛斧>を纏っていない右腕の付け根を狙い澄まし、そして斬り落とす。
血が飛び散り、セリスの右腕が宙を舞った。
「へえ」
後退するセリスを追いかけるように、シンはロードユイエを彼の心臓に突き出す。
ズドンッ、と落とされたのは、<迅雷剛斧>だ。
切り離された右腕が独立した生き物のように動き、その紫電の斧で、シンのロードユイエを握った右腕を斬り落としていた。
セリスは左手で右腕をつかむと、それを無理矢理自らの体に接合する。
「ようやく隙を見せた、と思ったかい?」
微笑んだセリスは、しかし、なにかに気がついたように、地面に落ちたシンの腕を見た。
それが霧に変わった。
腕だけではない、シンの体もまた霧と化していく。
そうして、彼は二人に増えた。
セリスが不可解そうに視線を向ける。
視覚と魔眼を欺く魔法はいくらでもある。
だが、どれだけ深淵を覗いても、彼の体に魔法陣は展開されていなかった。
「きゃははっ」
子供のような甲高い笑い声が響く。
「外れ外れっ」
「剣のオジサンじゃないよっ」
「常識常識っ」
そこに姿を現したのは羽を生やした小さな妖精、ティティである。
彼女たちは二人のシンの周りを飛び回っている。
足音が響き、セリスは背後に視線をやった。
「私の国の子供たちですよ。未知の地底に行くという話をしましたら、どうしても着いてくるとせがまれましてね」
離れた場所に三人目のシンの姿が現れる。
<迅雷剛斧>に切られる寸前、同じくついてきていた隠狼ジェンヌルの神隠しの空間に逃れ、ティティと入れ替わったのだ。
「新しい悪戯」
「覚えたよ」
「本物は」
「だーれ?」
ティティたちの姿が霧と化し、この場を覆いつくす。
三人のシンたちも一度霧に溶け、そうしてその霧が二二人のシンの姿に変わった。
魔眼を凝らしてみても、どれが本物なのか、まるで見当がつかない。
「アハルトヘルンの精霊たち、か……」
「ええ。長らく地底にいたせいか、精霊のことはあまり詳しくないようですね」
シンと偽物のシンたちが同じ言葉を発する。
「それがどうかしたかい? 見分けがつかなければ、すべてを吹き飛ばすまでだよ」
球体の魔法陣に、セリスは手を突っ込んだ。
そこに直接魔力を注げば、魔法陣は紫電に染まり、バチバチと周囲に雷光を撒き散らす。
「さあ――」
ぐっとセリスが拳を握ると、魔法陣が圧縮されるように、彼の右手に凝縮された紫電が集う。
感じるのは、圧倒的な破壊の力。
それをもって、痕跡神を、そしてジオルダルを滅ぼそうとしていたのだろう。
「――なにもかも灰燼と化してしまえ」
その途端、世界が白く染まった。
セリスの魔法ではない。
「時神の庭……」
セリスが呟く。
カッカッカ、と嘲笑うようにエールドメードの声が響いた。
「一〇体の番神を生んだとは言ったが、一一体でなかったとは言っていないぞ」
セリスがその魔眼で注意深く周囲を見回していく。
だが、時の番神の姿はどこにも見当たらない。
「種も仕掛けもありはしない。悪戯好きの妖精、ティティたちが、かの神を隠し、そして今、シン・レグリアの姿に化けさせてもらっているのだ」
二二人のシンが、油断のない歩法で、セリスの周囲を取り囲んだ。
ニヤリ、とエールメードが笑う。
「さてさて。当たりが一つ、外れが二〇、残り一つの大外れを引いたならば、めでたく数時間後の世界へ飛ばされるだろう」
セリスは空いている左手で魔法陣を描いた。
「<紫電雷光>」
紫電が天地に落雷し、時神の庭を壊していく。
同時に地面を蹴り、接近したシンが、セリスの顔面をロードユイエで強襲した。
寸前のところで、奴はそれを避ける。
だが、完全には避けきれず、その首筋から血が飛び散った。
「そこだよ」
時神の庭が破壊されたことで、僅かに反応を見せた二二人の内の一人。
それが、エウゴ・ラ・ラヴィアズだと判断し、奴は<紫電雷光>で撃ち抜いた。
「こんな子供騙しじゃ――」
そう言おうとして、奴は周囲に魔眼を向ける。
そこは、まだ真っ白な世界。時神の庭の中であった。
「カッカッカ、一一体生んだとは言ったが――」
愉快千万といった風に、エールドメードは唇を吊り上げる。
「――本当は一二体でなかったとは言っていないぞ」
もう一体、シンの姿に化けたエウゴ・ラ・ラヴィアズがいるのだろう。
いや、果たして本当にもう一体だけなのか?
セリスは疑念に駆られているに違いない。
「親子というだけあって、オマエは、あの魔王と似ている。その力が巨大すぎるがゆえに、本気を出せば不必要なものまで破壊してしまうのだ。その右手の魔法、使えば確かにこの時神の庭を何重に重ねていようとも、吹き飛ばせよう。だが、そうすれば時の番神を巻き込んでしまう」
番神を滅ぼしてしまえば、時神の庭から出たときに、数時間が経過してしまう。
それでは、賭けが終わっているだろう。
「無論、<紫電雷光>で一つずつ庭を壊していってもいいが、さて、このオレがあといくつ番神を生んだのか、把握しているか?」
その問いも、熾死王はあえて本質を伏せている。
覚えていたとしても、いざとなれば、シンが番神を斬ってしまえば、それでセリスは数時間後に飛ばされてしまう。
どれがシンで、どれが番神かわからぬ以上、セリスにそれを防ぐ術はあるまい。
そして、防ぐ術があったとしても、まだ熾死王は奥の手を隠している可能性もある。
そう匂わせているのだ。
「そこで<契約>だ。一〇分大人しくするのと引き換えに、オレの口を封じておけ。ああ、そうそう、エウゴ・ラ・ラヴィアズを産めるのならば、過去へ遡り、なにがあったかを確かめることも容易い。ついでにその辺りも一通り封じさせてやろう。悪い条件ではないのではないか?」
エールドメードが<契約>の魔法陣を描く。
「ここから力尽くで出ようとせずとも、一〇分待てば出られるのだ。ならば、<契約>に応じたからといって、オマエにどうしても隠しておきたい秘密があるとも限らない。良い大義名分ができたはずだ」
周囲にいるシンとその偽物たちを睨み、セリスはふうとため息をついた。
「やれやれ。仕方がないね。アノスが言った通り、君は厄介な男だよ」
右手の魔法陣を消し、セリスは<契約>に調印する。
ともすれば、エールドメードは利用できる。そう考えたのかもしれぬ。
「カッカッカ、交渉成立ではないか。いやいや、この男は強敵だ。危ないところだったぞ、魔王。まあ、理想に届かせるためだ。オマエにとって有用な情報と引き換えに、時間稼ぎをせざるを得なかった」
いったい、セリスのなにを知っているのか。愉快痛快とばかりにエールドメードは、そんな<思念通信>を送ってきた。
時間稼ぎは成功のようですが、勝ったのは誰なのでしょうね……。