記憶の齟齬
朝――
目を覚ませば、綺麗に切り揃えられた白銀の髪が視界に映る。
その寝顔はあどけなく、容姿は違えど、どこかに夢の中で見た妹の面影が残っている。
「……未だ実感は乏しいが、必ず会いに来いと言っておきながら、俺が忘れたのでは申し訳が立たぬな」
ぽつりと呟き、そっとアルカナの頭を撫でてやる。
記憶はなくとも、彼女は確かに俺のもとへやってきた。
心のどこかで、根源の片隅で、あの約束を覚えていたのだろうか?
「……ん…………」
小さく声を漏らし、アルカナは目を開ける。
その金の瞳が、ぼんやりと俺の顔に向けられた。
「……ありがとう……」
アルカナは、そう俺に言った。
「それは、なんの礼だ?」
「あなたのおかげで昨日は眠れた」
アルカナは立ち上がると、自らに魔法陣を描く。
彼女の体が光に包まれ、衣服を纏った。
俺も身を起こし、ベッドから降りると、同じようにして、魔王の装束を身につける。
「夢は見たのだな?」
「見た」
「あの後、お前は神に生まれ変わったのだと思うか?」
じっとアルカナは考え込む。
その表情は、僅かに沈んでいるようにも思えた。
「……<転生>の魔法を使っても、魔族が神に生まれ変わることはない」
「確かにな。今の俺とて、神に転生させるのは不可能だ。とはいえ、夢の中のアルカナは一度竜の胎内に飲み込まれ、その根源に異常を来していた。元より、彼女は竜に狙われる……竜核といったか? 普通の存在ではなかったようだ。可能性がまるでないというわけでもあるまい」
しかし、もしも、そうならば、奇跡的な偶然がいくつも重なった結果だろう。
確かにそうだったと断定するには、早計がすぎる。
「教皇ゴルロアナは、わたしのことをミリティアと呼んだ」
「それが事実ならば、お前は二千年前の時点で俺に会いに来たことになる」
「…………真実かは、まだわからない…………」
不安そうにアルカナは言う。
「確かめてみるか?」
「……方法があるのだろうか?」
「お前がミリティアかどうかを確かめる術ならばな。記憶は戻らぬ。中途半端に知る覚悟があるのなら、やってみる価値はあるだろう」
「……確かめたいと……わたしは思っているのだろう……」
呟き、それからアルカナは頭を振った。
「確かめたいと思っている」
はっきりとアルカナは言い直した。
「試してみるか」
そう口にして、寝室を出る。その足で部屋を後にした。
アルカナは俺の横に並んでついてきている。
階段を上りながら、俺はミーシャたちに<思念通信>を送る。
『今日の大魔王教練は中止だ。ガエラヘスタへ行く。各々準備をした後に、魔王城の訓練場へ来るがいい』
しばらく進めば、目の前に両開きの扉が見えた。
それを開くと、中はだだっ広い一室だ。
訓練場である。
それなりの規模の魔法や魔剣にも耐えられる構造になっている。
中央まで歩み出ると、俺はアルカナを振り向いた。
「起源魔法は、魔力を借りた起源そのものに影響を与えることはできぬ。俺が創造神ミリティアを起源として、起源魔法を放てば、お前がミリティアかそうでないかがはっきりする」
「名を捨てた神でも影響はまったくないだろうか?」
「そこが難点だ。神の名を失ったお前は、かつてミリティアだったとしても、今は完全に同一とは見なされないかもしれぬ。影響が出ることもあろう。だが、<創造の月>が使えるということは、つながりが完全に切れているわけでもあるまい」
「起源魔法による影響の度合いから、判定を行う?」
俺はうなずく。
「起源の対象によって、行使できる魔法は異なる。創造神ミリティアを起源にした場合、魔法の制御が至難を極めるものでな。あいにくと攻撃魔法しかまともに放てぬ」
簡単に言えば、借りてきた魔力が暴走状態と化す。
それを力尽くでねじ伏せ、放つのだ。
「大丈夫。あなたの思う通りしてくれればいい」
アルカナは俺から少し離れた位置に移動する。
そうして、反魔法も使わずに、その身を曝した。
「行くぞ」
創造神ミリティアを起源に、魔法陣を描く。
漆黒の稲妻がバチバチと音を立てて、俺の右腕にまとわりつく。
起源魔法<魔黒雷帝>。
膨大に膨れあがっていく黒き雷光が、激しい雷鳴を轟かせながら、訓練場を覆いつくす。
次の瞬間、俺の予想を遙かに超えて増大した漆黒の雷が、訓練場を吹き飛ばす勢いで暴発した。
ギギギギギギギギッと大気が劈き、瓦礫の山が周囲に散乱する。
ぎりぎりのところで押さえつけたため、アルカナは無傷だった。
「どうしたのだろう?」
不思議そうに、アルカナは俺に視線を向けてきた。
「ふむ。失敗したようだ」
起源魔法は起源となる存在のことを正しく知らなければ、制御が困難だ。
神を起源とする場合、更に制御が難しく、番神クラスであっても魔力が荒れやすく、魔法を成立させるのは至難だ。
創造神ミリティアともなれば尚更だが、通常、俺は暴走したその魔力を更に荒れさせることで、魔法を成立させている。
<極獄界滅灰燼魔砲>が良い例だ。
起源にした創造神、破壊神の魔力を際限なく暴走させていくことで、逆に安定を図る。
だが、<魔黒雷帝>まで威力を落とすとなれば、細心の魔力制御が必要となり、安定させるのは至難を極める。それでも、ミリティアの起源を正しく知ってさえいれば、問題はなかったはずだ。
その証拠に、二千年前は可能だった。
つまり――
「……忘れていることがあるのか、それとも覚え違いをしているらしいな……」
「創造神のことを?」
「ああ。この条件では、お前をミリティアかどうか判別できぬ」
アルカナは一瞬口を噤み、それから言った。
「仕方がない」
「俺が覚えているミリティアと、現実に齟齬があることがわかったのは、収穫と言えば収穫だが……」
しかし、なにを忘れているのか?
忘れているのだから仕方がないが、見当もつかぬな。
「痕跡神を見つければ、きっと思い出せるはず」
「居場所はわかるか?」
「わからない」
とはいえ、滅びたわけでもあるまい。
探す方法はあるだろう。
「……うわ、なによこれ? ボロボロなんだけど……?」
訓練場に入ってきたサーシャが言う。
「<魔黒雷帝>?」
隣でミーシャが小首をかしげていた。
「お待たせっ、いつでも行けるぞっ」
「準備……万端……です」
エレオノールとゼシアが言った。
その後ろに、レイとミサもいる。
「穏便に話し合いで済めばいいんだけどね」
「あははー、ですね……なんだか、そんな気は全然しないのが、困っちゃいますけど……」
コツン、と杖をつく音が響く。
「カッカッカ、しかし、またずいぶんと面白そうなことになったではないか。詛王と冥王が地底に来ているとはな。いやいや、どこでなにをしているかと思えば、魔王に弓を引く準備とはっ!」
愉快そうにエールドメードが言う。
「剣呑、剣呑、剣呑だっ。そうは思わないか、シン先生?」
「私が思うのは一つ。ただ愚か、と」
彼の隣にいたシンが言う。
「そう、そう、そうだ、愚かだ。だからこそ、面白い。賢くては魔王には逆らえないではないかっ!」
微妙な反逆の言葉に、エールドメードは喉を押さえて、呼吸困難になる。
「なあ、アノス・ヴォルディゴード。オマエの配下を集めるほどの相手というわけだろうっ?」
「セリスという魔族は、俺の父親だそうだ。油断はするな」
「な・る・ほ・どぉ」
嬉しそうにエールドメードは唇を歪めた。
「まあ、肉親か否かはどちらでも構わぬ。問題はあの男が、なにを企んでいるかということだ。昨夜、アルカナと共に夢を見たが、なんとも善悪の基準が狂っているような考えをしていた」
その上、冥王、詛王と手を結び、痕跡神を滅ぼせるだけの魔力を有している。
「ガデイシオラの者だ。まつろわぬ神、背理神についても知っているのだろう」
サーシャが表情を険しくし、ミーシャは彼女の手をぎゅっと握る。
二人を指して、セリスは背理神ゲヌドゥヌブと断じた。
「ひとまずは話を聞く。愚かならば、そこで滅ぼす」
聞いたところでまともな答えが返ってくるとも思えぬが、とはいえ、夢には不可解な点があったのも事実だ。
確かめる必要はあるだろう。
「行くぞ」
俺は<転移>の魔法陣を描く。
それを見て、全員が<転移>の魔法陣を描いた。
魔法を行使し、俺たちは転移する。
視界が真っ白に染まった次の瞬間、目の前には神代の学府エーベラストアンゼッタが姿を現した。
アルカナが手をかざせば、その正門が開かれる。
俺たちは、中へ入り、まっすぐエーベラストアンゼッタの中央まで歩いていく。
通路を抜け、扉を開ける。
そこは、円形の空間だった。
均等に八つの座具が設置された、聖座の間である。
「やあ、来たね」
待っていたのは、セリス。
その傍らには、冥王イージェス、詛王カイヒラムがいる。
「問おう」
開口一番、俺はセリスに言葉を投げかける。
「お前の目的はなんだ?」
「一言で口にするのは難しいけれど、そうだね」
善良そうな表情で彼はさらりと言った。
「とりあえず、今日はジオルダルを滅ぼそうと思っているよ」
配下八人、話し合いに来たとは思えない戦力ですよねぇ……