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等しき魔眼を持つ者


 見覚えのない場所だった。


 そこは荒野だ。生き物の臭いのしない、果てない大地が延々と続いている。

 空には天蓋があり、時は極夜、暗黒に閉ざされた地底なのだろう。


 隣には、アルカナがいる。

 俺も彼女も服を着ていた。


 つまり、ここは痕跡神の夢の中か?


「我の夢であり、彼女の夢である。我は痕跡神リーバルシュネッド。この世のあらゆる記録と記憶を、この身に刻む痕跡の秩序なり」


 響いた声とともに、荒野の地面がせり上がる。

 それは天蓋に達するほどの巨大な本棚だ。


 果てしない荒野に延々と途方もない数の本棚が現れていく。


 気がつけば、眼前に一人の男が立っていた。

 純白の本を手にし、厳かな服を纏った神である。


「我は来るべき日を待ち、この時の果て、リーガロンドロルの最深部にて、眠り続けている。何用だ、不適合者、そして名もなき神アルカナよ」


 アルカナが一歩前へ出て、リーバルシュネッドに言った。


「失った記憶と神の名を取り戻したい。あなたの秩序にそれは刻まれているはず」


「記憶は痛みであり、忘却は救いなり。我はこの世の痛みを背負う神。取り戻した記憶は、汝を苛み、苦しめ、傷つけるであろう」


「犯した罪は、わたしのもの。それが痛みだというなら、癒されるべきではなかった。わたしの傷痕を、もう一度この身に刻みたい」


「ここは、すべての記憶と記録が辿り着く地。今は名もなき神、アルカナよ。汝が記憶の深淵を見つめるがよい。その魔眼を背けず、真に願うならば、記憶は取り戻せるであろう」


 荒野に延々と続く、膨大な数の本棚から、音もなく、無数の本が落下する。

 それが宙で開かれると、本のページが次々と切り離され、紙吹雪のように、荒野の空に舞う。


 幾千幾億と、数え切れないほどの本のページは、ここに集まってきた、この世の記憶と記録、その痕跡なのだろう。


 その内の一枚が、彼女の求める記憶だ。

 アルカナが宙に舞う無数のページに魔眼を凝らす。


 そのときだった。


 耳を劈くが如く、雷鳴が轟いた。


 紫の雷が無数に落ちてきては、宙を舞う本を撃ち抜く。


 ゴオォッと無数のページが燃え始めた。

 その火は本棚に燃え移り、瞬く間に夢の世界が炎上する。


「むう……」


 困惑した様子でリーバルシュネッドが眉をひそめる。

 彼の体にもまた紫の雷がまとわりついている。


「招かれざる者、まつろわぬ神を崇拝する愚者どもめが、眠りし我の体に稲妻を放っておる」


「ふむ。痕跡神の気が逸れる隙を窺っていたか」


 この紫電の魔力は、イージェスのものでも、カイヒラムのものでもない。

 二人だけではないだろうと思っていたが、やはりまだ幻名騎士団がいたようだな。


「目を覚ます?」


「いや、この火は俺が止めてこよう。お前は時間が許す限り、記憶を探せ」


「あなたの言う通りにしよう」


 アルカナは俺の体に魔法陣を描いた。


「雪の雫に、夢から覚めて、彼はうつつに帰っていく」


 一片の雪月花が俺の頬に落ちる。

 瞬間、目の前から荒野が消えた。


 腕の中には、一糸まとわぬアルカナがいる。

 水中には無数の紫電が走り、痕跡神を蝕んでいく。


 俺は魔法陣を描き、魔王の装束を纏うと、薄布でアルカナをくるんだ。


 そうして、雷光を<破滅の魔眼>で睨む。


 一睨みで消せたのは、三割程度か。かなりの魔力だ。

 <破滅の魔眼>で更に睨み続け、その紫電を消し去っていく。


 粗方掃除を終えたところで、俺は周囲を探った。

 深海の如き暗闇の中に潜む人影を、俺の魔眼が捉えた。


「見つけたぞ。何者だ?」


 多重魔法陣を描き、そこに手を通す。

 蒼白き<森羅万掌イ・グネアス>の手で、その人影をつかんだ。


 すると、左肩に抵抗を覚えた。

 目に見えぬ手がそこをぐっとわしづかみにしている。


 <森羅万掌イ・グネアス>か。

 地上の魔法だ。恐らくは、こいつも魔族だろう。


「悪いが、ここで暴れさせるわけにはいかぬ」

 

 <森羅万掌イ・グネアス>でそいつを捕まえたまま、俺は水面を目指し、一気に飛び上がった。


 ザバァンッと水音が鳴り、滝の流れる部屋に戻ってくる。

 一瞬、室内にいた者たちが、俺の方に視線を向けた。


 現況は、四邪王族二人と俺の配下による、まさに乱戦の最中だった。 


「……誰だ、ジステ。君をこんなところに閉じ込めたのは……」


 怒気のこもった呟きが漏れる。

 それは、氷の檻に閉じ込められた、ジステの体からだ。


 根源から溢れる魔力が跳ね上がっていた。

 人格が切り替わるとともに、その根源さえも変化する特異体質。


 今の奴は、正真正銘の四邪王族、詛王カイヒラムだ。


「そうか……」


 黒い靄が彼の目の前に集い、魔法陣を描いた。


「許さん……」


 憎しみが溢れ出す。

 立ち上る魔力の勢いで、氷の檻が砕け散った。


「許さんぞぉぉっ、貴様らぁぁぁっ!!!」


 魔法陣に手を入れ、奴が取り出したのは禍々しき弓である。


「ふむ。気をつけろ、ミーシャ。あの矢は呪った者の狙いを外さぬ、魔弓ネテロアウヴス。ジステに手を出した時点ですでにお前は呪われている」


 瞬間、サーシャと対峙していたイージェスが動いた。


「ぬあっ!!」


 ディヒッドアテムが閃き、サーシャの腹部を抉る。

 <不死鳥の法衣>の炎に包まれ、傷を癒しながらも、彼女は飛び退き、ミーシャに手を伸ばした。


「ミーシャ」


「ん」


 互いに描いた半円の魔法陣をつなげる。


「「<分離融合転生ディノ・ジクセス>」」


 二人の体は溶けて交わり、一つに戻る。

 銀髪の少女アイシャは、その魔眼を詛王カイヒラムに向けた。


「消え失せるがいいっ!」


 カイヒラムの怒声とともに、魔弓ネテロアウヴスから矢が放たれる。

 刹那、それはアイシャの視界から消え、彼女の左胸に突き刺さっていた。


「俺様のジステに手を出した報いだ。呪われ果てろ」


 詛王がそう口にした瞬間、アイシャに刺さった矢は氷と化して砕け散った。

 

「おあいにくさま、二重人格の変人さん?」

「氷細工の矢は、当たっても平気」


 サーシャとミーシャが言う。

 矢が皮膚に刺さった瞬間、<創滅の魔眼>で、一瞬で脆い氷細工に造り替えたのだろう。


 カイヒラムは、憎悪を燃やし、目を剥いて二人を凝視した。


 ジステが絡むと、奴は短気だ。

 今はまともに話も通じまい。


「一気に仕留めてあげるわ」

「<創滅の魔眼>」


 アイシャが、イージェスとカイヒラムを睨む。

 その<創滅の魔眼>が、彼らの反魔法を突破し、魔弓と魔槍に干渉する。


「……おのれぇ……」


「……話に違わぬ、凄まじい魔眼よ……」


 ディヒッドアテムとネテロアウヴスは瞬く間に氷の結晶へと変わる。

 その魔眼から逃れるように、冥王と詛王は飛び退いた。


「逃がさないわ」

「どれだけ離れても視界にいる限り同じ」


 アイシャが追撃するように<創滅の魔眼>に魔力を込め、二人を睨みつける。

 そのとき、俺をつかんでいた<森羅万掌イ・グネアス>の手応えが消えた。


 アイシャの視界を遮るように、紫色の巨大な稲妻がけたたましい音を立てながら、降り注いだ。


「思った通りだ」


 軽やかな声が響く。

 イージェスのものでも、カイヒラムのものでもない。


「それは<背理の魔眼>だね」


 紫電の中心に人影が見える。

 ふっと、その紫色の雷光が霧散すると、そこにいたのは一人の優男だ。


 紫の髪と、蒼い瞳。外套を纏っている。


 知っている。 

 夢で見た。アルカナと話していたあの魔族だ。


 どうにも胡散臭そうな男だったがな。

 名は確か、セリスといったか。


「久しいね、背理神ゲヌドゥヌブ。生まれ変わったようだけれど、僕のことは覚えているのかい?」


 アイシャがキッと奴を睨む。


「全然知らないわよっ!」


 放たれた<創滅の魔眼>を、しかし、その男は真っ向から睨み返した。

 蒼い瞳が、滅紫けしむらさきに染まった魔眼と化す。


「効かない……?」

「……アノスの魔眼に似てる……?」


 驚いたように、サーシャとミーシャが呟く。


「それは語弊があるね、背理神」


 善良そうな笑みを浮かべ、そいつは言った。


「彼の魔眼が僕に似たんだよ。僕は、セリス・ヴォルディゴード。簡単に言えば、そう、彼の父親だよ」


「ほう」


 アイシャの前に出て、俺は同じく滅紫けしむらさきに染まった魔眼で、セリスを見据えた。


「それは初耳だな」


 ふんわりとセリスは笑い、そうして言った。


「君は忘れてしまっただけだよ、アノス。すべては創造神ミリティアの仕業だ。彼女は、君から僕の記憶を奪った。そして、偽の記憶を創造したんだ」


 ミリティアが敵だと言わんばかりの物言いだな。


「ふむ。ありえぬ話ではないがな。なんのためにだ?」


「それを口にしたところで、君が信じるとは思えない。そうでなければ、僕はとっくの昔に君の前に姿を現し、すべてを打ち明けていたよ」


 もっともらしいことを言うが、事実とも限らぬ。


「腑に落ちぬな。俺に記憶を思い出させたいのなら、痕跡神を滅ぼそうとしたのはなぜだ?」


「君の記憶が戻るまで待てば、痕跡神には逃げられてしまいそうだからね」


 セリスが手を掲げ、そこに多重魔法陣を描いた。


 途端に、空気が異質なものに変わった。

 穏やかだった水面が激しく波打つ。

 

 ここは時の始まり。

 溜まっている水は、一滴一滴がこの世に刻みつけられた痕跡だ。


 その秩序が、まだ発動すらしていないセリスの魔法に、激しく歪められていた。


「なかなかどうして、凄まじい大魔法だな」


「そこをどくといいよ。死にはしないだろうけれど、怪我をするかもしれない」


 魔眼を俺に向け、セリスはさも親切そうに言った。


「どかしてみよ」


「へえ。僕に逆らえるつもりかい?」


「お前が俺の親だというのならば、容易いはずだ」


「やれやれ、聞き分けのない」


 セリスの前に構築された多重魔法陣が、球体と化す。

 それに奴が手をかざした、そのときだった。


 魔力の余波で、激しく波打っていた水面がなだらかになり、波紋さえなくなった

 すうっと水が透明になっていき、そして、消える。


 この場に存在していた膨大な魔力とともに。


「どうやら、君の神の仕業のようだね。痕跡神を目覚めさせたみたいだよ」


 ふっと力を抜き、セリスは球状の魔法陣を消す。

 地下遺跡の震動が、ぴたりと止まった。


 振り向けば、そこに薄布に包まれたアルカナが立っていた。

 水がなくなり、ここまで浮上したのだろう。


「リーバルシュネッドを逃がした。その魔族は、なにかを庇いながら、戦える相手ではないだろう」


 ふむ。まあ、確かに、あのままではリーバルシュネッドだけではなく、寝ているアルカナも守らなければならなかったがな。


「別段、構わなかったがな。ちょうどいいハンデだ」


「足枷になるわけにはいかない。わたしは神なのだから」


 そう言うだろうとは思っていた。


「記憶は思い出せたか?」


 セリスを警戒しながらも、アルカナに視線を向ける。

 彼女は暗い表情を浮かべた。


「……わたしは…………」


 きゅっとアルカナは唇を噛む。

 そうして、絞り出すように、ぽつりと呟く。


「…………思い出せなかった……」


 ふむ。やむを得まい。


「なに、そう悲観することはない。お前は自身の願いよりも、他者に手を差し伸べることを優先した。それでこそ、俺が選んだ神だ」


 アルカナは薄布をストンと足元に落とすと、自らに魔法陣を描き、いつもの衣服を纏った。

 そうして、眼前にいるセリスたちを見据える。


 その男は、邪気のない顔で笑った。


「話をしないかい?」


「ほう」


「僕は幻名騎士団の騎士団長を務めている。ガデイシオラは、神族と戦っているんだ。君も神族をよくは思っていないだろう。その上、僕は君の父親だ。今回は利害が一致しなかったようだけど、そもそも僕たちが戦う理由はどこにもない」


 屈託のない表情で彼は言った。


「手を取り合えるはずだ」


 争わずに済むのならば、それに越したことはないはずなのだがな。

 どうにもこいつを見ていると、ここで滅ぼした方が世のためだと思えてならぬ。


 アイシャに視線をやれば、彼女は小さく首を横に振っている。


「……見えない……」

 

 呟いたのは、ミーシャだ。

 恐らくは、セリスの心中が、まるで覗けぬということだろう。


「俺に対して、力よりも対話を試みるのはなかなかどうして、悪くない選択だ。話さぬ内から実力行使に出る愚か者が多いものでな」


「本当に、世の中には悪人が多くて困るね。よくわかるよ。できるなら、話し合いですべてが終わるに越したことはない。世の中、平和が一番だからね」


 善良そうな笑みを奴は浮かべる。

 

「もっともだ。しかしな、ただの悪党など可愛いものだぞ」


「へえ、どうして?」


「最も醜悪な下衆は、まるで善人のような顔をしてやってくるのだからな」


「それは恐いね。僕も気をつけるとするよ」


 特に動じる素振りもなく、ただ奴はそう言った。


「答えは急がないよ。もしも、話を聞きたくなったら、ガエラヘスタへ来るといい。しばらくはそこにいる。エーベラストアンゼッタの聖座の間で待っているよ」


 セリスが魔法陣を描く。

 その横に、冥王と詛王が並んだ。


「セリス」


 奴らが<転移ガトム>で転移する直前、俺は言った。


「肝に銘じておけ。お前が俺の実の父であろうと、そうでなかろうと、舐めた真似をするつもりならば、ただでは済まさぬ」


 俺の警告に、奴はただ笑みで応じると、この場から転移していった。


会ったことがないはずの父親が、ついに――

そして、いるはずなのに、描写されないエレオノールとゼシアに救済は……!?

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