アガハの剣帝
未来神ナフタとの決着がつくと、聖騎士たちはまさに驚愕といった表情を浮かべた。
「な…………なんということ…………」
「人の身で未来神を凌駕するとは……」
「……八神選定者とは、これほどまでに常軌を逸しているのか……」
「馬鹿な……アヒデやガゼルは同じ八神選定者だが、あの男の足元にも及ばないぞ……神を降ろした教皇のお力は誰も見たことはなく計り知れぬが……いや、しかし、素であそこまでの力を誇るとは……」
「……怪物だ……あんな男が、この世にいようとは……」
動揺する聖騎士たちに、司教ミラノは落ちついた声を発した。
「なにを驚くことがありましょうか、聖騎士のお歴々。そう、彼はあの天父神さえも、盟珠なしに従えるほどの御方なのですから」
「なぁぁっ……!? あ、あのっ!? あの天父神を、秩序を生む秩序、<全能なる煌輝>エクエスの輝きに、最も近き神を、盟珠なしにっ!?」
「ええ、ご存知ありませんでしたか?」
「確かか、司教ミラノっ!? それは、確かなことなのかっ?」
「<全能なる煌輝>エクエスに宣誓しましょう。私はこの目でそれを確かに見ました。ああ、しかし、この地底で一番最初に彼を知ったのが私だとすれば、他に知る者はいないのかもしれませんなぁ」
「なんという奇跡に立ち会ったものだ、貴公は……」
「だ、だとすればっ、常軌を逸しているどころではないぞっ! なにもかもを超越しているっ!? あの男、本当に人かっ!? 人の姿をした神ではないのかっ!? いや、いや、それどころか……」
「……ま、さ、か…………彼は…………あの御方は………………?」
「はてさて、どうでしょうなぁ? 不適合者、ずいぶんと皮肉めいた称号をつけられたようですが、あるいは自身で名乗っているのかも? 我々には計り知ることさえ及ばぬ尊き存在なのかもしれませんなぁ」
感嘆するようなため息が漏れる。
互いの選定神を相手にどれだけもちこたえられるか、という勝負だったが、選定神を打ち負かしてしまえば、負けることは決してない。
「はー、こいつはたまらんぜ。ナフタを負かすなんざ、お前さんの選んだ選定者は、傑物どころではあるまいて」
アルカナと対峙しているディードリッヒが言う。
「最初に選んだのは、わたしではない。されど、彼は代行者に誰よりも相応しい。ゆえに、彼は代行者への道を選ばない」
そう声を発するアルカナは膝をつき、まっすぐアガハの剣帝を見つめている。
ふむ。どうやら押されているか。
召喚神や召喚竜頼りの竜人にしては、素の力が並外れているな。
剣帝というわりに、奴はまだその剣さえ抜いてはいない。
睨んだ通り、並の力ではないな。
「冷たい氷柱に覆われ眠れ」
雪月花がディードリッヒの周囲に吹き荒ぶ。
それらは輝く冷気を発しながらも、鋭利な氷柱と化し、奴に向かって一斉に撃ち出された。
「ふんっ!」
ぐっと両拳を握り、ディードリッヒは全身の筋肉を躍動させる。
気合いとともに、膨大な魔力が溢れ出し、鈍色の燐光を奴は纏う。
放たれた氷柱という氷柱は、ディードリッヒの体に触れることなく、鈍色の燐光に弾き返された。
「ほう。面白い。それはなんだ?」
「こいつは、<竜ノ逆燐>。平たく言やあ、異竜の逆鱗に触れたときに発せられる魔力の燐光だわな」
ディードリッヒが右拳を固めれば、鈍色の燐光がそこに集う。
「こいつで殴れば――」
地面を蹴ったディードリッヒはまっすぐアルカナに迫る。
彼女は右手に雪月花を集中し、神雪剣ロコロノトを構築した。
刹那、ディードリッヒの目の前から光の速度で消えたアルカナは、彼の鎧を切り裂き、凍てつかせた。
さすがの<竜ノ逆燐>も、ロコロノトまでは防げぬようだ。
「おっと。捕まえたぜ、選定神のお嬢ちゃんよ」
アルカナが歯を食いしばる。ディードリッヒの鎧を切り裂いた直後、ロコロノトの剣身を彼は燐光を纏わせた左手でわしづかみにしていた。
僅かに血が滴り、手の平が凍りついているものの、意に介せず、ディードリッヒは拳を振り上げた。
「ぬおぉぉぉっ!!」
凝縮するように集めた<竜ノ逆燐>を纏わせ、奴は思いきり雪の剣に拳を振り下ろした。
その一撃でロコロノトが砕け散る。
「竜の逆鱗に触れば、ただではすむまいて」
再び手から雪月花を出し、神雪剣を創造していくアルカナに対し、真っ向からディードリッヒは突っ込んだ。
「雪乱れて剣となり――」
神雪剣ロコロノトが雪色に輝く。ディードリッヒはアルカナよりも遅い。その拳が彼女に届くよりも先に、ロコロノトの刃が鈍色の燐光を貫き、奴の腹部を貫通した。
「――穿つあなたが凍りつく」
傷口からあっという間に冷気が広がり、ディードリッヒは氷像と化した。
しかし、これで終わるようならば、アルカナは押されてはいなかっただろう。
その証拠に、凍てついた氷の向こうから、僅かに声が響く。
「……そいつも貰うぜ……!」
鈍色の燐光が氷像から漏れたかと思うと、ディードリッヒが動いた。
荒れ狂う<竜ノ逆燐>が竜の顎を象り、その氷像に、そして雪の剣に食いついた。
魔眼を凝らしてみれば、<竜ノ逆燐>の牙は、氷と神雪剣を魔力に分解し、文字通り、食らっているのだ。
「魔力を食らう」
アルカナが呟き、後退しようとする。
「おうさっ!」
だが、食らった魔力の分だけ力が上がったか、数瞬早く、<竜ノ逆燐>を纏ったディードリッヒの右拳が、その小さな神の体に直撃した。
ドゴオォォッと激しい音を立てて、アルカナは吹き飛び、大聖門に体を打つ。
「再生の光は、傷を癒す」
再生の番神の力を使うも、しかし、彼女が全身に負った傷の治りが鈍い。
「正確にゃ、<竜ノ逆燐>は根源を食らう。神と言えども、魔力の源を食い破られたんじゃ、そう簡単に傷は癒せまいて」
根源を食らう、か。まるで竜の胎内だな。
だが、奴が<憑依召喚>を使っている気配はない。
「アガハの剣帝は子竜と聞く」
「おうよ。なんの因果か、竜から生まれ落ちた。おかげさんで、分不相応な力を持つ羽目になったというものでな」
大聖門の前で膝を折ったアルカナに、ディードリッヒは無造作に近づいていく。
そうして、彼女の目前で立ち止まると、<竜ノ逆燐>を消し、ニカッと笑った。
「ま、俺の負けだ」
ディードリッヒが差し出した手を、アルカナが取る。
彼女は立ち上がり、彼に言った。
「命の取り合いではない。癒すのが困難な傷を負った時点で、わたしの負けなのだろう」
「あいにく、こいつは、あちらさんとの勝負なものでな。今の一撃でお前さんを殺せたなら、引き分けと言い張ってもよかったかもしれぬが、そうはいくまいて」
ディードリッヒが俺に視線をやった。
「取り決めでは、長くもちこたえた方が勝者だ。お前がアルカナに負けを認めさせたのなら、決着はつかぬ。引き分けだ」
奴は豪快に笑った。
「誰がどう見ても、お前さんが先にナフタに勝ったであろう。取り決めだからと引き分けた顔をしていては、アガハの王として民にも臣下にも示しがつくまいて」
それに、とつけ加え、ディードリッヒは大聖門を親指でさす。
「奴さんも、それで両方と話そうという気にはなるまいよ」
思わず、笑みがこぼれる。
「なかなか潔いことを言う。ディードリッヒ、お前の国に興味が湧いてきたぞ」
ニカッと笑い、奴は言う。
「アガハに来たならば、存分にもてなそう。その代わりと言ってはなんだが、お前さんとこの聖歌隊もつれてきてはくれまいか?」
先程もそんなことを言っていたな。
「気に入ったか?」
「ガハハッ、あれはたまらんぜ」
自分に素直な、清々しい男だな。
「約束しよう」
ディードリッヒは脇の方で倒れ込んでいるアヒデをひょいっと担ぎ上げる。
彼に付き従うように、未来神ナフタがその横に並んだ。
「一つ尋ねよう、ディードリッヒ」
奴は俺を振り向いた。
「未来が見えるのならば、この勝負に勝てぬことも知っていたはずだ。選定審判もあることだ。なぜ、あえて自らの手の内を曝すような真似をした?」
アルカナはディードリッヒと直接戦い、この場にいる全員が、奴の<竜ノ逆燐>を見た。ナフタの秩序についてもそうだ。
しかし、奴はこんな勝負をしなくとも、未来神の力で俺の手の内を知ることができる。
「答えにくいようならば、言わずとも構わぬ」
「なあに、こいつは未来神ナフタの審判というものでな」
あごに手をやりながら、ディードリッヒは言う。
「勝たねばならぬ戦いがあったとしよう。未来を知り、決して勝てぬとわかっていたならば、さあ、どうする?」
鷹揚にディードリッヒが問いかける。
「挑まず逃げろというのが預言者の仕事ではあるまいよ。覆らぬ預言に意味などない」
奴にとっては、俺こそが決して覆らぬ預言の象徴であろう。
ゆえに挑んだというわけだ。この先、自らが不利になろうとも、その未来を覆そうとした。
「見事な覚悟だ、地底の王よ」
ディードリッヒが豪放に笑う。
「お前さんが気にかけていることを、一つ預言しておいてやろう」
「ほう。ありがたいことだ。アガハの剣帝の言葉、拝聴するとしよう」
姿勢を正し、俺はまっすぐディードリッヒに視線を向ける。
奴は言った。
「地上の魔王。不適合者アノス・ヴォルディゴードを選定者に選んだのは、創造神ミリティアだ」
やはり、という想いと、まさか、という想いが胸中に渦を巻く。
嘘をつくような男にも見えぬことだしな。
「も一つ、おまけだ。こいつは俺の事情も絡むがよ。ゴルロアナとやり合うんなら、お前さんにとっても、確実に滅ぼすがよかろうて。ディルヘイドを危険に曝したくなければな」
「ふむ。忠告はありがたく受け取る。だが、俺の答えはわかっていよう」
ディードリッヒはニカッと笑い、踵を返した。
「アガハでまた会おうや、魔王」
背中を見せ、手を上げながら、ディードリッヒはナフタと共に去っていく
ク・イック、ク・イック、と楽しげに地上の歌を口ずさみながら――
ディードリッヒから不穏な忠告をもらいつつ、いよいよ教皇とご対面。