預言者
遠くから魔王賛美歌が響き渡り、まもなく歌の終わりに近づいている。
その愉快な調べを背にしながら、俺はジオルヘイゼの路地を見つめた。
「アノス」
一片の雪月花が舞い降りてきて、それがアルカナに変わる。
「アヒデが現れた?」
「ああ。来聖歌人になりすましていたようだが、それも魔法で作った偽物でな。魔力を辿って来たが」
目の前の路地に魔法陣を描き、<魔震>で土を吹き飛ばす。
人差し指で手招きすれば、そこに埋められていた盟珠が飛んできた。
「どうやらこれを囮にして逃げたか」
盟珠にはアヒデの魔力が込められている。
これが魔法を発動し、偽物の体に魔力を供給していたのだろう。
「<隠竜>を<憑依召喚>した<複製土人>の魔法。土くれから人の体を複製し、操ることができる。魔力供給は盟珠から行えても、<複製土人>は独立思考できない。操っているのは術者だろう」
「つまり、魔法線がつながっていたというわけか」
「そう。逃げるために切ったばかり」
アルカナが盟珠を両手で包み込む。
その体が、魔力の光で目映く輝く。
「その盟約は、切っても切れず。縁はつながり、原初を辿る」
魔眼を凝らせば、盟珠から一本の魔法線がすっと伸びた。
再生の番神ヌテラ・ド・ヒアナの力だろう。切られた魔法線が再生したのだ。
「ふむ。しかし、対策はしてあるようだな」
盟珠から更に魔法線が四つ伸びる。
みるみる数が増えていき、合計で、三三本の魔法線がつながった。
その先には、どれもアヒデの魔力を感じる。
「この三三本の魔法線の内、少なくとも三二本は盟珠につながっているのだろうな。それに自らの魔力を込め、どこにいたかを眩ましているというわけだ」
「残りの一本がアヒデだろうか?」
複数の魔法線の先をアルカナはじっと見据える。
「あるいはすべてが外れで、本人は魔力を使わずに徒歩で逃げるつもりということも考えられよう。ジオルヘイゼに響き渡る神竜の歌声は、どうも竜鳴に似た効果があるようだ。俺の魔眼も、さすがにこの街全域は見渡せぬ」
三三本の魔法線を虱潰しに辿るのは容易い。
そう考えれば、魔法線も囮で、魔力を使わずに逃げているというのが妥当なところか。
さて、どうやって捕まえてくれようか。
神竜の霊地の方向からは、一際大きくエレンたちの歌声が響く。
魔王賛美歌のクライマックスだった。
やがて、ク・イック、ク・イックの大合唱がジオルヘイゼの空に響き渡る。
熱狂に満ちたその声は、彼女たちの歌が、この地底の民にも受け入れられた証明であろう。
なんとも喜ばしいことだ。
「ク・イック、ク・イック、ク・イック……♪」
ふと、路地の横道から、渋い歌声が響く。
「ク・イック、ク・イック、ク・イックウッウー……♪」
振り向けば、真紅の騎士服と鎧を身につけた大柄な男が、魔王賛美歌を軽快に口ずさんでいた。
少々長めの髪、整えられた立派なひげ。
外見年齢は四〇といったところか。だが、その佇まいからは、悠久の時を生きてきた者特有の重みを感じさせた。
「はー、こいつはたまらんぜ」
豪放にその男は笑い、俺に視線を向ける。
「なあ。地上の歌はいいもんだな。今度、うちにも歌いに来てはくれまいか?」
ふむ。おかしな男が現れたな。
「気をつけて」
アルカナが警戒心を剥き出しにし、その壮年の男を睨む。
「八神選定者の一人、アガハを治める剣帝、預言者ディードリッヒ・クレイツェン・アガハ」
「おうよ。わかっているのならば、話は早かろう」
ディードリッヒはまっすぐ俺の元まで歩いてきて、手を差し出す。
「同じ八神選定者だ。聖戦にて戦うこともあろうが、恨みっこなしで行くとしようや、地上の魔王さんよ」
なかなか剛胆な男だな。
「アノス・ヴォルディゴードだ」
ディードリッヒと握手を交わす。
ニカッと彼は歯を見せて笑った。
「選定審判をやりに来たのなら、間が悪かったな。あいにく今はある男を追っている途中だ。挑んでくるのは構わぬが、遊んでやれる時間はない」
「なあに、今日はお前さんとやりあいに来たわけではない。用があるのはジオルダルの教皇と、それから、お前さんの追っているアヒデという男よ」
「ほう。そういえば、アヒデがアゼシオンに侵略する際に、王竜とやらを持ち出してきたか。あれはアガハの国のものと聞いたが?」
「おうさ。王竜はアガハの守護竜なものでな。そいつを盗んでいったアヒデとジオルダルの教皇にゃ、一つ、落とし前というものをつけてもらわねばなるまいて」
「それは悪いことをしたな。その守護竜とやらは、俺の配下が滅ぼしてしまった」
そう口にすると、ディードリッヒは豪放に笑う。
「ガハハ、人が好いものだな、魔王よ。そいつはお前さんの責任ではあるまいて。ジオルダルの枢機卿と、それを見過ごした教皇の仕業というものよな」
ふむ。違いない。
「それで? アヒデの不始末の責を教皇に取らせるため、王自らわざわざ出向いてきたのか?」
「使者を送ってもなしのつぶてにされるものでな。このまま放っておけば、民に示しがつくまいよ。下手をすれば、ジオルダルとの火だねになる。さすがに、そいつはたまったものではあるまいて」
アガハの教えが、ジオルダルに軽んじられるということだろうからな。
いらぬ火だねは王として望むものではあるまい。
「ならば、俺に挨拶などしている場合ではあるまい。気にせず、教皇に会いにいくがよい」
「そうしたいところだが、ジオルダルの教皇は祈祷に夢中のようだ。あちらさんにゃ会う気がないものでな。お前さんに挨拶しておくのが、最善になろうというものなのだ」
「ふむ。話が見えぬな」
すると、ディードリッヒの後ろから清浄な声が響いた。
「預言者ディードリッヒは、数多の未来を知る者。常人の目には映らぬ遠く離れた未来への因子を、彼は見通し、正しき未来を歩むことができるのです」
ディードリッヒの背後の空間がぐにゃりと歪み、そこへ青緑のローブを纏った女性が姿を現す。
肩まである髪は藍色で、二つの目を閉ざしている。両手には透き通るような水晶玉を抱えていた。
見るからに纏っている魔力が、竜人のそれではない。
アルカナと同じく、神族だろう。
「こいつは未来神ナフタ、俺を選んだ選定神だ。預言者と呼ばれているのも、ま、ナフタがいるおかげでなぁ」
ディードリッヒが言う。
未来神か。ナフタが本当に未来の秩序を司るのならば、アヒデのときとは違い、預言者という肩書きも眉唾物ではないのだろうな。
「つまり、ここで俺に挨拶をすれば、回り回ってお前は教皇のもとへ辿り着くことができる。その未来をすでに見てきたというわけか?」
「おうよ。もう一つ預言するなら、アヒデという男は、神竜の霊地に姿を現すことになるだろうよ」
一度、姿を現した場所には二度は行かないだろう、と俺が考えるとでも思ったか?
あれだけの竜人がいる場所だ。人混みに紛れ、逃げるつもりだとしても不思議はない。
「現れる時間は?」
「もう頃合いといったところだろう」
「では、確かめてみよう」
竜域の隙間に魔眼を向ける。いけそうだな。
<転移>を使う。
一瞬、目の前が真っ白になったかと思うと、大かがり火が見えた。
神竜の霊地だ。
祭壇の前では、ジオルダル聖歌隊が聖歌を歌い上げている。
辺りに視線を向け、ざっと一帯を見渡せば、祈りを捧げる多くの信徒たちの中に、不自然に動く人影があった。
アヒデだ。
人混みをかき分け、このまま逃げようとしているのだろう。
彼はそそくさと神竜の霊地から、ジオルヘイゼの外を目指して歩いていく。
多少人混みが軽減されたところで、その肩を誰かがつかんだ。
ディードリッヒだ。
俺と同じく転移してきたのだろう。
「よう、ジオルダルの元枢機卿さんよ。俺のいねえ間に好き勝手なことをしてくれたではないか?」
アヒデの顔面が蒼白に変わる。
「……でぃ、ディードリッヒっ……!?」
「王竜の落とし前をつけてもらわねばなるまいな」
「おのれぇっ……!!」
アヒデが手にした盟珠に魔法陣が積層される。
<憑依召喚>・<力竜>が発動した。
竜の力を得たアヒデは、ディードリッヒの腕をつかみ、そのまま引きはがしにかかる。
だが、びくともしなかった。
アヒデは口を開き、炎を吐き出そうとする。
それが予めわかっていたかのようにディードリッヒは手で口を塞ぐようにわしづかみにして、反魔法を張った。
「ぐほおぉぉっ……!!」
吐き出された炎が逆流し、愚か者の内蔵を焼く。
「ク・イック、ク・イック、ク・イック……♪」
歌を口ずさむ余裕を見せながらも、アヒデが怯んだ一瞬の隙に、そのままディードリッヒは奴を地面に組み伏せる。
「ウッウーッ♪ てところか。大人しくしな」
屈辱に顔を染めながらも、アヒデは叫んだ。
「かっ、神はいませんっ!! 皆、目を覚ますのですっ。<全能なる煌輝>エクエスは、教皇の作り出した真っ赤な嘘ですっ! おかしいでしょう。神竜の歌声は響くのに、誰一人として神竜を見たことはない。そんなものはいないのですよっ! 神はいな――ごぶぅっ……」
アヒデの元へ移動した俺はその頭を踏みつけ、口を塞いでやった。
「そう騒ぐな。敬虔な信徒に迷惑だ」
地面に口を押しつけられながらも、呻くように奴は言う。
「……な、なぜっ? なぜ覚めないっ!? なぜこれだけやっても夢から覚めないっ……!!?」
「答えは教皇にでも教えてもらうがよい」
足で軽くアヒデの顔面を蹴り上げると、その後頭部をつかむ。
驚いたように、信徒たちはざわめきを発しながら、俺たちをじっと見つめている。
「邪魔したな。祭礼を続けてくれ」
そう言って、アヒデの後頭部をつかんだまま、教会の方向へ歩き出す。
ディードリッヒが俺に並んだ。
「この男は教団に突き出すが、それとは別に教皇との会談の機会を作ってもらうことになっていてな。手伝ってもらった礼だ。一緒に来るか?」
「そいつは重畳。魔王の厚意をありがたく賜ろうではないか」
豪快にディードリッヒは笑った。
「しかし、未来が見えるというのは妙なものだな。たとえば、俺が悪戯心でお前の預言を外そうと思えば、つれて行かぬ未来もあったのではないか?」
「なあに、未来神ナフタのことをお前さんが知ることも含めての預言だ。お前さんは、悪戯心よりも義理を優先する男だというだけの話よな」
アヒデの居場所も、俺がディードリッヒを教皇に会わせようという気になることも、俺が悪戯心など決して起こさぬということも、すべてわかっていたか。
未来が見えるというのは、本当のようだな。
「予知ができるというに、なぜ王竜を盗ませた?」
「先が見えすぎるというのも、これが案外困りものなのだ。王竜を守ろうとすれば、今度は別のものが守れまいて。本来は目に見えぬ危機を、取り除かねばならぬものでなぁ」
自らの国の守護竜を捨ておく未来が、最善だったか。
「ふむ。その預言とやらは、どのぐらい先の未来までわかっているのだ?」
「そうさなぁ」
遠くを見つめながら、ディードリッヒは言った。
「地底の終わる日ぐらいまでは、預言できるだろうよ」
アガハの剣帝は、地上の歌がお気に召した様子です。