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来聖捧歌


 意識が微睡む中、小さな手が俺の体を優しく揺さぶっていた。


「起きられる?」


 淡々とした声が耳朶を叩く。

 目を開ければ、ふわふわとした縦ロールのプラチナブロンドが目に映った。


 ミーシャがほんの僅か微笑みを見せる。


「朝か」


「ん」


 身を起こすと、ミーシャはすっとそこから離れた。

 先に起こされたのか、サーシャは椅子に座り、ぼーっと眠たそうな瞳を虚空に向けている。


 二人ともすでに魔王学院の制服を着ていた。


「あなたの夢を一緒に見た」


 ベッドにちょこんと座っているアルカナが言った。

 

「竜人らしき者どもが、俺の妹を狙っている夢か?」


「そう」


 あれも妙だったな。

 二千年前に地底世界はない。竜人はまだいなかったはずだ。


 それとも、彼らの先祖はすでに地上にいたのか?


「なにか思い出したか?」


「わからない。けれど、あの夢をどこかで見たような気がするのは、なぜだろう?」


 自問するように彼女は呟く。


「やはり、わたしが、あなたの妹だったからなのだろうか」


 アルカナと俺の夢を重ねて見たのがあれならば、そう考えるのが妥当ではある。


「あの先も見たいところだがな」


「次の夜に」


 俺はうなずく。


 今日は予定があることだ。

 昼間から夢を見てはいられぬ。


「ミーシャとサーシャはどうだった?」


 アルカナが二人に問う。


「アノスと同じ夢を見た」


 ミーシャの答えに、アルカナが考え込むように俯く。


「その後は?」


 ふるふるとミーシャは首を横に振った。


「サーシャは?」


 アルカナが問うが、サーシャはぼーっとしている。

 ミーシャがとことこと彼女のそばにより、優しく訊いた。


「サーシャ、夢は見た?」


「……うん……あのね、小さい可愛いアノスと、妹の夢を見たわ……」


 ぼんやりとした口調でサーシャが言う。


「他には?」


「……他に? うーん……うーん……見てない……」


 眠たそうにサーシャは言う。


「二人にはわたしたちの夢を監視してもらった後に、彼女らの転生前の夢を見るようにした」


「なにも見ていない理由は?」


 俺はアルカナに問う。


「……記憶がない。そもそも転生していないか、あるいは、わたしたちよりも忘却が強いのだろう」


 どちらもあり得る話だな。

 少なくとも、ミーシャとサーシャは夢の番神の力では、記憶を思い出しそうもないということか。


「仕方あるまい。二人については、痕跡神など別の方法で記憶を探るとしよう」


 ベッドから降りて、ゆるりとドアへ歩いていく。

 視界の隅で虚ろだったサーシャの目が、急にカッと見開かれた。


「ちょっ、ちょっとアノスっ……服っ! ま、丸見えだわっ……!」


 唐突に覚醒したサーシャが俺を指さす。


 とはいえ、シーツを纏っているから、丸見えというわけではない。

 まあ、半裸で生徒たちの前に出ては威厳をたもてぬと言いたいのだろう。


「心配せずとも、このまま上に行くつもりはないぞ」


 魔法陣を描き、俺は魔王の装束を纏った。

 

「しかし、今日はずいぶんと目覚めがいいようだな」


 そう口にすると、サーシャは顔を真っ赤にして、そっぽを向く。


「……べ、別に、そういうわけじゃ……そんなんじゃ、ないんだもん……」


 サーシャは椅子の上で身を縮め、ごにょごにょと一人呟いている。

 やはりまだ寝ぼけていたか。


「すぐに朝食だ。支度をせよ」


 俺たちは魔王学院の生徒たちと合流し、朝食を取った。

 食休みをすれば、まもなく聖歌の祭礼が始まる頃合いである。


 魔王城を後にし、俺たちは神竜の霊地を訪れる。

 辺りには多くの巡礼者が訪れており、皆、祈るように中央の大かがり火に祈りを捧げていた。


 アルカナより習った作法に従い、右手を左手で隠すようにし、その大かがり火に祈りを捧げる。


 隣にいたサーシャが意外といった表情で、俺に視線を向けてきた。


「なんだ、その顔は?」


「……だって、アノスは神様なんて信じてないんだし、大嫌いでしょ?」


「否定はせぬがな。とはいえ、害を及ばさぬなら、信仰など人それぞれだ。これは神を信じる彼らの祭礼だからな。参列するのならば、彼らのために祈りを捧げるのが相応の礼儀というものだろう」


「魔王のくせに、常識人みたいなこと言うわ」


 言いながら、サーシャも俺の隣で祈りを捧げる。


「アノスは気にしてる」


 ミーシャが言う。


「なにを?」


 と、サーシャが訊き返した。


「アヒデが祭礼の妨害をしようとしてること」


「うーん、でも、別にアノスのせいじゃないわ。それは、<羈束首輪夢現ネドネリアズ>をかけてなければ、あからさまに神はいないって吹聴することはなかったかもしれないけど。でも、あいつがやってたのってもっとひどいじゃない。神の言葉だって嘘をついて、信徒を思うように操ってたわけでしょ」


 <創造の月>を強化するために、多くの竜人を自害させもしていた。


「アノスに会ってなかったら、今頃、誰にも気がつかれずに、もっとひどいことしてたんじゃないかしら」


 くはは、と俺は笑った。


「な、なんで笑うのよっ」


「なに、心優しい配下を持ったものだと思ってな。確かに俺のせいではないな。わざわざこの国のためにアヒデを始末してやる義理もない。ガデイシオラと内通しているところを暴いてやったのだから、感謝してほしいぐらいだ」


「わかってるんなら、いいんだけど……」


 サーシャは気恥ずかしそうに俯いた。


「優しい」


 と、ミーシャがサーシャに聞こえぬよう小声で俺に呟く。


「愚か者を生みだした責任は、その国にとって貰うのが筋というものだろう。あの男が敬虔な信徒と思われたままならば、それを倒した俺が逆恨みされぬとも限らぬ。いくら選定審判と言ってもな」


 アルカナを俺に奪われたのだから、十分に力を削がれていただろうに、まさか一度捕まえておきながら、逃げられる体たらくを曝すとは思わなかった。

 

「しかし、もう少し捕まえやすいように、枷でもつけておけばよかったのかもしれぬな」


「心苦しい?」


 ミーシャが無機質な瞳でじっと俺の顔を覗く。


「俺がか?」


「ちょっとだけ?」


「今しがた言った通り、元々彼らが抱えていた火種だ。俺がご丁寧に消してやる義理もない。神のものは神へ、ジオルダルの愚者はジオルダルに返せというものだ」


 ふふっとミーシャが笑う。


「サーシャが言ったから」


 心を見透かしたように彼女は言う。


「アノスのせいじゃないって」


「お前はすぐに俺を買いかぶる。それほど優しくはない」


 ふるふるとミーシャが首を横に振った。


「優しい」


「ねえ。なに、こそこそ話してるの? わたしに言えない話?」


 俺とミーシャは同時に答えた。


「世間話だ」「世間話」


 ますます怪しいといった目でサーシャが見てくる。


「あ、なんか始まるみたいだぞっ!」


 前にいたエレオノールが振り返り、祭壇のある舞台を指している。

 蒼い法衣を纏った信徒たちが、祭壇の裏側から姿を現した。


 ジオルヘイゼの聖歌隊だ。

 彼女らは、舞台に上がるや否や、大かがり火に向かい、祈りを捧げる。


 竜の素材で作られた竪琴が、ポロン、ポロロンッと音を鳴らした。


「神よ、<全能なる煌輝>エクエスよ、一〇〇日の後、また無事にこの日を迎えられたこと感謝いたします」


 イリーナがそう言葉を発した。


 聖歌隊の隊長である彼女は、聖職者としてもそれなりの地位にあるのだろう。

 一人だけ纏っている法衣が上等なものであった。


「古来よりジオルヘイゼには、神の思し召しにより、新しい歌の風が吹く。それはあらゆる災いを打ち破り、我らジオルダルの民に恵みをもたらすもの。神が我々を常に見守ってくださるその証明なのです」


 両手を大きく掲げ、イリーナは言った。


来聖捧歌らいせいほうか。本日の歌もまた神が宿りし、聖なる調べとなるでしょう。瞳を閉じ、祈りを捧げ、神の言葉にしばし耳を傾けなさい」


 イリーナたちはくるりと反転すると、祭壇の奥に去っていった。

 来聖捧歌はジオルヘイゼの外からやってきた巡礼者が歌うものだ。


 イリーナたち聖歌隊と入れ代わりで、その者たちがやってくるのだろう。

 辺りの信徒たちは皆、彼女の言葉に従い、目を閉じて、耳を傾けている。


 やがて、声が響いた。


『ジオルダルの民よ、聞きなさい』


 それは聞き覚えのある男の声だ。


『この世界に、我らが望む神はいません。神とはただの秩序であり、我らを救う存在ではないのです。<全能なる煌輝>エクエスは、初代教皇が作り出した虚構。それが存在しないということを、現教皇ゴルロアナは今も隠蔽し続けているのです』


 ざわざわと信徒たちが騒ぎ始める。

 アヒデの声だった。


『私はジオルダル枢機卿アヒデ・アロボ・アガーツェ。神託者として、その事実を知り、あなた方に真実を伝えに参りました。神はいません。<全能なる煌輝>エクエスは真っ赤な嘘。その証拠に、二千年続いた来聖捧歌はここで途絶えます。神が本当にいるのでしたら、この歌が途絶えることはないはず。それを持って、この地底に神はいないことの証明といたしましょう』


 ふむ。<思念通信リークス>か。


 神竜の歌声は竜鳴に似た効果がある。

 ジオルヘイゼ一帯が竜域に覆われているようなもののため、魔力の発信源が特定し辛い。


「……来聖捧歌が途絶えるですって?」


「なにを馬鹿な。邪教に堕ちた愚者の言うことなど信じるに値しない」


「ぬけぬけとまだ枢機卿を名乗りおってっ」


 信徒たちが静かに声を発する。


「……だけど、舞台に誰も現れないわ……」


「いつもなら、もうとっくに来聖歌人らいせいかじんがいらしているはずですが……」


「神よ、<全能なる煌輝>エクエスよ、どうか私たちをお導きください……」


「道をお示しください……」


「異端者アヒデに裁きをお与えになりますよう」


 信徒たちは皆、一斉に祈りを捧げる。

 しかし、来聖捧歌を歌うはずの巡礼者、来聖歌人は一向に舞台に現れなかった。


「……どうしたんでしょうか…………?」


 後ろで、エレンが不安そうに呟く。

 アヒデの仕業だろうな。


「ふむ。エレン、共に来い。聖歌隊の隊長に事情を聞いてこよう」


「え、あ……はい」


 エレンの手を握り、俺は祭壇の裏側に魔眼を凝らす。


 そこには地下へ続く階段があった。

 舞台にいる者以外からは死角となっているようだ。


 <転移ガトム>の魔法を使い、俺とエレンはそこへ転移する。

 階段を降りていくと、しばらくしてイリーナの声が聞こえてきた。


「……異端者アヒデ。来聖歌人を、エルノラ司祭をどこへやりましたっ!? このような暴挙、神がお許しになるはずがありませんっ」


「神がお許しならない? ヒャハハハハッ、神などただの秩序、ただの現象にすぎないというのがまだおわかりになりませんか?」


 反論しているのはアヒデだ。

 ずいぶんと人が変わっているように思えるのは、悪夢がいつまで経っても覚めぬからか。あるいは、それが素なのかもしれぬな。


「戯れ言をっ! そのような言葉に騙される私たちとお思いですかっ!?」


「さて、では、探してみるといいでしょうねぇ。しかし、あなた方には決して見つけることができないでしょう」


 自信ありげにアヒデは笑う。


「なぜなら、エルノラ司祭はわたしなのですよ。わたしが魔法で変身していたのです。あなた方はそれに、まんまと騙されたというわけですっ!」


「……来聖歌人になりすましたのですか……? なんという大罪を……!」


「大罪? ハハハハハッ、それがどうかしましたか? 来聖捧歌は、これで途絶えるのです。ようやく神はいないとジオルダルの誰もが悟る。さあ、そろそろいいでしょう。ここまでやれば、いい加減に夢から覚めるはず……」


 アヒデが狂気に満ちた声で叫ぶ


「……さあ、覚めろっ、覚めろっ、夢から覚めろっ! 神はいないっ!! <全能なるエクエス>など、この世には存在しないぃっ……!! 覚めろぉぉっ……!!」


「この狂人めがぁっ……! 神の怒りを知りなさいっ!」


 ガンッと殴り飛ばしたような音が響く。


「がはぁっ……!!」


 階段を降りてみれば、アヒデがイリーナたち聖歌隊に取り押さえられている。


「……なぜだぁ? なぜここまでやっても覚めないのですかっ……!! これは夢のはず、なぜ覚めぬぅっ……!? なぜ、夢が終わらないっ!? ここまでやってなぜっ? なぜ覚めないぃぃぃっ……」


 床を這いずるアヒデを、イリーナたちが剣で縫いつけるように串刺しにした。


「がぐぅっ……」


 何本もの剣で体を血に染めながらも、アヒデは狂ったように表情を歪ませ、虚ろな瞳で、聖歌隊を睨む。


「なぁぁぜぇぇ、覚めぬぅぅっ……!!」


 アヒデの全身に火がついて、それが聖歌隊たちに燃え移った。


「きゃああぁぁっ……!!」


 四肢を剣で貫かれたままアヒデは強引に立ち上がり、口から炎を吐き出した。


「なぜっ!!? なぜなのですかぁぁぁっ……!!?」


 イリーナたちの眼前に迫ったそのブレスはしかし、俺の<破滅の魔眼>であえなく消滅した。


「……な……に…………?」


「そろそろお前も気がつき始めた頃ではないか、アヒデ。これは現実だ。お前はこれまで積み重ねてきた嘘を自ら暴露し、すべてを失ったのだ。いい加減に認めるがよい」


「……不適合者……」


 ぎりっとアヒデは奥歯を噛む。


「……いやっ、……いやぁっ……!! これは夢ですっ! こんなことが、こんな馬鹿な現実が、あり得るわけがないのですっ……!!」


 大きく口を開き、アヒデが炎を吐き出そうとする。

 だが、それより遙かに早く、俺は奴に接近していた。


「ごっ……はっ……」


 アヒデの土手っ腹に右腕をねじ込む。

 だが、手応えがおかしい。


「……これは、夢……そうでしょう? 夢でなければ……おかしいでしょう? そうでなければ、このわたしの、努力が報われないではないですか……せっかく手に入れた枢機卿の地位も、従順な神の力も、思い通りに動くわたしの信徒たちも……どれだけの努力を積み重ね、手に入れたと思うのですかっ……!」


「嘘で手に入れたものなど虚構にすぎぬ。ゆえに、悪夢に飲まれたのだ。お前は初めから、なに一つ持ってはいなかったのだ」


 ぐしゃり、と臓物を握り潰す。

 すると、奴の体が土くれと化した。


 ふむ。思った通りだな。

 <根源死殺ベブズド>の手でも、根源がつかめなかった。


「魔法で作った偽物か。本体は別の場所にいるはずだ」


「大丈夫ですか、イリーナさん」


 エレンが火傷を負い倒れた彼女に手を差し出す。

 イリーナはそれをつかみ、身を起こした。


「こんな傷はなんでもありません。それよりも、来聖捧歌をすぐに行わなければ……」


「しかし、隊長。来聖歌人を務められるほど歌える巡礼者を探すなど、今からではとても……」


「いえ、方法はあります。きっとこれは神の思し召しでしょう」

 

 イリーナはエレンをじっと見つめた。


「え……?」


「お願いいたします、エレン。あなたならば、神聖なる来聖歌人を務めることができるでしょう。どうか、私たちを助けると思って……」


「え……えっ? で、でも、今からじゃ練習する時間も?」


 イリーナは静かに首を振った。


「ディルヘイドと言いましたか。あなたの国の歌でいいのです。来聖捧歌は新しい歌の風をジオルヘイゼにもたらす儀式。あなたの歌を、魔王聖歌隊の歌と作法をこの地にもたらしてくれれば、それで構いません。どうか、どうかエレン、この通りです」


 イリーナが深く頭を下げる。

 恐る恐るといった風に、エレンが俺を見た。


「お前たちの歌が、神を信じるこの地底の民にどう響くのか、俺も見てみたいものだ」


 言葉一つで、エレンの瞳から迷いが消え失せる。


「イリーナさん、わかりました。どこまでできるかはわかりませんが……」


「やってくれるのですか?」


 こくり、とエレンはうなずく。


「昨日、聖歌を聴かせてもらったお礼です。今度はあたしたちの国の歌を、平和を願う魔王の歌を、聴いてください」


魔王の想いを地底の民に届けるために、歌えっ、魔王聖歌隊――!


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新しい風…。 大丈夫? その風、風速100キロ超えって言うか、人によっては猛毒っすけど…? まだ、まだ、ジェルガを倒した時の想いを束ねる歌なら、ワンチャン…!
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