嘘つきドーラ
それは、夢の続きである――
アルカナは重たそうに薪を両手で持ち上げ、よろよろと暖炉の方へ歩いていく。
大人なら簡単な作業も、六、七歳ほどの小さな体では一苦労だった。
「よいしょ」
と、声を上げ、熱く燃える炎の中へ、薪をくべる。
外は吹雪いており、家の中でもかなりの寒さだ。
アルカナは毛布にくるまりながら、暖炉の前で火に手をかざす。
そのとき、ガッガッ、と玄関のドアを叩く音がした。
アルカナはぱっと顔を輝かせる。
「お兄ちゃんっ」
喜び勇んで玄関へ向かい、鍵を外すと、ドアを開けた。
「え……?」
そこにいた男の顔を見て、アルカナが後ずさる。
「……だれ?」
蒼い法衣を纏った中年の男だった。
彼はやつれ、狂気に満ちた目で、アルカナを見つめる。
「……見つけたぞ。生贄の子……」
男が呟くと、その後ろに同じく蒼い法衣を纏った男二人が姿を現す。
まるで幽鬼かなにかのようだ。
「……捧げるのだ……」
「……神の生贄を……」
「……さあ、その身を供物として捧げるのだ……」
アルカナが後ずさる。男たちは家の中へ入ってきた。
「や、やだ……こないでっ……!」
アルカナが叫ぶも、男たちはまったく意に介さず、彼女に手を伸ばした。
そのとき――
「がっ……!!」
薪が宙を飛び、空気を切り裂く勢いで男たちの後頭部に直撃した。
彼らはがくんと膝を折る。
「ふむ。俺の妹になにか用か?」
玄関に十歳ぐらいの魔族が現れる。
黒髪に黒い瞳。その歳にして、尋常ではない魔力が全身から滲む。
アルカナの兄、アノスであった。
「お兄ちゃんっ……!」
アルカナがアノスの胸に飛び込み、ぎゅっとしがみついた。
「下がっていろ、アルカナ。並の魔族ならば起き上がれぬ威力で叩いてやったのだが、どうやら、なかなか頑丈なようだ」
頭を押さえながら、よろよろと男たちが身を起こす。
「……教えに逆らうのか、小僧」
「その娘は生贄の子。彼女を神に捧げねば、竜たちは鎮まらぬ」
「なにも知らぬよそ者めっ! お前がその娘をさらったせいで、各地で竜が暴れ、国が荒れているのだぞ!」
男たちの怒気に、アルカナがびくんと体を震わせる。
「わからぬことを言う。竜が暴れるならば押さえればよい。いい大人が雁首揃えて、ありもせぬ責を俺と妹に押しつけてくれるな」
「ほざけっ、この愚者めがっ! 道理を説いてもわからぬ阿呆が、偉そうな口を叩くなっ!!」
男たちが次々と剣を抜き、それをアノスに振り下ろす。
彼がすっと手をかざし、魔法障壁を展開すれば、その剣がバキンッと折れた。
反撃とばかりに、彼は<灼熱炎黒>で男たちを燃やす。
しかし、肌に鱗のようなものが表れ、それが黒き炎を防いでいる。
「ふむ。しかし、お前らは見たこともない魔族だな。そんな鱗を持つ者など、話にも聞かぬ。魔力の波長も少々違うな」
アノスは魔眼で男たちを睨めつける。
「本当に魔族か?」
「愚者に教える理由などないわっ! 死ぬがいい、小僧」
男たちが口を開けば、そこには鋭い牙が見える。
その喉の奥から、灼熱の火炎が吐き出され、アノスを焼いた。
「お、お兄ちゃんっ……!」
「なに、今日は冷える。ちょうどいい温かさだ」
反魔法でそのブレスをかき消すと、アノスは魔法陣を三門描いた。
そこから、小さな漆黒の太陽が僅かに覗く。
「覚えたての魔法だ。食らってみるがいい」
<獄炎殲滅砲>が至近距離で発射される。
男たちは、その小さな太陽を弾き飛ばそうと、鱗のある手の甲で払う。
途端に彼らは黒く炎上した。
「ぐおぉぉぉっ、ば、馬鹿なっ……」
「俺が、この俺が燃えるだとぉぉぉっ……!?」
「こんな、小僧に、なぜ、これほどの力がぁぁぁっ……!!?」
先程、<灼熱炎黒>を防いだ鱗さえもまるで役に立たず、彼らは漆黒の太陽に包まれ、瞬く間に消し炭と化した。
「ふむ」
ぶるぶると震えているアルカナの肩を、彼はぎゅっと抱きしめた。
「脅えさせてすまぬ。もう大丈夫だ」
アノスの胸にぎゅっと顔を埋めながらも、アルカナは小さく首を横に振った。
「あのね……全然恐くなかったよ……」
「ほう?」
「……だって……だってね……お兄ちゃんが助けてくれるって信じてたもん」
震えながらも、健気にアルカナはそう口にした。
「すぐそうやって嘘をつく」
「……嘘じゃないもん、本当に信じてたもん……」
アルカナの頭を優しく撫で、アノスは言う。
「そうか?」
「う、うん……そうだよ?」
「強い子だ」
アノスは魔法陣を描き、消し炭を綺麗に掃除すると、ついでに痛んだ家屋を修復する。
続いて、別の魔法陣を描くと、その中心に手を入れ、パンを取り出した。
「食事にしよう」
キッチンでスープを温め、コップに移すと、暖炉前の小さなテーブルに並べる。
「この寒波のせいで作物は不作のようでな。近くの街まで行ってみたが、これぐらいしか食べ物が手に入らなかった」
「大丈夫。わたし、お腹小さいもん」
言いながら、アルカナは両手でコップを持ち、スープを飲んでいる。
「後でもう少し遠くまで行ってみよう」
「……またどこか行くのっ?」
不安そうにアルカナは言う。兄と離れたくないようだ。
「すぐに帰ってくる」
「そっか」
ほっと胸を撫で下ろしながら、アルカナはパンとコップを持ったまま、暖炉の近くに寄っていく。
そうして、自分の隣をトントンと手で叩く。
「仕方のない妹だ」
「……だって、だって、寒いんだもん……」
アノスはパンとコップを持ちながら、アルカナの隣に座る。
彼女はアノスにぴたりとくっついた。
「あのね、お兄ちゃん。また本を読んで欲しいな」
「もう読めるようになったのではないか?」
「違うのっ。お兄ちゃんに読んでほしいのっ」
アノスの顔を覗き込むようにしながら、彼女は言う。
「だめ?」
「いつもの本か?」
「うんっ、いつものがいいっ」
アノスが指でくいっと手招きすると、本棚にあった本が一冊、彼の手元に飛んできた。
タイトルは『嘘つきドーラ』である。何度も読み返したからか、装幀はところどころ剥げ、ボロボロになっている。
アノスはそれを妹に語り聞かせるように、読み始めた。
ディルヘイドではない、架空の国を描いた物語である。
ある村に、ドーラという少女がいた。
彼女はある貴族の令嬢だという。
どんな魔法も使いこなす才能があるため、悪い奴らに狙われないように、辺境の村で暮らしている。
だが、時折、有名な魔法使いが尋ねてきては弟子にして欲しいというのだという。
こっそり不治の病を治したりしている。
両親は誰も見ていないところでこっそりと会いに来る。
母も父もドーラを溺愛していて、一刻も早く彼女と暮らせる日を夢見て、がんばっているのだ。
それらはすべてドーラが作りあげた嘘である。
いつもドーラがつく大小様々な嘘に、村人たちは右往左往するのだが、あるとき、同じ歳の少年がドーラの嘘を暴いてしまう。
嘘がバレたドーラは一人ぼっちで寂しく暮らした。
彼女は嘘を認めることができず、いつか、いもしない両親が迎えに来るのを待っていた。
嘘をつき続けた彼女は、とうとう自分自身にさえ嘘をつき、いつしか、それを本当のことと思ってしまった。
そんな彼女は結局、最後まで誰にも信じてもらえることなく、その生涯を終えてしまうのだった。
「ふむ。相変わらず、なにが面白いのかわからぬ話だ。これのなにが好きなのだ?」
「うーんとね、ドーラが嘘をつくのが楽しそうなのっ。あとね、小さな嘘ですっごく大変なことになって、みんなが大慌てして、わーっ、どうしようーって感じなんだよっ」
だから、嘘が好きなのか。幼子の趣味はわからぬ、とアノスは思う。
「そのようなことを言っていると、ドーラのような末路になるぞ」
「やっ、やだもんっ。ドーラは好きだけど、ドーラみたいになるのは嫌っ」
正直なことだ、とアノスは思う。
「ならば、あまり嘘はつかぬことだ」
不服そうにアルカナは頬を膨らませる。
「わたしはお兄ちゃんがいるから大丈夫だもん」
「確かにな」
そう口にすると、えへへ、と嬉しそうにアルカナが笑う。
「続き読んで、続き読んでっ」
そう催促され、アノスは本の続きを読んでいく。
「あっ……」
アルカナがうっかり手からパンを落とす。
それがてんてんと床を跳ね、暖炉の火の中に飛び込んだ。
その光景をアルカナは悲しそうに見つめた。
「どうした?」
アノスが振り向くと、彼女は手を振った。
「あっ、え、えっと、一口でパンを食べたら苦しかったのっ!」
「それはまたがっついたものだな」
「えへへっ。ほら、続き、続き読んでっ」
そう言われ、アノスは再び本の続きを読む。
アルカナがほっとすると、彼女のお腹がぐうと鳴る。
ひもじそうに彼女は、暖炉の火の中に入ったパンを見つめるが、最早食べられそうになかった。
仕方がなく、彼女はちびちびとスープを飲んだ。
その様子をアノスは本を読みながら、ちらりと窺っていた。
「アルカナ」
アノスが自分のパンを彼女に差し出す。
「え……?」
「今度は落とすな」
怖ず怖ずと彼女はそのパンを受け取る。
「お兄ちゃんは?」
「なに、実は街で珍しいものを食べてきてな。あまり腹は空いておらぬ」
「えー、ずるいずるいーっ」
ぽかぽかとアルカナはアノスを叩く。
「許せ。お前にも今度買ってきてやろう」
「絶対、約束だからね。お兄ちゃん一人で食べたら、いけないんだよ?」
こくりとアノスがうなずくと、アルカナは嬉しそうにパンにかじりついた。
「お前の嘘はドーラとは違う」
もぐもぐとパンを頬ばりながら、アルカナがアノスを見る。
「俺がまた食べ物を探しにいくのが大変だろうと思って、気遣ったのだろう?」
「……だって、お外は寒いし、お兄ちゃんが可哀相だから……」
アノスはアルカナの頭を撫でる。
「誰も傷つけぬ優しい嘘だ。お前は決してドーラのようにはならぬ」
嬉しそうにアルカナは笑い、彼女はアノスの肩に頭を傾けた。
本の続きを読みながら、二人はドーラの巻き起こす大騒動に、ああでもないこうでもない、と楽しげに感想を言い合っていた。
謎の多い夢なのです。