神の器
クゥルルッと、竜が鳴き、ナーヤの周囲を飛び始めた。
「えっ、きゃっ、きゃあぁっ……や、やめてくださいっ……やめてっ……」
ナーヤは怯えて逃げ惑うが、小さな竜は彼女にじゃれつくように離れない。
「そう怯えるな、居残り。それはオマエの召喚した竜だ」
エールドメードが言う。
「でっ、でも、先生、この竜、全然言うこと聞きませんよっ」
「カカカ、とりあえず、止まりたまえ」
「ええっ……で、でもっ……」
「いいから、止まってみたまえ。見たところ、敵意はないではないか。それとも、そのまま一生逃げ続ける気か? ん?」
意を決したようにナーヤは足を止める。
小さな竜が自分に向かって飛んでくると、彼女はぎゅっと目をつぶった。
クゥルルッとひと鳴きして、竜はナーヤの肩にとまった。
「あ……」
ほっと彼女は息を吐き、胸を撫で下ろす。
「面白い竜を喚んだではないか、居残り。竜を食う竜、魔王でさえも見たことのない竜だ」
エールドメードは竜に近寄り、じっと魔眼を凝らす。
そうして、その口に自らの指をやった。
「魔族も食うのか? 先程の魔法球を出してみたまえ」
「えっ、ええっ!? あ、危ないですよっ、先生っ」
「カッカッカ、指を食わせてみるだけではないか」
熾死王が指先で竜の口を軽く叩くと、ペロリと小さな舌がそれを舐めた。
「そうかそうか、魔族は口に合わないのだな、トモグイ」
「と、トモグイって、なんですか?」
「コイツの名だ。オマエがつけたいか?」
ぶるぶるとナーヤは首を左右に振った。
コン、とエールドメードは杖をつき、彼女の顔を覗く。
「いやいや、面白くなってきたではないかっ。居残り、今度は神の召喚を試してみようではないか?」
「え、あ、はい…………えっ? か、神? 神様ですかっ?」
戸惑ったような顔でナーヤは熾死王を見返した。
「お、お待ちなさい。召命はかないました。あなた方は晴れて、このジオルダルの聖職者たる資格を得たのです。しかし、神の召喚となると、そう容易いことではありません」
呆然としていた司教が、慌てたように声を発した。
先程まで死んでいた自覚も、まだはっきりとはしていないだろうが、彼は職務を全うするため、説明を始める。
「入信後、様々な教義を学び、試練を乗り越え、そうしてようやく神を召喚するための<使役召喚>の術式を知り、盟約の義を受けることがかなうのです。その盟約の義に進んだとて、実際に神を召喚できるものはほんの一握りの選ばれた信徒だけ。今のあなた方には、神の召喚について知ることさえ許されてはいないのです」
祈るような仕草をしながら、司教は説明を続ける。
「あなた方がいかに神に愛されているか、ということは十分にわかりました。これより信仰を重ねていくことで、必ずや神との盟約がかなうことでしょう。ともに学び、ともにこの信仰の道を歩んでいきましょう」
敬虔な表情を向ける司教。
熾死王はカッカッカと愉快そうに笑った。
「構わん、構わん、構わんぞ。盟珠がもらえたのだから、後はこちらでどうとでもしようではないか。神を喚ぶ<使役召喚>の魔法術式を教えてもらえないというのならば、一から作ればいいだけのことだ」
「……そのようなことが、できるはずが……」
司教は驚き混じりに言う。
「無論、無理だ! この熾死王にそんなことができるわけがないではないか」
司教はほっと胸を撫で下ろす。
ニヤリとエールドメードが笑った。
「だが、魔王ならば話は別だぞ」
言いながら、熾死王が俺の方を向く。
「気になっているのではないか? ん?」
横目で奴はナーヤに視線をやった。
確かにな。熾死王の言う通り、気になるところではある。
あの共食いの竜。明らかに普通の竜とは異なる性質を有している。
それを喚んだナーヤは、召喚魔法に適したなにかを持っているのかもしれぬ。
「ふむ。では、試してみよ」
俺はそこに魔法陣を描いてみせた。
「これが神を喚ぶ<使役召喚>の魔法術式だ」
それを見た途端、司教が驚愕と言わんばかりに目を見開いた。
「……ま……ま、さ、か………………」
絞り出すような声が漏れる。
「……どこでその術式を…………いえ、知られるはずが……では、本当に、この場で作りあげたというのですか…………?」
「大したことではあるまい。この盟珠と竜を喚ぶ<使役召喚>の魔法術式、それから盟約が必要ということが分かっていれば、自ずと術式の最適解は限られる」
アルカナを召喚する<神座天門選定召喚>も、術式の基本構造は変わらぬようだしな。
「一応だが、これが<憑依召喚>だ」
別の魔法陣を描いて見せる。
「……あ…………<憑依召喚>まで…………!?」
息を飲むように司教は言葉を漏らす。
「こんなことが……まさか本当に召喚を……ああ、いや、しかし、いくら魔法術式がわかっていようと、神を喚ぶためには、その前に神と盟約を交わしていなければならない。竜の召喚と違い、魔法を使えば、現れるというものでは……」
俺はまっすぐエールドメードのもとへ歩いていく。
軽く右手を上げ、そのまま奴の左胸を貫いた。
「……かっ……!」
「あ、アノス様っ……え、ど、どうして先生を……」
混乱したようにナーヤが言う。
「……カカカ、騒ぐな、居残り。この熾死王の神体は、秩序に危機が及ばねば発揮できぬようでな……」
血を吐きながら、エールドメードが笑う。
「天に唾を吐く愚か者よ。秩序に背いた罰を受けろ。神の姿を仰ぎ見よ」
それは、かつてノウスガリアが口にした奇跡を起こす神の言葉。
熾死王の体が目映い光に包まれ、魔力が桁外れに膨れあがった。
「カカカカッ!!」
エールドメードの体が変化していく。
ノウスガリアのときとは違い、彼の体を素体としたまま、その髪が黄金に染まり、魔眼は燃えるような赤い輝きを発する。
背中には魔力の粒子が集い、それは光の翼を象っていく。
けたたましい地響きを立て、地底が震撼する。
ただ彼がそこに存在するだけで、空気が爆ぜ、世界を揺るがす。
膨大な魔力が質量を持ったかの如く、真なる神の姿がそこに現れていた。
「……これは、いったい……<憑依召喚>……いや、違う……。彼は魔法を使っていない……」
司教がその姿に魔眼を向けて、恐れ戦くように声を発する。
「まさか、まさか、まさかまさかまさかまさかっ……!?」
途方もない衝撃が彼の心を貫いていた。
「まさか神だというのでしょうか……! 天から使わされた神が、この地へ降臨したと……おお、なんという奇跡……! なんという僥倖っ……! <全能なる煌輝>エクエスよ……彼がいかなる神なのか、どうぞお教えくださいますよう……」
今日一番の奇跡を目の当たりにしたとでもいうように、司教は跪いては、ただ祈りを捧げた。
「せっ、先生っ、羽生えてますけどっ……」
ナーヤがエールドメードを見て、そんな感想を漏らす。
外見だけに着目したのは、彼女の魔眼では、熾死王の今の魔力を見極めることができぬからだろう。
「カカカ、居残り。オレはとある神の力を簒奪してな。早い話、この熾死王が神のようなものなのだ」
「……え、熾死王先生が、神様……ですか……?」
ナーヤは話についていけない様子だった。
「その通り。証拠を見せてやろうではないか」
エールドメードがシルクハットを手にし、それでお手玉をする。
すると、シルクハットが四つに分裂した。
「カカカッ、行くがいい」
彼はそれを次々と飛ばしていく。
ある程度、飛行した後、シルクハットはぴたりと宙に停止した。
「天父神の秩序に従い、熾死王エールドメードが命ずる。産まれたまえ、四つの秩序、理を守護せし番神よ」
四つのシルクハットから、紙吹雪とリボンのような光がキラキラと大量に降り注ぐ。
まるで手品のように、それらはみるみる神体を形作っていく。
産まれたのは四名の番神である。
二本の杖を手にした異様に長い髪の幼女。
再生の番神ヌテラ・ド・ヒアナ。
翼を持つ人馬の淑女。
空の番神レーズ・ナ・イール。
巨大な盾を背中に背負う屈強な大男。
守護の番神ゼオ・ラ・オプト
槍、斧、剣、矢、鎌など十数種類の刃を持った黒い影。
死の番神アトロ・ゼ・シスターヴァ。
「……か…………か……ぁ…………」
畏れと崇敬を抱くあまり、司教は最早口すらうまく回らぬ様子だ。
「……秩序を産む秩序……<全能なる煌輝>エクエスの光を最も放つ神……天父神ノウスガリア…………!!!」
ふむ。あの虫が、この地底ではずいぶんと格上扱いされているようだな。
「おお……おおおぉぉぉっ……なんということでしょう……!! 生きて、生きて、この目で拝める日が来ようとは…………おおおぉぉぉぉっ!!」
感極まったように司教は膝をつき、その目から涙をこぼした。
「カッカッカ、うまくいったではないか。では、居残り、盟約してみたまえ」
「め、盟約って、この……これ、と……?」
恐る恐るナーヤが番神に目を向ける。
死の番神アトロ・ゼ・シスターヴァに赤い目が浮かび、びくっと彼女は身を震わせる。
逃げるように、ナーヤはエールドメードの背中に隠れた。
「む、無理だと思うんですけど……」
「いやいや、できる、オマエはできるはずだ。なぜなら、このオレの教え子なのだからな。この番神どもは、言わばオレの子供だ。よく言い聞かせてある。オマエの盟約に応じぬわけがない。さあ、騙されたと思ってやってみるがいい」
怖ず怖ずとナーヤはうなずき、盟珠の指輪を番神たちに向ける。
「ど、どうすれば……?」
「コイツらは言葉を解さない。念じたまえ。盟約を交わし、自らの召喚神となるようにな。なにか条件を出してくるかもしれないが、まあ、とりあえず二つ返事で引き受けておけ」
「……わ、わかりました……」
ナーヤは数歩前へ出て、番神たちに念じながら言う。
「……な、なんでも言うことを聞きますから、私の召喚神になってくれません、か?」
数秒の沈黙。
その後、バチバチと番神たちから膨大な魔力が立ち上り始めた。
光と共に、四名の神の輪郭が歪み、天に召されるようにすぅっとその場から消えてなくなった。
「……え、えーと…………?」
なにが起きたのかわからず、ナーヤは呆然としている。
「カッカッカ、成功ではないか。喚んでみたまえ」
こくりとうなずき、ナーヤは盟珠の指輪に魔力を込めた。
「りっ、<使役召喚>ッ……!」
彼女の盟珠にぼっと火が灯る。
その内部に描かれた<使役召喚>の立体魔法陣が、盟約した番神をこの場に喚びよせる。
バチバチと激しい音を響かせながら、四つの光が目の前に集った。
「……こ、これはっ…………!?」
今日一日で一生分の驚きを使い果たそうとでもいうのか、司教はまたしても激しく驚愕していた。
「なんと……四名の神と盟約を交わしたのみならず、同時に召喚するというのですか……そんなことは、選定神に選ばれた八神選定者ぐらいしかできないはずでは……そもそも、盟珠は一名の番神を召喚するのが限界、それ以上は石がもたずに砕け散るはず……!?」
司教の予想とは裏腹に光はみるみる実体化していき、そして、ナーヤの目の前に先程盟約を交わした四名の番神が現れていた。
「……奇跡が……神よ……今日一日で、私に何度奇跡を見せるというのでしょうか……おおぉ、おおおぉぉぉっ……」
天啓でも下ったかのように、司教はまた号泣している。
「……で、できたんでしょうか…………?」
「なるほど。なるほどなるほど、なるほどな。わかったぞ、居残りっ!」
エールドメードがこれまでにないほど活き活きとした表情を浮かべ、ナーヤを杖でビシィッと指した。
「な……なにがですかっ……?」
「オマエの可能性がだ。確かにオマエは魔力に乏しい。根源を器とし、魔力を水とするならば、オマエの器はそう、まさに空っぽ同然だ! 本来、根源から溢れるべき水がこれっぽっちも溢れてこないのだからなっ!」
「………………はい……」
ナーヤが気落ちしたような表情で、俯く。
熾死王はその下顎に手をやって、彼女の顔を無理矢理上向かせた。
「カカカ、なにを落ち込んでいる? わからん奴だ。褒めているではないか。確かにオマエの根源からは魔力が溢れてこない。しかし、その根源の器は、この上ないほど広く、大きく、そして上等だ。四名の番神を喚んでなお、隙間があるほどにな」
「えーと……」
「召喚魔法に向いていると言っているのだ。自分の魔力は乏しいが、それだけの器があるのならば、外からたっぷりと注いでやればいい」
熾死王の言う通り、地底の召喚魔法に必要なのは、根源の隙間のようだ。
ゆえに、俺が先程竜を召喚した際、魔力を調節しても大した変化がなかった。
俺の器の大きさが変わらなかったからだ。
<使役召喚>や<憑依召喚>では、魔力が満ちていないその根源の器、言わば余白を、神との盟約や召喚の際の術式で埋める。だが、大抵の者にはそんな空きがないために、盟珠を器にしているのだ。
盟約を重ねるほど、召喚すればするほどに、器の空きはなくなってしまう。
だが、ナーヤには盟珠を使わずとも、受け入れるだけの根源の空きがあったというわけだ。
「ナーヤ、この熾死王と盟約を結べ。オマエがオレの配下となるならば、オレはオマエの神となり、願いを叶えてやろう」
「ふむ。面白い試みだな、熾死王」
奴の前に歩み出て、俺は言った。
「確かに、そうすれば、俺の<契約>からは逃れられるかもしれぬ」
<使役召喚>、あるいは<憑依召喚>を使い、奴の力がナーヤのものになれば、天父神の秩序は彼女の思うがままとなる。
ナーヤには<契約>が働かぬため、俺に逆らおうとも問題ない。
「カカカ、なにか問題があるか、暴虐の魔王。オレの力がナーヤのものになったとして、彼女は魔王学院の生徒ではないか」
挑発するように熾死王が言う。
ナーヤがディルヘイドや暴虐の魔王を裏切らぬ限り、天父神の秩序を彼女が召喚できるようになろうと、なんら問題はない。
「ふむ」
魔王には敵が必要だと熾死王は再三にわたって口にしている。
奴は<契約>に反しないように、ナーヤを俺の敵に育てようと考えたのかもしれぬ。
しかし――
「ナーヤ」
「……は、はいっ……」
緊張したようにナーヤがびっと姿勢を正す。
「お前は熾死王をどう思う?」
一瞬考え、それから彼女は答えを口にした。
「……その、とても良い先生だと思います……。熾死王先生についていけば、こんな私でも、もしかしたら、ディルヘイドの役に立てる日が来るのかなって……」
うなずき、俺はナーヤに言い聞かせた。
「その通りだ。熾死王ほど優れた教師はディルヘイドにはおらぬ。死にものぐるいでついていけ。必ず、お前の目指す場所へ導いてくれるだろう」
彼女は嬉しそうに頬を綻ばせた。
「彼を信じ、生徒として励め。そして恩を受けたと感じたならば、成長をもってそれに報いてやるがいい」
「……はいっ……」
ナーヤは明るく声を上げた。
その様子を見て、熾死王は愉快千万とばかりに唇を歪める。
「……カカ、カカカ、クカカカカッ! カーカッカッカッ!!」
彼の笑い声が、地底の空に遠く響き渡る。
「さすがは、さすがは暴虐の魔王ではないかっ! まさか、見過ごすどころか、この熾死王の背中を押そうとはっ! ああ、それでこそ、それでこそ、この神の力さえ容易く凌駕する、この世界の王の言葉だっ!!」
ぐっと拳を握り、彼は意気揚々と声を上げる。
「決して退かず、決して怯まず、すべてを真っ向からねじ伏せ、そして勝利する。まさに暴虐、まさに魔王だ、アノス・ヴォルディゴードっ! そう、そう、そうだ、そうこなくてはなぁっ、やはり、オマエは最高だ!」
背中に集う光の翼を輝かせ、エールドメードは神々しく俺を褒め称える。
「ならば、この熾死王、全力をもって、その期待に応えてやろうというものではないかぁっ!!」
エールドメードは杖をつき、ナーヤを見た。
「さあ、ナーヤ、その番神たちを引っこめろ。さすがにオレと盟約を交わすのに、ソイツらを召喚したままでは無理がある」
「え、えーと、か、帰ってっ」
ナーヤはそう口にするが、番神はぴくりとも動かない。
「……あ、あれ? か、帰ってくださいっ……」
神を召喚する器はあれど、それを操る魔法はまだまだ未熟といったところか。
「神の言葉を授けよう、居残り。オマエはできる。オマエにできないわけがないではないか」
熾死王の言葉が魔力を持ち、それがナーヤを祝福する。
すると、途端に盟珠が輝き始め、先の命令を実行するように番神たちは光に飲まれていき、ふっと姿を消した。
「さあ、これでいい。願いを言え。盟約を交わそうではないか」
「……え、ね、願いって言われても……?」
困ったように俯き、ナーヤは笑う。
「カカカ、遠慮せずに言いたまえ。オマエの望みをすべて叶えてやろう」
「……えーと、じゃ……」
ナーヤは顔を上げ、熾死王に言った。
「……その、じゃ……先生は、いつまでも私の先生でいてくれますか……?」
ニヤリ、とエールドメードが笑う。
「引き受けよう。ナーヤ、この熾死王がありとあらゆる真理から、なんの役にも立たぬ雑学に至るまで、オマエのその脳髄と体に叩き込んでやろうではないかっ!」
大げさな身振りで熾死王がそう言うと、彼の体が光に包まれる。
次第にその光が収まっていけば、神体から元の姿に戻ったエールドメードがそこにいた。
熾死王とナーヤの盟約が、完了したのだった。
熾死王先生の楽しそうな悪巧み――