愛の深淵は、一線を越え
魔樹の森全体を目映く照らすほどの光が、シンの体に集中し、激しく膨張する。
いかに隙をついたとはいえ、二人の愛は本物で、頑ななシンの親心をぐいぐいとこじ開けていく。
怒濤の如く押し寄せる光の大爆発の前に、彼の持つ愛憎の剣が今にも折れようという、ちょうどその瞬間である。
「なかなかの愛魔法だ。しかし、それではまだ合格点はやれぬ」
俺は<創造建築>で魔剣を作り、その切っ先をシンの愛憎の剣と同じ方向へ向けた。
二本の剣が産み出す<聖愛域>の光が、二倍、三倍へと膨れあがり、
<双掌聖愛剣爆裂>を押し返していく。
「……なにっ…………!?」
「……信じられませんわ……」
驚愕の視線を向けながらも、レイとミサは足を踏ん張り、腰を入れ、互いの想いと呼吸を愛の剣に集中する。
衝突する光の剣と光の剣の力はほぼ互角。
いや、僅かに俺たちが優っていた。
「……いったい、なんですの……? わたくしとレイの愛に優るほどの<聖愛域>をお父様とアノス様はどうやって作り出していますのっ……?」
「わからぬか、ミサ。愛とは恋人同士の専売特許ではない。親の愛もあるならば、友としての愛、主君と臣下の愛もある。この友愛と敬愛が俺とシンの愛の形、もう一つの<双掌聖愛剣爆裂>だ」
二本の剣をまっすぐ、俺とシンは前に突きだした。
迸る膨大な光に押され、ミサとレイの足が地面にめり込む。
「……本当に君って奴は、信じられないことをするね……。友愛と敬愛で<聖愛域>を使っただけじゃなくて、それを恋愛の域まで高めて、<双掌聖愛剣爆裂>を放つなんて……そんなことは勇者の魔法の常識ではありえなかった……」
恋する男女の愛は、いかなる愛にも優る。
それが愛魔法の魔法術式が示した不文律だったが、しかし、俺はその構造の欠陥を見つけた。
「思い込みにすぎぬ。愛とはそのような不自由なものではない。見よ、俺たちの友愛は、恋愛を超えたぞ」
俺とシンが放つ<双掌聖愛剣爆裂>はますます輝き、竜巻のように吹き荒んでは、レイたちの愛剣を押し込んでいく。
「我が主君への愛に優るものなし」
俺と同じ方向へ剣を向けながら、泰然とシンが言い放つ。
「ミサ、そして、レイ。これで思い知ったでしょう。そんな子供騙しの愛では、決して幸せはつかめません。魔族の寿命は長い。その程度の熱では、いずれは冷めるというものです」
シンの言葉にハッパをかけられたように、レイとミサは心を一つにし、愛の前に立ちはだかる巨大な壁に立ち向かう。
「お父様、アノス様。お二人の友愛が恋愛を超えたというのでしたら」
「僕たちはこの愛のまま、恋愛を超えてみせる!」
負けられない想いが、二人の心から溢れ出し、襲いかかる俺たちの愛の光を、真っ向から受けとめ、押し返そうとする。
「見て見て、ゼシア、向こうですっごいことしてるぞ。あんな大きな愛、初めて見たぞ!」
「……友愛が……<聖愛域>です……」
「ちょっとこれはまずそうだから、少し離れてよっか」
「……了解。退避……です……」
勇者の魔法に習熟したエレオノールとゼシアには、その凄さがはっきりとわかったことだろう。
その激しい<双掌聖愛剣爆裂>同士の衝突が、地獄の訓練の真っ最中だった生徒たちの<理創像>に異変をもたらした。
「あっ、おいっ……! どこに行くんだっ!?」
「あれっ、俺の<理創像>も……?」
「これってまさか……?」
生徒の<理創像>たちが我先に競うように魔樹の森を駆け、光の爆発の中心部から離れていくのだ。
「逃げろってことじゃねえかっ!?」
「やべえ、<理創像>が逃げるんじゃ相当だぞっ!!」
「見ろよっ、あんだけ離れたのに、まだ足を止めずに逃げてる。下手したら余波だけでも滅びかねないんじゃねえかっ……!?」
「ていうか……なあ、あれ、これ本当に授業なのかっ? アノス様とシン先生が、勇者カノンとアヴォス・ディルヘヴィアを滅ぼそうとしてるんじゃ!?」
「だ、だよなぁ……! こんな大魔法の打ち合い、授業でやるわけねえ……」
「やべえぞっ。できる限り離れて、反魔法を張らないと……」
生徒たちは恐れ戦いたように、全力で後退していく。
そんな中、光の爆発を呆然と見つめている少女たちがいた。
「……ねえ、みんな……さっきアノス様が、ときとして親の愛が一線を越えるって、言ってたよね? それが愛憎だって……」
ぽつり、とエレンが呟く。
ファンユニオンたちは、皆、はっとしたような表情を浮かべた。
「言ってた……」
「あたしも聞いた」
「間違いないよ……」
「じゃ、あれっ! 今のシン先生とアノス様の友愛が、一線越えちゃってるんじゃないっ!?」
「見て、あたしたちの<理創像>がっ!?」
「ああっ……! 光に向かって走っていってるっ!」
「きっと、ついてこいって言ってるんだよっ!」
全力で逃げる生徒たちの<理創像>とは真逆、ファンユニオンの<理創像>は、あろうことか、光の爆心地へと突っ込んでいく。
「行かなきゃっ!」
ファンユニオンたちは決意を固めたかのように、走り出した。
「あー、エレンちゃんたち、そっちは危ないぞっ。巻き込まれたら、根源も残らないかも」
エレオノールが呼び止めるが、振り向いた彼女たちは言った。
「でも、見届けないとっ! これはあたしたちの使命だからっ!」
「あたしたちは魔王聖歌隊として、うぅんっ、アノス・ファンユニオンとして、アノス様の愛を誰よりも近くで見て、それを歌にする義務があるからっ!」
「でも、滅んじゃったらなんにもならないぞっ!」
「アノス様の愛で滅ぶんなら本望だよっ!」
「しかも、一線を越えちゃってる友愛っ!」
「今世紀最大の滅び時っ! ここで命をかけなきゃ、他にかけるところなんてないもんっ!」
「ここが、あたしたちの戦うべき場所なんだよっ!」
エレオノールの制止をものともせず、ファンユニオンたちは突き進んでいく。
「あー……どうしよう、全然理解できないぞ…………」
「……無事を……祈ります……」
エレオノールとゼシアは、木々の間に消えていったファンユニオンたちを見送った。
「なんか、下でとんでもない魔法使ってる人たちがいるわ……」
「危ない……」
そう声を発したのは上空にいたアイシャである。彼女は<双掌聖愛剣爆裂>の衝突に視線を向けている。
「生徒の数人が魔法の中心に向かっている」
アルカナがファンユニオンたちを指さす。
「なにやってるのよ、あの子たち」
「……勇敢?」
「彼女たちを守る。アイシャの訓練にもなる」
アルカナはすっと両手を上げ、くるりと天に裏返す。
「夜が来たりて、昼は過ぎ去り、月は昇りて、日は沈む」
彼女が発した神の魔力に秩序は歪み、闇が光を覆いつくす。
瞬く間に昼が夜へと変わり、温かな光を放つ、幻想的な<創造の月>が空に浮かんだ。
「雪は舞い降り、地上を照らす」
アーティエルトノアから、ひらひらと雪月花が降り注ぎ、魔樹の森を覆っていく。
それは、生徒たちを護る加護と化した。
「<創造の月>を見なさい、アイシャ」
アルカナの言葉に、銀髪の少女は天を仰ぐ。
「<背理の魔眼>は、神の秩序さえ造り替えたと言われている。その魔眼に同じ力があるのなら、あの<創造の月>を三日月から半月に造り替えられるのだろう」
アイシャは<創滅の魔眼>に魔力を込めて、三日月のアーティエルトノアを見据える。
一瞬、月の輪郭がぼやけたように思ったが、変化はなかった。
「さすがにあれは無理じゃないかしら……?」
「魔力が足りない」
アイシャはその<魔眼>に魔力を集中しているが、<創造の月>を造り替えるだけの力はないようだった。
「アーティエルトノアが三日月なのは魔力の多寡ではなく、神の秩序に従っているだけ。<背理の魔眼>であれば、秩序に逆らい、造り替えることができる」
「そう言われても、この魔眼が<背理の魔眼>かどうかはまだわからないわけだし……」
「難しい……」
アルカナは手をかざし、雪月花を舞い上がらせた。
「では、魔力を与える」
キラキラと雪月花は白銀の光を放ち始める。
「雪は儚く、溶けては消える。あなたの心に名残を与え」
ひらひらと雪月花がアイシャの体に降り注ぎ、それが溶けては、彼女の魔力に変わっていく。
<創滅の魔眼>が空に浮かぶ月を捉える。
アーティエルトノアが、僅かに輝きを増した。
「……いける気がするわ……よくわからないけど、半月にすればいいのよね……」
「――上弦の月――」
全魔力を<創滅の魔眼>に込め、じっとアイシャが月を睨む。
その輪郭が一瞬ぼやけたかと思うと、秩序に隠されていた三日月のアーティエルトノアの姿が次第にあらわになっていく。
キラキラと幻想的な白銀の光を放ちながら、それは上弦の月と化した。
舞い落ちる雪月花の力が増し、地上に立つ者たちをよりいっそう堅固に守護する。
魔樹の森では、半月のアーティエルトノアを見上げ、ファンユニオンの少女たちが仰天している。
「なにこれっ、いきなり夜になっちゃったっ!?」
「アノス様とシン先生の友愛が一線を越えすぎて、昼夜がおかしくなっちゃったんじゃないっ!?」
「二人の世界に、昼はいらないってことっ!?」
「ねえっ、あれっ! 見たこともない白銀の月が、アノス様たちの友愛を祝福してるっ!」
「きっと、もうすぐ決着が近いんだよ。ほら、アノス様たちの愛の剣があんなに光輝いてるよっ!!」
光と光が衝突し、愛と愛がぶつかり合う、その凄まじい鬩ぎ合いに、耳を劈くような爆発音が、何度も何度も鳴り響く。
まさにここは愛の爆心地。
敬慕と愛念が狂おしく絶叫する真っ直中だ。
「……ミサ……愛しているよ……」
「……わたくしも……愛していますわ……」
言葉を重ね、愛を重ねる毎に、二人の<双掌聖愛剣爆裂>が熱く燃え上がる。
「……僕たちは、負けないっ……!! ミサが誰よりも好きだからっ。アノスッ、君がどれだけ強くても、今日だけは、この愛だけは譲れないんだぁぁっっ!!!」
俺とシンの愛の剣を、レイとミサが押し返す。
「それでいい、レイ、ミサ。愛とは困難が大きければ大きいほど燃え上がるもの。その想いに限界などない。だが――」
激しい愛の鬩ぎ合いの最中、俺は僅かにシンと視線を交わす。
俺たちの間に、言葉はいらぬ。それだけですべてを通じ合った。
ゆるりと手にした剣を動かす。
俺たちの二本の剣は、その先端を重ね合わせ、V字を作った。
「まだまだ一線の越え方が足りぬ。お前たちの愛には欠点がある。致命的と言えるほどに、その愛は隠されてしまっている」
レイとミサの<双掌聖愛剣爆裂>を、再び俺たちは押し返す。
「……ぐっ……まさか……!!」
「……どこにこんな愛が残っていましたの……」
歯を食いしばりながら、レイとミサはその愛の一撃を必死に堪えている。
「お前たちの愛が、俺とシンに劣っているとは言うまい。だが、決定的に覚悟が足りぬ」
「……覚……悟……?」
呆然とレイが呟く。
「そうだ。レイ、ミサ。お前たちは、愛が恥ずかしいものだと思ってはいないか?」
「今更……恥ずかしがって……なんか…………!」
「そのような浅い部分の話ではない。もっと自らの深淵を覗いてみよ。深く、深く、深く潜れ。心の奥底に、愛の深淵に、隠しきれぬ羞恥がある。それがお前の愛に躊躇いを作り、鈍らせてしまっているのだ。友愛や敬愛にはさほどないその羞恥こそが、恋愛の欠点」
レイがはっとしたような表情を浮かべる。
「理解したか。愛魔法の深淵を。羞恥心を克服して初めて、愛はその深奥に至る。ならば、方法は一つ」
友への愛を込め、俺は言った。
「さらけだせ。お前たちの真の愛を。どこにいようと誰が見ていようと、二人きりだと思えばいい」
一歩足を踏み出す。
まるで俺がそうすることが事前にわかっていたかのように、シンはまったく同じタイミングで、足を踏み出していた。
「見せてやろう。シン」
「御意」
V字を描いた剣が、愛魔法の光で漆黒に染まり、膨張した。
「「<双剣聖魔友愛爆裂砲>」」
二本の黒き愛魔剣が切っ先を交える。
その先端から、純白の光が膨大な塊と化して、弾丸の如く発射された。
その巨大な愛の弾丸は、レイとミサの愛の剣を次々と爆発させては吹き飛ばしていく。
「くっ……ぐぁっっ……!!」
「あっ、きゃあああぁぁぁっ……!!」
まるで洪水のような光の大爆発に飲み込まれ、レイとミサが弾け飛んだ。
爆風とともに次々と木々を薙ぎ倒しては、巨大な岩山に衝突し、二人はようやく止まった。
アルカナとアイシャが降らせていた雪月花の加護のおかげで、命に別状はないようだ。
「これが、俺たちのさらけ出した愛の形だ」
あれだけイチャイチャしていてなお、恥じらいがあったということだったのです――
魔王の提示したこの課題に、今後、レイとミサは挑んでいくことになるのでしょう。