愛の形
魔樹の森から天高く二本の光の柱が立ち上る。
魔法陣を描き、レイは右手に霊神人剣を召喚した。
アヒデとの戦いで一度、全能者の剣リヴァインギルマと化したそれは、アルカナによって再び元に戻し、返してあった。
レイとミサ、二人の愛を魔力に変換した<聖愛域>が、霊神人剣を覆い、長大な刃と化す。
数歩、レイは前へ出る。
「ミサ」
彼は優しく微笑み、後ろで見守る彼女に言った。
「君の言葉が欲しい」
「……え、えーと……ですね……」
恥ずかしそうに俯き、上目遣いでミサは言う。
「……だ、大好きなレイさんが勝つところを、見たいです……」
瞬間、光が爆発するかの如く、膨れあがり、<聖愛域>を纏った霊神人剣はかつてないほどの輝きを放った。
アヴォス・ディルヘヴィアと戦ったときよりも、王竜を倒したときよりも、二人の愛は今一番光り輝いている。
それもそのはず、彼らの前に立ちはだかっているのは他でもない、俺とシンだ。
たとえ魔法や剣の勝負に負けたとしても、<聖愛域>では、負けるわけにはいかない。なればこそ、レイとミサはその絆を、その愛を、熱く燃えたぎらせた。
だが、燦々と煌めくその愛の結晶を、まるで親の仇のような目で睨みつける一人の男がいた。
彼もまた一人ですっと歩み出て、レイと対峙した。
「我が君に願い奉る。まずは私が彼らに真の愛を示したく存じます」
「いいだろう。存分に示せ」
俺はシンに鉄の剣を渡す。
剣身を覆うかの如く、輝く光が集っている。その愛を俺が魔力に変換し、<聖愛域>を発動しているのだ。
「あなたと立ち会うのは何度目でしょうね、レイ・グランズドリィ」
「さあ。もう数え切れないぐらいだよ」
数歩前に出た両者は、光の剣を静かに構え、視線を交錯させた。
「あの剣術教練以来、僕は考えたことがあってね。心に誓ったんだ」
常に微笑みを絶やさぬレイが、刃を交えぬ内から今日はいつになく真剣な表情をしている。
俺を守るために行かせぬと口にしたあのときと同じ、いや、それ以上の気迫だ。
それほどまでに訴えたいものがあるというわけか。
「今度君と立ち会うときは必ず一本取ってみせる」
「大きく出ましたね。しかし、私はその前に十本頂きます」
シンの瞳が冷たく、まるで刃のように研ぎ澄まされている。
奴と初めて会ったときのような抜き身の殺気。
それでいて、かつて、隠狼ジェンヌルの空間で、死を望み俺と対峙したときのように胸の内に相反する想いが渦巻いている。
シンもまた本気だ。
二千年前もそれ以降も、彼らがこれだけの想いで戦いに臨んだことはないだろう。
挑むのはレイ、迎え打つはシン。
両者は絶対に負けられない想いと、大きな愛をその剣に込める。
「行くよ」
「返り討ちにして差し上げましょう」
レイとシンは互いに愛の剣を上段に構えた。
小細工はない。技で逃げることもしないだろう。
これは愛と愛、想いと想いの一騎打ち。
僅かでも退けば、それが彼らにとっての敗北だ。
「……ふっ……!!」
軽く息を吐き、先に動いたのは、レイだった。
長大な光の剣を振りかぶり、真っ向からシンへ突っ込んでいく。
「はあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ……!!!」
彼の想いが、その愛が、全身から滲み出るように周囲に光の粒子を撒き散らす。
それは、魔眼を凝らせば、雄弁に彼の意志を語っていた。
――僕が勝ったら、聞いてもらいたいことがあります、お義父さんっ!――
「吠えたところで、愛が強くなるわけでもないでしょうっ……!!!」
レイの想いを真っ向からはね返すかの如く、シンが地面を蹴り、爆発する光の剣を大きく振り上げる。
――戯れ言は一本取ってから吐くがいいわっ! 小僧っ!――
バチィィィィンッと光の剣と光の剣が衝突し、愛と愛が激しく鬩ぎ合う。
――必ず聞いてもらいますっ!――
――聞かぬっ!――
――いいえっ! 聞いてもらいます。大事な話です。お嬢さんの話ですっ!――
ドッガアアァァァァンッとけたたましい光の爆発が起きる。
その剣爆に押され、シンはその足をすりながらも吹き飛んだ。
「……お父さんっ…………!」
ミサが心配そうに声を発する。
まさにそれは極限まで練り上げた<聖愛剣爆裂>。
娘の恋人の言葉に耳を貸そうともしない頑固な父親に、粘り強く迫り、そして自らの愛の大きさを示す、嘆願の一撃だ。
さすがのシンと言えども無事では済まないと思ったか、ミサがその爆発の中心へ心配そうに魔眼を凝らす。
ゆっくりと光の爆発は収まっていき、人影が見えた。
シンは生きている。
否、レイの渾身の<聖愛剣爆裂>を、その愛の剣で完全に受けきっていた。
「あなた方二人の愛は、その程度でしょうか?」
「まだ、まだぁっ……!!」
想いを振り上げ、愛を振り下ろし、レイは<聖愛剣爆裂>を幾度となくシンの剣に叩きつける。
だが、それらを尽く、シンは真っ向から受けとめていく。
――大事な話なんですっ。必ず聞いてもらいます。この愛にかけてっ!!――
――きかぬきかぬきかぬ、きかぬきかぬきかぬっ!!! その程度か、小童!――
まるで聞いておらず、まるで効いていなかった。
「……はぁ…………はぁ…………」
再び鍔迫り合いの格好になり、レイの呼吸が荒くなる。
刃を激しく交え、視線の火花が散っていた。
「わかるか、レイ。なぜお前の<聖愛剣爆裂>がシンの剣に尽く防がれるのか。これこそ、一つの愛の形――」
話を聞いてくれない娘の父親に対し、家の軒下で粘り続けるかのように、レイは何度も何度も<聖愛剣爆裂>を爆発させる。
それはまさに、降りつもる雪の中、何度も何度も頭を下げては嘆願を続ける、愛の土下座が如き一閃。
しかし、シンの剣はそれを真っ向から叩き落とす。
軒下で土下座を続ける娘の恋人を見た父親が、やがて娘を奪っていくであろう男に抱く底知れぬ憎しみ。娘に嫌われると知りつつも、玄関に入れてやることのできぬ不器用で大きな愛、まさしくそれは溺愛の門前払いが如き切り払い――
「――<聖魔愛憎剣爆撃>」
俺の声と共に、レイの根源が次々と爆発していく。
吹き飛ばされながらも五度死んで、五度蘇り、再び五度死んで、同じ数だけ蘇った。
地面にひれ伏す一瞬の間に、レイは合計十本取られていた。
「い、今のは……?」
「新しく開発してな。<聖魔愛憎剣爆撃>は、愛と憎しみを爆発させる一撃。元来は二人の愛を一つに重ねる<聖愛域>だが、これは愛と憎しみを一つに重ねることにより、<聖愛域>を発動している」
「憎しみって……もうそれ愛魔法じゃないんじゃ……?」
ミサが不思議そうに言った。
「ただの憎しみならばな。だが、ときとして愛が一線を越え、憎しみに変わるときがある。それこそが愛憎だ。娘の恋人に対するままならぬ想い、決して退けぬという不器用な愛、その親心こそが、恋人同士の<聖愛剣爆裂>を打ち砕く刃、<聖魔愛憎剣爆撃>」
娘への大きな愛ゆえにシンは、娘を奪おうとするレイに並々ならぬ憎悪を燃やす。だが、それは決して心底憎いわけではない。憎悪の深淵を覗いてみれば、その根底には愛がある。憎悪もまた愛なのだ。
レイの<聖愛剣爆裂>をいとも容易くねじ伏せるほどのこの魔法に欠点があるとすれば、行使できる条件が、シンがレイと対峙したときに限るということぐらいか。
平たく言えば、敵には使えぬ。
「さて。これでわかっただろう。お前たちのその愛の形では、まだまだ親の愛には及ばぬ。手加減は不要だ。<双掌聖愛剣爆裂>で来い」
ミサは倒れたレイに肩を貸しながらも、彼に視線をやる。
「……情けない話だけど、君の力を貸してくれるかい……?」
俯きながら、ミサは「……はい……」とか細く言った。
静かに手を頭上に掲げると、そこから暗黒が溢れ出し彼女の身を包んだ。
「……貸してだなんて、水臭いことは言わないでくださいな……」
彼女を覆った暗黒に、無数の雷が走った。
闇を稲妻が斬り裂くようにして、彼女の姿があらわになる。
檳榔子黒のドレスと、背には六枚の精霊の羽。
彼女が首を捻れば、深海の如き髪がふわりと揺れた。
あらわになったのは、彼女の真体。
暴虐の魔王の伝承をその身に宿した、大精霊の姿だった。
「この身も心も、とうの昔にあなたのものですわ」
優雅にミサが差し出した手を取り、レイが再び前を向く。
大きな、大きな、愛の障害を。
「お父様」
ミサのまっすぐな視線に、シンは僅かに目をそらす。
「お父様、聞いてくださいな。わたくしの目をちゃんとご覧になってくれませんか?」
「今は授業中です。お父様ではありません」
ぴしゃり、とシンは言葉を発した。
「……わかりましたわ。でしたら、力尽くでも聞いてもらいます」
レイは霊神人剣を魔法陣の中に消すと、今度は一意剣を取り出した。
二人はその剣を共に握り締める。
「この愛で、お父様を倒して。縛りつけてでも、今日という今日は聞いてもらいますわ」
寸分違わず呼吸を合わせ、彼女たちは切っ先をシンへ向けた。
身も心も重ねたレイとミサの<聖愛域>が、先程よりも数段強く、光を爆ぜさせるかのように煌々と燃え上がる。
「受けて立ちましょう」
シンの体から、愛憎の<聖愛域>が激しく瞬き、渦を巻くように巨大な光の柱と化す。
「レイ。今日はわたくしが……。わたくしに、合わせてくださいますか……?」
「愛しているよ」
かーっとミサの頬が紅潮する。
顔を背けながら、恥じらうように彼女は言う。
「…………そんなこと、言われなくてもわかっていますわ……」
二人の<聖愛域>の輝きが一段と増し、光が竜巻のように立ち上っていく。
ミサの動作に、レイは完璧に同調する。
身も心も一つとなりて、今、恋人たちは父親という偉大な存在に挑む。
「「<双掌聖愛剣爆裂>」」
突き出されたその愛情溢れる剣撃を、シンは足を踏ん張り、歯を食いしばって、<聖魔愛憎剣爆撃>で受けとめる。
光と光が衝突し、愛と愛が唸りを上げる。
「……ミサ、いつかはあなたも巣立っていくのかもしれません。しかし、今はまだまだ子供です。教えて差し上げましょう。あなた方のそれは、ただ恋にのぼせ上がっているだけで、この親愛に届かぬ程度のごっこ遊びだということを……」
僅かにシンが、ミサとレイの<双掌聖愛剣爆裂>を押し返す。
「くっ……!!」
レイが歯を食いしばる。これだけの威力の魔法だ。
僅かでも形勢が傾けば、一気に押しやられる。
咄嗟に、ミサは言った。
「……あ、お母様っ……」
ばっとシンがもの凄い勢いで振り向いた。
そこには無論、誰もいない。
「今ですわっ!」
「君には負けるよ、ミサっ!」
シンの一瞬の油断。戦いの最中によそ見をするなど、魔王の右腕にあってはならない一生の不覚。
それを生みだした一言こそが、どんな卑怯な手を使ってでも認めてもらいたいという彼女の健気な恋心だ。
それに応えてやらねば、男ではない。
熱く、熱く、その愛の剣が燃え上がる。
「愛しているっ!!」
「わたくしも愛していますわっ!」
その圧倒的な光の爆発、二人の愛の熱量に、愛憎の剣もろとも、シンは飲み込まれていった――
ご挨拶成るか――!?