魔王の授業は阿鼻叫喚
魔王学院の裏手にある魔樹の森。
次々と<転移>の魔法陣が現れたかと思うと、そこへ生徒たちが転移してくる。
全員揃ったようだ。
「では、始めよう」
俺は生徒たちの体に魔法陣を描く。
対象は彼らの根源である。
「潜思せよ」
生徒たちとつないだ魔法線へ通して、その根源へ俺の魔力を叩き込む。
「己が目指し、そして辿り着くべき未来を。深く、深く、深く潜ってはその深淵を覗け。お前たちの根源の遙か底に眠る未来を叩き起こし、その理想をここに具現化する」
言われた通りに、彼らは自らの深淵を覗き、その理想の形を思い描いていく。
やがて、一人、二人と生徒たちの体が光に包まれていった。
彼らの頭に目指す未来がはっきりと描かれれば、それは成る。
輝き始めた生徒たちのその輪郭に歪みが生じ、光が二つに分かれ始める。
理想の深淵を覗き、潜思すればするほどに、その分裂はみるみる進む。
やがて、生徒たちの大半はその体と根源を二つに分けた。
「<理創像>」
一際目映い光に包まれた後、生徒たちの目の前には、成長したもう一人の自分がいた。
「……なっ、なんだってんだ、こいつっ……。俺そっくりじゃねえか……!」
ラモンが仰け反りながらも、声を上げた。
彼の目の前には、同じく<理創像>で作ったラモンがいる。
身長は彼よりも高く、体は筋肉の鎧を帯びている。
顔つきは本人とは比べものにならぬほど精悍だ。
「<理創像>はお前たちが、これから目指す将来の姿。その潜思した理想とお前たちの根源の一部を元にし、俺の魔力を加えることで、お前たちの可能性を具象化した」
目の前にいる<理創像>は、彼らの一つの到達点である。
「戦い、その技を盗み、その力を盗め。そして、その上で再び潜思せよ。お前たちが目指す理想の形が変われば、それに従い、<理創像>は常に変化し、そして進化する。ただし、己の手に余る理想には届かぬ。その魔眼で<理創像>の深淵を覗き、その限界を見極めよ。自らになにが相応しく、なにが不要なのか、その身をもって知るがいい」
生徒の<理創像>たちが、彼らを導くように一斉に走り出す。
「おっ。おいっ、どこ行こうってんだよっ……!」
ラモンが自らの<理創像>を追いかけた。
「通常の<理創像>は力と技の理想を具現化するが、さすがに思考までは再現できぬ。いくら魔力を与えてやっても、頭が良くなるわけでも知識が蓄えられるわけでもないからな。それは純粋な戦闘技術の塊だ。しかし――」
俺は地面に手の平をかざす。
背後にあるデルゾゲードから膨大な魔力の粒子が立ち上り、その一切が足元へ集まった。
剣の形をした影が現れる。
それは静かに宙へ浮かび上がり、俺の前に柄を差し出した。
手にすれば、理滅剣ヴェヌズドノアが実体化する。
それを地面に突き刺し、魔力を込めた。
「その理を破壊する」
ヴェヌズドノアから幾重にも影が伸び、それは<理創像>たちにつながった。
「おい、ラモン」
理滅剣により思考が宿り、<理創像>のラモンが言う。
「な、なんだっ……?」
「おめえ、自分が賢いと思ってんじゃねえのか……? 言っとくがよ、おめえは馬鹿だ。未来永劫馬鹿でしかねえ。だから、教えてやんよっ。馬鹿には馬鹿の戦い方があるってことをなっ!」
<理創像>のラモンが魔法陣を一門を描く。
そこから、漆黒の太陽が出現した。
「……まっ、マジかよっ……!? 俺が<獄炎殲滅砲>を使うってのかっ!?」
ラモンが木の影に隠れるようにして、後退していく。
「んなもんで、防げるわきゃねえし、目くらましにもなんねえよっ。おめえは頭を使わず、常に全力出して防御すりゃいいんだ。馬鹿なんだからよっ!!」
<獄炎殲滅砲>が木々を燃やし尽くし、ラモンに直撃する。
「ぎゃっ、ぎゃああああああああああああああぁぁぁっ……!!」
ラモンは燃え尽き、灰と化す。
次の瞬間、彼を<蘇生>の魔法で蘇生してやった。
「何度死のうと構わぬ。蘇生される感覚を覚えておけ。コツをつかんだならば、自分で<蘇生>を使ってみるがいい。できなくとも、三秒後には生き返る」
ラモンが目の前にやってきた<理創像>の自分を見つめる。
「おらっ、<獄炎殲滅砲>はこうすんだよっ。わかんねえんなら、体で覚えなっ!!」
「……ちっきしょうっ……!! お前誰だよっ! ぜってえ俺じゃねえだろっ!!」
彼は決死の覚悟で、<理創像>に突っ込んでいった。
魔樹の森のそこかしこでは同じように生徒たちが<理創像>の自分と戦っている。
敵にするのは圧倒的に自分よりも格上の相手。それも、自らの手の内を知り尽くしている。
到底敵うはずもなく、彼らは次々と死んでいく。
死の淵のぎりぎり、滅びの一歩手前まで追い詰めることで、根源は更に強く、輝きを放つ。だからといって、悪戯に苦しめればいいというわけではない。成長するに相応しいだけの経験を積まねばならぬ。
自らが目指す理想と、今の自分にどれだけの差があるのかを肌身を持って知り、その理想に鍛え上げられる。更にはその理想そのものを鍛えるのが<理創像>である。
理想の自分にアドバイスを受け、導かれるように、生徒たちはその力と技を習得していく。幾度となく滅びかけ、何度も何度も死にながらも。
そうして、<理創像>に使っていた根源が彼らの体に戻ったとき、それは血となり、肉となり、更なる飛躍を見せるだろう。
授業中の光景に相応しく、森では阿鼻叫喚が上がっていた。
ふと俺は一人の少女に視線をやる。
エールドメードが二つ名をつけた、居残りのナーヤだ。
彼女の目の前には、ぴくりとも動かぬ<理創像>がいた。
姿形は今の彼女と殆ど変わっていない。
「カカカ」
愉快そうな顔で生徒たちの激闘を見ていた熾死王が、ナーヤのもとへ歩いていく。
「なにを浮かない顔をしているのだ、居残り」
エールドメードは杖をつき、ナーヤの顔を覗き込む。
彼女は俯いたまま、ぽつりと言った。
「……だめですよね、私は……魔王様の<理創像>さえ、動いてくれないんですから……」
熾死王は黙ってその言葉に耳を傾ける。
「みんなと違って、<理創像>の私は、今の私と魔力も殆ど変わってません……。伸びしろがないってことなんですよね……」
「カッカッカ、伸びしろがない? なぜそう思う?」
「だって、魔王様の魔法で、魔王様の魔眼で見て、そう判定されたってことは、そういうことなんじゃありませんか……?」
落ち込んだように、ナーヤは言う。
「確かに、確かに。魔王の魔眼は絶対であり、魔王の<理創像>は完璧だ。その判定から漏れた者は、すなわち才能が欠片もないのだと誰もがそう思うだろうな」
その言葉に、ナーヤは更に気落ちしたように俯いた。
杖に体重をかけ、熾死王は舐めるような視線で彼女を見つめる。
「だが、この熾死王は違う」
疑問を浮かべた瞳をナーヤは熾死王へ向ける。
「オマエはこんな話を知っているか、居残り。魔王学院の入学試験で、魔力測定を行い、その数値がゼロと判定されたある魔族がいた。彼は学院始まって以来の不適合者となり、学院中から白い目で見られたのだ」
「それって……」
「そう、暴虐の魔王アノス・ヴォルディゴードだ。彼ほどの魔力の持ち主でさえ、魔力がまったくないと判定されたことがある」
ナーヤは考え、それから怖ず怖ずと反論した。
「……だけど、それは魔力測定の方法が間違っていただけで、アノス様の力を今の時代の魔族では計ることができなかったってことじゃ……?」
「そう、そう、そうだ、その通りだ、居残りのナーヤ。つまり、それと同じことが言えるのではないか?」
「同じことって、なんでしょう……?」
ニヤリ、とエールドメードが笑う。
「暴虐の魔王が間違っていたのだ! オマエはかの偉大な魔王にさえ未来が見通せぬほどの強大な力を秘めているのだと」
ナーヤがぶるぶると頭を振った。
「そっ、そんな恐れ多いことは、ありえません……!」
彼女は不安そうに、俺の様子を窺っている。
そんなナーヤの心配など気にも留めず、エールドメードは言う。
「恐れ多い? ありえない? なぜだ? 魔王ならば、この学院から自らを超える者が生まれることを、喜ばしく思うはずだ。もっとも、あの男ならば、超えた者を更に超えようというものだがな!」
カッカッカ、とエールドメードは愉快そうに笑う。
「<理創像>など、たかだか一つの測定方法。あくまで一つの訓練にすぎないではないか。オマエは暴虐の魔王にさえ未来が測定できなかったのかもしれない。素晴らしいではないか!」
そう饒舌に語る熾死王は心の底から楽しそうだった。
「オマエには伸びしろがないのか、それとも誰にも見えないだけなのか。わからぬのだ。わからない、不確かだということは、素晴らしい。それは、可能性なのだ。たとえ一縷の望みにすぎないと言ってもな。この熾死王は、そんな不確かなものにこそ、心躍らされる!」
力強く、上機嫌にエールドメードは言った。
それに勇気づけられるかのように、ナーヤの瞳に僅かながら力が宿った気がした。
エールドメードはシルクハットを手に取り、そこから、一本の杖を取り出す。
<知識の杖>と呼ばれる魔法具だ。
「こいつの使い方を教えてやる。限界を知るにはオマエはまだ若すぎる。せめてオレぐらいの歳になってから口にすることだ」
ナーヤは目を拭うように指をやって、それから<知識の杖>を手にした。
さっきとは違う、吹っ切れた表情で彼女は言う。
「はい。よろしくお願いします、熾死王先生っ」
相も変わらず、俺の敵になりそうな可能性には目聡いものだ。
まあ、彼女のことは奴に任せておけばいいだろう。
「ねえ、アノス」
サーシャが俺に声をかけた。
隣にはミーシャがいる。
「わたしたちだけ、<理創像>が出ないんだけど……?」
レイやミサ、エレオノールとゼシアもそうだった。
「当然だ。お前たちは<理創像>で訓練する領域をとうに超えている」
「じゃ、どうするの?」
「ちょうど良い訓練相手を用意してある」
俺は選定の盟珠を取り出し、そこに魔力を込めた。
盟珠の中に魔法陣が現れ、それがみるみる積層されていく。
「<神座天門選定召喚>」
召喚の光を伴い、その場に白銀の髪の少女、選定神アルカナが姿を現した。
「地底に行くのならば、神との戦いに慣れておかなくてはな」
サーシャがげんなりしたような顔で俺を見つめる。
「……いつも思うんだけど、訓練の方が過酷だわ……」
こくこくとミーシャがうなずく。
ニヤリと笑い、俺は言った。
「<分離融合転生>を使え。いくらお前たちとて、そのままではアルカナの相手にならぬ」
アルカナは周囲をゆるりと見渡し、その後、空を見上げた。
「訓練の場所はあそこ」
他の生徒を巻き込まぬように、遠くでやろうということだろう。
三人はそのまま空を飛んで場所を移動していった。
「エレオノール、ゼシアはしばらく二人で訓練をしていてくれ」
「わかったぞ」
「……がんばり……ますっ……」
二人は魔樹の森の奥へ走っていった。
「さて。レイ、ミサ」
二人がこちらを向く。
俺の背後にすっとシンが姿を現した。
「王竜に使った愛魔法はなかなかのものだった」
「あ……あははー……あのときのことはまったく思い出したくないっていうか……今すぐ穴に入りたくて仕方がないんですけど……」
顔を真っ赤にしながら、ミサが俯く。
ギリッと後ろから奥歯を噛みしめる音が聞こえた。
「愛魔法が、どうかしたのかな?」
「もしやと思ってな。あの魔法は、神族全般に有効なのかもしれぬ」
アルカナの話によれば、愛と優しさは秩序を乱す。
ならば、愛魔法は神にとって天敵といった可能性もあろう。
「ゆえに、ここしばらく愛魔法の深淵を覗いた。お前たちの愛はまだ伸びるだろう。それを鍛えておこうと思ってな。それには、愛魔法同士で競う実戦が手っ取り早い」
「実戦はいいんだけどね」
言いながら、二人は愛魔法発動のため、互いに手を取り合う。
<聖愛域>の光が彼女たちに集い、天に昇る勢いで立ち上った。
「<聖域>はともかく、愛魔法はアノス様には使えないはずじゃ……? ほら、だって、愛と愛を重ねないと……」
レイとミサは、不思議そうな表情を浮かべている。
するとシンが歩み出て、鉄の剣を静かに鞘から抜く。
それを丁重に俺に手渡した。
彼は跪き、頭を下げる。
俺は厳かに彼に剣を向け、その剣身で肩をそっと叩く。
途端に俺とシンから、膨大な光が溢れ、天を突く勢いで膨れあがった。
「……え……これ……って…………!?」
「まさか……アノス、君って奴は……」
驚きを発する二人に、俺は言った。
「恋人同士でなければ、<聖愛域>を使えぬと思ったか」
半ば呆然としていた二人は、一転、気を取り直したかのように、緊迫した雰囲気を漂わせる。
「……授業だと思ってのんびりしていたけど、どうやら、この戦い負けるわけにはいかないようだね」
「……ですね。絶対に、負けられません……!」
愛魔法と愛魔法の戦いは、愛情の深さが勝敗を決する。
恋人同士である二人の愛が、シンと俺に及ばなかったとなれば、その傷は計り知れない。
だからこそ、より愛は伸びる。
「俺の愛は加減が利かぬ。本気で来るがいい」
レイとミサが挑むような表情で、こちらを見る。
一方で俺とシンは肩を並べ、迎え打つが如く、悠然と立ちはだかった。
「お前たちに、様々な愛の形を見せてやろう」
魔王による愛の授業が始まる――