三つの記憶
「ふむ。それはまた奇妙なことだな」
<破滅の魔眼>を使えるのはサーシャだけではない。
<創造の魔眼>にしてもそうだ。
ミリティアも、その魔眼を持っていた。まあ、彼女は創造の秩序を持った神だ。創造魔法に関連する全ての力を有していたところで不思議はない。
いずれにせよ、その二つの魔眼はミーシャとサーシャ固有のものではない。
だが、<分離融合転生>となると話は別だ。
「融合魔法で同化できる二人が、たまたま<破滅の魔眼>と<創造の魔眼>を持っているケースというのは希だろう。その上、<分離融合転生>はアイヴィスが開発した魔法だからな」
ネクロンの秘術だ。
一般に広めている魔法ではない。
「アルカナ。お前が記憶を忘れたのはいつだ?」
「一千年は前」
「<分離融合転生>はミーシャとサーシャに初めて使った魔法だ。それが一五年前。少なくとも地上では、それ以前に<破滅の魔眼>と<創造の魔眼>を融合したような記録は残っていない」
アルカナが見たのだとすれば、地底でと考えるのが妥当だろう。
「背理神ゲヌドゥヌブは銀の髪と、<背理の魔眼>を持っていた。秩序を滅ぼそうとする神と、わたしはかつて相見えたことがあるのかもしれない」
アルカナが言う。
「つまり、融合したサーシャ・ミーシャが……ふむ、名がないと呼びづらいな。アイシャでどうだ? 他の名がよければ考えよう」
銀髪の少女がうなずく。
「アイシャでいいわ」
「良い名前。嬉しい」
サーシャとミーシャの声が響く。
「<創造の魔眼>と<破滅の魔眼>を融合し、同時に発現したものを<創滅の魔眼>としよう。アルカナ、お前が言いたいのは、アイシャが背理神ゲヌドゥヌブだったかもしれぬ、ということか?」
「そう。背理神ゲヌドゥヌブは秩序に背き続けた神。神は転生しても神と言えど、背理神はそれにすら抗うのだろう。死したゲヌドゥヌブは転生し、魔族になった。神を滅ぼす暴虐の魔王の配下になり、秩序を打倒するために」
あくまでも予想にすぎないだろうが、可能性としては確かに否定はできぬ。
「<創滅の魔眼>は<背理の魔眼>。それを<分離融合転生>で分離させたため、<創造の魔眼>と<破滅の魔眼>になったのかもしれない」
つまり、サーシャとミーシャが融合して初めて<創滅の魔眼>が生まれたのではなく、逆に分離したことにより、<創滅の魔眼>が失われた。
「サーシャは<分離融合転生>を使わなければ、<創滅の魔眼>を持っていた?」
ミーシャが尋ねる。
「ふむ。一つの根源を二つに割った。根源が有する力は均等に割られたのではなく、創造と破滅、二つの特性毎に分かれて割れていたのならば、考えられる話だ」
元々サーシャが持っていた<創滅の魔眼>が、<分離融合転生>で分離したことによって、<創造の魔眼>を持つミーシャと、<破滅の魔眼>を持つサーシャに分けられた。
「わたしたちが神様?」
「うーん、全然そんな気がしないわ。記憶なんて欠片もないし」
アイシャは首をかしげ、頭に手をやった。
「転生すれば、記憶が残らぬこともある。神の名を忘れる前に、アルカナがその<創滅の魔眼>を見ている以上、背理神でなくとも、アイシャがかつて地底にいた可能性はあるだろう」
「竜人として?」
「あ、そっか。元が竜人で転生して魔族になったってことも考えられるわよね」
ミーシャが疑問を向けると、サーシャが納得したように言った。
「アルカナ。一つ尋ねるが、お前は神の名を忘れたと言ったが、その方法は覚えているのか?」
「それは忘れた記憶の中にある」
覚えてはいないか。
「夢の番神リエノ・ガ・ロアズの力でも思い出せぬのだな?」
「そう」
気にはなっていた。
神はどのようにして名を捨てるのか。
いかにして記憶を捨て、心を手に入れるのか。
「お前は転生したのではないか?」
俺の言葉を、吟味するように考え、アルカナは言う。
「神は転生しても神。記憶は忘れられても、神は秩序のまま、心は手に入らない。しかし――」
「背理神ゲヌドゥヌブならば、それができる。魔族にさえ転生できる神ならば、名を奪い、心を与えることぐらいは容易いだろう」
アルカナの推測が間違っていなければ、そう考えられる。
「それは正しい」
「お前は背理神ゲヌドゥヌブに会った可能性がある。そのときに<背理の魔眼>を見た。あるいはそれが、お前を名もなき神に転生させたのかもしれぬ」
アイシャに視線を移し、続けて言う。
「そして、その背理神はアイシャかもしれぬ。彼女はサーシャという魔族に転生した。この時代に転生してくる暴虐の魔王の配下となるために。アイシャは背理神であったときの記憶を忘れ、<分離融合転生>によってミーシャとサーシャに分かれてしまった」
アイシャがぱちぱちと目を瞬かせる。
あるいは転生直後に根源を二つに分けられるという予定外の出来事が起きたために、失われるはずのない記憶が失われてしまった可能性がある。
「だとすれば、俺はアイシャと、背理神と会ったことがあるのかもしれぬ」
「わたしたちと?」
「二千年前に?」
ミーシャとサーシャが言う。
「覚えているか、ミーシャ。ミッドヘイズの地下に俺が作った街を、お前が初めて見たとき、あれをどこかで見た気がすると口にした」
あの地下街は、二千年前のディルヘイドの街並みを再現している。
「お前たちの記憶の片隅に、転生前の出来事が僅かに残っている証明とも言える」
アイシャは過去を思い出そうとするように遠い目をしている。
「そして、俺は転生したことによって背理神ゲヌドゥヌブのことを忘れている。ゆえに、お前たち二人とこの時代で再会しても気がつくことはなかった」
あるいはアルカナとも、どこかでつながっている。
今朝見たあの夢、俺の妹の名がアルカナであったことは、ただ同名の別人というわけではないのかもしれぬ。
そうだとして、神がいかなる経緯で俺の妹になったのかは、まったく見当もつかぬがな。
「俺たちは三人は二千年前にどこかで会っていたのかもしれぬ。そして、転生する際に、それをすべて忘れてしまった」
だから、誰も最初に会ったときに気がつかなかった。
「果たしてそれは偶然か?」
アルカナが神の名を捨てるために転生したのだとすれば、記憶がないのもうなずける。
背理神ゲヌドゥヌブは魔族に転生した。神は転生しても神、その秩序を覆した代償に記憶を忘れたのだとしてもおかしくはない。
しかし、俺の記憶がないのはどうにも不可解だ。
ならば、アルカナやアイシャのことも、ただの偶然で片付けられるものか?
「そうは思えぬ。何者かが俺たちの記憶を奪った可能性があるだろう」
「何者かって……?」
「神族?」
「俺を目の敵にしている存在としては神族が筆頭だがな。まだ断定できるほどではない。もしも俺に敵対している何者かが俺の記憶を奪えたのだとすれば、その者につながるような記憶をすべて奪うはずだ」
つまり、俺は俺に敵対していた存在のことを覚えていないことになる。
「……アノスの記憶を奪える敵……?」
「それを覚えてないって、けっこうヤバいんじゃないかしら?」
不安そうにミーシャとサーシャが言う。
「なに、問題はあるまい。そいつにとって都合の悪い記憶を消したのならば、この忘れている記憶を辿っていけば自ずとその正体が見えてくるだろう」
頭の中にある記憶の空白こそが、なによりの手がかりだ。
「選定審判のついでだ。地底を探れば、なにかわかるかもしれぬ」
「そういえば、選定審判をどうにかするって言ってたけど、それってどうやるの?」
サーシャが尋ねる。
「選定審判は、審判の秩序より成り立つと言われている」
アルカナが答えた。
「じゃ、その審判の神を滅ぼせばいいってこと?」
「そう。ただし、選定審判の秩序を有する神は、神の前にすら姿を現したことがない。誰も見たことのない神」
アイシャは小首をかしげる。
「どうやって探す?」
「わからない。神はいないのに審判の秩序だけが存在している。このことから、地底の人々と一部の神は<全能なる煌輝>エクエスという存在を考え出した。すなわち、すべての神は<全能なる煌輝>エクエスの手である。選定審判は、<全能なる煌輝>エクエスが自らもたらす秩序であるため、その存在が誰にも見えない、と」
「……えっと、つまり、<全能なる煌輝>エクエスは、本当にいる神様じゃなくて、竜人たちが考えた概念みたいなものってこと?」
サーシャの言葉に、アルカナはうなずく。
「それはある意味正しい。<全能なる煌輝>はいるかもしれない。いないかもしれない。信じるも信じないも、その者次第」
「ふむ。その<全能なる煌輝>が俺の記憶を奪ったのだとすれば、手っ取り早いのだがな。すべて一度に方がつく」
アイシャが唖然としたように俺を見る。
「方がつくって、でも、本当にそのエクエスがいるなら、すべての神の力を使えるってことでしょ? どうするのよ? そんなの世界そのものじゃない?」
「そうだな」
不敵に笑い、俺は言う。
「ならば、世界を滅ぼしてやるか」
アイシャがドン引きといった風に身を引いた。
ふむ。ついつい顔が嗜虐的になってしまったか。
「冗談だ。さすがの俺も、そんなことはできぬ。なにか、うまい方法を考えればよい」
「全然冗談に聞こえなかったわ……」
「鬼畜……」
俺はアルカナに視線を向ける。
「先程、夢の番神よりも、広く記憶を司る神がいると言ったな。その秩序を使えば、俺だけではなく、アルカナとアイシャの記憶も戻せよう」
今のところ、すべては憶測にすぎぬ。
記憶が戻りさえすれば、事実がはっきりするだろう。
「かの神は、世界の足跡を刻む秩序、痕跡神リーバルシュネッド。神竜の国ジオルダルに眠ると言われている」
神竜の国ジオルダルか。アヒデの国だな。
「では、そこへ行こう」
「じゃ、あれよね? さすがに授業に出てる場合じゃなさそうだわ」
「お休みする?」
サーシャとミーシャがそう口にした。
「なに、そうとも限らぬ。地底世界の存在が明らかになった今、将来ディルヘイドを治めるであろう魔皇の卵たちが、それを肌身に感じぬというわけにはいかぬだろうしな」
「……悪い予感がするわ」
「……する……」
「お前たちは、先に学院へ行くがいい。俺はエールドメードとシンに話を伝えてから行こう」
こくりとアイシャはうなずき、自分たちに魔法陣を描く。
光とともに、<分離融合転生>が解除され、アイシャの体はミーシャとサーシャに分かれた。
「じゃ、後でね」
サーシャがそう言うと、ミーシャは小さく手を振る。
二人はそのまま部屋を出ていった。
その数十分後――
場所は変わり、デルゾゲード魔王学院第二教練場である。
授業開始の鐘の音が鳴り響いていた。
扉が開き、軽快なステップを踏みながら、愉快痛快とばかりに教室に入ってきたのは熾死王エールドメードである。
魔王の右腕シンが、静かに教室のドアを閉め、エールドメードの隣に立った。
「カッカッカ、朗報、朗報だ、朗報だぞ、オマエらっ!」
両手を上げ、ぐっと拳を握りながら、上機嫌に熾死王は言った。
「今日はかねてから計画していた特別授業を急遽行えることになったっ!」
跳躍し、ダンッと足を踏みならすと、くるくると杖を回転させては、ダ・ダ・ダ・ダ・ダと黒板を突き、魔法陣を描いていく。
それが光ったかと思うと、十数羽の鳩が飛び出してきては、リボンと紙吹雪を宙に舞わせた。
「今日の授業は、なんとぉっ!!」
くるくるとその身をそこで高速回転させた後、エールドメードは、ビシィッと生徒たちを杖で指した。
「大・魔・王・教・練・だぁっっっ!!!」
教壇に<転移>の魔法陣が出現する。
そこに俺は、魔王の装束を纏い、アノス・ヴォルディゴードとして姿を現した。
すっとシンが跪き、エールドメードがそれに続いた。
ガタガタガタガタガタガタッとものすごい勢いで椅子が引かれていき、生徒たちは床に頭を突っ込まんばかりの勢いで我先にとひたすら下を目指し、跪く。
教壇に立った俺は泰然と口を開く。
「本日から始まる特別授業、大魔王教練を担当する臨時講師、暴虐の魔王アノス・ヴォルディゴードだ。まあ、堅苦しいことは抜きとしよう」
俺はかつての旧友たちに挨拶するように、朗らかな笑みを見せた。
「みんな、久しぶりだな」
生徒の半数は絶望的な表情を浮かべていた。
とうとう魔王の授業が始まる――
そして、アノシュ君はどうなるのか。