暴かれた神託
神の都ガエラヘスタへ舞い降りて、俺はエーベラストアンゼッタの正門前に立った。
ゆるりと歩を進めれば、その門がひとりで開かれる。
中へ入っていき、長い通路を抜ければ、そこは真っ白な円形の一室。
八つの座具が設けられた、聖座の間である。
その中央に一人の男、神託者アヒデ・アロボ・アガーツェが立っていた。
「そろそろ来る頃だろうと思っていましたよ。不適合者アノス・ヴォルディゴード」
まるですべてを見通していると言わんばかりにアヒデは穏やかな表情で俺を迎える。
「心して答えよ」
まっすぐ奴を見据え、言葉を飛ばす。
「アゼシオンを侵略したのはお前の独断か? それとも、お前の国ジオルダルの決定か?」
三歩、奴に近づき、俺は言う。
「事と次第によっては、国が滅ぶと思え」
「いいえ。そのどちらでもございません」
清廉潔白といった表情でアヒデは首を左右に振った。
「地上へ竜を使わしたのは、ガイラディーテのリシウス王の嘆願に応えたまでのこと。リシウス王は自らの民を神のもとへと招き、聖別によって神の民である竜人に転生されることを希ったのです」
曇りのない瞳でアヒデは薄く微笑んだ。
「敬虔なリシウス王は、その慈愛を民に与え、神に救済を願ったのです」
「王権や永遠の命などという方便で誑かしておきながら、よくもまあ、そんな口が叩けたものだ」
アヒデは憐れむような目で俺を見下す。
「異端者のあなたには解せないことではありましょう」
「愚かな王がなにを信じようと好きにすればいいがな。それを民に押しつける権利があると思うか? 信仰なき者に無理矢理与える救済は、悪意以外のなにものでもあるまい」
まるで悟りを開いたかのような表情で、アヒデは答えを述べた。
「あなたには一度、教えを説きましたが、何度でも説明しましょう。アゼシオンの民は、我が神への信仰を持っている。神々が祝福した聖剣、それが選んだ勇者カノン。その者を信じ、彼らは崇拝している。エヴァンスマナはすなわち、<全能なる煌輝>エクエスの手が祝福した。なればこそ、彼らは勇者を通し、<全能なる煌輝>を信じていたのです」
「呆れてものも言えぬ。この期に及んで口にするのが、子供でも嘘とわかる方便とはな」
俺を諭すかのように、優しい口調でアヒデは言う。
「異端者であるあなたには、まだこの信仰に至ることはできないようですね。彼らは勇者を信じていたのではなく、<全能なる煌輝>エクエスを信じていたのです。神を信じていたのですよ。それに気がつかなかっただけのことでしょう」
涼しい顔でさも当たり前の如く、彼はそんな言葉を口にする。
「ジオルダルに入信されたリシウス王はこのことを悟り、そして、人間の民が神の民へ生まれ変わる資格があることに気がつかれたのです。望む望まぬとも、神は救済を与えてくださる。アゼシオンの人間は、そうとは知らぬまま、救われることになるでしょう。それは決して不幸なことではありませんよ」
「ふむ。つまり、こう言いたいのか。無理矢理だろうとなんだろうと、竜に食わせ、人間を滅ぼしてやる、と」
静かに、アヒデは目を閉じる。
「滅びではなく、救済です」
「アルカナの言う通り、救いようのない男だな、お前は。自らの選定神にすら、愛想を尽かされているだけのことはある」
微笑みで応じたアヒデの、その深淵を覗けば、瞳に鋭さが見てとれる。
ミーシャならば、それを明確に苛立ちだと断じていたかもしれぬな。
「お前にも地上で起きた戦闘の結末ぐらいは把握できているのだろう。お前が放った竜は結界に封じられ、身動きがとれぬ。アゼシオンの人間どもは、命がけでその救済をはね除けたのだ。そんなものはいらぬとな」
「いいえ。竜が封じられたのは、彼らの意志でも力でもありません。それは神のお導きによるもの。すべては救済に向かっているのです」
アヒデは静かに目を閉じて、なにかに耳を傾ける仕草をした。
無論、声など響いてはいない。
「神託が下りました。ガイラディーテの王宮にいるあなたの仲間。ミサの心は、想いの番神の手によって神のもとへ旅立つ。勇者カノンが霊神人剣を抜くとき、その刃は神のもとへと返されるでしょう。神の力を、自らのものと自惚れたカノンに裁きが下り、彼は天へと旅立つのです」
選定の盟珠を左手で包み込むようにして、アヒデは祈りを捧げる。
「そうして、現れた一匹の竜がアゼシオンの民を神のもとへ導きます」
「愚かなことを言う」
祈るのをやめ、アヒデは俺の方を見た。
「なにが愚かだと言うのでしょう?」
「お前は二千年前の勇者カノンを知るまい」
「神託を賜りましたので」
その言葉を笑い飛ばし、奴に言葉を突きつける。
「つまり、聞いただけというわけだ」
「百聞は一見にしかず、しかし、神の言葉に常に真実なのです」
「真実ならば、この目で見たものだけで間に合っている」
アヒデの視線を真っ向から睨み返し、奴に告げる。
「人間たちが勇者カノンを信じたのは、あの男が、真実彼らのために戦ったからだ。己が身を省みず、その体が一片残らず灰と化そうとも、再び立ち上がり、目に映るすべてを守ろうとした」
振り返れば、その阿修羅の化身が如き気迫が今も鮮明に思い出せる。
「それが神の仕業だと? カノンを通して、人間は神を信じていただと? いい加減、笑わせるのはよせ。当時の人間は神など信じていなかった。そんなものが信じられなくなるほど、俺が残虐に殺してやったからだ。彼らの盾となり希望となったのは、唯一あの男、勇者カノンだけだった」
静かに目を閉じて、アヒデはさらりと言ってのける。
「ですから、それが、神の御業なのです」
「ほう。あの男が守ったガイラディーテも、ベロニエーズも、ナデロイニカも、すべては神の御業だと? 勇者カノンはそんなことを口にしたことはなかったぞ」
「ええ。その通りです。神は勇者にそれらを守るように神託を下しました。自覚がなくとも、知らずとも、そうなのです。神を信じぬあなたには、到底わからないことでしょうが」
くく、と声が漏れる。腹の底から、笑いが溢れて止まらなかった。
「……くくく、くくくくく、くはははははははははっっ……!!」
「憐れなものですね。おかしなことなど、なにもないというのに」
「いやいや、アヒデ。お前も笑え。こんなにおかしなことはそうそうないぞ。なにせベロニエーズも、ナデロイニカも、いの一番にこの俺に滅ぼされたのだからな。人っ子一人残らず、地図からさえ姿を消した」
閉口し、真顔でアヒデは俺を見据える。
「神が守るように神託を下したのにもかかわらず、滅びたか。なかなかどうして、<全能なる煌輝>の手が、俺に及ばなかったと言いたかったのか。それとも――」
押し黙るアヒデに、俺は言った。
「知らぬことに話を合わせて、ボロでも出たか?」
「……崇高なる神の御心は、あなたに推し量れるものではありません」
苦しい言い訳を続けるアヒデを、俺は鋭く睨めつける。
「では、なぜすべて救ってやらなかった?」
アヒデは答えない。
先程の失言で、慎重になっているのだろう。
「あの時代は地獄だった。殺したくなくとも殺さずには済まなかった。滅びる前に、滅ぼさねばならなかった。本当に神が、<全能なる煌輝>エクエスとやらがいるというのならば、なぜ救いにこなかった?」
「滅ぶべきは滅び、救われるべきは救われる。すべては神の御心のままに」
「傲慢な神が。すべてを救わぬ全能者がいるなら、そいつの心は腐っている」
自然と言葉に怒気がこもる。
「俺が許せぬのはな、枢機卿。お前の口にする救いが、必死に生きた者を、生きようとして生きられなかった者を嘲笑っているからだ。俺の配下の死を、勇敢にも俺に挑んだ者の死を、神の御心一つで片付けてくれるなよ」
すべてが神の御業だというこの男の台詞は、あの時代を必死に生き抜こうとした者、全員への冒涜だ。
「エミリアも勇者学院の生徒たちも、彼らは皆、命と誇りを賭け、祖国に襲いかかる竜の群れに立ち向かった。それが彼らの意志でも力でもなく、神に操られているというのならば、その戦いはなんだったというのだ」
言葉を強く、投げかける。
男の欺瞞を暴くかのように。
「この生もかつての死も、つかみとった救いも犯した過ちも、決して神などに支配されてはおらぬ。すべては、俺たちがこの手でなしたことだ」
神のせいになどできぬから、彼女たちは必死に戦ったのだ。
そして、確かに勝ち取った。
その勝利は、一片残らず、彼女たちのものだ。
神などにはくれてやらぬ。
「レイ、ミサ。聞いていたな」
つなげてあった<思念通信>を辿り、俺は言った。
「なんでも神託が下ったそうだ。ミサの心は神のもとへ旅立ち、勇者カノンが霊神人剣を抜くとき、その刃は神のもとへ返される。神の力を自らのものと自惚れたカノンに裁きが下り、彼は天へと旅立つ」
先程のアヒデの言葉を、俺は繰り返した。
「現実を見せてやれ」
レイとミサにそう告げ、俺はゆるりとアヒデを指さす。
「愚かなペテン師、アヒデ・アロボ・アガーツェ。お前を殺すのは容易いが、その前に神託者などという化けの皮を剥がしてやろう」
すまし顔で佇むアヒデに、はっきりと宣言する。
「<全能なる煌輝>エクエスの救いなど、この世には存在しない。お前が聞く神の声はすべて真っ赤な偽物なのだからな」
とうとう放置され続けてきたレイとミサの出番がやってくるようです。