地上に響く、想いの調べ
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォッッッ!!!」
古竜が断末魔の叫びを上げ、その巨躯がぐらりと傾く。
けたたましい音を響かせながら、竜は地面にひれ伏した。
竜の口から、微かに光が漏れる。
<聖域>の輝きだ。
その力が膨れあがると、細い指先が古竜の口からにゅっと出た。
「こっのぉぉぉっ、開いてくださいっ!! 開けぇぇっ……!!」
倒れた古竜の口を<聖域>でこじ開けるようにして、エミリアがその体内から這い出てきた。反対の手はレドリアーノをつかんでおり、彼女は渾身の力を込めて、彼を引っ張り出した。
異竜を相手にした経験を生かし、あえて竜の口の中へ飛び込んで、<竜縛結界封>で臓器を縛ってきたのだ。
レドリアーノは意識を失っているが、かろうじて息がある。
すぐに勇者学院の生徒たちが駆けよってきて、彼に回復魔法をかけていた。
「エミリアッ……このままじゃやべえぜっ! エレオノールの<聖域蘇生>で死にはしねえが、先に俺たちの魔力が尽きるっ」
聖水をここまで引いてきているが、元の魔力がゼロになれば、それを十分に使うこともできない。
「ハイネ君っ! <竜縛結界封>の状況はっ!?」
エミリアは<思念通信>を飛ばす。
「……もう九割以上できてるよっ! 問題はぶっつけ本番で、ぼくが<竜縛結界封>を使えるかどうかだけどねっ……」
勇者学院で確実に<竜縛結界封>を使えるのはエミリアだけだが、彼女は魔族である。
聖水は毒となるため、まともに魔法行使するのは難しいだろう。万が一、できたとしても、体は無事では済むまい。
「散々わたしに偉そうな口を叩いたんですから、それぐらい一発で決めてくださいっ!」
「はいはい。わかってるよっ。ほんと、こういうときはプレッシャーをかけないもんだと――」
なにかに気がついたようにハイネが言葉を止める。
「ハイネ君?」
「……やばいよ。上にいる青い異竜がこっちを見てる……魔法陣に気がついたんじゃないかな……?」
エミリアが上空を見上げた瞬間、異竜は口を開き、青いブレスを地上へ向けて吐き出した。
それはハイネが地面に描く<竜縛結界封>の魔法陣めがけ、一直線に飛来する。
「止めてくださいっ!!」
エミリアの合図で、魔法陣の守りについていた生徒が二人、<飛行>で飛び上がっては、結界魔法を使う。
「やらせるかぁぁっ!!」
バチバチと魔力と魔力が衝突する音が響き、生徒たちの結界の一部が凍りつく。
「援護するぞっ!」
遠くからエレオノールが魔法結界の上に<四属結界封>を重ねがけする。
しかし、猛威をふるう青いブレスはその二つの魔法結界を凍結させる。なおも勢いは衰えず、薄氷を割るかのように結界を粉々にしながら、生徒二人を飲み込んで、氷づけにした。
更に、その冷たい竜の息はハイネが大地に描いた<竜縛結界封>の魔法陣の三割を凍らせる。
「……くそっ! だめだよ、エミリア、やられたっ! あれをどうにか溶かさないと、聖水を流せない……!」
エミリアが険しい視線を上空に注ぐ。
あの異竜が空にいる限り、彼女たちの作戦は実行できないだろう。
「エミリア先生っ。あの異竜はボクたちがなんとかするぞっ。三分で倒してくる。その間、蘇生できないから、誰も死なせないで」
エミリアは、エレオノールとゼシアを守るように、二人の腕に<竜縛結界封>の糸を巻きつける。
「お願いしますっ! あれさえ落とせば、わたしたちの勝ちです」
「了解だぞっ」
「……ゼシアたちは……勝ちます……!」
エレオノールとゼシアは地面を蹴り、<飛行>で空へ舞い上がる。
上空にいた竜の半数以上は、すでにエレオノールの<聖域熾光砲>で撃ち落とされている。
残り竜たちは、青い異竜を守るような陣形を組み、空を行く二人に高熱のブレスを吐き出してきた。
<四属結界封>でそれを受け流しながら、エレオノールとゼシアは異竜に接近していく。
すると、周囲にいた竜たちが、そこから離れ始めた。
青き異竜が翼を大きくはためかせる。その羽ばたきに膨大な魔力が宿り、空域一帯を冷気で満たしていく。
竜の翼がはためく度に、猛吹雪が空に吹き荒れる。
それは<四属結界封>さえも凍てつかせ、<飛行>の魔法を乱す。
「ゼシアッ。長くはもたないぞっ。一気に倒そうっ」
エレオノールは緑の<根源応援魔法球>をゼシアに投げる。
彼女はそれに触れ、魔法球を吸収した。
途端に、その魔力がぐんと膨れあがる。
その根源がまだ幼く、潜在能力が違うからか、魔力上昇の幅がラオスたちよりも桁違いに大きかった。
「沢山……練習しました……」
ゼシアが異竜の背後に弧線を描くように十の魔法陣を描く。
その中心から正方形の物体が出現した。
ゼシアの姿が映っている。
それは鏡だった。
「<複製魔法鏡>……です……」
ゼシアの手に光が集う。
現れたのは、光の聖剣エンハーレだ。
ゼシアがそれを構えると、<複製魔法鏡>にもエンハーレが映る。
魔法の鏡に魔力が宿ったかと思われた瞬間、その中に映っていたゼシアの姿が消え、周囲の景色も消え、エンハーレだけがそこに残された。
「……複製……します……」
光の聖剣エンハーレが無数に増えていき、ゼシアの周囲に百本の聖剣が浮かぶ。
すると、それを映していた<複製魔法鏡>の中から、同じく百本のエンハーレが現れる。
「やっちゃえ、ゼシアッ!」
「……いきます……! 本物は……どれですか……?」
ゼシアがエンハーレを勢いよく突き出す。
十個の鏡に映った百本の聖剣。合計一一〇〇本ものエンハーレが、青い異竜に襲いかかり、その足を、翼を、尻尾を、首を、頭を、ズタズタに引き裂いていく。
「……グエエエエェェェェッッ!!!」
「正解は……ぜんぶ……です……」
いかに異竜の鱗、皮膚が強靭と言えども、ゼシアの魔力で、一〇〇〇本を超えるエンハーレを一度に叩き込まれれば、無傷では済むまい。
その巨躯からは、血が滴り、鱗がみるみる剥がれていく。
青き異竜は魔眼でゼシアを睨みつけ、顎を大きく開いた。
魔力と冷たい冷気が竜の口腔に集う。
「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォッ!!!」
ブリザードが如く、青きブレスがゼシアを襲う。
「<複製魔法鏡>」
ゼシアが目の前に、魔法の鏡を二枚作り出す。
それは異竜の青きブレスを映している。
「……複製……します……」
二枚の<複製魔法鏡>からは、映した青きブレスとまったく同じブレスが放たれた。
その片方は異竜のブレスを相殺し、そしてもう片方のブレスが異竜の体を飲み込んだ。
さすがに自分のブレスには抵抗力があるものの、鱗が剥がれ落ちた部分はその冷気で凍りついている。
「ガアアアアアアアアァァァッッ!!!」
怒り狂ったかのように異竜が滑空し、<複製魔法鏡>に突撃した。竜の体が触れた瞬間、魔法の鏡はパリンッと割れた。
生物の複製はできないのだろう。
「ゼシアッ、一気に決めるぞっ」
エレオノールの周囲に浮かんでいる魔法文字から、聖水が溢れ出し、彼女を包み込むように球体と化した。
エレオノールはその手で照準をつけるように、異竜へ向ける。
「<複製魔法鏡>」
二枚の魔法鏡がエレオノールの僅かに前方、左と右に出現した。
「<聖域熾光砲>ッ!!」
「……合わせ鏡……です」
向かい合った<複製魔法鏡>の真ん中を、光の砲弾、<聖域熾光砲>が通り過ぎる。
合わせ鏡になった<複製魔法鏡>の中には、同じく<複製魔法鏡>が映っており、またその中にも<複製魔法鏡>が映る。
それらすべての魔法鏡が、次々と<聖域熾光砲>を複製していく。
際限なく増えていく光の砲弾が魔法の鏡から一気に放出され、すべて一体となりて、青き異竜に撃ち出された。
それは膨大な光。
彗星の如く突き進む<聖域熾光砲>を、しかし、異竜は恐るべき速度で飛行し、回避した。
「<反射魔法鏡>……です……」
外れた<聖域熾光砲>の進行方向に<反射魔法鏡>が出現する。その魔法鏡は光の砲弾を反射し、異竜のいる方向へとはね返した。
「ギュウアアァァァッ!!」
竜鳴を上げながらも、異竜はそれを再び回避する。
だが、光の砲弾が向かった方向には、またしても<反射魔法鏡>が置かれていた。
「……合わせ鏡……です……」
二枚の<反射魔法鏡>は、常に異竜を挟む合わせ鏡となり、光の砲弾が異竜に当たるまで反射を続ける。
「もう一発行くぞっ、<聖域熾光砲>っ!」
エレオノールが光の砲弾を放てば、<複製魔法鏡>の合わせ鏡によって際限なく増加し、それは彗星と化す。
異竜が<聖域熾光砲>を避ければ、再びゼシアは<反射魔法鏡>の合わせ鏡を使い、反射した。
二発の彗星がまるで誘導するように、幾度となく異竜に襲いかかる。
「とどめだぞっ、<聖域熾光砲>ッ!!」
異竜が二発の<聖域熾光砲>を寸前のところで避けた直後、三発目の<聖域熾光砲>が真正面から放たれる。
その巨体ゆえ急旋回も急停止もかなわず、とうとう青き異竜は光の砲弾に飲み込まれた。
「グエエエエエエエエエエエエエエェェェェッッッ!!!」
悲鳴のような声が上がると、反射された残り二発の<聖域熾光砲>が異竜を撃ち抜き、その巨体を目映い光で消し去っていく。
「……ゼシアたちの勝利……です……」
「残りの竜もこのまま片付けるぞっ」
一方地上では――
空が輝くのを見ながら、エミリアは森林を抜け、平原まで必死に走った。
竜の足音がさっきよりも大きく地響きを鳴らしている。増援が来たのかもしれない。その物量で結界を突破するつもりなのだろう。
エミリアは<聖域>からありったけの魔力をかき集め、<灼熱炎黒>の魔法で、凍りついた大地を溶かしていく。
「……もう少しっ…………!」
少しずつ、しかし確実に氷は溶けていき、そして、聖水を通すための魔法陣の水路が復旧する。
「流しますよっ!」
エミリアは叫び、川を堰き止めていた魔法を解除する。
すると、大地に描かれた水路の魔法陣に勢いよく聖水が流れ込んできた。
「ハイネ君ッ!!」
「ああっ、これで、もう終わりだよっ! 楽勝だねっ」
二本の聖剣を地面に突き刺そうとハイネが手を振り上げる。
そのとき、森林の向こうから青いブレスが通り抜け、ハイネを襲った。
「な…………!」
<竜縛結界封>で威力が減衰していたにもかかわらず、一瞬の内にハイネの全身が凍りつく。
「ギュエエエエエエエエエエエエエエエエエェェェェェっ!!」
咆吼を上げながら、木々を薙ぎ倒し、巨大な青き異竜がこの場に姿を現した。
上空にいたのとは、また別の個体だ。
「……ちっきしょうっ! 舐めんじゃねえっ! ハイネッ! 手荒くいくぜぇっ!!」
ラオスが森林から飛び抜けて、聖炎熾剣ガリュフォードを思いきり振りかぶる。
そして、ハイネの顔面に思いきり叩きつけた。
「おらぁぁっ! 寝てる場合じゃねえっ! とっとと起きやがれっ……!!」
炎がハイネの全身にまとわりつく。
同時にラオスが聖水で回復魔法を使うと、やがて、ピシィ、氷に亀裂が入り、ハイネの顔面が解凍された。
瞬間、ハイネは叫ぶ。
「早く、片腕だけでいいっ!!」
「わかってんよぉっ!!」
ラオスがガリュフォードに魔力を込め、ハイネの右腕の氷を溶かしていく。
「もうちょ――」
ラオスの体が、その場から弾き飛んでいた。
森林を抜けてきた竜が、突進し、彼を弾き飛ばしたのだ。
その竜の魔眼が、ぎろりとハイネを睨む。
見れば、次々と森林から竜の群れが抜けてきていた。
「ハイネ君っ……今っ……!!」
エミリアが駆け出そうとしたそのとき、更にもう一匹、三匹目の青い異竜が彼女の前に降り立った。
「グガアアアアアアアアアアアァァァッッッ!!」
容赦なく、凶暴なかぎ爪が振り下ろされ、纏った<竜縛結界封>ごと彼女を弾き飛ばした。
「……そんなことだろうと思ったよ…………」
悔しさを滲ませてハイネが言う。
「うまくいったと思った瞬間に、やられるんだよね……。そりゃ、聖剣だって愛想を尽かして、本物の勇者にとられるよ……」
ぎりっと奥歯を噛みしめ、ハイネは森林を抜けてくる夥しい数の竜の群れを見た。
青い異竜が二匹いる。
それは彼にとって、まさしく絶望的な光景というほかない。
「……だけど…………」
それでも、彼の瞳は、まだ光を失ってはいなかった。
「一度ぐらいはっ……!!」
凍りついた腕を、ハイネは無理矢理動かそうと魔力を込める。
「くそぉっ……動けよっ……!! 動けっ……!! この役立たずっ……!! お前はいつまで役立たずでいるんだよぉっ……!! 動けぇぇぇぇっっっ……!!!」
ミシミシと鈍い音を立てながら、彼の腕が僅かに動く。
その聖剣に魔力が伝った。
「……頼むよっ、ぼくの聖剣……!! ぼくは本物じゃないっ、本物の勇者とは似ても似つかないけどさっ……!!」
全力で腕に力を入れ、ハイネが叫ぶ。
「それでも、あいつらを助けたいんだっ!! 頼むっ。力を貸してくれっ……!! お願いだからっ!!」
バキンッと不気味な音を立て、ハイネの肘から先が折れ、地面に落ちる。
くるりと回転し、聖剣が地面に突き刺さった。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォっ!!」
目の前にいた竜が唸り声を上げ、ハイネに牙を立て、食らいつく。
だが、彼は不敵に笑った。その視線は地面に向いている。
彼の腕にも、その聖剣にも僅かに魔力が込められていたのだ。
「いっけええええええええええええええええぇぇぇっっっ!!!」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴォォォッと地響きを立て、魔法陣の最後のピースが埋められる。
大聖地剣ゼーレによって、地面に穿たれた水路に、勢いよく聖水が流れ込んだ。
「……後は――がっ……」
ハイネが<竜縛結界封>を使おうとした瞬間、竜の牙が彼の体にめり込んだ。
「……はは……。やっぱり……ぼくなんかじゃ、だめ、か……ちきしょう……」
竜の口の中で、力を失ったかのように、がくん、とハイネの頭が垂れる。
彼の耳に、けれども、声が響いた。
「…………無駄になんかしません……………………」
ハイネはうっすらと目を開ける。
「……エミリア…………」
異竜に弾き飛ばされ、地面に転がったエミリアが、描かれた魔法陣の水路に手をひたしていた。そこには聖水が流れ、すでに魔法を使う準備は調っている。
「いつもサボッてばかりでしたが、今日はよくがんばりましたね……」
エミリアの魔力が聖水に伝わり、その魔法具の力を起動する。
「<竜縛結界封>ッッッ!!」
聖水の力が彼女の体内に入り込み、毒と化して、体を蝕む。
魔力を得る度に、激痛がエミリアを襲った。
それでも、歯を食いしばり、脂汗を垂らしながら、彼女は想いを震わせ、その痛みと戦った。
どれだけ体が蝕まれ、夥しい数の聖痕が全身に浮かび、それが根源さえも侵そうとしても、一瞬たりとも、エミリアが怯むことはない。
その痛みも、苦しみも、かつての日々に比べれば、取るに足らぬ。
まるでそう訴えるかのように、<竜縛結界封>はこれまで以上に完璧に発動し、その場に無数の糸を生みだした。
平原が、輝いていた。
その光の糸が震動すれば、まるで楽器を奏でたかのような綺麗な音を、遙か遠くまで響き渡らせた。
ドゴォンッとハイネを咥えていた竜が、地面に倒れた。
次々と森林から抜けてきた竜たちが奏でる音を浴び、活動を停止し、ひれ伏していく。
最後に空から、竜が落ちてきて、大地に突っ込む。砂埃が高く舞い上がった。
巨大な<竜縛結界封>による音の結界は、エノラ草原にまで響き渡る。その調べを聴いた竜は力を封じられ、あるいは、地底へ帰っていった。
疲労困憊、負傷者は多数、殆どの者は死にかけている。
なにかが一つでも狂えば、勝敗はどちらに傾いたかはわからない。
それでも、彼女たち全員の想いがたぐり寄せた、それはぎりぎりの勝利だった。
彼らの勇気が、きっと勝利を呼び寄せたのでしょう。