竜殲滅作戦
聖明湖の畔で、エミリアは竜の殲滅作戦を説明していた。
「――以上です。なにか質問はありますか?」
勇者学院の生徒たちは真剣な面持ちで、各自、説明された作戦を反芻している。
特に質問の声は上がらなかった。
「では、行きますよ。時間との勝負です。急いでくださいっ」
「「「了解っ!」」
ラオス、レドリアーノ、ハイネが聖明湖の水に手を入れる。
引き上げたのは、彼らの聖剣だ。
聖明湖の聖水の魔力で、折れた刃が復元されていた。
「んじゃ、先に行っとくぜぇっ」
ラオスが<飛行>でガイラディーテの街中へ飛び立っていった。
「力を見せなよ、ぼくの聖剣、ゼーレ、ゼレオッ!」
ハイネは地面に二本の聖剣を突き刺した。
ゼーレとゼレオから魔力の粒子が立ち上り、大地が激しく揺れ始める。
地面に亀裂が入ったかと思うと、それが二つに割れていく。
彼が作っているのは水の通り道だ。
地面に構築されていくその巨大な水路が聖明湖とつながると、水が勢いよく流れ込んでいった。
「導きたまえ、聖海護剣。一滴の聖水より生まれし、ベイラメンテ。汝の力、汝の意志をここに見せよっ!」
レドリアーノが聖剣の切っ先を聖明湖にひたす。
すると、聖明湖に混ざっている聖水がみるみる水路の方へ流れ出した。
魔眼に優れた者が深淵を覗いたならば、その水路はキラキラと輝いていただろう。
「もう少しで……」
ハイネが大地を割って作っている水の道は、やがて、ガイラディーテに設けられている古い水路とつながった。
普段は使われていないそこへ、聖水が流れ込み、みるみる下流へ下っていく。
『っしゃっ! 水門をぶっ壊すぜぇっ……! 燃えろっ!!』
ラオスは聖炎熾剣ガリュフォードを思いきり振り下ろし、古い水路に設けられた、金属の水門に聖なる炎を浴びせていく。
あまりに古く錆び付いているため、普通の手段では開けられなくなっているのだ。
『おらぁっ……! 燃えろっつってんだよぉぉっ!!!』
ゴオオオォォォッと高温の聖炎を集中的に浴びせられ、ドロリと水門が溶け始めた。向こう側が見えた瞬間、聖明湖からの聖水がそこへ勢いよく流れ込んでくる。
僅かな隙間に注ぎ込まれた大量の聖水が、溶けかけていた水門をボロボロに破壊し、さらっていく。
ガイラディーテは高地にあり、その周囲はほぼ平地には近いものの、なだらかに下っている。水門を開けば、東西南北いずれの方角へも水が流れる。
二千年前、人間たちを守り抜いた要塞は、前線へ聖水を届けられるように、水路が整備されていたのだ。
「道はできましたっ。続いてくださいっ!」
声を放ち、エミリアは真っ先にその水路に飛び込んだ。
<水中活動>の魔法を使い、水流の流れで加速するように、ガイラディーテを下っていく。
目的地はここより三〇キロ地点にあるトリノス平原。
彼女らはそこでエノラ草原から向かってきている竜たちに対して、防衛のための陣を敷くつもりだ。
水中での訓練を積んでいる勇者学院の生徒たちは、<水中活動>も熟練しており、下流へ行くならば、飛んでいくよりも泳いだ方が速いだろう。
だが、エミリアは魔族のため、水中戦がそれほど得意というわけでもない。
先陣を切ったはずの彼女は、次々と生徒たちに追い抜かれていく。
「先生が遅れちゃ、勝負にならないぞ」
後ろからやってきたエレオノールが、水中でエミリアに手を伸ばした。
「……魔王学院の?」
「ボクは人間だぞっ。あー、正確には魔法だけど、勇者学院の生徒なんだ。向こうには学院交流に行ってるから。名前はエレオノール。こっちはゼシア」
「……先生……連れていきます……」
エレオノールの真似をするように、ゼシアがエミリアに手を伸ばす。
「……泳ぎは……得意です……ゼシアは水の中で生まれました……」
「それじゃ、お願いします……」
エミリアがエレオノールとゼシアの手をとった。
途端に彼女たちはぐんと加速する。
「頼みますよ、エレオノール、ゼシア。竜が通り過ぎた後に到着しては、洒落になりませんからね」
追いついてきたレドリアーノがそう声をかける。
「くすくすっ。とっておきの秘策があるんだぞっ」
そう言って、エレオノールは制服を脱ぎ捨てる。
すると、その下には<至高水着>があった。
同じように、ゼシアが制服を脱ぎ、<至高水着>姿になる。
「な……なんですか、その――ええぇぇぇぇっ……!!」
ゼシアとエレオノールの急加速に、エミリアが驚いたように目を剥いた。
ふむ。しかし、教師が引っぱられているだけでは締まらないな。
そう思い、俺は<思念通信>を飛ばす。
『エレオノール。お前の体を経由して魔法を送る。少々遅くはあるものの、いい機会だ。エミリアに就任祝いをくれてやろう』
「わかったぞ。エミリア先生、ちょっといーい?」
エミリアがエレオノールを振り向く。
『<至高水着>』
俺がエレオノールを経由して魔法を使うと、エミリアの体が光り輝く。
それがぱっと弾けると、彼女の服は消え去り、<至高水着>姿になっていた。
「……な、なにしてるんですかぁっ!?」
エレオノールが人差し指を立てる。
「アノシュ君からのプレゼントだぞ。<至高水着>は速いんだぞっ」
「……アノシュ君から…………」
エミリアは恥ずかしそうに、<至高水着>姿の自分を見た。
頭を振って、前を向き、そして、<至高水着>の効果を確かめるように、しばし泳ぐ。
「見た目はちょっとどうかと思いますが、すごい……。これなら……!」
エミリアがぐんと水中を加速する。
「皆さんっ! つかまってくださいっ」
みるみる前を追い抜いていくエミリアは<聖域>の魔法を使い、それをロープのように伸ばして、勇者学院の生徒たちと体を結ぶ。
先頭を行くは<至高水着>姿の三人の少女。
彼女たちの加速に引っぱられながら、勇者学院の生徒たちはかつてない速度で水路を下っていった。
そのまま泳ぎ通し、目的地のトリノス平原に辿り着く。
「……おいおい、すげえ数だな。こんな距離でも、魔力がはっきりとわかんのかよ……」
ラオスが少し先にある森林に視線を向ける。
そこを抜けさえすれば、巨大の竜の姿がもう目に見えるだろう。
「わたしに<聖域>を。<勇者部隊>を使って、レドリアーノ君と、ラオス君を、勇者に」
収納魔法を使って、法衣に着替えながら、エミリアは言う。
エレオノールとゼシアも、替えの制服を持ってきていた。
「「「了解っ!」」」
生徒たちはまず<勇者部隊>を使い、ラオスとレドリアーノを強化する。
「<竜縛結界封>をあの森林に仕掛け、竜の進撃を食いとめます」
「……しかし、竜は翼があるでしょう。途中で飛んでいくかもしれませんが?」
レドリアーノが疑問を向ける。
「エールドメード先生の説明では、竜は土中の生き物です。翼があるとはいえ、あれは本来、土中での活動用です。地上で長時間の移動に、飛行することはないんでしょう。この間の追いかけっこのときもそうでしたから」
エミリアは、<飛行>で森林へ向かいながら、<思念通信>を飛ばした。
「ハイネ君っ。竜を一網打尽にする最後の切り札は、あなたにかかってますからね。頼みましたよ」
『……まあ、やるだけやってみるけどさ。そういうのは、あんまりぼく向きじゃないんだけどね……』
二本の聖剣をくるくると手の中で回転させながら、彼は一人、森林には向かわず、平原を見据える。
「わたしが頼んだんですから、やればいいんですよっ」
「はいはい」
ハイネは二つの聖剣を地面に突き刺す。
「人使いが荒いよねぇ、ほんとにさっ!」
ガガ、ガガガガガッと聖剣の力で地面が削られていく。
ハイネが作っているのは聖水を通すための水路である。
そして、それは、<竜縛結界封>の魔法陣を描こうとしていた。
巨大である。最初に引く円だけでもまだ描き上がらず、その魔法陣は数キロにも及ぼうとしている。
無論、それだけの大規模魔法陣を使った魔法を使う魔力は、彼らにはあるまい。
そのため、聖明湖から聖水をここまで引いてきたのだ。
平原一帯を巨大な<竜縛結界封>とし、向かってきた竜の群れを一網打尽にする。それが、エミリアの考えた殲滅作戦だった。
とはいえ、<竜縛結界封>の魔法術式は複雑だ。広大な範囲にそれを描くとなれば、かなりの集中と時間を要するだろう。
魔法陣完成まで、エミリアたち勇者学院は、竜の群れをあの森林で食いとめなければならない。
うまくいけば竜を殲滅できる。
だが、失敗すれば、無事では済むまい。
その覚悟を持って、勇者学院の生徒たちはここまでやってきた。
迷いがなかったかといえば嘘になるだろう。
怖じ気づかなかったかといえば、そんなはずもない。
それでも、小さな勇気を振り絞り、恐れと迷いを振り切って、彼らは今、戦場に立っている。
「……まもなくですね」
森林の中から、レドリアーノが険しい視線を草原に送る。
竜たちの影がもううっすらと見えていた。
耳をすませば、竜が地面を踏みならす音が、ここまで聞こえてきたことだろう。
「皆さん、そのまま警戒を緩めず、聞いてください」
エミリアが生徒たちに<思念通信>を送る。
「……魔族のことを勉強していた皆さんは、皇族、という言葉をよく知っていることでしょう……」
エミリアは戦場となる森林全体に<竜縛結界封>の魔法陣を描きながら言う。
「わたしは皇族として生まれました。ディルヘイドの崇高なる英雄、恐ろしくも尊き暴虐の魔王、その完璧なる存在の血を受け継ぐ、尊き魔族だと信じて疑いはしませんでした」
言葉にすれば、彼女の心には、今もなお痛みが走る。
「それは嘘でした。わたしはただの何者でもない魔族で、その事実をあろうことか、暴虐の魔王本人に突きつけられたんです。わたしは呪いをかけられ、皇族である誇りを失い、死んで逃げることさえ許されませんでした」
その苦しみを、生涯、エミリアは抱えていかなければならないのかもしれない。
「それでも、わたしは逃げ続けました。目をそらし続けました。逃げて逃げて、どこかにわたしの居場所がないかと彷徨い続けて、今、こうして、皆さんとここに、一緒に立っています」
一際巨大な竜の頭が目に映った。
キィィィンッと竜鳴が彼女たちの耳に響く。
「ですが、安心してください。都合の良い話かもしれませんが、どうか信じてください」
心を込めて、彼女は言う。
「逃げて逃げて逃げて、どうしようもないぐらい逃げ続けたわたしですが、ここからは一歩だってもう、逃げません。いいえ、逃げられません」
まっすぐ前を見て。
進撃する竜たちの群れを見据えながら、エミリアは声を上げた。
「ここが、わたしの、ようやく見つけた、守りたい場所だから」
一番前に、彼女は立っている。
真っ先に竜と戦う場所に。
「あなたたちは、今も変わらず、馬鹿で下品で、どうしようもない生徒たちですよ」
生徒をけなすエミリアの言葉には、けれども優しさが溢れている。
「それでも、一つだけわたしは間違えていました」
ドドドドドッと竜の足音が響き始めた。
エミリアたちに気がつき、速度を上げているのだろう。
「あなたたちは決してクズなんかじゃありませんっ。それを、ガイラディーテの人間たちに教えてあげますっ! あそこから向かってくる竜とかいう化け物を、一匹残らず駆除してっ!」
生徒たちを鼓舞するように、エミリアは叫んだ。
「こんなところで死ぬのはご免です。あいつらに人間を舐めたことを後悔させてやりますっ。ぶっ殺してやりましょうっ!!」
響き渡る声に、彼らの想いが一つになっていく。
「……はははっ、いいね、エミリア。最高だよっ」
「ああっ、やろうぜ。ぶっ殺してやる!」
「害獣など、わたしたちの敵ではありませんね」
ハイネ、ラオス、レドリアーノが聖剣を構える。
「砲撃魔法準備っ!! 来ますよ……!」
うおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉっ、と大地を揺るがすような雄叫びとともに、エミリアに集う<聖域>の光が天にも昇る勢いで膨れあがる。
<竜縛結界封>の魔法が行使され、森中に竜の力を蝕む、魔法の糸が無数に張り巡らされた。
彼らの眼前に、竜の群れがはっきり映る――
エミリアはまっすぐ、その手を前へ向けた。
「――撃ちなさいっ!!」
号令とともに、勇者たちの魔法砲撃が雨あられのように竜たちに降り注いだ。
時間との勝負だからこその<至高水着>。




