誇りの戦い
勇者学院アルクランイスカ。
異竜に襲われ、ボロボロになった大講堂に、緋色の制服を纏った生徒たちが集合していた。
空間がぐにゃりと歪み、そこへ俺は転移した。
後に続くようにエールドメード、シン、そして魔王学院の生徒たちが転移してきた。
「カカカ。またずいぶんと手酷くやられたものだ」
エールドメードはアルクランイスカの惨状を見るなり、そう口にした。
大講堂には天井すらなく、青空が見えている。
壁に大きく空いた穴を覗けば、建物を押し潰して横たわる巨大な異竜の姿があった。
「しかし、異竜を倒すとは。しかも、なんだ? 体内に<竜縛結界封>がかけられているということは、自ら竜の口に飛び込んだか。カッカッカ、狂気の沙汰ではないかっ!」
嬉しそうに彼は言った。
異竜には、聖明湖から運んできた聖水を用いて、<竜縛結界封>以外にも魔法結界を何重にも重ねがけし、完全に動きを封じていた。
シルクハットから<熾死の砂時計>を取り出し、エールドメードは異竜を呪う。
その砂が落ちきれば、異竜は絶命するだろう。
エールドメードは、エミリアと生徒たちに視線を向ける。
そうして、再びカッカッカと笑った。
「オマエら、少し目を離した隙に、一端の戦士の顔になったではないか。懐かしいものだな。そんな人間を見るのも、実に二千年ぶりか」
エールドメードは杖を両手で持ち、床については体重をかける。
「緊急事態だっ、緊急事態であるっ!」
声をあげ、慌てふためきながらやってきたのは、肥満体の学院長ザミラだ。
「聞けい聞けいっ。たった今、王宮の使い魔が確認したところ、エノラ草原から、竜の大群が次から次へと湧いてきて、このガイラディーテの方角へ向かってきているっ! ただちに迎撃しなければ、王都が飲み込まれてしまうだろうっ!」
わめくように言ったザミラを、白い視線で一瞥しながらも、生徒たちは竜に対して深刻そうな表情を浮かべる。
「これは国家の危機であるっ! 勇者学院アルクランイスカに王より勅令を賜った。勇者学院の全生徒は勇者として命を賭け、この国の盾となれっ! 諸君らが時間を稼ぐ間に、王宮は竜を迎え打つ軍備を調える。それまで、一匹たりとも、この王都の中に入れるなっ! いいかっ!」
勇者学院の生徒たちは返事をしない。
それどころか、ザミラを見ることもなく、完全に無視している。
「なんだ、そのふて腐れた態度はっ? まさか怖じ気づいたのではないだろうな? 死ぬ勇気すらないのか、勇者ともあろう者が、ん? 貴様らが学院長のディエゴとともに、国家転覆を企んでいたことは周知の事実。その大罪人であるお前らに王宮が恩赦を与えたのを忘れたかっ!?」
あくまで生徒たちが視線を向けようとしないので、ザミラは地団駄を踏む。
「馬鹿共めっ。これは王の勅令であるぞっ! せめて一度ぐらいは国の役に立ってみせろっ!」
エミリアがキッとザミラを睨みつける。
「……いい加減にしてください。そんな命令は聞けません」
彼女の言葉に、ザミラは不愉快そうな表情を覗かせる。
「聞く聞かないではないのだ。これは、王の勅令であるぞ」
「だったら、魔王にそう言ってください。人間の王の勅令を聞く義務はわたしにはありません」
「なんだと? ならば、とっとと尻尾を巻いて祖国へ帰れ、この腰抜けが。貴様がどうであれ、こいつらは王の命を聞く義務がある。逆らえば、国家反逆罪で全員引っ捕らえるぞっ!!」
ザミラの暴言に、勇者学院の生徒たちは皆、表情を険しくする。
「まったく、どいつもこいつも、怖じ気づきおって。そんなに竜と戦うのが恐いのか? 本物の勇者はそんなことを恐れはしなかっただろうに。よくもまあ、祖先の顔に泥を塗るような真似ができるものだ。私ならばそのようなことは、恥ずかしくてとてもできんぞ」
ザミラはただただ生徒たちに罵声を浴びせる。
エミリアがもう我慢の限界だという表情を浮かべ、ザミラに向かって足を踏み出す。
「ほう。よく言った」
俺の声に、彼女は振り向く。
ザミラのもとへ、俺はゆるりと歩を進めた。
「二千年前、人間の王族たちは民を守るため、竜と戦うときは必ず先陣を切ったものだ」
脂肪まみれのザミラの腹に手を伸ばし、がしっとわしづかみにした。
「うぐぅ……! こ、このガキッ。なにをするかっ……!? 無礼であろうがっ!」
「祖先の顔に泥を塗るわけにはいかぬのだろう? ならば、王族の名に恥じぬよう、最前線で竜を食いとめてみせよ。なに、手間賃はまけておいてやる」
その肥満体に魔法陣を描くと、ザミラは怯えた表情を見せた。
「……待て……待て、貴様……なにを言っている……? なにをするつもりだっ!?」
「徒歩で行くのも大変だろうからな。エノラ草原まで送ってやろう」
「や、やめっ。やめろっ、馬鹿なことをっ、私は指揮する立――」
ザミラの肥満体に<転移>の魔法を使えば、彼はこの場から姿を消す。
エノラ草原に飛ばしたのだ。
「あ、あ……アノシュ君っ!? そんなことして……!」
エミリアが慌てて駆けよってくる。
「なにか問題だったか? まさか六歳でも倒せる竜如きに、人間の王族がやられるわけもあるまい」
唖然とした表情でエミリアが俺を見つめる。
「カッカッカ、まったくまったく、困ったものだ、アノシュ・ポルティコーロ」
愉快千万といった調子でエールドメードが笑い飛ばす。
「だが、子供のすることだ。ここは大目に見ようではないか。なあ、エミリア先生」
くすり、とエミリアは微かに笑みを漏らす。
「そうですね。人一人の安否を気遣えるような状況じゃありませんし。このまま行方不明にでもなってもらえれば、もっと助かりますけどね」
勇者学院の生徒たちから、どっと笑い声が溢れた。
まあ、竜からは五キロほど離れた場所に送った。
腐っても王族ならば、命からがら逃げおおせるかもしれぬ。
「んじゃ、邪魔者もいなくなったことだしよ。とっと作戦会議でも始めようぜ。どうすんだよ、エミリア?」
「え……?」
エミリアがラオスを振り向く。
「え、じゃなくてさ。このままじゃ王都がヤバいんでしょ。王宮の準備が調ってないなら、ぼくたちが行くしかないでしょ」
ハイネがそう口にした。
「王の勅令に従うというわけではありませんが、竜がアゼシオンにとって脅威であることは変わりません。自分たちの故郷ぐらいはこの手で守りたいですからね」
異竜を倒したことが自信に変わったか、勇者学院の生徒たちは誰も怖じ気づいた素振りを見せていない。
「……覚悟はできてるんですか?」
一瞬、エミリアは考え、そう短く尋ねた。
彼らはこくりとうなずく。
誰に言われたからではなく、自らの意志で戦うと決めた。
その決意は、エミリアにはっきりと伝わったことだろう。
「わかりました」
エミリアはエールドメードの方を向いた。
「勇者学院はこれより、エノラ草原からガイラディーテへ向かってきている竜の群れの討伐に向かいます」
毅然とした口調で彼女は言う。
「魔王学院はこのアルクランイスカで待機してください。学院交流中のあなたたちを、危険に曝すわけにはいきません」
それは意外な申し出だ。
「カカカ、我々に助力は請わないと?」
エールドメードは杖に体重をかけるようにして、エミリアの顔を覗き込む。
「それは、あまり賢い選択とは言えないのではないか、エミリア先生?」
まるで試すように、熾死王は問うた。
「……そうかもしれません……魔王学院の力を……暴虐の魔王の力を借りれば、これぐらいのことは、危機でもなんでもないのかもしれません……」
迷いのない口調でエミリアは答える。
「それでも、これは、わたしたちの手でやらなければならないことです。わたしたちの誇りを賭けた戦いなんです。ここで、魔王の力を借りて、竜を退けたとしても、またいつやってくるかわかりません。いつまでも魔王の庇護下にいるわけにはいかないでしょう」
エールドメードはニヤリ、と笑う。
「見上げた覚悟ではないか。だが、今の時点でざっと百匹はくだらない。勇気だけでは無駄死にだぞ」
エミリアはこくりとうなずく。
勝算があるということだろう。
「それでは、客人として、遠慮なくこの国に守られておこうではないか。ああ、だが、一つ言っておくが、さすがにこの王都に寄ってきた竜には死んでもらうぞ。オレも生徒を守る義務は果たさなければな」
王都の守りは気にするな、という意味だろう。
これで勇者学院は竜を殲滅することだけに集中できる。
「ありがとうございます」
エミリアは深く頭を下げた。
くるり、と踵を返し、彼女は扉へ向かう。
「行きますよっ。時間がありません。聖明湖に移動してくださいっ」
エミリアと勇者学院の生徒たちは、大講堂を出ていった。
「というか、こんなにいきなり竜の群れが地上に出てくるのって、絶対おかしいわよね?」
サーシャが俺に疑問を向ける。
「竜の自発的な行動とは思えぬな。恐らくは、地底の竜人どもの仕業に違いあるまい」
「なにが目的?」
ミーシャが訊いた。
「さてな。あるいは真の目的を隠すための陽動かもしれぬ」
竜に目を向けさせておいて、その隙になにかするつもりか?
「エレオノール、ゼシア。エミリアたちに同行するといい。お前たちは元々、勇者学院の生徒だからな。魔王の手を借りぬという彼らの誇りは傷つけまい」
エレオノールとゼシアがこくりとうなずく。
「うんっ、わかったぞ」
「……みんなを、守ります……」
二人はすぐに移動を始める。
「みんな、すぐ調子に乗るから、うっかり目を離すと死んじゃいそうな気がするぞ」
「……油断禁物……火の用心……です……」
そんな風に言いながら、彼女たちは大講堂を出ていった。
「サーシャとミーシャは俺と来い。エノラ草原の地下に不自然な空洞ができているのを見つけた。なにか、そこに潜んでいるやもしれぬ」
ミーシャがうなずき、サーシャは言った。
「わかったわ」
「シン」
俺たちのそばでさりげなく話を聞いていた彼が、静かに歩み寄ってくる。
すれ違い様に、俺は<思念通信>で命を伝えた。
「仰せのままに。我が君」
そう呟き、シンは大講堂を出ていった。
皇族派に接触してきた盟珠を持つ者。王宮の地下で飼われた竜とガイラディーテ王、王都に迫る竜の大群。エノラ草原に構築されていく不自然な空洞。
地底世界にいるどの者が、なにをそんなに思い上がり、どれほど愚かな企みを持っているかは知らぬがな。
この地上を甘く見たことを、存分に後悔させてやろう。
しかし、レイたちは、どうなったんでしょうね……。