王の歓待
ガイラディーテの王宮。
ザミラに案内され、レイとミサは玉座の間に通された。
豪奢な玉座に座り、彼らを迎えたのは、王の服を纏った痩せ細った老人だ。
シワだらけの年老いた顔だったが、目だけはギラギラと輝き、若さを保っている。
「勇者カノン様とその婚約者ミサ様をお連れいたしました」
ザミラが慇懃に述べ、その太い体でぎこちなく跪く。
それに倣い、レイとミサは王の前に跪こうとしたが、それをガイラディーテ王は手で制した。
「そのままでよい。アゼシオンの大英雄、勇者カノンに膝をつかせるなど、私にはできぬよ」
王は玉座から立ち上がり、レイとミサの元へ歩いてきた。
「お初にお目にかかる。余が第一〇六代ガイラディーテ王、リシウス・エンゲロ・ガイラディーテである」
二千年前、王都ガイラディーテは人類の砦だった。王都を治める王こそが、すなわちアゼシオン全土を統一して治める王である。
アゼシオンは正確に言えば、単一の国家ではなく、人間の連合国なのだ。それらの国を治めているのがガイラディーテ王だ。
その歴史は二千年間変わらず、今日まで受け継がれてきている。
ザミラがリシウス王と同じくエンゲロ姓ということは、彼も王族の一人なのだろう。
もっとも、勇者学院に飛ばされるぐらいなのだから、王位継承順位は低そうだ。
「よくぞ。王宮へ来てくれた。我らは、この日を待ち望んでいたのだ」
リシウスはレイに手を差し出す。
「今はレイ・グランズドリィです」
そう言って、レイは握手に応じた。
「魔族になろうと余にとっては憧れの英雄、勇者カノンに変わりはない」
リシウスはミサにも手を差し出した。
「ミサ・レグリアです」
「素晴らしいお嬢様だ」
二人は握手を交わした。
「晩餐会まではまだ時間がある。その間、ゆっくりと過ごせる部屋を用意させた。我が家と思って、くつろいでくれたまえ」
「ありがとうございます。他の王族の方々にも、ご挨拶をしておきたいのですが?」
レイがそう口にすると、リシウスは口を閉ざし、鼻から息を吐いた。
「勇者カノン」
真剣な表情でリシウスが訴える。
「本来はもてなす立場でありながらも、このような非礼をどうか許していただきたい。あなた様に頼みがあるのだ」
一瞬、レイはミサと視線を交換する。
「なんでしょうか?」
「王位継承権を持つ王族は、二六人」
跪いたままのザミラが、一瞬、暗い視線を床に落とす。
「だが、皆今は病に伏せっておるのだ」
「……全員が、ですか?」
「不可解に思う気持ちはわかる。何者かが国家転覆を企み、王族を皆殺しにしようとしているのではないかと、余も考えた。だが、どんな賢者に頼もうとも、原因がつかめぬ。呪いかとも思ったのだが、どうもそうではないようなのだ」
沈痛な表情でリシウスが言う。
「このままでは国が潰える。最早、頼りは宿命を断ちきると言われる、あなた様の霊神人剣しかないのだ」
「……ディルヘイドの魔王に頼ることもできたでしょう……?」
レイの言葉に、リシウスは首を横に振った。
「所詮は、魔族。信用はできぬよ。王位継承者が潰えようとしていることは、王宮でも信頼できるごく一部の者にしか知らせてはおらぬのだ。ましてや、他国の王に知られるわけにはいかん」
竜の討伐に力を入れていないのは、それどころではなかったということか?
「褒美はいかようにも。どうか、我らを救ってくださらぬか?」
頭を下げるリシウスを見て、レイは困ったように笑う。
「どこまでできるかわかりませんが、呪いの類でしたら、なんとかなるかもしれません。王族の方に会わせてもらえますか?」
「ああ、ありがとう、感謝する」
そう言って、リシウスは玉座の方へ歩き出した。
「こちらだ」
二人がリシウスの後に続くと、引き止めるようにザミラが言った。
「王よっ!」
足を止め、リシウスが振り向く。
「どうした、ザミラ」
「私は、王の願い通り、勇者カノン様を王宮に連れて参りました!」
懇願するような目で、ザミラはリシウスを見た。
「うむ。ご苦労だった、ザミラ。褒美を取らせよう。これからも、勇者学院で我が国のために尽力するがいい」
ザミラはぎりっと奥歯を噛む。
「……勇者学院で、でしょうか……?」
「なにか不服があるなら、申してみよ」
「……いえ……滅相もないことでございます……」
頭を下げながらも、ザミラは屈辱と怒りに染まったような表情で床を睨んでいた。
だが、次の瞬間、なにを思ったか、彼は薄暗い笑みを浮かべた。
唯一、病魔に冒されていない王位継承者にもかかわらず、王宮の外に出しておくということは、リシウスはザミラに王位を継がせたくないのだろう。
ザミラに構わず、彼は玉座のもとに移動する。
それに手をかざし、魔法陣を描けば、ゴゴゴゴッと音を立てて、玉座が動いた。
その下に現れたのは隠し階段である。
リシウスは先導するように、そこを降りていく。
レイとミサもそれに続いた。
階段の壁には魔法のランプがかけられており、仄かに明かりが灯っている。
だが、先は見通せないほど薄暗かった。
三人はしばらくそこを進んでいく。
歩いても歩いても、見えてくるのは階段ばかりだ。
玉座の間が一階だったことを考えれば、かなり地下深くまで潜っているだろう。
ぽちゃん、と小さく水音が鳴った。
その響きは、段々と数を増して、耳に聞こえ始める。
やがて、見えてきたのは広大な鍾乳洞である。
遙か下方に地底湖があり、それが不思議な光を発している。
聖水だろう。
リシウスは<飛行>の魔法を使い、地底湖まで降下していく。
レイとミサもそれを追った。
リシウスは地底湖の上にある細い岩の道に降り立つ。
そこをまっすぐ彼は歩いていった。
「こんなところで、王族の方が療養されてらっしゃるんですか?」
不思議そうに辺りを見回しながら、ミサがそう尋ねる。
「ここはガイラディーテで一番濃い聖水が湧く場所なのだ。それに、王宮でも限られた人間にしか伝えられておらぬのでな。民に知られる心配もない」
リシウスが答えた。
地底湖の中心は円形でできた岩が舞台のようになっており、彼はそこまで歩を進める。
二六個の棺が置いてあった。
「この中に?」
リシウスがうなずく。
レイは棺の前でしゃがみ込むと、その蓋に手をやる。
ゆっくりと蓋をずらして、棺を開ける。
だが、中は空っぽだった。
レイがリシウスを振り向いた瞬間、キィィィンッと高く不快な音が鳴る。
地底湖が淡く白々とした光を発し始めた。
「レイさんっ……!?」
悲鳴のようなミサの声と同時に、ザッバァァァンッと激しい音を立て、湖の中から体長が一〇〇メートル以上あろうかという巨大な竜が姿を現す。
その鱗と皮膚は、白く染まっていた。
「ギヤイィィィィィィィィィッッッ!!!」
頭を割るような不快な咆吼は魔力を伴い、粘着質の液体に変化した。
その竜の粘液が、ミサとレイにドロリとまとわりつく。
レイが反魔法でそれを振り払おうとするも、粘着質のその液体はぐにゃりと伸びるばかりで、切れる気配はない。
「ギヤイィィィィィィィィィッッッ!!!」
再度、竜の粘液が鎖のように二人に絡みつき、その動きを完全に拘束した。
「……こんなことがなければ、と思ったんだけどね」
笑顔を崩さず、レイがリシウスに視線を飛ばす。
「アゼシオンの民が竜に襲われているのに、その王が竜を飼っているっていうのは、どういうことかな?」
リシウスは穏やかな笑みでその問いに答えた。
「襲われている? 勇者カノン、それは間違いだよ。すべては救済なのだ」
当たり前のように、ガイラディーテ王が言う。
「なぜならば、竜とは神の使い。竜に身も心も捧げることで、我ら人間は神のもとへ赴き、真の救いを得ることができる」
「だったら、自分が竜の生贄になればいいんじゃないかな?」
リシウスは穏やかな表情でうなずく。
「もちろん、そのつもりだ。だが、余は王として、このアゼシオンの民を神のもとへ導く責がある。それを果たした後は、喜んで神のもとへ旅立とう」
ミサがはっと気がつく。
「……王族の方々は…………?」
「一足先に神のもとへ送ってやった」
「……竜に、食べさせたんですか!? 自分の子供たちをっ?」
「彼らは王の座を争っていたのだ。肉親が肉親を恨み、憎悪し、戦う。そんな地獄から、余は彼らを救済してやったのだ。王とは、所詮、国の親。実の子に愛情を注いでやることができなんだ、余のせめてもの親心よ」
信じられないといった表情をミサは浮かべた。
「……なにが目的だい?」
「アゼシオンの神、霊神人剣とそれに選ばれた勇者を供物として捧げるのだ。<全能なる煌輝>エクエスに」
陶酔したようにリシウスが笑う。
「神託が下ったのだ。そうすれば、余は神のもとへ赴き、そして永遠の命とともにこの地に復活するのだと。神より真に王権を賜り、このアゼシオンを治める真の王となる」
レイが視線を険しくする。
「そんな嘘を君に吹き込んだのは、アヒデとかいう竜人かな?」
「すべては<全能なる煌輝>エクエスの御心のままに」
レイの挑発には、どうやら乗ってこない様子だ。
アヒデの仕業とも、まだ断定はできない。
しかし、限りなく黒に近い。
「さあ、勇者カノン。ここにアゼシオンの神を、霊神人剣を召喚したまえ。<全能なる煌輝>エクエスに、その神の手をお返しするときがきた」
「僕が君に協力すると思うかい?」
すると、リシウスは右手の人差し指に魔法陣を描いた。
現れたのは、盟珠の指輪だ。
選定の盟珠とは異なり、石は透明の水晶である。
選定者ではないのだろう。
問題は誰からそれを譲り受けた、ということか。
「盟約に従い、この場に来たれ。想いの番神エヌス・ネ・メス、我に救いを示したまえ」
盟珠に火が灯る。積層されていく立体魔法陣は、しかし、選定の盟珠よりも魔力に欠ける。あれでは喚べる神にも限度があるだろう。
バチバチとけたたましい音を鳴らしながら、リシウスの目の前に光が集う。
それは人型を象り、みるみる実体化していく。
召喚されたのは、霧でできた鎧騎士であった。
手足や顔もなく、ただ霧の全身鎧が動いているといった具合だ。
「想いの番神エヌス・ネ・メスは、想いを司り、心を支配する、偉大な神である。勇者カノンよ、そなたに試練を課してくださるであろう」
リシウスが盟珠に魔力を送ると、エヌス・ネ・メスはゆっくりとミサに近づいていく。
竜の粘液で全身を拘束されたミサは動けない。
エヌス・ネ・メスはその右腕を彼女に伸ばし、頭をわしづかみにした。
「……あっ……う、ぁ……!」
想いの番神の霧の腕が少しずつ、少しずつ、ミサの頭に入っていく。
「エヌス・ネ・メスは想いに宿る番神。すぐに彼女の心は神に支配されるであろう。さあ、勇者カノン。彼女を救うために霊神人剣を抜くがいい。でなければ、彼女の心はこの世から消えてなくなるだろう」
穏やかに笑ったリシウスを、レイが睨みつける。
彼の右手に魔力が集った。
そのとき――
『……あたしは、大丈夫です……もう少し様子を見ましょう……霊神人剣を召喚した瞬間に、それを奪う手段があるのかもしれませんし……』
ミサからの<思念通信>が彼に届く。
『それに、この人はたぶん傀儡だと思います。地底世界の誰とつながりがあるのか、突き止めないと……』
その返事とばかりに、レイは右手の魔力を収める。
「その盟珠は誰からもらったんだい?」
「勇者カノンよ。なぜ霊神人剣を抜かぬ? あなたが神のご意志に背くなら、婚約者の心は神のものになるのだぞ」
リシウスが盟珠に魔力を送ると、エヌス・ネ・メスの右腕が手首までミサの頭の中に入った。
彼女が苦痛に顔を歪ませる。
「さあ、霊神人剣に、神に選ばれた勇者よ。あなたは<全能なる煌輝>エクエスのために戦ってきた。今回もそれと同じことなのだ」
「残念だけど、彼女は負けないよ。できるものなら、やってみるといい」
「できるものなら? 神を疑うか? 選ばれし勇者よ、ならば、その力を知り、悔い改めるがいい」
リシウスの声とともに、エヌス・ネ・メスの右腕がすべて、ミサの頭に侵入した。
「さあ、神に従え、ミサ・レグリア」
盟珠の指輪を掲げ、リシウスはパチンッと指を鳴らす。
白き竜を使役しているのか、ミサの周囲にあった粘液が消えた。
「その手で勇者カノンの首を絞め、殺すのだ」
そこまでされれば、レイが霊神人剣を抜くと思ったのだろう。
ミサの顔がぎこちなく、レイの方へ向いた。
そうしてゆっくりと彼のもとへ歩いていく。
だが、途中で彼女は足を止めた。
彼女は想いの番神を頭に宿しながらも、それに逆らうかの如く、リシウスを振り向く。
「……お断り……ですよ……」
「…………なんだと…………?」
リシウスが驚愕の表情を浮かべる。
「……お断りします。あたしに、そんなことできるわけがありません……」
「……神の支配を受け入れずに、逆らうなど、なんと不信心な女か……」
盟珠の指輪はまた魔力を込め、今度はエヌス・ネ・メスの左腕が勢いよくミサの頭に侵入していく。
「神よ。想いの番神よ。この愚かなる者たちに、そのお力を示したまえ。あなた様の偉大さを、神の奇跡をここに」
「好きなだけやればいいけどね。無駄だと思うよ」
振り向いたリシウスにレイは言った。
「彼女の心は神様にだって奪えやしない」
にっこりとレイは笑う。
「ミサの心は、僕がすでに奪ってしまっているんだからね」
リシウスは激昂したように目を剥いた。
勇者は、言うことが違うのです……。