踏みにじられた誇り
「ほら、あなたたちのせいで失敗したじゃないですか」
エミリアがツンとした口調でハイネたちを責める。
「おうおう。そりゃ、悪かったな」
悪びれず、ラオスが言う。
「てか、エミリア。結界魔法の魔法術式はそんな攻撃的な魔力の使い方じゃだめだよ。殺すんじゃなくて、活かすのが勇者の戦い方だからさ。って言っても、その後殺すんだけどねー」
ハイネがケラケラとからかうように笑う。
「先生ですっ! 大体、なんですかっ。生徒のくせに、教師に教えようとしないでくださいっ」
「そもそも、教師であるならば、わたしたちよりも十全に結界魔法を使いこなせなければならないのでは?」
「……うるさいっ!」
レドリアーノに怒りをぶつけると、エミリアがぷいっとそっぽを向く。
それと同時に、扉が開く音が聞こえた。
「やれやれ。相も変わらず、この学院はまともな授業もできんとはね」
現れたのは、学院長のザミラだ。
彼の後ろには正装の兵士たちがずらりと整列していた。
「んだよ、お偉いさんが、また授業の邪魔でもしにきたのか?」
「馬鹿たれが。お前のような偽者に用はない。聞いたぞ? 竜から逃げ回る訓練をしているそうだな?」
嘲るようにザミラが言う。
「勇者が逃げるなど聞いたこともないわ。勇者カノンは死んでも戦ったというのにな。国家の火急のときに、その鍛えた逃げ足で逃げるつもりか」
ラオスは腰を浮かし、怒りの形相で彼を睨みつけた。
だが、彼の背後には何十人もの兵士たちがいる。
この間のように力尽くで黙らせることはできまい。
「偉そうな口は竜の一匹でも倒してから叩くのだな」
ザミラはまっすぐ壇上へ向かう。
そうして、レイとミサに頭を下げた。
「お迎えに上がりました、勇者カノン様、ミサ様。表に馬車の用意をいたしております。本日は王宮での晩餐会を。数日後には式典を行う準備も調うでしょう。それまで、どうかご滞在くださいますよう。飽きることのないよう、英雄として、真の勇者として、最大限、おもてなしをさせていただきます」
レイが微笑みを崩さずに、彼に問う。
「昨日も言ったけれど、ガイラディーテ王に謁見はできそうかい? 王族の方々にも会ってみたいんだけどね」
「もちろんでございます。王もカノン様にお会いしたいようでございます。王族の者につきましては……」
ザミラはなにか言おうとして、途中で言葉を止めた。
「あ、いえ、ささ、どうぞこちらへ。こんなむさ苦しいところではなく、王宮でお話をいたしましょう」
レイはうなずき、ミサの方を向く。
「行こうか」
「はい」
ザミラの後に二人が続く。
兵士たちは仰々しく左右に分かれ、レイの通り道を作るように整列した。
レイが歩いていけば、うやうやしく兵士たちは彼の後に続く。
彼らは大講堂を出ていき、扉が閉められた。
静寂の中、ぽつりと声が響く。
「……やってられるかよ…………」
ラオスだった。
彼は屈辱的な表情を浮かべ、足を踏みならしながら扉へ向かう。
そうして、その扉を思いきり蹴りつけた。
「……ちきしょうがっ! ふざけんじゃねえっ……!! ふざけんじゃねえぞっ、クソがっ……!!」
ガッ、ガンッ、ガガンッと何度も何度も、ラオスは扉を蹴りつける。
「ラオス君っ! 器物破損はやめなさいっ!! 八つ当たりですかっ」
エミリアが壇上を降りて、暴れ狂っているラオスの体を押さえにかかる。
「……うるっせえっ……!!」
思いきり体を振って、ラオスがエミリアを弾き飛ばす。
床に倒れた彼女が、手をつき、キッと彼を睨んだ。
――どうせ、俺らには誰も期待しねえ――
解除されていなかった<聖域>から、強い想いがこぼれていた。
――なにもかもが、無駄だ――
――なにもかも、無駄もいいところだ――
激しい、怒りが渦巻いている。
――そりゃ、俺たちゃ上等な人間なんかじゃねえ。そんなことはわかってんだ――
術者であるエミリアには、それが届いているだろう。
彼女はその心の声に、耳をすましている。
――だけど、大人なんか、それ以上のクズばかりじゃねえか――
――死ぬ想いをして、竜と戦う訓練を積んできたってのに、逃げるだの言われて――
――それでも、あんなクズ共を、守らなきゃいけねえのか――
怒りの火元を辿っていけば、そこにはなにか、違うものが見えてくる。
――勇者だって褒められて――
――勇者カノンの転生者だと褒めそやして――
――ある日突然、そうじゃないって言いやがった――
それは、失望だったのかもしれない。
――手の平を返したみたいにぞんざいに扱われて――
――ずっと、ずっと、言われた通りにやってきたじゃねえか――
――お前らが望む通りの勇者になったじゃねえか――
強い理不尽に、彼は責められているかのように。
――なんで、いきなり、言われた通りにやってきたことを、責められなきゃなんねえ――
――同じことをやっても、勇者カノンじゃなきゃ意味がねえんなら――
――なにをやったって、結局、無駄じゃねえかよ――
ただただ怒りの声を上げる。
――俺たちは勇者じゃねえ――
――ただのろくでもない偽者だ――
――ちきしょう――
――どうして本物に生まれなかったんだ――
――どうして――
爆発するように、<聖域>に渦巻いたのは、ラオスが抱えていた鬱屈とした想い。
しかし、言葉は彼のものでも、その想いは彼一人のものではない。
それに同調するように、エミリアが纏った<聖域>の魔力が膨れあがる。
ハイネの想いが、レドリアーノの気持ちが、かつてジェルガカノンと呼ばれた生徒たちのわだかまりが、一つになり、魔力に変換されていた。
「……なんだよ?」
ラオスが吐き捨てるように言う。
「叩き返せばいいだろ。お得意の平手打ちでよ。それとも、なにか? 同情してんのか? ああっ? いらねえんだよっ、そんなもんはよっ!!」
「……なんて……思わないでください……」
エミリアが呟き、立ち上がる。
「あ? なんだって?」
「理不尽な想いをしているのが、自分たちだけだなんて、思わないでくださいっ!」
ビシンッとラオスの頬をエミリアの平手が打つ。
「……ってえな……」
「守る気がないなら出ていきなさい」
エミリアが扉をさす。
「竜から守りたいものが一つもないなら、授業なんて受けなくてもけっこうです。全員です。やる気がないなら、さっさと出ていきなさい」
エミリアがそう口にすると、レドリアーノが立ち上がった。
続いてハイネが、次々と勇者学院の生徒たちが立ち上がり、大講堂を出ていく。
最後にラオスが扉から出ようとして、足を止めた。
彼は振り向き、エミリアを見る。
「いいのかよ、引き止めなくて。責任問題じゃねえのか」
「知りません。勝手にしてください」
「はっ。そうかよっ。結局おめえも同じだよな!」
苛立ちをぶつけるように言って、ラオスも大講堂を出ていった。
勇者学院で残されたのは、エミリアだけだ。
魔王学院の生徒たちが心配そうに視線を向けると、彼女は居心地が悪そうに唇を噛む。
「カッカッカ、良いものを見たな、オマエら。これこそ、青春ではないか!」
エールドメードの言いように、生徒たちは呆気にとられている。
「なあ、シン先生、我々の時代にはそうそうなかった」
シンは静かに一言、感想を述べる。
「若いですね」
「えーと、先生、そんな暢気なこと言ってていいんですか?」
そう発言したのは居残りのナーヤである。
「良い質問ではないか、ナーヤ。魔族とは違い、これが人間には必要なのだ。なぜなら、彼らの切り札である<聖域>の魔法は、心を一つにすることでその真価を発揮する。人間は建前が多い生き物であるが、それゆえ、真に心を一つにしたとき、<聖域>は、我々魔族に対抗できる矛となり、盾と化す」
壇上から降りて、エールドメードはエミリアの横に並ぶ。
「であるならば、衝突は避けられるものではない。ぶつけ、ぶつかり、己を知って、相手を知るのだ。勇者というのは、心で戦うものだ。エミリア先生はそれを実践したのだ。醜い心をさらけだして、生徒とぶつかりあったのだ。これこそ、勇気ではないか、ん?」
エールドメードの言葉に、魔王学院の生徒たちは納得したような反応を見せる。
「では、オマエら。我々魔族は、魔族らしく体で戦おうでないか。今日は、竜に有効な攻撃手段を教えよう。ちょうどいい的を、東の砂漠で見つけてきた」
「あのー、先生……もしかして的って、もしかしなくても竜ですか?」
「その通り。カカカ。よいぞよいぞ、よいことだ。段々、察しがよくなってきたではないか!」
生徒たちがやっぱり、とげんなりした表情を浮かべる。
「では、早速、行くぞ。今日も楽しく、<転移>の練習だ」
エールドメードが黒板に<転移>の魔法術式を記し、生徒たちはそれを見て、次々と魔法行使をしては転移していく。
俺の隣で、サーシャが<転移>を使おうとして、ふと気がついたように言った。
「行かないの?」
ぽつんと一人佇むエミリアに視線を向け、俺は言った。
「後で行く」
「傷口に塩を塗るのはやめときなさいよ?」
「俺がそんなことをすると思ったか」
「しそうだから言ったんだけど……まあ、いいわ」
サーシャが転移する。
しばらくすると、大講堂にはエミリアと俺だけが残されていた。
そばまでゆるりと歩いていくも、彼女は俯いたまま微動だにしない。
構わず、その首元に魔法陣を描く。
収納魔法から取り出し、現れたのは小さな鐘がついた首飾りだ。
エミリアが緩慢な動作で俺を見た。
「……なんですか?」
「なに、お守りだ。それは<思念通信>など、思念系の魔法が強化される<思念の鐘>という魔法具でな。相手に想いが伝わりやすくなることから、仲直りができると言われている」
ほんの僅かに、エミリアは目を細める。
「なんだかんだで、アノシュ君は、子供なんですね……」
彼女は首飾りについた鐘を軽く指先で撫でる。
「……出ていけなんて、教師の言う言葉じゃありません。職務放棄もいいところです。怒るのも当然ですよ。仲直りなんて……」
エミリアは俯き、暗い視線を床に落とす。
「しかし、彼らのために言ったのだろう」
驚いたようにエミリアは俺の顔を見た。
「エミリアは、自身を虐げる者すら守らなければならぬ勇者の宿命を、残酷だと思った。だから、やる気がないのなら出ていけと言った」
エミリアは無言のまま、しかし、瞳にもの悲しさを滲ませる。
「違うか?」
俯き、押し黙り、それから彼女は口を開く。
「……浅はかでしたよ……やっぱり、慣れないことはするものじゃありません……結局、彼らにかける言葉ではありませんでした……」
俺が無言でいると、エミリアは「でも……」と口にした。
「……さっきの彼らは、まるでわたしみたいで……」
言葉を一旦切り、彼女は言う。
「いえ、ずっとそうだったのかもしれません……ずっと、だから、わたしの言うことなんて、耳に入らずに……」
エミリアは、過去を振り返るように言う。
「……勇者学院の大人たちが、彼らをそんな風に育てたんだとしたら、そんなひどいことはありません……」
すぐに彼女は否定するように頭を振った。
「いえ……違いますね。これはただの私怨です……。わたしは、わたしを地獄の底に突き落としたなにかと、似ているものが許せなかっただけなんでしょう……生徒の気持ちなんて、考えていませんでした……」
悲しそうにエミリアは笑う。
「ひどい先生ですから」
「そうは思わぬ」
まっすぐエミリアに言葉を飛ばす。
「お前は、彼らの尊厳を守ってやりたかったのだ。守りたくもない者のために、戦場に立たせたくなかったのだ」
「……今度は大人みたいなことを言うんですね……」
エミリアが独り言のように呟く。
「でも、誰も、そんな風には、思いません……」
「では、俺だけがそう思っていよう」
はっとしたように、エミリアが俺の目を見返した。
「今日のお前は良い先生だったぞ、エミリア」
言葉と同時に、はらり、と涙の雫が床を塗らす。
それを否定するように咄嗟に彼女は手で頬を拭った。
「……そんなことは……ありません……」
ぐっと涙を堪え、エミリアは前を向く。
「……でも、もう少し、喧嘩をしてこようと思います……どうせ、この際ですから……」
彼女は扉へ向かって歩いていく。
「エミリア」
呼びかけると、エミリアは振り向く。
「お前はがんばっているな」
「……なんですか、それ……」
そう言いながらも、彼女はどこか嬉しそうに微笑む。
「アノシュ君は、早くエールドメード先生の授業を受けに行きなさい。強いからってサボッていたら、立派な魔皇になれませんよ」
「ああ。ではな」
エミリアは軽く手を振って、扉の向こうへ走っていった。
飛び出していく生徒たち、追いかける先生。
そして暗躍する魔王。学園青春物語なのです。