王宮の謎
「地上に帰った方がいいって、本当かしら?」
サーシャが訝しむような表情を浮かべている。
「なにか企んでるような気がするんだけど……」
「そうかもしれぬ」
俺はミーシャに視線を向ける。
「どう思う、ミーシャ?」
「……神族は、感情が見えない。エウゴ・ラ・ラヴィアズも、ノウスガリアも、ヌテラ・ド・ヒアナもそうだった……」
殆どの場合において、神は秩序に従うだけだ。人が感情で動くように、神は秩序で動いている。
「でも、アルカナは少し違う」
「ほう。なにか見えたか?」
ミーシャは、アルカナから見えたものの深淵を覗き込むように、俯き、じっと考え込んでいる。
「……乾ききった渇望……」
悲しげな表情で、ミーシャは言った。
「水のない砂漠を永遠にさまよい続けているみたい」
聖者ガゼルは、神竜の国ジオルダルの竜人。石碑によれば、この地底世界は宗教によって国が分かれている。枢機卿であるアヒデとガゼルは同じ国の住人、同じ教えを信仰する者。
同門の信徒を、その召喚神と選定の神を、アヒデは供物として捧げた。
それが、アルカナの本意によるものだったとは限らぬ。
彼女は自害しようとしたガゼルの命を、仮死状態にすることでつなぎ止めようとした。死んだ彼を転生させた。
もしもアルカナが真実、その優しさでガゼルを救おうとしたのならば、そんな神にはミリティア以外、俺は出会ったこともない。
「ふむ。地上に出てくる竜の様子も気になることだしな。今日のところはこれぐらいにして、一度帰るとするか」
サーシャとミーシャに手を伸ばす。
彼女たちがその手を握ると、俺は<転移>の魔法を使った。
視界が真っ白になり、次の瞬間、眼前に現れたのは、この地底世界の空にある大地の傘――天蓋であった。
「あれ? 地上まで戻らなかったの?」
「天蓋が竜域で覆われているからだろう。地底世界と地上世界を<転移>でつなぐには少々、魔力環境が劣悪だ。できぬことはないだろうが、時間がかかる。飛んで戻った方が早いだろう」
サーシャにそう説明すると、<飛行>でそのまま天蓋にある穴に入った。
みるみる地底は遠ざかり、俺たちは天へ向かって突き進む。
しばらく行けば、土の壁で穴は行き止まりになっていた。
この辺りの天蓋には魔力が充満している。そのため穴を空けても、すぐに塞がるのだ。
手をかざし、<魔震>の魔法で、大地を割りながらも、元来た道を引き返していく。
やがて、目の前に光と、そして空が見えた。
俺は<逆成長>の魔法でまたアノシュに戻ると、サーシャとミーシャと共に、そこから外に出た。
ちょうどその場所には、一本杉がある。
見れば、多くの生徒たちがそこにいた。
「カッカッカ、言った通り、戻ってきたではないか」
穴から出てきた俺のもとへ、エールドメードがやってきた。
「ふむ。待たせたか?」
「いやいや、ちょうどいい頃合いだ、アノシュ・ポルティコーロ。見よ。今まさに、最後の一人が追いかけっこを終えるところだっ!」
エールドメードが杖で指す。
すると、そこには首輪をつけた魔王学院の生徒が、竜に追われながら、全力疾走していた。
皇族派のラモンである。
「ぎゃああああああああああああぁぁぁぁぁぁっ!!」
決死の形相で彼は走っている。
ラモン用の<熾死の砂時計>はとっくに砂が落ちきっているようで、彼が生き残る術は、最早一本杉へ到着する以外にない。
このタイミング、竜とラモンの速度を考えれば、ぎりぎり彼が先に到着する。
だが、次の瞬間、地面が爆発し、土中から現れたもう一匹の竜がラモンを吹っ飛ばした。
「……が、はぁぁっ…………!」
ボールのように勢いよく宙を舞った彼は、そのままこちらへ向かってきて、一本杉にぶち当たった。
木が激しく揺れ、ひらひらと木の葉が舞い落ちてくる。
彼の目は光を失っていた。
「死してなお、目的を達成するとは。その覚悟、見事ではないか。魔族とはかくありたいものだ」
エールドメードがラモンに杖を向ける。
<蘇生>の魔法で傷がみるみる癒され、彼は蘇った。
「オマエら、全員合格だ。素晴らしい、いやいや素晴らしいぞ、まったく素晴らしいではないか。この熾死王の想像以上だぞっ。この勢いならば、思ったよりも早く竜を討伐できるかもしれんぞ。無能な王宮の人間どもに、目にものを見せてやるのが楽しみだ。カッカッカッ!」
王宮からの竜討伐命令を腹に据えかねていたか、エールドメードの言葉に、魔王学院の生徒のみならず、勇者学院の生徒たちも、どこかやる気に満ちた表情になっている。
「では、今日の授業はここまでとする。解散だ。明日に備え、各自体を休めるなり、復習をするなり、励みたまえ。質問があるならば受けつけよう」
そう口にしたエールドメードのもとへ生徒たちがまばらに集まり始める。
草原に視線を向ければ、地上に飛び出してきていた竜の首を、シンが容易く落としているところが見えた。
「お、おい……アノシュ……」
そう声をかけ、俺のもとへラモンがやってくる。
「どうした?」
「ゼルセアス様から、お前と連絡がとれないって<思念通信>があってよ……」
「ああ、ちょうど地中深くに行っていてな」
竜域などがあるからな。
魔法線をつないでおかねば、<思念通信>は届けられぬ。
「なに用だ?」
「皇族派に竜をくれた奴から、また接触があったそうでよ。ていっても、今度は使い魔らしいが」
「ほう」
「なんでも、ミッドヘイズを魔王の支配から救う良い方法があるっていう話だった。ゼルセアス様はとりあえず話に乗ったフリをしているんだが、まだ詳細は教えられてないってよ」
ろくでもないことを企んでいるのは確かだな。
「確か、その者の顔は見ていないのだったな」
「ああ」
「指輪の石はこれだったか?」
エーベラストアンゼッタで手に入れた選定の盟珠をラモンに見せる。
「ああ……ああ、これに間違いねえと思う。もうちょっと光ってたような気がするが、こんな風な宝石だった」
神と盟約を交わしていないため、この盟珠には火が灯っていないからな。
しかし、間違いないだろう。
となれば、皇族派に竜を引き渡したのは、八神選定者の可能性が高い。
アヒデか、それとも別の者か?
「他になにか言っていたことは?」
「特には……あ、そういや、ゼルセアス様が言ってたんだが、使い魔がハヤブサだったんだよな」
魔族はフクロウを、人間はハヤブサを使い魔として好んで使う。
ただし、熟練した術者ならば、他の使い魔を使えぬというわけではない。
「それだけならば珍しいことでもないが、なにかあるのか?」
「……ああ、いや、まだわかんねえって話なんだけどよ。どうも、そのハヤブサをガイラディーテの王宮で見たことがあるそうなんだわ……」
アゼシオンとの戦争の後、ゼルセアスはエリオやメルヘイスとともに、人間との交渉のため、何度もガイラディーテを訪れている。
王宮へ出入りをしたこともあるだろう。
「つっても、ハヤブサの見分けなんて普通つくもんじゃねえからよ。俺はゼルセアス様の気のせいなんじゃねえかとは思ってるぜ」
「ふむ。ご苦労だった。またなにかわかれば、俺に連絡するように言っておいてくれ」
「わかった」
ラモンはほっとしたような表情を浮かべ、去っていった。
なかなか従順になったものだ。首輪が効いていると見える。
「ねえ。なんか、ヤバそうなこと言ってなかった……?」
サーシャが頭を押さえながら、厄介なことになりそうだといった表情を浮かべている。
「人間の王宮と、竜人が手を結んでいる?」
隣でミーシャが淡々と尋ねた。
「まだわからぬが、確かめた方が良さそうだな。レイ」
ミサと一緒にいたレイが、爽やかな微笑みを携えながら、こちらを向いた。
「王宮へ行こうか。ろくでもないことに、なってないといいんだけどね」
「ああ」
エレオノール、ゼシアをこちらへ呼び、俺たちは<転移>の魔法を使った。
転移してきた場所はガイラディーテである。
王宮の目の前だった。
「んー、あれとか使えばいいのかな? <幻影擬態>と<秘匿魔力>でこっそり中に入っちゃえば、色々調べられるぞ」
エレオノールが言うと、ゼシアが嬉しそうに呟いた。
「……かくれんぼ……です……」
「では、そうしてみよう」
<幻影擬態>と<秘匿魔力>の魔法で姿と魔力を隠し、俺たちは門番の隣をすり抜け、正門をくぐった。
王宮の敷地に入ってしばらく進んだ後、ある音を耳にし、俺は立ち止まった。
「どうしたの?」
サーシャが不思議そうに振り向く。
「耳をすましてみよ」
彼女は耳をすました仕草をする。
キィィィンッと微かに、高く不快な音が響いていた。
「これって……?」
「竜鳴」
ミーシャが言った。
「王宮の本館と、その地下が竜域になっているみたいだね」
険しい視線をその宮殿に向けながら、レイがそう口にする。
魔眼で中を見ようとしても、竜域によって阻害されてしまう。
「それって、どういうこと? 竜の巣が王宮の真下にあるってこと……?」
「さて。それだけならば、よいが」
王宮は竜討伐に消極的な姿勢だった。
単に無能なだけかと思っていたが、なかなかどうして、まさかそれ以下の可能性も出てこようとはな。
「ここで竜を飼っているのかもしれぬ」
「王宮でっ? だって、人間が竜の被害にあってるんでしょっ? 自分たちの国民を竜に襲わせて、なにがしたいのよっ……?」
サーシャが驚いたように声を発する。
「まだ可能性にすぎぬ」
「あー、でも、かくれんぼはやめておいた方が良さそうだぞっ。見つかってもボクたちは問題ないけど、もしアゼシオンの街に竜を放されたりしたら……」
エレオノールが深刻そうに言う。
王宮が竜を飼っているとして、追い詰めればヤケを起こさぬとも限らぬ。
「でも、中に入らないわけにはいきませんよね? もし、本当に王宮が竜を飼ってるんなら、突き止めないと……」
ミサの言葉にうなずき、俺は言った。
「正面から堂々と入る方法はある」
レイと視線を合わせる。
勇者カノンならば、王宮から頭を下げてでも歓迎するだろう。
「……気が進まない、なんて言ってられる状況じゃないみたいだね」
「一度、出るぞ」
<転移>を使い、今度は勇者学院の大講堂に転移した。
同時に、<幻影擬態>と<秘匿魔力>を解除する。
「学院長のザミラに話をつけてもらえ」
レイがうなずく。
「できれば、今日案内してくれるといいんだけどね」
言いながら、彼は、扉へ向かって歩いていく。
「ミサ。お前も一緒に行くといい。婚約者だと言えば、歓迎してくれるだろう」
「……あ、あはは……お父さんには知られないようにしないといけませんね……」
ミサは苦笑しながらも、ほんの少し嬉しそうにレイに並んだ。
「気をつけろ。ただ勇者カノンを歓迎したい、という話とも限らぬ」
レイは足を止め、困ったように微笑む。
「……人間が愚かじゃないことを祈りたいところだけどね」
二人は大講堂を出ていった。
果たして、王宮の真意はいかに。