聖者の召喚
ガゼルは自らに回復魔法をかけながら、俺を睨みつけた。
「異端者風情が、聖者たるこのワシを愚弄するとはな。悔い改めるがいい、地上に生きる無知なる者よ。貴様は今日、偉大なる神の力を知り、己の罪に気がつくであろう」
彼は右手にはめた盟珠の指輪を突き出す。
ガゼルの体に魔力が溢れたのを見て、学府の生徒がぽつりと呟いた。
「あそこにいらっしゃるのは、聖者ガゼル様……」
「……じゃ……これって、もしかして、選定審判……?」
戦いが始まろうとしているにもかかわらず、生徒たちはこの場から逃げだすことなく、床に両膝をつき、手を組んで祈りを捧げる。
「神よ。<全能なる煌輝>エクエスよ。この神聖な場に立ち会えたことを感謝します」
「どうか、我々を正しき世界に導いてください」
「我らに救いを、悪しき者に裁きを」
祈りの声がそこかしこから響く。
ガゼルはそっと瞳を閉じ、詠唱を始める。
「盟約に従い、この場に来た――が、ふっ……!」
詠唱は途中で止まった。
奴が目を閉じた隙にゆるりと近づき、指先で奴の喉を貫いたのだ。
「……ご……お……ぉ、ぁ……」
詠唱することができず、ガゼルは口をパクパクと動かしている。
「アヒデとの戦いで、ふと気になったのだがな。その詠唱が必須ならば、俺の前で召喚魔法など使えぬぞ」
「……お…………の、れぇ……」
指を引き抜けば、奴は再び石碑にもたれるように倒れ込んだ。
「……神聖なる祈りを妨げるとは、貴様は……それでも、選定者か……! どこまで神を侮辱をするつもりだっ……!?」
「言ったはずだ。そんなものになったつもりはない、と」
一歩足を踏み出す。
「愚か者がっ。ワシは聖騎士、神の力に頼りきった神官と一緒にしたかっ!」
飛び起きると同時に、ガゼルは腰の剣を抜く。
それは勢いよく俺の首を切り裂こうとして、逆にパキンッとへし折れた。
「……なっ……!?」
「ふむ。どんなものかと思えば、地底世界の騎士とやらは雑魚なのか? 俺の配下には貴様の千倍は太刀筋が速い者がいるぞ」
ガゼルの眼前に手の平をかざす。
「<獄炎殲滅砲>」
漆黒の太陽が聖騎士の体を包み込む。
ゴオオオォォォォッと激しい音を立て、その体を瞬く間に燃やし尽くす。
黒き炎が消えれば、そこに残されたのは盟珠の指輪だけだった。
「ほう。傷一つつかぬか。どうやら、並の魔法具ではないらしいな」
すると、盟珠の内部、その中心に火が灯り、黒石に魔法陣が描かれた。
積層されていく立体魔法陣が、その指輪から桁違いの魔力を放出し始め、周囲に蒼白い粒子が立ち上る。
それが人型を象ったかと思うと、二本の杖を持った、異様に長い髪の幼女が姿を現す。
彼女は一糸まとわぬ姿で、その髪がかろうじて裸体を隠していた。
幼女が二本の杖を掲げると、彼女の隣に死んだガゼルの体が再生される。
「驚愕し、畏れ、そして敬え、異端者よ。死者をも蘇らせる、偉大にして崇高なる力、これが神の与えたもうた奇跡である!」
「蘇生したぐらいでなにを粋がっている。そんなものが奇跡ならば、そこら中で起きているぞ」
「……なにぃ?」
予想通り、特に神を喚ぶのに詠唱は必要なかったようだな。
それどころか、あの盟珠さえあれば、死んだ後でも盟約に従って神を喚べる、か。
なかなか、どうして便利なものだ。
「その神は見たことがある。再生の番神ヌテラ・ド・ヒアナか」
すると、ガゼルは合点がいったというように笑う。
「なるほど。異端者と言えど、それぐらいは知っているか。だが、どこまで理解している? 再生の番神ヌテラ・ド・ヒアナは、その名の通り、再生の秩序を司る。決して滅ぼすことの適わぬ神を前に、貴様は無力という言葉の意味を知ることになるだろう」
「どうやら、お前はアヒデと違い、ろくな神と盟約を交わせなかったようだな」
二本の指先をガゼルに向け、<魔黒雷帝>を放つ。
膨れあがった漆黒の稲妻が一直線に飛来した。
ガゼルの前にヌテラ・ド・ヒアナが立ち塞がり、二本の杖で<魔黒雷帝>を防ぐ。
黒雷は杖を伝わり、その番神を焦がすも、その体は瞬く間に再生していく。
「再生の秩序の前に、あらゆる攻撃は無と帰す。神を畏れ、救済を受け入れるがいい」
ガゼルが勝ち誇ったように言った瞬間、ヌテラ・ド・ヒアナの右手が光の粒子となって消え去った。
「……アアアアアアッ!!!」
神の悲鳴が響き渡る。
「な、に……? どうしたのだ、我が神ヌテラ・ド・ヒアナッ! なぜ傷が治らないっ!?」
「放っておけ。今、お前の神は忙しい。余計な手出しをすれば、死ぬぞ」
俺の忠告を完全に無視し、ガゼルは叫ぶ。
「再生せよっ、ヌテラ・ド・ヒアナッ! その奇跡を示したまえっ!!」
その瞬間、再生の番神ヌテラ・ド・ヒアナが目映い光に包まれる。
そして、風にさらわれたように光の粒となって消え去った。
「……なん……だと……いったい、なにが…………? 神よ…………」
信じられないとばかりにガゼルは、再生の番神が消えた場所を見つめていた。
「<魔黒雷帝>でヌテラ・ド・ヒアナの体内に魔法陣を描いた。<活性増幅>の魔法だ。それは体の再生力を強め、増幅させる。しかし、過ぎた再生は毒に変わる。強大な再生の力を持ったヌテラ・ド・ヒアナは、<活性増幅>によって、自らの体を蝕んでしまう」
とはいえ、本来、<活性増幅>はヌテラ・ド・ヒアナを倒すための布石にすぎないのだがな。
「再生の番神は、<活性増幅>に気がつき、自らの再生力を極限まで抑えたのだ。そうとも知らぬお前が余計な命令を発したせいで、消えてしまったというわけだ」
番神は喋れぬ個体が殆どだからな。
意思疎通が図れなくとも無理はないが。
「しかし、神の信徒ともあろう者が、神の弱点も知らぬとはな。勉強が足りぬのではないか」
そう口にしてやると、ガゼルは不敵に笑った。
「貴様こそ信仰が足りぬわ、不届き者めがっ!」
床に落ちた盟珠に再び魔法陣が積層される。
俺の魔眼が桁外れの魔力を捉えた瞬間、その盟珠の指輪が消えた。
いや、指輪だけではない。
ガゼルの姿が眼前から消えていた。
「どこを見ている、異端者よ」
振り向けば、指輪を身につけたガゼルがそこにいた。
彼の全身から光が発せられていた。
「ほう」
手をかざし、<魔黒雷帝>を放つ。
だが、漆黒の稲妻が奴の体をすり抜けた。
それ以上の速度で、ガゼルは俺の背後に回り込んでいたのだ。
「見違えるように速くなったものだな。それはなんだ?」
「憑依召喚である。神をこの身に降ろし、その秩序を我がものとしたのだ。これこそ、神の御業なり」
アヒデの言っていた召喚方法の一つか。
ヌテラ・ド・ヒアナは滅びた。
どうやら喚べる神は一体とは限らぬようだな。
選定の神の他にも、盟約を交わすことができるのだろう。
「その速さ、光の秩序を手に入れたか?」
ガゼルは不敵な笑みを覗かせる。
「刮目し、仰ぎ見るがよい。我が選定の神は、光の秩序を司る。本来の名は、輝光神ジオッセリア。この世をあまねく照らす、大いなる光である!」
ガゼルは折れた剣を頭上に掲げる。
すると、そこに魔法陣が描かれた。
魔力が集い、折れた剣の形が変わって槍と化す。
それはまるで、鋭く尖った竜の牙を彷彿させた。
「そして、これが神具召喚である。武器に神を降ろすことで、その刃は神の魔力を得る。これこそ、聖騎士ガゼル・アプト・アゲイラの神具。穿つ秩序、穿神ベヘウスを宿す、神槍ベヘテノスなりっ!」
槍を構えたガゼルの体が輝く。
その刹那、奴の姿は消え、光と化した。
「神を知らぬ異端者、地上の愚かな魔族に、教えてやろう。これが地底世界の戦いである。神を知らぬ愚者の目には、この聖者の姿すら捉えることはできはしまい。輝光神ジオッセリアを宿した我が姿は光、この世に光より速きものは存在しない」
声はすれども、姿は見えず。
奴は文字通り光となって、俺の周囲を旋回している。
「神をもたぬ貴様に勝ち目はないっ! 今こそ、汝に救済を!」
俺の全方位から光が一斉に瞬いた。
光の速さで突き出された神槍ベヘテノスが、俺の顔に迫る。
軽く首を捻れば、穂先が頬の横を通り過ぎていった。
「な……!? 躱した……だと……?」
「いつまで俺を侮っているつもりだ? さっさと本気を出せ。それとも、それが限界か?」
「ま……まぐれだ……!! 神の槍を躱すなどっ!」
光の槍が瞬いた。
一呼吸で千を超える突きが繰り出されたが、俺は全身に<四界牆壁>を纏い、それらを弾き返す。
「……まさかっ……!? ありえぬっ!!」
驚きのあまり、ガゼルの足が止まる。
「今度はこちらから行くぞ」
奴の眼前に迫り、右手を突き出す。
「ぬおっ……!!」
その瞬間、奴は再び光と化して、俺の手を避けた。
「ワシの槍を防ぐとは、どうやら、選定者になっただけのことはあるようだ。だが、もう足は止めぬ」
先程よりも輝きを増して、俺の周囲を光となったガゼルが周回する。
「これこそ、輝光神ジオッセリアの奇跡っ! 何人たりとも、決して追いつくことはできぬ、神の疾走ぞっ!!」
「ふむ。そこか」
がしっと俺はその光を<森羅万掌>の手でわしづかみにした。
「……なん……ばっ……!?」
「そら、つかまえたぞ」
ガゼルの体を思いきり持ち上げ、床に全力で叩き落とす。
ドゴォォォッと床が破壊され、奴は血を吐いた。
「……がはぁっ……! ば……か……な…………!?」
信じられないといった表情で、ガゼルは言葉をこぼす。
「光の速さで駆ければ、俺から逃れられるとでも思ったか」
手放された、神槍ベヘテノスが床を転がった。
ガゼルは俺の手をつかみ、ふりほどこうとするが、僅かに動かすこともできなかった。
「……がっ……馬、鹿な……神を持たぬ者に……なぜ聖者たるこのワシの姿が……捉えられたのだ……」
「輝光神が光の速さを持つならば、それ以上の速さで追えばいいだけのことだ」
<森羅万掌>に<根源死殺>を重ねがけし、そのまま奴の胸を貫き、根源を抉る。
「……が、はぁっ……!!」
「その輝光神とやらを滅ぼしても、本当に秩序に影響が出ぬのか試させてもらうぞ」
「神を信じぬ愚か者めがっ! 滅ぼすだと? そこまで神を冒涜するかっ、できるわけがなかろうっ!! 番神とはわけが違うっ。人の身で、神の力なくして、我が選定の神、聖者の象徴たる輝光神ジオッセリアを滅ぼせるわけがないのだぁっ……!!」
滅紫に染まった魔眼で、奴の中に潜む神を見据える。
ぐっとその根源を握り締めると、ガゼルの纏っていた莫大な魔力が消えていく。
「……な……ん…………だと…………? 神の力が……消える……? ワシの……神が……消えてゆく……そんな……やめろ、やめろぉぉっ……やめんかぁぁ、異端者がぁぁぁっ…………!!」
ぐしゃり、と神の根源を握り潰す。
その魔力がふっと消滅した。
「……ぁ…………ぁ…………ワシの神が…………聖者の証が…………ぁぁ…………ぁぁ……」
俺は床に転がった神槍ベヘテノスをつかみ、それを握り潰して、穿神ベヘウスを滅ぼす。
「……消えた…………神が……ワシの…………神が…………そんな…………」
「地底を這いずる聖騎士よ。今度はこちらが教えてやろう」
光をなくした瞳で跪き、項垂れるガゼルを、見下ろしながら俺は言う。
「これが、神などに頼らぬ、地上の魔王の戦いだ」
かませと見せかけて、やっぱりかませと思わせ、実はかませと油断させて、最後はかませで決めた――!