選定の神
迷いなく、俺はアヒデとアルカナに向かい、ゆるりと歩を進めていく。
「……神如き、とおっしゃいましたか」
アヒデが怒気を含ませて言った。
「それがどうした?」
「いかなる場所、いかなる国であれ、生きとし生ける者は皆、神を信仰するものです。神を畏れ、敬い、祈りを捧ぐ。ゆえに、神は我らに救済をもたらし賜うでしょう」
俺の行く手を阻むように、アルカナが奴の前に出た。
足を止め、アヒデに言葉をくれてやる。
「神竜の国ジオルダルとやらの宗教なのだろうがな。ディルヘイドはもとより、アゼシオンでも、それほど熱心に神を崇拝する者は多くない。お前が神を信じるのは勝手だがな。それを望まぬ者や、国にまで押しつけてくれるなよ」
「いいえ。アゼシオンは神を信仰しています。霊神人剣エヴァンスマナを抜ける者を、勇者と信仰すること、すなわちそれは、神を崇め奉ることに他なりません」
「くだらん方便だ」
アヒデの言葉を一蹴するように言った。
「その言い分はこじつけにも程があるが、百歩譲ってそうだとして、お前の国の神はその小娘か。彼女とエヴァンスマナの根源は別物だろう。神という名を使ったとて、信じるものが違うことには変わるまい」
アヒデは即座に言葉を返す。
「神とは、やがて訪れる救済の概念。この世のあらゆる神は、<全能なる煌輝>エクエスの差し伸べた救いの手なのです。エヴァンスマナも我が神アルカナも、無限にあると称される<全能なる煌輝>エクエスの手。別のものを信仰しているというのは、浅はかな人の思い込みというものでしょう」
「くはは。なるほど。あれも神、これも神。すべては<全能なる煌輝>エクエスの手である、と言いたいわけか」
俺が一笑に付すと、アヒデは鋭い視線で睨めつけてきた。
「それで? だから、どうしたというのだ?」
「選定審判にて、不適合者を冠された者。どんな輩かと思っていれば、想像以上に傲慢な男のようですね。あなたのような神を信じぬ異端者を、<全能なる煌輝>エクエスは決して許しはしないでしょう」
アヒデは指輪を、アルカナに向け、魔力を送った。
「ゆえに、あなたは選定審判に招かれたのでしょうね。神の裁きを受けるために」
途端にアルカナの全身から冷気が発せられる。
空から舞い降りる雪月花が数を増しては、みるみる降りつもり、廃墟はあっという間に雪景色へ変わった。
「ふむ。見下げたものだな。神だかエクエスだが知らぬが、信じたいのならば好きにするがよい。だが、信じぬ者を許しはしないだと?」
一歩、足を踏み込み、そのまま俺はアルカナへ向かう。
「何様のつもりだ、下郎」
「あなたこそ、アルカナを前に何様のおつもりでしょうか。二度も防げるほど、神の奇跡は甘いものではありません」
言葉と同時、アルカナは静かに両手を叩いた。
雪月花が一瞬にして巨大な両手を象り、俺の体に襲いかかる。
勢いよく左右から叩きつけられた雪の両手は、周囲に大量の白い花を散らした。
「罪深き哀れな子羊に救済を」
アヒデが左手で右手の指輪を包み込み、そう祈りを捧げた。
「ふむ。確かに、その選定神とやらを滅ぼすのは少々骨が折れる」
俺の声にアヒデがばっと振り向いた。
瞬間、その心臓を俺は貫く。
「……が、ふぅっ……!!」
「しかし、弱点がこうも丸出しではな」
ぐしゃり、と心臓を握り潰し、<根源死殺>の手で根源を滅ぼした。
「いかに神とはいえ、召喚した者が消えてはどうにもなるまい」
右手を抜けば、アヒデがその場に崩れ落ちる。
だが、召喚した術者が消えたにもかかわらず、アルカナは平然としていた。
彼女は静かに手の平を空へ向ける。
すると、降り注いだ月光が、なにもない空間に人の姿を照らし出す。
現れたのは、たった今根源が滅ぼされたばかりのアヒデだった。
「ふむ。<創造の月>、アーティエルトノアの奇跡だな、それは。お前の根源が完全に滅びぬよう、絶えずあの月の力で、再生し続けているというわけだ」
蘇ったアヒデが鋭い視線を向けてくる。
「あなたこそ、雪月花から逃れるその速さ。種は割れましたよ。どうやら、憑依召喚を使っているようですね。神の力をその身に宿しておきながら、神を信じぬとは傲慢極まりない」
憑依ときたか。聞いて呆れるな。
「何度言ってもわからぬ男だ。単純に俺が神よりも速いだけのことが、なぜ理解できぬ?」
「苦しい言い訳をなさるものです。強力な神の憑依召喚に成功すれば、選定者がその力を得られるため、選定審判においてはかなりの優位性がある。その反面、神の力を宿した器は、長くもつものではありません。あなたはこう考えているでしょう?」
まるで俺の考えを完全に見透かしたと言わんばかりに、アヒデは断言する。
「<創造の月>の再生力は予想以上だ。早めに倒さなければ、自らの神の力で自滅してしまう、と」
まったくもって見当外れなものだな。
聞いているこっちが、恥ずかしくなってくるほどだ。
「そこまで来ると道化もいいところだぞ」
魔法陣を一門描き、そこから漆黒の太陽を射出する。
「神のご加護を賜りますよう」
アヒデが祈りを捧げれば、撃ち出された<獄炎殲滅砲>を、雪の壁が阻む。
アルカナが手を前に突き出し、盾を作っていた。
「神のご加護は、すべての魔法を阻む、絶対の防壁です。あなたの――なっ……!?」
アルカナが作りだした雪の壁は、霧散するかの如く、その場に散った。
漆黒の雷、起源魔法<魔黒雷帝>を一点に集中させ、貫いたのだ。
「よそ見をするな」
アヒデの背後を再びとり、黒き手刀を奴の腹部に突き刺す――
だが、その寸前で、横からアルカナが俺の腕をつかんでいた。
「ほう。さすがに神だけあって、なかなかの強さだ。しかし、このお荷物はどうにもなるまい」
至近距離でアヒデめがけて<獄炎殲滅砲>を放てば、それを咄嗟にアルカナが反魔法で弾き飛ばす。
その隙を逃さず、俺は左手を<根源死殺>で黒く染め、アルカナの左胸に突き刺した。
飛ぶような歩法で直撃を避けるも、彼女の胸からは血が滲んだ。
「アヒデ、逃げなさい」
その言葉に、彼は戸惑ったような反応を見せる。
「今のあなたでは、まだ不適合者に勝てない。ここは、わたしが引き受ける」
「いえ、アレを使います」
「調和なき神の力は、あなたの身をも滅ぼす。ここで果てることが、あなたの信仰か」
アヒデは一瞬押し黙り、それから言った。
「我が選定の神、アルカナの御心のままに」
そう口にして、アヒデは<転移>の魔法を使った。
阻止することは容易いが、その瞬間、こちらを睨んでいるアルカナが、なにか仕掛けてくるだろう。
まあ、あちらは雑魚だ。
神を片付けてしまえば、なにもできまい。
「それで、お前一人ならば、この俺に勝てるつもりか?」
「わからない。あなたは強い。選定審判の歴史の中でも、あなたほど強い選定者はいなかった」
「さきほどから、何度も口にしているが、その選定審判というのはなんだ?」
そう口にすると、アルカナは俺の心を見据えるように魔眼を向けてきた。
「あなたは自分が不適合者だということは知っている」
「どこぞの天父神が、俺をそう呼んだのでな」
アルカナは一瞬、考えるような素振りを見せる。
どうやら、俺が認識している不適合者と、彼女の認識している不適合者は、意味が違うようだ。
ということは、天父神が俺にやられたことも知らぬのか?
相変わらず、神族という連中は、己の秩序以外には無関心なものだな。
「エーベラストアンゼッタに行ったことは?」
再びアルカナが口を開き、そんな風に訊いてきた。
「聞いたことすらない。それはなんだ?」
「三つの国が争う地底世界の聖地、不戦の盟約が結ばれた神の都ガエラヘスタにある、神代の学府」
なにからなにまで聞き覚えのない単語ばかりだ。
「不適合者、アノス・ヴォルディゴード。あなたが本当に知らないというのなら、わたしは選定神として、あなたに説明する義務がある」
ふむ。なにか企んでいるのかもしれぬが。
「信じられないのなら、戦いながら聞けばいい。あなたが耳を傾けようと傾けまいと、わたしは説明する」
まあ、いいだろう。
なにも知らずに命のやりとりをするほど、気持ちの悪いことはない。
俺は両手の<根源死殺>を消し、敵意がないことを示すように、背中を向けた。
そのまままっすぐ歩いていき、アルカナと距離をとる。
「では、聞かせてもらおう。選定審判とはなんだ?」
「それは人が神へ至る道」
静かにアルカナは言った。
「生きとし生ける者の中から、神の代理となる、代行者を選定する。選定神は代行者を選ぶ神。選定審判では、代行者の候補として選ばれた八神選定者が、それぞれ審判を受け、より代行者に相応しい者が選ばれる」
神の代理となる代行者を選ぶ、か。
八神選定者、というからには八人いるのだろうな。
「代行者は神として相応しい力を得る」
「審判というわりに、どうにも穏やかではないようだが?」
アルカナはうなずく。
「代行者には選定神すべてが、相応しいと審判を下した者のみ選ばれる。しかし、選定の神は、殆どの場合において選定者と盟約を結んでいる。盟約を結んだ選定者以外を、代行者に相応しいと審判する選定神は殆どいない」
「要は、他の選定者を消してしまえば、あるいは他の選定神を滅ぼせば、一人しか選びようがなくなり、必然的に代行者として選定されるというわけか」
「それが一つの決着の形。審判はあらゆる形で成立する。聖戦だけが審判ではない」
とはいえ、神へ至る一つの席を争うわけだ。
話し合いで決着がつくとも思えぬ。
「なぜ俺がその選定者に選ばれた?」
「選定の神が、選定者を選ぶ。選定審判には、八名の選定神がいる。どの者かが、あなたを選んだ。選定審判のことは、選んだ選定神が告げることになっている」
神が俺を選んだ、か。
姿を現さぬということは、真っ当な考えで選んだとも思えぬな。
「なるほど。それで自らを選んだ選定神を、召喚できるように盟約を交わすのか?」
「交わす場合と、交わさない場合がある」
交わさない場合、というのが腑に落ちぬが、少なくともアヒデはアルカナと盟約を交わしたため、彼女を召喚できるのだろう。
「なぜ神族は、選定審判など行う? 地上の者を神の代わりにしてどうするのだ?」
「詳しい説明は、エーベラストアンゼッタにて、行うことになっている。その学府は先も述べた通り、今は地底世界、神の都ガエラヘスタにある」
今は、ということは、エーベラストアンゼッタは時によって場所を移動するということか?
「ふむ。では、そこまで案内してくれるのか?」
「それはできない。エーベラストアンゼッタまでは自力で来て」
正直、行ってやる義理などないのだが、しかし、気になることがある。
目の前にいるアルカナの素性だ。
なぜ、彼女は<創造の月>アーティエルトノアの奇跡を起こせるのか。
あれは、創造神ミリティアにしか使えなかったはずだ。
彼女の身になにかが起きたのかもしれぬ。
かといって尋ねたところで、答えてくれるとも思えぬしな。
「説明は終わり。戦いを続ける?」
「なに、選定審判のことも教えてもらったしな。今宵は見逃してやろう」
「そう」
アルカナが空を見上げると、三日月のアーティエルトノアがすっと消えていき、降り注いでいた雪月花がなくなった。
「一つ尋ねたいのだが」
アルカナが俺を見つめる。
「昼間の質問はどういう意味だ? あれも、アヒデの命か?」
彼女は無言で、<転移>の魔法を使う。
その姿が消える寸前――
「答えを探している」
と、そんな声が静かに響いた。
選定審判とかしなくても、神の力を得ている人もいるんですけどねぇ……。




