神託者
日が沈み、空には輝く月が昇る。
水遊びの後、俺たちは、勇者学院の第三宿舎を訪れていた。
前回の遠征試験同様、滞在中はこの宿舎で過ごすことになる。
「沢山泳いだから、お腹空いたぞっ」
「……ゼシアは、三回おかわり……します……育ち盛りです……」
「うんうん。食べる子は育つんだぞ」
そんなやりとりをしながら、エレオノールとゼシアは宿舎の中へ入っていく。
「……わたしは、全然お腹空いてないわ」
疲れ果てた様子でサーシャが言うと、ミサが心配そうな表情を浮かべる。
「どうしたんですか? 体調が悪いんですか?」
「くはは。少々、サーシャたちと水かけ遊びに興じてな。文字通り、俺のかけた水を食らったというわけだ。それで腹が膨れたのだろう」
俺の言葉が不服とばかりに、サーシャが犬歯を剥き出しにして、キッと睨んでくる。
「あんなものすごい勢いで水をかけてくるとは思わないでしょうがっ。なにが水かけ遊びよ。溺れ死ぬかと思ったわっ!」
「お腹たぷたぷ」
ミーシャが自分のお腹をさすっている。
彼女もまた俺に水をかけられ、かなりの量を飲んでいた。
「だが、後半は俺の水鉄砲をそこそこ避けられるようにはなった。<至高水着>の扱い方を覚えれば、水中戦ではかなりの武器になるぞ」
「……ねえ。思ったんだけど、二千年前の水中戦ってみんなあの<至高水着>だったわけ?」
サーシャは悪い予感がするといった調子で言った。
「なにか問題でもあったか?」
答えを知ると、彼女は頭に手をやって首を振る。
「殆ど裸みたいな服で生死を賭けて戦うなんて、二千年前に生まれなくてよかったわ」
「ああ。なに、さすがに<至高水着>だけでは防御が心もとないからな。戦闘ともなれば、その上に鎧や法衣を纏ったものだ」
「そ。なら、よかったわ」
ほっとしたようにサーシャが言う。
「とはいえ、上になにかを纏えば<至高水着>の効力は多少なりとも阻害される。速度重視の奇襲や電撃戦では、水着だけで戦いに望むこともあろう」
「そんなときが来ないことを祈りたいものだわ」
言いながら、サーシャとミーシャも宿舎へ入っていく。
「レイ」
同じく宿舎に入ろうとしていた彼に、声をかける。
「少々散歩をしてくる」
レイは闇夜に視線を向けた後、またこちらを向いて爽やかに微笑んだ。
「邪魔はしないでおくよ」
宿舎を通り過ぎた後、俺はガイラディーテの道を人気のない方へ進んでいく。
やがて、目の前に廃墟となった古い建物が見えてきた。
元は聖堂かなにかなのか、石造りの構造であり、柱が何本も立ち並んでいる。だが、窓も壁もボロボロで、屋根にいたっては半分ほどが崩れ落ちている。
俺はその中へ入っていく。
廃墟の真ん中辺りまで進むと、そこで立ち止まる。
「ここなら、目立つまい。いい加減、出てきたらどうだ?」
声を飛ばすと、ザッと足音が響く。
入り口から、姿を現したのは、長い髪で片目が隠れている男だ。
緋色の制服を纏い、珍しい指輪をつけている。
「ふむ。聖明湖でも俺を見ていたな。なに用だ?」
まっすぐ俺を睨み、指輪の男は口を開いた。
「白々しいことを言うのですね」
「あいにくと身に覚えがなくてな。お前は誰だ?」
その問いに、指輪の男は毅然とした口調で答えた。
「神竜の国ジオルダル枢機卿、アヒデ・アロボ・アガーツェ。八神選定者が一人、神託者です」
神竜の国ジオルダル? 知らぬ国名だな。二千年前はもとより、この魔法の時代の地図には、存在しておらぬ。
八神選定者というのも、聞き覚えがない。
「ふむ。残念だが、一つも知らぬ。アヒデと言ったか。まさか、人違いということはあるまいな?」
すると、奴は迷いなく言った。
「不適合者アノス・ヴォルディゴード」
ほう。俺の根源を見抜くか。
並大抵の使い手ではあるまい。
人違いということもなさそうだ。
「あなたが神聖なる選定審判に招かれた魔族の王だということは、神託により、わかっております」
アヒデは右手を前に突き出すように掲げ、その指輪を俺に向ける。
「盟約に従い、この場に来たれ。選定の神、彼と我との審判を下せ」
指輪の宝石に、神々しく淡い光が集う。
透明な黒石の中心にある紅い石に火が灯り、その光が内部に立体魔法陣を描く。
更にその内側に立体魔法陣が描かれ、魔法陣が幾重にも重なり、積層され、魔力が桁違いに膨れあがっていく。
ゴオォォォォ、ガァァァァァ、と大気が震え、辺りに無数の魔力の粒子が立ち上る。
アヒデの目の前に、その粒子が集い、人の形を象り始めた。
巨大な力を持った存在が、彼方から此方へと現れ出でようとしている。
ふむ。召喚魔法か。
しかし、これだけの規模のものは、二千年前にもお目にかかったことがない。
しかも、人型とは珍しい。
なにを喚ぶつもりだ?
「<神座天門選定召喚>」
人型となった魔力の粒子が反転するかのように、そこに巨大な力を持った者が召喚される。
それは、透明な美しい少女だった。
白銀の髪と金の瞳を持ち、異国の服を纏っている。
勇者学院の大講堂で見た、あの少女だ。
しかし、あのときとは違い、魔力が桁外れに強い。
神々しいまでに溢れるその力、ただそこで呼吸をしているだけで、大気の理がひれ伏しそうになるほどの神秘は、秩序が具象化した姿に他ならない。
彼女は紛れもなく、神族だった。
「ふむ。神を召喚する魔法があるとは、知らなかったな」
俺の言葉に、アヒデも、そして召喚された神もなにも言わず、ただこちらを見返している。
「初めて見る神だが、名はなんという?」
少女の姿をした神は、静かに口を開く。
「アルカナ」
「なんの秩序だ?」
じっと俺を見据え、アルカナは言う。
「選定神アルカナ」
選定神?
なにかを選ぶ秩序ということか。
「今このときより、ここは、神聖なる審判の場。アノス・ヴォルディゴード。あなたの神を見せてもらいましょうか?」
わからぬことを言う。
「なんのことだ?」
「おわかりでしょう? 八神選定者が一人、不適合者のあなたならば」
「知らぬ。八神選定者とやらになった覚えもない」
俺がそう口にするも、アヒデはあくまで警戒を緩めず、俺の一挙手一投足に視線を配っている。
「いいでしょう。見せたくないというのならば、神聖なる選定審判を汚す裁きを下すまでのこと。この聖戦を神の力なしに乗り切れると思わぬことですっ!」
アヒデは指輪に魔力を込め、命じた。
「我が神、アルカナよ。不届きなる不適合者に、どうかその裁きをお与えくださいますよう」
厳かにアルカナは両手を持ち上げ、すっと手の平を空へ向ける。
そこに魔力が集中したと思った次の瞬間、ひらひらと花にも似た雪の結晶が頭上から舞い降りてきた。
「……ほう……」
雪月花だった。
俺は半壊した屋根から覗く空を見上げる。
そこに、輝いていたのは平常の月の他に、もう一つ。
白銀に輝く三日月があった。
かつて見たものはすべて満月だったが、それは同じ権能を有している。
<創造の月>、アーティエルトノアがそこにあった。
「月の光に抱かれて凍れ」
降り注ぐ雪月花が、反魔法をすり抜け、ひらひらと俺の体に舞い降りる。
瞬く間に手足が凍りつき、次の瞬間、顔以外が凍結していた。
「最後のチャンスをあげましょう、不適合者。あなたの神をお見せなさい。でなければ、裁きは下り、あなたは永久に溶けることなき氷像と化すでしょう」
「ふむ。さきほども言ったがな、アヒデ。お前は勘違いをしているようだ。俺は神など持ってはいないぞ」
「ならば、死の裁きを受けるまでです。さようなら、不適合者」
アヒデの言葉と同時、アルカナがすっと俺の顔を指さした。
「早く喚んで」
「一つ聞きたいのだが、お前はミリティアか?」
アルカナが指先から魔力を発すると、<創造の月>の光が俺の頭部に降り注ぐ。
その力により、俺の全身は完全に凍結された。
「わたしはアルカナ。選定の神」
凍りついた俺を一瞥すると、アヒデは踵を返し、廃墟を立ち去ろうとする。
「どこへ行くつもりだ、アヒデ。俺を殺すのではなかったか?」
その声に、奴は素早く振り向いた。
俺の体を覆う氷に、ヒビが入る。
魔法陣が足元に浮かんでおり、体がみるみる大きくなっていく。
けたたましい音を立てながら氷が粉々に砕け散ると、閉じ込められていた冷気が周囲に拡散する。
それを手で軽く切り裂いてやれば、アヒデの目に、<成長>で成長した俺の姿が映った。
しかし、彼は俺ではなく、周囲を警戒するように、その魔眼を向けている。
「どうした? なにをそんなに忙しなく探している?」
「知れたことを聞くのですね。神の力でなければ、神の力には対抗できません。雪月花の凍結を解いたのなら、あなたは神を喚んだはずです」
くくく、と腹の底から笑いがこぼれて仕方がなかった。
「くく、くははは、くはははははっ。神の力でなければ、神の力に対抗できぬ? ならば、その神に訊いてみるがいい。俺が神の力を借りたかどうかをな」
アヒデは、自分を守るように前に立つ少女に視線を向ける。
「我が神アルカナ、どうか神託を賜りますよう」
彼女は首を左右に振った。
「気をつけなさい、アヒデ。神の気配は感じられない」
アヒデは険しい表情を見せ、これまで以上に警戒を強めた。
「……我が神アルカナにも見破れないほどの隠形……。ということは、隠蔽に類する秩序を持った神が、彼の御する召喚神にいる……厄介な相手ですね……」
アルカナと話すかのように、アヒデは呟く。
「ふむ。先程からお前は俺の話をまったく聞いていないようだ。召喚神だの、選定審判だのとなんのことか皆目見当がつかぬがな」
奴に向かって歩いていきながら、俺は言う。
「神如きの力が、魔王を上回るとでも思ったか」
神を召喚する強敵現る。
ようやく章タイトルが出てきましたが、知らない内になにかに巻き込まれたのでしょうか。