開かない缶詰
午前中の授業が終わり、昼休み。
俺たちは、食事をとる店を探し、ガイラディーテの往来を歩いていた。
道の左右には様々な飲食店が軒を連ね、なんとも食欲をそそる匂いを漂わせている。
ちょうど昼時ということもあり、どの店もそれなり混み合っている様子だ。
「やっぱり、ガイラディーテと言えば、名物の勇者焼きを食べておいた方がいいと思うぞっ。前の学院交流のときはちょっと時期外れだったけど、今なら色んなお店で出してるんだ」
エレオノールがそんなこと言いながら、俺たちを先導していく。
「勇者焼きって……嫌なネーミングだわ……」
サーシャがぼやくと、その隣でミーシャが小首をかしげた。
「なにを焼く?」
「……勇者の肉……です……」
ゼシアが両手をぐっと握り、真剣そうな顔つきで言った。
ミーシャが目をぱちぱちと瞬かせる。
「くすくすっ、ゼシアの冗談だぞ」
「ゼシアは……冗談、好きです……」
ふふっ、とゼシアが笑う。
「それ、絶対、エレオノールが教えたでしょ……」
呆れたように、サーシャがエレオノールに視線を送る。
「それで本当はなんなんですかー?」
ミサが尋ねると、レイが言った。
「勇者焼きっていうのは、手に入れるのに勇気が必要な食材で作られているってことで、そういう名前になってね。険しい崖を上らないと手に入らない高山薬草、毒の沼地に生える蓮果の実、それから、二千年前は竜を討伐して手に入る竜の肉だったんだけど……?」
さすがに、この時代には竜肉を食べる習慣はあるまい。
レイが視線を向けると、エレオノールが言った。
「今は牛肉だぞ。猛角牛っていう猛獣を狩ってくるんだ。あ、それで、この店が目的地。ガイラディーテで一番美味しい勇者焼きを出すんだぞっ」
エレオノールが足を止める。
目の前には、飯屋『肉の味』があった。
「並んでることも多いんだけど、今日は空いてるから、すぐ食べられるかも。行こっか」
エレオノールに続き、レイやサーシャたちが店へ入っていく。
俺が中へ入ろうとしたそのとき、聞き覚えのある声が風に乗って飛んできた。
「……もうっ、なんで開かないんですかっ……!!」
振り返り、視線を向ければ、それはエミリアだった。
彼女は人気のない広場の岩にちょこんと座り、缶に魔力を送っている。
魔法缶詰だろう。
魔力を送って開封する仕組みだが、苦戦しているようだ。
自分の魔力では開けられないと悟った彼女は、とうとう岩にガンガンと缶詰を打ちつけ始めた。だが、缶は頑丈で、エミリアの細腕では無理矢理こじ開けることもできない。
「ミーシャ」
そう口にすると、ちょうど店へ入っていったミーシャがひょっこりと顔を出した。
「適当に俺の好きそうなものを注文しておいてくれるか?」
こくりと彼女はうなずき、一度、エミリアへ視線をやる。
それから、また俺の顔を見て微笑んだ。
「優しい」
ミーシャが店の中へ入っていく。
俺は店内には向かわず、広場にいるエミリアのもとへ向かった。
彼女は俺に気がつく素振りすらなく、必死に岩に缶詰を打ちつけている。
そうしながらも、「缶詰のくせに、生意気ですよっ」などと恨み言を呟いていた。
「貸してみるがいい」
声をかけると、エミリアが不思議そうに顔を上げた。
「……ええと……確か、アノシュ・ポルティコーロ君でしたか?」
「そうだ。その魔法缶詰は、魔族の魔力の波長には反応しない。とはいえ、その判定も大した厳密さではないからな。多少、人間寄りに魔力を擬装してやればよい」
俺が手を差し出すと、エミリアが缶詰をそこに乗せる。
缶詰の上部をつかみ、俺は力づくで引っこ抜く。
「魔力の擬装じゃなかったんですかっ!?」
エミリアが驚いたように声を発する。
俺はフタを外した缶詰を彼女に差し出した。
「こちらの方が早いと思ってな」
エミリアは缶詰を受け取りながら、言う。
「……ありがとうございます……」
俯いて、エミリアは缶詰を見つめる。
中には、塩漬けにされた肉があった。
「それだけしか食べぬのか?」
「色々買ってきましたよ」
エミリアが魔法陣を描き、中に手を入れる。
取り出したのは、缶詰、缶詰、そして、缶詰だ。
「ぜんぶ、開きませんけど」
「くははっ」
俺は魔法缶詰に魔力を送る。
すると、フタが開いた。
中に入っているのは、魚の油漬け、備蓄パン、煮豆である。
「缶詰など食ってうまいか? 飯屋など、そこらへんにいくらでもあるだろう」
「騒がしいのは嫌いなんです。口に入れば、なんでも同じですよ」
おかしな奴だな。
「屋台もあるのに、缶詰を外で食べる奴があるか?」
「昨日までは屋台で買ってましたよ。でも、買うときに人と話すのが煩わしいんです。だから、ふと気がついて、缶詰を一年分買いだめしました」
「開けられぬではないか」
エミリアはうるさいとでも言わんばかりにフォークで塩漬け肉を串刺しにし、自らの口に放り込む。
憎しみを込めるように、それをもぐもぐと噛んでいた。
ふむ。まあ、人と話したくないというのなら、放っておくか。
それ以上はなにも言わず、俺は踵を返すことにする。
「アノシュ君は――」
振り向くと、エミリアは煮豆をじっと見つめている。
「魔法も得意なんですね」
そう彼女は、独り言のように呟く。
「サイコロも得意で、見る魔眼も、力もあって、その歳で、本当に天才なんですね」
「ふむ。否定はせぬが、生まれつきの力など、さして自慢できるものでもない」
「……羨ましい……」
いつになく、素直なものだな。
子供相手だからか?
「……あ…………」
顔を上げ、俺を見つめると、エミリアは恥じ入るように視線を逸らした。
「美味そうだな」
「え?」
「塩漬けの肉だ」
「あ」
エミリアは自分の持っていた缶詰を見て、怖ず怖ずとそれを俺に差し出してきた。
「食べますか?」
「もらおう」
缶詰を手にし、塩漬けの肉をつまむ。
それを口に運び、もぐもぐと食べた。
「なにやってるんですか? 手づかみはいけません」
「あいにくとフォークもなにもなくてな」
「獣じゃないんですから。ちょっとこっちに来なさい」
エミリアが自分の座っている岩を叩くので、俺はそこに座った。
彼女はハンカチを取り出して、俺の指を拭く。それから、フォークを持たせた。
俺はそれで塩漬け肉を串刺しに、口へ運ぶ。
少々塩辛いが、肉の旨味と調和して、噛めば噛むほど味が出る。
「子供はいいですね。悩みがなさそうで」
「エミリアは、悩みがあるのか?」
「エミリア先生です」
ぴしゃりと言って、エミリアははあ、とため息をついた。
「アノシュ君は、言葉使い直した方がいいですよ」
「なぜだ?」
「その喋り方、世界一、嫌味な男とそっくりです」
清々しいぐらい偏見だけの理由だな。
エミリアは煮豆を口に入れ、もぐもぐと食べている。
視線はぼーっと宙を眺めていた。
「……アノシュ君は、皇族ですよね?」
「そのようだ」
「先生も、昔は皇族だったんですよ」
悲しい表情を浮かべ、彼女は呟く。
「ほう」
「信じないと思いますけど、悪い魔法使いのせいで混血の魔族になったんです。先生は、皇族であることに誇りを持っていました。ずっと幸せに暮らしていたんです。だけど、それを奪われて、すべてが変わりました」
もぐもぐと塩漬け肉を食べながら、エミリアの言葉に耳を傾ける。
「会う人会う人、みんながわたしを見下してくるんです。わたしが言った言葉は軽んじられて、歯牙にもかけられません。職も失い、恥ずかしくて、家族に会うことだってできなくなりました。働こうとしても、わたしは教師ぐらいしかできないのに、教師の仕事なんて皇族以外には許されるわけがないんです……」
俺は缶詰の備蓄パンに手を伸ばし、口へ運ぶ。
固くて、水分がなく、なかなかに食べ応えがある。
まあ、二千年前ではレンガ級の固さのパンを食べることもあった。
これぐらいの固さに負ける俺の歯ではないが、しかし、あまり美味いとは言えぬな。
「……惨めな毎日でした。お金を稼ぐために働いても、すぐに混血だからと敵意を向けられて、喧嘩になって、微々たるお金しか手に入らなくて、食べるものも貧しく、汚らしい場所で、なんのために生きているかもわからないで、必死にただ呼吸だけをしていた気がします……」
「だが、今は教師になったのだろう?」
「……そうですね……」
目を伏せて、エミリアは言う。
「だけど、幸せが戻るわけじゃありません」
そうだろうな。
子供になら話せるというのなら、すべて吐き出してもらおうか。
それで楽になることもあろう。
「ふむ。なぜだ?」
「……ここに来て、わかったことがあるんです……」
暗い声で、彼女は言う。
「魔眼を持たない普通の人たちは、わたしのことを人間だとしか思いません。だけど、普通の人間に対する彼らの接し方は、ディルヘイドにいた魔族たちの、わたしへの接し方と、同じでした……」
人間同士の普通のつき合いが、混血として見下されていたと思っていたときと同じなのだと、エミリアは気がついた。
それが、どういうことなのか、わからないわけではあるまい。
その場にぎゅっとうずくまり、膝に顔を埋めて、彼女は言う。
「……わたしを見下していると思っていたあの視線は、わたしがかつて混血に向けていた視線だったんです……」
その説明ではわからないと思ったか、エミリアは補足するように言葉を足した。
「わたしを見下していたのはわたしで……わたしはただ、見下されていると勝手に脅えていただけです……誰も、見下してなんか、いなかったのに……」
僅かに、ぐずるような声が聞こえる。
「だからって、どうしろって言うんですか……! わたしが最低で、醜くて、クズで、どうしようもない奴だって、それが突きつけられただけで……なにも、なに一つ、変わっていません……」
自分を抱くように、エミリアは身を更に小さくした。
「……アノシュ君も見たでしょう? 教師なんて名ばかりで、わたしにはなんにもないんです。ここに来てまだ日も浅いのに、生徒たちにはとことん馬鹿にされて、先生とすら呼んでもらえません……」
僅かに顔を上げたエミリアの瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。
「思えば、これが、その悪い魔法使いの与えた呪いなんでしょうね……。皇族なんて名ばかりで、わたしは、何者でもなかった……。教師ですらなかった……。なんの力もないちっぽけな小娘で……いつも苛立って、人を見下してばかりいるだけの馬鹿だったんです……」
彼女はそう、苦しみを吐き出した。
「エールドメード先生や、シン先生とは違います……。わたしは、人にものを教えられるような、立派な魔族じゃないんです……」
唇を噛み、エミリアは言葉を絞り出すように、か細い声で言った。
「……でも、わかってても、今更、立派になんかなれない……」
ぎゅっと彼女は自分の身を抱く。
「…………立派になんか、なれないんですよ…………」
「難しいことはよくわからぬ」
そう口にすると、エミリアはきょとんと俺を見た。
「……そうですよね……」
「それよりも、この肉の塩漬けは少々辛すぎる」
「……馬鹿ですね。これは、パンと一緒に食べるんですよ」
「そのパンは固い」
「だから、この油を使うんです」
エミリアは魚の油漬けにパンを漬す。
もぐもぐと肉の塩漬けを食べている俺の口に、エミリアはそのパンを放り込む。
「どうですか?」
「美味い。パンは柔らかくなり、肉はちょうどよい塩加減だ」
「そうでしょう」
ほんの少し、エミリアの表情が和らぐ。
「一つ、勉強になった」
「こんなこと誰でも知っていますよ」
「俺は知らなかったが?」
一瞬、エミリアが固まる。
彼女はじっと俺の目を見つめていた。
「一年分の缶詰ということは、さぞ色んな食べ方があるのだろうな」
呆れたように笑い、エミリアは言った。
「そんなくだらないことでよければ、また教えてあげますよ」
開かない缶詰、いつか開けられる日が、来るんでしょうか。