失われた魔法の授業
一週間後――
デルゾゲード魔王学院、第二教練場。
鼻歌混じりにステップを刻みながら、熾死王エールドメードが愉快爽快に教室へやってくる。
遅れてシンが入ってきてドアを閉めた。
生徒全員が着席済みなのを確認すると、熾死王は満足そうに笑う。
「素晴らしい、今日も全員出席ではないか!」
彼は杖を両手で持ち、床につく。
「さて、今日は待ちに待った勇者学院との学院交流だ。早速、遠征試験を……と言いたいところだが、このクラスはすでにガイラディーテへの遠征試験を経験済みと聞く」
熾死王エールドメードはくるくると杖を回転させ、ビシィッと先端を生徒たちに向けた。
「そこでだ。今日は、<転移>の魔法を使い、一気にガイラディーテへ行く。全員、起立するがいい」
生徒たちが立ち上がる。
一人の女子生徒が手を挙げた。
「……先生、あの、質問いいですか?」
「熱心ではないか、居残り。言ってみたまえ」
「……い、居残りって、ナーヤですよ、ナーヤ。先生、名前覚えてます?」
「無論だ。居残りのナーヤ。オマエは毎日のように図書室で居残りをして勉強していく。ゆえにこの熾死王が、居残りの二つ名を授けたのだ」
居残りのナーヤは、げんなりした表情を覗かせる。
そんな二つ名はいらないと言わんばかりだ。
「おいおい、そんな顔をするな。気に入らないのであれば、復習という二つ名もあるがどうだ?」
「……居残りでいいです……」
諦めたようだった。
「それで、質問を聞こうではないか」
「あ、はい。その、つまらない疑問なんですけど、<転移>って失われた魔法ですけど、便利な魔法じゃないですか。どうして失われたんですか?」
「カッカッカ、良い質問だ。居残りのナーヤッ!」
ドンッと熾死王は杖をつく。
「答えよう。<転移>は二千年前でも使える者はそう多くはなかった。なぜならば、魔力をさほど必要とはしない反面、魔法術式の構築が難しいのだ。これはひとえに、空間と空間をつなぐ際の魔力環境によって、術式を変化させなければならないのが理由である」
エールドメードが魔眼をその場の空間に向ける。
「変化というよりは殆どその場で構築するに等しい。空間の深淵を覗くことにより、それに適した魔法術式を組み上げる。ゆえに、<転移>の術式には核以外の定形がなく、それこそ、この魔法が失われてしまった所以である」
環境に応じて術式を変えなければならない魔法は、二千年前には数多く存在した。その中でも、<転移>は比較的易しい方だが、術者が絶えることで、その殆どが失われたものとなってしまったのだろう。
「つまりだ。今この場の、この瞬間の、魔力環境に応じた<転移>の魔法術式さえわかれば、オマエたちにも、使うことができるということだ」
エールドメードは黒板に、<転移>の魔法術式を描く。
この時間、この場からガイラディーテへ行く場合に限り、有効な術式である。
「さあ、試してみたまえ。あの魔王が開発した一瞬で距離を越える魔法だ。二千年前、距離を無にするという概念を暴虐の魔王が示したとき、世界に衝撃が走った。その驚きと興奮を、身を持って体感するがいいっ!」
エールドメードがそう言うも、生徒たちは不安そうな表情を浮かべた。
魔法に失敗すれば、どうなるかわかったものではないからだろう。
熾死王は杖でナーヤを指す。
「居残りのナーヤ、まずはオマエからだ」
「……わ、私……ですか? で、でも……先生もわかってると思いますが、私はクラスで一番魔法の実技が下手ですし、その、できるでしょうか……?」
「愚問、愚問だ、愚問ではないか、居残り。一番下手? それがどうしたのだ? そんな狭いところで背比べなどしていないで、もっと上を見るのだ。考えてもみたまえ。暴虐の魔王に比べれば、この熾死王の魔法ですら、児戯に等しい。我らは皆、魔王を前にすれば、平等に下手くそなのだ」
ナーヤはぽかんとした表情を浮かべた。
「ならば、他者を見ても始まらない。オマエが向き合うべきは、魔法だ。見つめるべきはその深淵だ。<転移>は魔法術式の変化が難しいだけで、それ以外は易しい。他の魔法と比べるなら、せいぜい<火炎>程度の難易度だ。オマエにできないわけがないではないか」
実際は<火炎>よりは難しいが、ナーヤにもぎりぎり手が届く魔法だ。自信をつけて、跳ばせるつもりなのだろう。
「この熾死王の魔眼を侮るな。さあ、行きたまえ」
エールドメードが言うと、ぎゅっと目を閉じて、居残りのナーヤは<転移>の魔法陣を描いた。
魔力が送られていくと、距離を越えたように、彼女の姿がふっと消えた。
「カッカッカ、見たまえ。成功ではないか」
おおー、と教室中に感嘆したような声が漏れる。
「ナーヤに行けたんなら、大丈夫そうだな?」
「ああ、俺たちもやってみようぜっ」
「なんか、すっごくドキドキする~」
次々と生徒たちは<転移>で転移していく。
「……これだけいたら、一人ぐらい変なところに飛びそうな気もするけど……」
言いながら、サーシャは<転移>の魔法を使う。
レイたちもそれぞれ魔法陣を描いていた。
「まあ、責任を持って熾死王が回収してくるだろう」
俺が<転移>を使うと、目の前が真っ白に染まった。
次の瞬間、視界に映ったのは勇者学院アルクランイスカの大講堂だ。
黒板から向かって左側に魔王学院の生徒たちが、転移してきている。
右側には勇者学院の生徒たちが着席していた。全員が緋色の制服を纏っている。元ジェルガカノンだろう。
彼らは皆、あんぐりと口を開け、次々と転移してくる魔族の生徒たちを呆然と見ていた。
「……っんだ、そりゃ……全員が失われた魔法で現れるなんざ、冗談きついだろ……」
そう口にしたのは、ラオス・ジルフォー。以前、学院別対抗試験でサーシャが倒した炎使いの勇者だ。
カノンの転生者を名乗っていたが、別人だと判明した今、その名からカノンの文字は消えている。
「……あいつら、前に学院交流に来た魔族たちだよね……」
ハイネ・イオルグが言う。
対抗試験でレイに聖剣を奪われ、重症を負ったが、ディルヘイド側の厚意で回復することができた。
「ええ。いつのまに、あれほどの魔法を身につけたのでしょうか。以前は、わたしたちの足元にも及ばないように見られましたが……」
レドリアーノ・アゼスチェンが眼鏡をくいっと人差し指で上げる。
「……これが、魔王の力ということですか……」
「でも、あいつは、いないみたいだよね」
ハイネが言う。
「……さすがに来ねえだろ。学院なんかに通う必要なんざねえだろうしよ……」
と、ラオスがレイの顔を見て、固まった。
「…………勇者カノン……なにしに来やがったんだ……」
吐き捨てるように彼は言う。
ハイネとレドリアーノは無言で、しかし、レイから目を逸らすように、教壇に視線を移した。
自らがカノンの転生者と信じていた彼らは、レイに対して思うところがあるのだろう。他の勇者学院の生徒たちも、ちらちらとレイの顔を見ては、ひそひそ話をしていた。
「はいはいっ、静かにしてください。授業を始めますよっ」
手を叩きながら、教壇に上がったのは、エミリアだ。
しかし、彼女の声を完全に無視するかのように、勇者学院の生徒は喋り続けている。
「聞いてるんですかっ。静かにしてくださいっ!」
エミリアが赴任してから、数日ほどか。
まだまだクラスには馴染んでいないようだな。
「カッカッカ、元気があって良いではないか」
舐めるような視線を人間の生徒たちに向けながら、エールドメードが教壇の方へ歩いていく。
エミリアは少々戸惑い気味に、熾死王に会釈をした。
しかし、勇者学院の生徒は未だ静かにならず、喋り続けている。
しばらくその様子を眺めていたエールドメードが杖で俺をさした。
「アノシュ・ポルティコーロ。来たまえ」
立ち上がり、俺は階段まで歩いていった。
「……なんだ、子供……?」
「どう見たって、六歳とか七歳だよな……?」
「……あれも魔王学院の生徒……なんだよな……?」
人間たちから、不思議そうな声が漏れた。
「よく聞け、人間ども。オマエたちが学院交流に興味がないのはよくわかった。ならば、こうしようではないか。両校を代表して一名ずつ、勝負をするのだ。もしも、勇者学院が勝ったならば、学院交流の意味はないということで、予定の期間はすべて休講にするということでどうかね?」
「え……そ、そういうわけには……休講になっても困りますし……」
「なんの心配をしている? 人間如きに、負けるわけがないではないか」
エミリアの言葉を、エールドメードが一蹴する。
「見ての通り、魔王学院の代表はこのアノシュ・ポルティコーロだ。彼に勝てば、オマエたちはしばらく授業を休むことができる。負ければ大人しく受けてもらうがね。それとも、子供にさえ尻尾を巻いて逃げるかね? 勇者になろうという生徒が?」
エールドメードの挑発に、勇者学院の生徒たちはムッとしたような反応を見せる。
「そうは言うけどさ」
ハイネが生意気な声を発した。
「魔族ってズルいじゃん? いくら子供だからって、どうせ、そっちの有利な勝負にするつもりなんでしょ? そんなの、やりたくないよねー」
「つまり、オマエの有利な勝負ならやってもいいということだな、人間。さあ、上がってこい。そして、勝負の方法を決めたまえ」
勝負の方法を委ねられたことに、ハイネは驚いたか、一瞬は彼は口を閉ざす。
だが、すぐに、ニヤリと笑みを覗かせた。
「へえ。まあ、いいんだけどさ」
ハイネが面倒臭そうに立ち上がり、広い教壇に上がった。
「そいつに勝ったら、本当に休講にしてくれるのかな?」
「無論だとも」
「約束だよ」
ハイネが不敵に笑い、俺を見た。
「それじゃさ、勝負の内容だけど」
ハイネはニヤニヤしながら、こう言った。
「サイコロで勝負しようよ。サイコロを振って、数字が大きい方が勝ちってことでどうかな? 戦闘とか魔法とか、魔族は強いからさ~」
「構わぬ」
ハイネが俺に木製のサイコロを手渡す。
「ふむ」
重心が偏っているな。
イカサマ用のサイコロか。一以外が殆ど出ない作りになっている。
「じゃ、ぼくからいくよ」
ハイネがサイコロを放る。
出た目は五だ。
「やったねっ。ほらほら、そっちはもう六を出すしかないよー」
魔眼でサイコロの深淵を覗けば、あちらのサイコロは五が出やすいように細工されているのがわかる。
六にしなかったのは、あまり極端なことをして、イカサマを怪しまれないためか。
どうせやるのだから、最大の成果が上がるようにしておけばいいものを。
「一つ聞くが、どんな振り方でも構わぬのか?」
「え? ああ、自由に振りなよ。サイコロなんて、どうやって振っても、運次第なんだからさ」
運次第という言葉を強調し、ハイネはほくそ笑んでいる。
「ふむ。よくわかった。しかし、いくら木製のサイコロとはいえ、こんなやわな床にしたのは間違いだったな」
「なんの話――」
ドゴォォォンッと石の教壇から激しい音が鳴った。
思いきりサイコロを振り、真下に叩きつけたのだ。
狙い通り、石の床に、サイコロがめり込んでいた。
「な……あ……はああぁぁぁぁぁぁっっっ……!?」
強度に劣る木製のサイコロを、石の目を読んで思いきり叩きつけることで、その床を貫いたのだ。
「ふむ。こちらは六のようだな」
床にめり込んだサイコロの出目は六であった。
地の利を生かし、サイコロの出目を限定させるのは、二千年前では当たり前のテクニックだ。
ゆえにサイコロの勝負をするときには、基本的に床は貫けない材質のものを使うのが常識だ。それならそれで望みの出目を出す技はいくつもある。
サイコロは運次第とハイネは言ったが、どうやら、この時代ではサイコロの技さえ退化しているようだな。
二千年前、サイコロを競うというのは、いかに狙った出目を出し続けられるかということに他ならない。
そのため、サイコロは一個ではなく、千個ほど同時に投げるのが普通だった。千個あれば、そのうち一個は狙いを外すこともあるだろう。
無論、俺は外したことなどない。
「……ちょ、ちょっと待てよっ。そんな振り方ありかよっ! 反則だろうがっ! 振り直しだよ、振り直しっ!」
「どんな振り方でも構わぬと言ったのはそちらだろう」
「……それは…………」
ぐうの音も出ない様子のハイネに、俺は言った。
「まあ、何度振っても変わらぬがな」
俺は自分のサイコロを拾いあげ、もう一度振った。
コロコロとサイコロは転がり、再び六が出た。
「……げっ……!? な、なんでだよっ……!? 一以外は出ないは――」
言いかけて、ハイネはしまったという表情を浮かべた。
「道具に頼っているようでは、まだまだだ。もっとよくサイコロ術を学べ。重心が偏っていようと、絶対に一しか出ぬわけではない。サイコロの深淵を覗き、床の環境と空気が読めれば、後はただ力加減を調節するだけで好きな出目が出せる」
俺はサイコロを拾い、もう一度振る。
出目は六だ。
何度も見せつけるようにサイコロを振るが、何度やっても六しか出ない。
その様子を、ハイネはただ驚愕の表情を浮かべて眺めることしかできないでいた。
「どんなサイコロだろうと、狙った出目を外すような俺ではないぞ」
これが二千年前のサイコロ術なのか……