迫りくる脅威
ゼルセアスたちには、今後の皇族派の活動について細かく命じておいた。
表向きは、これまで通りの皇族派を演じながら、裏では暴虐の魔王に反逆する者を改心させるというのだから、なかなかどうして、困難なものがあるだろう。
まあ、自分で撒いた種も数多くあることだ。
せめて、その責任は取ってもらわねばな。
竜を融通したという男についてだが、どうもゼルセアスも詳しく知らぬようだった。突然、皇族派に接触してきて、衰弱した竜を引き渡してくれたらしい。
よくもまあ、身元も知れぬ男から竜などという自らの手に余るものを譲り受けたものだが、それは言っても始まらぬ。
なにが狙いかは知れぬが、またゼルセアスに接触してくる可能性はあるだろう。その男については、今のところは待つしかあるまい。
レジスタンスについては、これで一応の決着を見た。
俺は彼らのアジトを後にすることにし、デルゾゲードの玉座の間に<転移>で移動した。
「あ、おかえり、アノス君」
真っ白な視界が色を取り戻すと、辺りは玉座の間である。
エレオノールがにっこりと俺に笑顔を向けていた。
ゼシアが嬉しそうに、こちらを振り向く。
しかし、俺の顔を見て、落ち込んだ表情を見せた。
「アノシュじゃ……ないです……」
「それはすまぬ。少々犬の躾をしてきたのでな」
くすくすっ、とエレオノールが笑った。
「気にしなくていいんだぞ。ゼシアはちょっとお姉さんっぽいことをしてみたかったんだよね」
こくりとうなずき、ゼシアが言う。
「……魔法、練習……しました……沢山……です……」
「ほう。なんの魔法だ?」
「……鏡の魔法……です……」
ふむ。大戦の樹木ミゲロノフに言われた長所を伸ばそうとしたわけか。
「ボクも応援する魔法を研究してるんだぞ。みんなをびっくりさせようと思って、毎日、こっそり練習してたんだ」
「それで玉座の間にいたわけか」
「うん。ほら、ここってアノス君が謁見するとき以外は誰も来ないし」
謁見でもないのに、魔王の玉座を訪れる者はそうそうおらぬからな。
俺も普段はここに用はない。
「他の者はどうした?」
「カフェでお茶した後、帰ったぞ。それで暇だったから、学院に戻ってきたんだ。アノス君が戻ってくるかもしれないと思って」
「なにか用があったか?」
言いながら、玉座へ移動し、そこに座る。
「んーん、ちょっと顔が見たかったんだぞ。ほら、魔王様の魔法だから」
「そんな制約はないはずだがな」
「くすくすっ。なんでもお見通しの魔王様の魔眼にも、見えないものがあるんだ」
からかうようにエレオノールが言い、人差し指を立てる。
「じゃ、問題。アノス君はボクを自分の魔法にして、自由にしてくれたけど、その代わりにボクはあるものに縛られちゃったんだ。それって、なーんだ?」
エレオノールは、人型魔法だ。
その術者を俺に書き換えた際に、あらゆる制約を撤廃した。
理屈の上では、彼女を縛るものはもうどこにもない。
「なかなかどうして、難問だな。なぞなぞの類か?」
「そうかも。でも、気がつけば、答えはすっごく簡単だぞ」
「では、考えてみよう」
「んーん。わからなくていいんだぞ」
玉座に腰かける俺にエレオノールは近づいてくる。
「なぜだ?」
「なーんでだ?」
くすくすと笑声をこぼしながら、エレオノールが前屈みになり、俺に視線を向ける。
彼女は花が咲いたような笑顔を覗かせた。
「正解は、教えてあげないぞっ」
ふむ。上機嫌だな。
まあ、わからない方がいいというのならば、あえて聞くまい。
秘密の一つや二つ、誰しも持っているものだ。
しかし、あえてそれに触れたということは、口にしたくはないが、俺に気がついてほしいということかもしれぬな。
配下の想い、汲んでやりたいところだが、さてなにが言いたいのやら?
縛られたと言うが、実際には縛られていない。
つまり、なにかしらの比喩なのだろうが、今のところ見当もつかぬ。
「エレオノール。それは、以前のように取り返しのつかぬようなことではあるまいな?」
きょとんとした表情を浮かべた後、彼女は嬉しそうに微笑む。
「違うぞ。ボクはアノス君が生きている限り、ずっと君のための魔法であり続けるから」
「ならば、よい」
彼女の瞳を見つめ、俺は言った。
「いずれその正解を当ててやる。覚悟して待っていろ」
「んー、本当に? アノス君にできるのかなぁ?」
二つの魔眼をエレオノールに向け、その深淵を覗く。
「この俺を前に、真実を隠し通せると思ったか」
「ふふっ、くすくすっ、あははははっ」
お腹を抱えて、エレオノールが笑う。
「そんな恐い顔で言ってたら、一生わからないんだぞ?」
「恐い顔でわからぬ、か」
恐らくはそれもヒントなのだろうな。
「なるほどな。しかし、いいのか? 迂闊なことを言えば、勘づくかもしれぬぞ」
「うんうん」
エレオノールが俺の頭に手をやり、よしよしと撫でてくる。
「魔王様のそんな可愛いところが、ボクは大好きだぞ」
なんとも毒気を抜く台詞を吐くものだな。
「ゼシアも……お話しします……」
とことことゼシアが玉座の前までやってくる。
「あー、ごめんね、ゼシア。ほら、じゃ、アノス君にお話ししてもらおっか?」
こくりとうなずき、ゼシアが俺の前に立つ。
彼女はじーっと玉座を見た。
「……座りたいのか?」
「……ゼシアも、魔王……してみたいです……」
「いいだろう」
俺は立ち上がり、ゼシアに玉座を譲る。
彼女はじーとそれを見た後、また俺に視線を移した。
「座ってみるといい」
うなずき、ゼシアは玉座に座る。
「くすくすっ、魔王ゼシアだぞっ。偉いんだぞ」
エレオノールが子供をあやすように言う。
「……ゼシアは、魔王ゼシアです……」
「じゃ、なにか命令を出してみよっか」
ゼシアはじっと考え、それから言った。
「……学院の勉強を……簡単にします……」
「わーお、思ったよりも魔王ゼシア、私利私欲に走ってるぞ……」
「……休みは、月に半分は、欲しいです……残りの半分は、遊びます……」
「ま、魔王様が横暴だぞっ」
「アノスは……ずっとアノシュです。ずっと、ゼシアがお姉さんです……」
「それなら賛成だぞっ。素晴らしい法案だっ」
ぱちぱちとエレオノールが手を叩く。
ゼシアは嬉しそうに、腕を組んだ。
「ゼシアだからといって……魔王じゃないと思ったか……です」
なんとも可愛らしいものだ。
「……アノスは……一緒に、座ります……」
ゼシアが玉座の端により、とんとん、と自分の隣を叩く。
彼女は小柄なので、二人で座ることもできよう。
「……座り……ませんか……?」
「いいぞ」
ゼシアの隣に俺は腰かける。
彼女は満足そうに笑った。
「……ママも……座ります……」
「んー、さすがにママは無理だぞっ。もう座る場所ないから」
ゼシアは頭を悩ませ、今度は自分の膝をとんとんと叩いた。
「……ここ……です……」
「えっと、そこは、ゼシアが潰れちゃうかな」
ゼシアが困ったような表情を浮かべる。
だが、しばらくしてぱっと顔を輝かせた。
「……思いつき……ました……」
「なあに? どうするんだ?」
「……がんばれば……潰れません……」
真剣な顔つきでゼシアが言う。
思わずエレオノールがくすくすと笑った。
「んー、さすがに、がんばっても無理だぞ……」
すると、ゼシアが悲しそうに俯いた。
「……わ、わかったぞ。えっと、じゃ……」
エレオノールが俺の方を向く。
「アノス君、アノシュになってもらってもいいかな?」
「ふむ」
<逆成長>の魔法を使い、俺は体を縮めた。
瞬く間に、六歳のアノシュになる。
「これでいいのか?」
「うん。ありがと。ちょっと、ごめんね」
エレオノールは俺の両脇に手をやって、ぐっと体を抱き抱えた。
そのまま、玉座に腰を下ろし、俺を自分の膝の上に乗せる。
「ほらっ、これで三人座れたぞっ」
「狭いからといって……三人で座れぬと思ったか……です……」
「うんうんっ、さすが魔王ゼシア。一人がけの椅子に、三人も座らせるなんて理不尽だぞっ」
言いながら、エレオノールがぎゅっと俺を抱きよせ、頭を撫でている。
なんとも、こそばゆいことだ。
「んー、なんだか子供が一人、増えたみたいだぞ」
「……ゼシアが……お姉さんです……」
そう言って、ゼシアは俺と手をつないだ。
「……アノシュ……守り……ます……」
「頼もしいことだ」
そう言うと、嬉しそうにゼシアは頬を綻ばせる。
「ねえ、アノス君」
エレオノールが耳元で囁く。
「ありがとね。一万人のゼシアもエニユニエンの大樹でお勉強させてもらえることになったし、妖精たちとも楽しそうに遊んでる。エニユニエンのお爺ちゃんも、ゼシアがきっと喋れるようになるって言ってた。すっごく嬉しいぞっ」
「なに、まだまだこれからだ。全員まとめて幸せにしてやると言っただろう」
ふふっとエレオノールが微笑む。
「小っちゃいのに格好いいこと言って。そんなアノシュ君が、大好きだぞ」
言いながら、彼女は俺の体をぎゅっと抱きしめた。
「……んー?」
ふとエレオノールが天井に視線をやる。
高い窓から飛び込んできたのは、一羽のハヤブサだった。
それはゆっくりと俺たちの前へ舞い降りてくる。
『魔王様』
ハヤブサから<思念通信>が、発せられる。
聞き覚えのある声だ。
「どうした、イガレス?」
『お耳に入れたいことが。アゼシオンで竜が目撃されました』
イガレスはあのアヴォス・ディルヘヴィアの一件の後、俺の配下に加わり、平和に尽力してくれることとなった。
そして、二千年前、人間だった経験を生かし、アゼシオンへ赴き、故郷の様子を見て回っていたのだ。
主に人間の魔族や魔王に対する感情を調べるのが目的である。
しかし、竜とはな。
皇族派が捕らえていたことといい、偶然とは思えぬ。
「確かか?」
『直接、その姿を見られたわけではありませんが、外見の特徴と地中へ帰っていったという話から、ほぼ間違いないと思われます』
竜の巣は地中にある。
大地の中に生息する巨大な生物と言えば、竜が殆どだ。
『……それから、竜が表れた付近の街の人間が、何人か行方不明になっています……』
「食われたか」
『その可能性があります。今のアゼシオンには、竜の討伐方法を知る者がおりません。書物には記載がありますが、実戦を経験したものがいませんから。それは、僕も同じです』
「あー、今の人間にはちょっと手に追えないかもしれないぞ。勇者は、魔族に対しての結界と同じように、竜専用の結界を対抗手段に持ってたんだけど、勇者学院では教えられてなかったから」
エレオノールが言う。
ジェルガが魔族を滅ぼすの優先したためだろう。
そもそも、竜は絶滅したとさえ思われていたからな。
「アゼシオンの反応はどうだ?」
『竜の存在の報告を民から受け、半信半疑ながら、これから対策の協議に入るようです。このことをアノス様にお伝えする前に、メルヘイス様と話をしましたが、今のところアゼシオンはディルヘイドに救援を要請するつもりはないようです』
竜の力を甘く見ているのだろうな。
二千年前から生き延びているのならば、それは相当に賢く、強力な個体に他ならない。
「ふむ。まあ、二千年前の配下たちを派遣するのが一番だろうが」
『竜は討伐できるかもしれませんが、後で問題になるかもしれません。人間は手続きと法にうるさいですから。特に戦争もあったことですし』
救援要請もないのに、正規の魔王軍がアゼシオンで戦闘行為をしては不法だということだ。
たとえ、それが人間を守るためであってもな。
戦争の一件で向こうはディルヘイドに借りがあるからな。
それを返したいと思っている者が、どんな難癖をつけてきたところで、不思議はない。
「でも、救援要請なんか待ってたら、何人食べられちゃうかわかんないぞっ。こういうときのための勇者学院だけど、今は権限も実力も相当弱まってるし。それに判断できる人がいないから」
心配そうにエレオノールは胸の中にいる俺をきゅっと抱きしめる。
かつての学院長ディエゴは、ジェルガの意志の影響を大きく受け、思想こそ問題はあったものの、人間への脅威を排除するにあたっては、それなりの実力があった。
だが、今では平和に馴染んだものしかおらぬということだ。
「竜の存在はディルヘイドの民にも脅威となろう」
エレオノールとイガレスを安心させるように俺は言った。
二人の故郷だ。こちらに害がないからとて、見捨てるわけにはいかぬだろう。
「すぐに、魔王学院と勇者学院との学院交流を要請する。学生ならば、たまたま遭遇した竜を倒したところで問題にはならぬ」
むしろ、魔王学院側の安全を保証できなければ、あちらに非があることになろう。
『受け入れる体制が調ってないと言われるかもしれませんが……』
「ちょうど、融通の利く教師をあちらへ赴任させる手筈となっているのでな。言い訳はさせぬ。まあ、その辺りはうまくメルヘイスが話をつけるだろう」
『わかりました。引き続き、僕は竜の情報収集に務めます』
ハヤブサは高窓からアゼシオンの方角へと飛び去っていった。
珍しくエレオノールのターン。
しかし、エミリアは勇者学院でちゃんと教師できるんでしょうかねぇ。