皇族派の救世主
階段を上り、屋敷の最上階までやってくる。
すぐに目についたのは一際豪奢なドアだ。
ラモンはその前で立ち止まり、コンコン、とノックをした。
「ラモン・アイバーですっ!」
彼がはきはきと声を発すると、中から声が返ってきた。
「入れ」
「失礼します!」
ドアを開ければ、中は執務室だった。
部屋の両脇には、鎧を纏い、帯剣した魔族たちが直立不動に立ちつくしている。
正面には豪華な装飾の施された机があり、そこに一人の男が座っていた。
青色の肌をしており、白髭を生やしている。ひょろっとした体躯で、神経質そうな面持ちをしているが、眼光は鋭い。
ミッドヘイズの権力者たちを集めた際に、一度目にしている。その根源から溢れる魔力を見ても、本人に間違いあるまい。
ゼルセアス・アンガート。
アンガート家の現当主であり、この街では魔皇に次ぐ権力を持った男だ。
ミッドヘイズで推し進める新たな政策を決める会議にも出席しており、なかなか有意義な発言をしていた。
どちらかと言えば、皇族に手厳しい提案を行っていたが、それは自分が皇族派だと悟らせぬためのポーズだったか。
「それがお前の言っていた、新たな同志かね?」
ゼルセアスが問う。
「はい、俺の弟分で、アノシュ・ポルティコーロと言います」
俺は堂々と前へ出て、ゼルセアスに言った。
「アノシュ・ポルティコーロ、六歳だ。皇族派のレジスタンス活動に興味があって来た。お前がリーダーか?」
俺がそう口にすると、若干不愉快そうにゼルセアスは眉をひそめる。
「す、すみません。ゼルセアス様っ。こいつは、誰にでもこういう喋り方で」
言葉遣いにこだわらない魔族は多いが、どうやらゼルセアスはそうではないらしいな。
「まあ、よかろう。我は寛容な男だからな。子供の言うことに、いちいち目くじらは立てん」
吐き捨てるように言い、ゼルセアスが頬杖をつく。
「念のため聞いておくがね、ラモン。お前も知っての通り、今の我々には多くの同志が必要である。だからといって、猫の手でも借りたいというわけではない。これは崇高なる大義なのだ。わかっているかね?」
ゼルセアスの迫力に飲まれそうになりながらも、ラモンは慌てて言った。
「……も、もちろんです。アノシュは子供ですけども、魔力や魔法はすげえもんがあるんです。少し見てもらえましたら、すぐわかってくれるんじゃねえかと思います。もしかしたら、俺たちの切り札になるかもしれ――」
「ラモン」
眼光鋭く、ゼルセアスがラモンを睨めつける。
それだけで、彼は萎縮したように口を閉ざした。
「お前の意見は聞いていない。手札になるかどうかは、我が判断する。お前は、言われた通り、仲間を集めてさえいればよい」
悔しそうにラモンはうなずく。
「は、はい……」
やはり、ラモンはここでは大した立場ではなさそうだな。
レジスタンスの仲間を集めるための使いっ走りといったところか。
「アノシュと言ったな。我々は子供だからといって差別はしない。だが、我らの仲間に加わりたいのならば、力を示せ」
パチン、とゼルセアスが指を鳴らす。
部屋の両脇にいた六人の兵士たちが俺の前に整列した。
「この者たちは私の側近。いずれも屈強な魔族である。好きな相手を選ぶがよい。倒せとは言わん。一〇分もちこたえたならば、仲間にしてやろう」
ざっと目の前の魔族たちを魔眼で撫でる。
「ふむ。まずは雑魚で様子見というわけか」
ゼルセアスが表情を歪める。
「……なんだと…………?」
「六人全員でかかってこい。貴様らでは、準備運動にすらならないことを教えてやる」
「……小僧……貴様、なにを言っているかわかっているのか……?」
兵士の一人が前に出る。
そいつは怒りをあらわにするように、俺を睨めつけた。
「我らにもアンガート家に仕えてきた誇りがある。そのような侮辱をして、ただ済むと思うか?」
もう一人、兵士が前に出た。
やはり、表情には苛立ちが見てとれた。
「即刻取り消せ。さもなくば、子供とてただではすまんぞ」
俺はニヤリと笑い、彼らに言った。
「その意気だ。本気でやらねば、死ぬことになる」
もう我慢がならないといった風に、兵士たちは次々と魔剣を抜く。
「よろしいですな、ゼルセアス様?」
「構わん。だが、使えそうなら殺すでない」
ゼルセアスの許可が出ると、六人は俺を取り囲んだ。
「収納魔法ぐらいは使えるのだろうな? 剣を抜け。その傲慢な態度を改めてやろう」
特にその言葉に応じることなく、俺は手首をほぐすようにぶらぶらと両手を振った。
「……小僧、なんのつもりだ?」
「丸腰でいれば、斬られぬと思っているのならば大間違いだぞ」
「なに、最近は運動不足で体が凝っていてな。ほぐしたいところなのだが、まあ、貴様らではそれさえ適わぬか」
口にした瞬間、兵士たちは憤怒の形相で剣を握り締めた。
「……いいだろう。後悔しろぉぉっ!!」
兵士の一人が俺に飛びかかってくる。
俺は視線すら向けることなく、そのままぶらぶらと両手を振り続ける。
手首の凝りが徐々にほぐれてくると、両手に扇がれ、吹いた風が渦を巻く。それはみるみる激しい旋風となっていき、さながら小規模な竜巻と化した。
「ぐああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」
手首の柔軟運動によって発生した竜巻が、襲いかかる兵士を弾き飛ばす。
「なっ……!!? お、おのれぇぇぇっ!!」
「き、貴様ぁぁっ! いったいなにをぉぉっ!!」
左右から二人の兵士が同時に迫る。
俺は右足に体重をかけ、ゆるりと伸脚をした。
魔力の伴うその体重移動が、激しい衝撃波となり、右側の兵士がぶっ飛んだ。
「がばあああああああああああああああああぁぁぁぁっ!!」
更にゆるりと右足から左足へ体重移動して、伸ばす脚を変える。
瞬間、伸脚によって発生した衝撃波が左側の兵士をすっ飛ばす。
「ごぼおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉっ!!」
両手を組み、天を突くようにぐぅっと伸びをする。
すると、兵士達が見えないなにかに突き上げられるように、突如吹き飛んでは、天井に押しつけられた。
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉっ!!!」
「がががががああああああああああああああぁぁぁぁっ!!!」
そのまま体をほぐすように、組んだ両腕をそのままにゆるりと大きく円を描いていく。
「ぎゃっべええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!!」
「あばばばばばばばばばばばばばばばっっ!!!」
執務室に暴風が吹き乱れる。
兵士六人はまるでかき混ぜられるかのように、室内を、ぐるぐると飛び回っていた。
再度ぐぅっと両腕を天に伸ばし、がくん、と肩の力を抜く。
その脱力で、兵士たちは落下し、同時にドゴォォォンッと部屋ごと床が落ちる。
執務室が最上階から四階になった。
「なあぁっ……!!? うおぉぉ……」
ゼルセアスが険しい表情を浮かべ、机に手をついて震動に耐える。
更に一度屈伸をすれば、ドゴォォンッと執務室が三階になる。二回目で二階に落ち、三回目で、とうとう一階にまで落下した。
コキ、コキと首を右、左に軽く捻れば、それに合わせ空間が捻られたかのように、兵士たちの体を乱暴に引き裂こうとする。
「がっばあああぁぁあぁぁぁぁっ!!」
「でべべべべべ、でばばばばばっ!!」
俺が右腕をまっすぐ伸ばし、それに左腕を交差させる。右腕を引きつけるようにして肩と上腕の辺りを伸ばそうとすると、青い顔を更に青ざめさせて、ゼルセアスは言った。
「……わ、わかった。もういい」
そう言われ、俺は体をほぐすのをやめた。
執務室はすっかりボロボロに成り果て、兵士たちは瀕死の状態である。
「見ての通りだ。準備運動にすらならぬ」
俺は倒れた六人の兵士に魔法陣を描き、<治癒>の魔法をかけてやる。
みるみる傷が癒えていき、彼らは意識を取り戻した。
ゼルセアスが驚愕といった表情で俺を見つめる。
「……まさか、準備運動が……言葉の通りとは……」
独り言のようにゼルセアスが呟く。
奴は、顔を伏せ、何事かを考え始める。
そして、次の瞬間、顔を上げたその男は、胡散臭い笑顔を携えていた。
「恐れ入った、同志アノシュ。子供だからと差別はしないと言ったが、いやはや甘く見ていたようだ。共に正しき魔族の歴史を取り戻そう」
ゼルセアスは椅子から立ち上がり、こちらへ歩いてきては、手を差し出す。
握手を交わし、奴は言った。
「魔法も得意との話だが、<魔物化>の魔法は使えるか?」
動物を魔力によって変化させ、魔物にする魔法だ。
現在のディルヘイドでは、一定の条件をクリアしない限り、動物に<魔物化>を使うのは禁止されている。
「無論だ」
「<隷属>の魔法は?」
「造作もない」
「それは素晴らしい。どうやら、ようやく我々にも運が向いてきたようだ。もしかしたら、君は皇族派の救世主になるかもしれんよ、同志アノシュ」
そう言いながらも、ゼルセアスが下卑た笑みを浮かべる。
<隷属>は魔法をかけた対象を支配することができる。魔族や人間など、意志のある者にはなかなか効きづらく、主に知性の低い動物などに使う。使い魔などを支配しているのがこの魔法だ。
<魔物化>についても確認したということは、魔物を作りだし、それを操ろうということか。
とはいえ、<魔物化>や<隷属>ぐらい、アンガート家ならば術者に困らぬはずだ。
俺の力を見て、わざわざそう言ってきたということは、普通の術者では手に追えぬものを、魔物化しようとしているのか?
「ラモン、馬車を用意しろ」
床に伏せていたラモンが立ち上がり、「はい!」と返事をする。
すぐに彼は執務室を出ていった。
「どこへ行くのだ?」
「なあに、すぐそこだよ。同志アノシュ、君に見せたいものがあってね」
ゼルセアスは淀んだ瞳で、そう口にした。
これが、魔王の柔軟運動――
皇族派は、とんでもない救世主を迎え入れてしまったのかもしれません……。