表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
190/726

プロローグ ~創造の月~


 神話の時代――


 ひらひらと雪の結晶が遙か地上へと舞い降りる。


 降り注ぐ温かな光を、美しくキラキラと反射させながら。


 いや、正確には少し違う。

 その雪の結晶は、光が変化した姿であった。


 夜空には、平常の月の他にもう一つ、<創造の月>アーティエルトノアが浮かぶ。

 白銀に輝くその満月は、地上を照らし、雪の結晶を降らせていた。


 その月明かりから生まれる花にも似た雪の結晶を、人々は雪月花せつげつかと読んだ。


 <創造の月>の光を受け、ありとあらゆる生命が、その源である魔力を宿す。

 生まれているのは、あらゆるものの原初であり、根幹である、生命の根源であった。


 そこは多くの命が奪われた戦場。


 白銀の月明かりに照らされ、荒れ地も屍も、折れた木々から、枯れた草花まで、時が止まったかのように凍りつき、そして、消えた。


 古きものが滅びれば、新たなものが誕生する。

 曰く、幾千の滅びの夜を迎え、かの月は空に輝き、新生の奇跡を起こす。


 アーティエルトノアによって、失われた生命は循環し、この世界の秩序が保たれていた。


 白銀の雪月花が降り注ぐ中、屍が積み重なり、時が止まったかのような死に満ちたその大地に、一つだけ動くものがあった。

 

 一人の男が立っている。


 蹂躙にも等しい圧倒的な破壊が行われたその場所に佇む、黒き王の装束を纏った彼は、悪名高き暴虐の魔王、アノス・ヴォルディゴード。


 彼はゆっくりと足を踏み出し、滅紫けしむらさきに染まった魔眼で天を睨む。

 すると、黒き暗黒がその場に一枚の板のような足場を作る。更に一段上に暗黒の板が現れ、その上にもまた一枚の板が現れる。


 暗黒はみるみる階段を作っていき、それは夜空に輝く<創造の月>アーティエルトノアに続いていた。


 魔王は夜空にかけられた長い闇の階段を上っていく。

 <創造の月>は遙か遠く、地上の山が小石よりも小さくなっても、終わりはまだなお見えない。


 時間にすれば、どのぐらいの時が経っていたか。

 ゆうに七日が過ぎたように思えたが、まだなお、世界は夜のままだ。


 <創造の月>が空に輝く限り、朝は来ない。


 もう七日が経過したが、やはり白銀の月は遙かに遠い。

 魔王が上り続ければ、彼が作った闇の階段に、雪月花が降り注いでいく。


 その月明かりの化身である雪の結晶が、一際目映く輝いたかと思うと、十段ほど上に銀髪の少女の姿があった。


 その髪は足のくるぶしまで長く伸び、その瞳は銀の輝きを秘め、その体には純白の礼装を纏っていた。


「帰って」


 一言、少女はそう言った。


「断る」


 そう口にして、魔王はまた階段を上り始めた。

 しかし、どれだけ進んでも、その少女との距離は一向に縮まらない。


「目的は?」


「あの月を堕とす」


 感情のない無機質な視線が魔王に突き刺さる。


「それはできない」


「不可能など俺は知らぬ」


 魔王が言うと、少女の姿はふっと消えた。

 気にせず、彼は階段を上っていく。


 それから、七日が経過した。

 

 再び目映く輝く雪月花が舞い降りてきて、銀髪の少女が姿を現した。


「あなたは、なぜ<創造の月>を堕としたい?」


「わからぬな。なぜ、そんなことを訊く?」


 少女は無言で魔王を見つめた。


「朝になれば<破滅の太陽>が命を滅ぼし、夜が訪れれば<創造の月>が新たな命を生む。殺すために生み、生むために殺す。俺たちは、貴様らのおもちゃではないぞ」


「それは、この世の理」


「ならば、滅びよ」


 驚いたように少女が目を丸くする。


「そんな理不尽がこの世の理だと言うのならば、いっそ滅んでしまえばいい」


「理が滅べば、秩序が滅ぶ。この世界も滅ぶ」


 淡々と言葉を発する少女を、魔王は殺気を込めて睨む。


「優しいか、この世界は?」


 その問いに、彼女は答えない。

 あるいは、答えられなかったのかもしれない。


「守らなければならぬほどの世界か? 殺し殺され、滅び滅ぼされ、希望など、とうの昔に潰えた。ここは世界という名の巨大な拷問部屋だ。そのルールに従う限り、一切の光は当たらず、阿鼻叫喚だけが木霊する」


 魔王は立ち止まり、高みから見つめてくる少女へ言った。


「名も知れぬ神よ。その頭蓋にとくと刻め。世界が滅びるという陳腐な脅しで、いつまでも貴様らの定めたルールに従う俺ではないぞ」


 静寂を体に纏い、それを打ち破るように彼女は言った。


「ミリティア」


 魔王が疑問の視線を向けると、続けて少女は言う。


「創造神ミリティア。この世界を創った秩序。あなたの名前は?」


「魔王アノス」


 魔王は答えた。


「アノス」


 それは、淡々とした口調だった。


「……世界は、優しくなんかない……」


 雪月花を残し、少女は消える。

 魔王は立ち止まったまま、その花を見つめた。


 彼はなにを思ったか、歩き出そうとはしなかった。

 考えを巡らせるかのように、遙か彼方の<創造の月>を睨み、その深淵を覗き、じっと立ちつくしていた。


 一時間が経ち、四時間が経ち、一〇時間が経って、丸一日が経過した。


 なおも微動だにせず、そこに佇む彼の前に再び月光のような雪月花が舞い降りてきた。

 階段の上に、銀髪の少女が姿を現す。

 ミリティアは感情のこもらぬ瞳で魔王の深淵を覗いた。


「ふむ。今回は早かったな」


「待っていたから」


 すっとミリティアは、魔王を指さす。

 彼が彼女を待っていた、という意味だろう。


「わかるのか?」


「わかる」


「なるほど。さすがは創造神だ」


 魔王は背を向け、暗黒の階段に腰かけた。

 頭上の<創造の月>へ向けていた敵意もなく、彼は眼下にある世界を眺めた。


 ほんの少し憂いのある表情を浮かべながら。

 ミリティアはそれを不思議に思ったか、階段を下りた。


 二人の距離が初めて縮まった。


「訊きたいことがある」


 背を向けたまま、魔王は顔だけをミリティアの方へ向けた。


「世界のこと?」


「お前のことだ」


 ミリティアは僅かに目を丸くした。


「思えば俺も、神族を理解しようとしたことはなくてな。ミリティア、お前の想いを聞かせてくれ」


 感情の伴わない声で、彼女は応えた。


「神は秩序。怒りも、悲しみも、優しさも、誇りも、わたしたちにはなにもない。ただ秩序として生じ、その役割を実行するだけ。この身は不滅、だから、生きてすらいない」


「想いはないということか?」


「不滅の存在に想いは不要。それは生者にだけ与えられた、生きるための権能」


 無機質な声で、ミリティアはそう口にした。

 魔王は視線を地上へやり、しばし考えた後に言う。


「神は不滅ではない」


 確かな意志を込めた言葉だった。


「俺の眼前で、不滅の存在などありえぬ」


 魔王は創造神へ、もう一度問いかけた。


「お前のことを聞かせてくれるか?」


 無表情を崩さず、ミリティアは訊き返す。


「なにを?」


「なんでもよい」


 しばらく、少女の姿をした神は口を閉ざした。

 長い、長い、時が過ぎていく。

 

 やがて、彼女は言った。


「妹がいる」


「ほう。仲はいいのか?」


「会ったことはない」


「なぜだ?」


「それが、秩序だから」


 彼女がそう口にすると、東の空が赤く染まり始めた。

 まもなく、長い夜が明けようとしているのだ。


「<創造の月>が消える。地上にいる時間は終わり」


「では、最後に一つ、聞かせてくれるか?」


 ミリティアがうなずいた。

 魔王は尋ねる。


「妹の名は?」


 白銀に輝く夜空の月が消えていき、代わりに太陽が上り始める。

 キラキラと光を反射する雪月花と化して、ミリティアはふっとその場から消えた。


 妹の名をそこに残して。


 月日は流れる。

 地上の生命は変わりなく滅び、幾千万の命が失われていった。


 その日から、七年後の夜だった――

 

 空には再び<創造の月>が輝いている。


 時が止まったかのような清浄な世界で、暗黒の階段が白銀の月にかかっていた。

 そこを上っている者がいる。


 暴虐の魔王、アノス・ヴォルディゴード。

 彼が七日七晩歩き続け、山が小石ほどの大きさになった頃、白銀に輝く雪月花がひらひらとその階段に舞い降りてきた。


 それは次第に輝きを増し、人の形を象る。

 かつてと変わらない銀髪の少女の姿で、創造神ミリティアが姿を現した。


「ふむ、久しいな、ミリティア」


「七年ぶり」


 ミリティアは階段を下りてくる。


「今日は土産がある」


 魔王は懐から一枚の手紙を取り出し、少女に手渡した。


「妹からだ」


 魔王がそう口にすると、ミリティアは手紙の封を切り、中から便箋を取り出した。

 そこに描かれているのは魔法陣だ。少女がそっと手を触れると、彼女の頭の中に、言葉が再生されていく。


 しばらくそれに耳を傾けていたミリティアが、ほんの僅かだけ微笑みを見せた。


「なんと書いてあった?」


 じっと彼女はその瞳を魔王へ向けた。


「読んでない?」


「他人への手紙を読むわけにはいかぬ」


 ミリティアは言った。


「わたしの魔王様によろしくって」


「ふむ。まあ、それを書いてもらうのには苦労したからな」


 魔王が階段に腰かけると、ミリティアがその傍らに立つ。


「夢を見た」


「ほう。神でも夢を見るのだな」


 ミリティアは首を静かに左右に振る。


「初めて」


「どんな夢だ?」


「神が転生した」


 遙か地上へ想いを馳せるように、ミリティアは言った。


「どうなるのだ?」


「転生しても、秩序は秩序。神は神」


 淡々と彼女は言葉を発する。


「だけど、夢では神が秩序以外の命になれた。わたしは、妹に、わたしのぜんぶを譲った」


「すべてを譲り、お前はどうした?」


 じっと俺を見つめ、彼女は言った。


「わからない」


 魔王は考え、そして問うた。


「では、どうしたかった?」


「冷たい世界の優しさになりたかった」


 なにげなく、こぼれ落ちた創造神の言葉に、魔王は笑みを浮かべた。


「おかしい?」


「いや。我ながら愚かなものだと思ってな」


 自嘲するように、彼は言う。


「神族にも様々な者がいるものだ」


「様々な秩序はある。命はない」


 薄く笑い、魔王は問う。


「今宵は時間があるのか?」


「少し」


「では、七年前の続きを。朝が訪れるまで、語り明かそう」


 白銀の月が輝き、雪月花が舞い落ちる夜。

 空にかかる暗闇の階段の上で、創造神と魔王は、訥々と語り合っていた。


魔王と創造神の出会い。

なにを話したのでしょうね。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ふむ。この話し方、雰囲気、能力、氷に月…。 あまりにも「彼女」にそっくりですね…。 「姉」と「妹」。月と、太陽。創造と、破滅。 表裏一体の、2つ…。
[一言] 読んでたらふと、ミーシャが思い浮かんだ。 喋り方が似てるからかね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ