斬り裂かれた言葉
シンが高速で駆けていた。
「愛の妖精の体を借り、仮初めの命を得たか、母なる大精霊。たとえ記憶と姿形が戻ろうとも、矮小な愛の妖精の体では、大した魔力もない」
ノウスガリアは高らかに謳う。
自分がすでに死んでおり、愛の妖精フランの体を借りていると気がついてしまえば、レノはもう消えるしかない。その事実を突きつけるように、彼は言ったのだ。
だが、レノは怯まない。
すでにそれを悟っているのだろう。彼女が消えるのは時間の問題だった。
「何度挑もうとも、無駄なこと。神の魔眼に死角はない。その姿、二度と見失うことはないと知れ」
天父神がその魔眼でシンを凝視し、神の奇跡を発動した瞬間だった。
先程同様、シンの姿が忽然と消えた。
まるで神隠しにあったかのように。
「神の魔眼に死角はなくても、見ている限り、存在しないものがこの世にあるんだからっ!」
レノが言った。
それは隠狼ジェンヌルの力――
目で見ようとする限り、その存在すら消えてしまう不思議な精霊の能力が、今、シンの身に宿っていた。
「ははっ」
乾いた笑いを発し、ノウスガリアが魔眼を閉じる。
その瞬間、シンが姿を現し、床に転がっていた斬神剣を拾った。
「神の力は絶対だ。この権能の一つや二つ、封じたところで君たちの運命は変わらない」
ノウスガリアが喋っている隙に、シンは奴を間合いに捉えていた。
振り下ろされた斬神剣を、神剣ロードユイエが迎え撃つ。
両者の技量の差はあまりに大きく、シンはいとも容易く、神の剣を弾き飛ばした。
くるくると宙を舞ったロードユイエをよそに、シンの手にした魔剣が赤黒く染まる。
斬神剣秘奥が二、<死神>が、ノウスガリアの首を刈らんが如く、閃光と化した。
「神の剣術は自在だ」
宙に舞ったはずの神剣ロードユイエが自ら意志を持ったかの如く、シンのグネオドロスを打ち払った。
「畏れ、敬え、これこそ神の剣である。この手を煩わせることなく、我が神剣は神に背く敵を屠る。腕に頼らなければならない魔族の剣では、この奇跡に敵うべくもなし」
ロードユイエが宙を飛ぶ。
繰り出された光速の刺突をシンが打ち払うも、その勢いを利用してくるりと回り、下から彼を斬り上げる。
一歩後退し、それを見切ったシンだが、ロードユイエには間合いもなにもない。
ノウスガリアから離れ、光速の刺突をひたすら繰り出した。
目にも映らぬほどの速さ。
体に縛られぬ分、その攻撃は自在だった。
その神速の刃を、二本の魔剣で捌いているのは、さすがはシンといったところか。
しかし、このままではじり貧だ。
「……お願い、みんな……。力を貸して……。みんなの魔力を、みんなの力を、私とシンに――」
レノは両腕で描いた魔法陣に、想いを込める。
愛の妖精フランの体では、魔法陣を描けども、魔力が足りない。
しかし、そこに魔力の粒子が集まり始め、ぽおっと彼女の全身が翠に光った。
「ティティ」
レノが精霊の名を呼ぶ。
ロードユイエと打ち合うシンのそばに、羽を生やした小さな妖精が姿を現した。
「遊ぼ」
「遊ぼう、剣のオジサン」
「つれてきたよ」
「みんなで遊ぼっ」
ノウスガリアが、突如現れた精霊たちを睨む。
「矮小な精霊よ、神の御前を汚した罰を受けろ」
ロードユイエが妖精ティティを斬り裂く。
だが、彼女の体は霧のように二つに分裂し、二人になった。
「きゃははっ」
「斬られちゃった」
「斬れたら、増えるよ」
「常識常識っ」
ケラケラと笑うティティを無視し、ロードユイエがシンに迫る。
彼がそれを打ち払おうとした瞬間、黄金の炎が地面から噴出し、その四肢を縛った。
「裁きを受けよ」
ノウスガリアの声とともに、ロードユイエがシンを真っ二つに斬り裂いた。
だが、今度は彼の体が霧のように分裂し、二人になった。
先程同様、ティティの能力がシンに宿っていた。
「鬼さん」
「こちら」
「手のなる」
「方へ」
ティティたちが次々と増殖していき、次の瞬間、その姿がすべてシンに変わった。
「鬼ごっこ」
「恐い神さま、鬼ー」
「捕まったら」
「死んじゃうよー」
三〇人以上ものシンが色んな場所に現れては消え、ノウスガリアに迫った。
ロードユイエがそれを斬り裂くも、その行為はただ、シンの数を増やすだけだ。
「神に対し、無礼極まるその振る舞い。火あぶりの刑に処す」
ノウスガリアが言葉を発すると、床に巨大な魔法陣が描かれる。
その魔法文字が黄金の炎へと変化し、無数の火柱を立てた。
「リニヨンッ!」
レノが声を上げると、彼女の背後に水竜の八つ首がぬっと姿を現す。リニヨンはその体を水そのものと化し、黄金の炎へ頭から突っ込んだ。
竜の力を宿した水流と神の炎が真っ向から衝突し、絡み合い、両者は相殺されていく。
「ギガデアスッ」
小人の妖精がレノの肩に姿を現し、その小槌を振り下ろした。
すると、雷の弓と矢がレノの両手に現れる。
レノは矢を弓につがえ、思いきり引いた。
それを放てば、ズッガアアァァァァァンッと激しい雷鳴を響かせ、雷がノウスガリアの体を撃ち抜く。
「神の炎に焼かれて死ね」
雷の一撃を意にも介さず、ノウスガリアが奇跡の言葉を発する。
八つ首の水竜に、増大した黄金の炎が絡みつき、その神々しい力で一方的に蒸発させていく。
「セネテロッ」
ぽおっと翠の光がリニヨンにまとわりつく。
すると、その傷が癒えるかのように、水竜の体から夥しい数の水が溢れ出た。
「愚かな精霊どもよ。神に逆らい、滅びるつもりか」
「精霊は神族なんかに負けないっ! シンは私が守るっ! 絶対、守るんだからっ!」
「守るも守らないもない。これは秩序だ」
ノウスガリアの背にある光の翼が、緩やかに羽ばたく。
瞬間、その場のすべてが金色の炎に包まれた。
「神を理解せぬ愚かな精霊どもよ。この世の理を知るがいい」
炎が消えれば、その場に精霊たちが倒れていた。
彼らはよろよろと身を起こすも、体は薄く透き通り、今にも潰えそうなほどである。
「……みんな…………」
――大丈夫だよ、レノ――
声が響いた。
懐かしい声が。
半透明の樹木がレノの後ろに現れる。
それは、二千年前、確かに潰えたはずの大戦の樹木ミゲロノフだった。
「……おばあちゃん……どうして……?」
「……あんたと同じだよ。フランに体を借りて、戻ってきたのさ。愛しい愛しい孫娘に、言い忘れたことがあってねぇ……」
ミゲロノフの木の葉がひらひらと舞い落ちてくる。
それはレノの胸に落ち、すっと消えた。
「あたしらに構うんじゃないよ、レノ。あたしたちはあんたを愛している。あんたが愛している者を、あたしらは愛している。あんたの行く道が、あたしたちの行くべき場所なのさ」
ミゲロノフは光の粒子に変わっていき、それがレノの手の平に魔法陣を描く。
まるで彼女に、最後の知恵を授けるが如く。
「さあ、一緒に守ろうじゃないか。二千年間、あたしたちを守り続けてくれた、精霊の王様に恩返しをするときがきたんだよ」
こくりとうなずき、レノはミゲロノフから譲り受けた魔法術式を発動する。
沢山の精霊たちが彼女のそばに集まり、その魔法陣に魔力を注いでくれていた。
彼女の背の六枚の羽が淡く、微かに、輝き始める。
「<精霊達ノ軍勢>」
精霊たちが翠の光を纏い、シンの元へ集う。
ティティが、ジェンヌルが、リニヨンが、ギガデアスが、そして、レノが翠に発光する朧気な魔法体となって、彼に力を与えていた。
「……レノ。あなたに、感謝します」
斬神剣と略奪剣を手に、シンは再び、ノウスガリアへ突撃した。
「蒙昧な精霊諸共滅ぶがいい、神殺しの凶剣」
ノウスガリアが光の翼を羽ばたかせる。
黄金の炎で辺りが包まれるも、シンの双剣はそれを斬り裂いていた。
その切っ先からは水滴が滴っている。
八つ首の水竜リニヨンの力が宿り、魔剣を強化しているのだ。
先程、シンがジェンヌルやティティの能力を使ったのは、<精霊達ノ軍勢>の片鱗だったのだろう。
ノウスガリアがシンを睨んだ瞬間、彼は霧と化し、その姿が無数に分かれた。
悪戯好きの妖精ティティの能力で、シンはノウスガリアを取り囲む。
再び光の翼が羽ばたき、すべてのシンが燃え上がった。
黄金の炎が消えると、しかし、彼の姿はどこにもない。
「神に対し、何度も同じ手を使う愚か者め」
魔眼を閉じたノウスガリアは、神剣ロードユイエを飛ばした。
神隠しの効果が切れ、シンの姿があらわになる。
そのまま彼は、地面にグネオドロスを突き刺す。
すると、そこからにょきにょきと木が生えてきた。
ロードユイエがその樹木に突き刺さった瞬間、木がまるで堅い繭のようになり、何重にも神剣を覆っていく。エニユニエンの能力だ。
「では、千本でどうだ?」
そう口にし、ノウスガリアが翼を羽ばたかせると、無数の羽が射出される。
それらはすべて、神剣ロードユイエに変化し、千本の剣となりて、シンを襲った。
避ける隙間も、剣で撃ち落とすことも不可能。
しかし、シンが地面を蹴った瞬間、彼の体は文字通り稲妻と化した。
雷鳴を轟かせ、それは神剣の隙間をかいくぐるようにジグザグに飛来し、ノウスガリアの心臓を撃ち抜く。
「……が……ぐむぅ……」
ズサァァ、と音を立て、シンが元の姿に戻り、振り返った。
直後、彼は高速で斬神剣を突き出していた。
光の翼が、ノウスガリアを守るように、閉じられる。
だが、僅かに遅い。
両翼が完全に閉じきるその刹那、針の穴を通すほどの僅かな隙間に、シンはグネオドロスを通し、神の体を抉る。
鮮血が散り、光の羽がパラパラと宙を舞う。
体を貫かれたノウスガリアは、けれども笑みを携えていた。
「……滅べ。神殺しの凶剣……」
シンは構わず、グネオドロスを更に深く、ノウスガリアの体に押し込んだ。
「……ははっ」
と、ノウスガリアは乾いた笑声をこぼす。
「蒙昧なる君に神の知恵を授けよう。神の言葉は絶対だ。君が愛を手にしたように、君がアヴォス・ディルヘヴィアを育てたように、私の言葉からは、決して逃れられない。さらばだ、神殺しの凶け――」
ノウスガリアの体に亀裂が入っていた。
彼を貫いている斬神剣の赤黒い剣身に、螺旋を描くような禍々しい魔力の粒子が立ち上り始める。
「斬神剣秘奥が三――<無間>」
ノウスガリアの根源が刹那の間に真っ二つにされた。
シンが斬神剣から手を離すと、天父神はたたらを踏む。
だが、すぐに奴は顔を上げる。
「……ははっ……。神の根源は不滅……決して――がふぅ……!!」
蘇ったノウスガリアは、体に突き刺さったままの斬神剣によって根源を二つに裂かれ、それを四つに分割された。
「……神は、不――ごほぉ……!!」
シンは冷たい視線で、悲鳴を上げるノウスガリアを見据える。
「<無間>とは、根源を分割される刃の地獄。それが、斬神剣が課す神への罰です」
四つに裂かれた根源は八つに、それが一六になり、次の瞬間に三二に分割される。決して滅びぬ神の根源だが、それゆえに、斬神剣の秘奥が際限なくその根源を割っていく。
奴は根源が分割できなくなるまで、根源を斬り裂かれる責め苦を受け続けるだろう。
「あのときは、斬り損じたものと思っていましたが」
その場に膝を追ったノウスガリアの喉を、シンは略奪剣で斬り裂く。
間髪入れず、宝剣エイルアロウを抜き放った。
「しかし、レノの言う通りでしたか」
ノウスガリアの体に、五芒星の剣閃が走る。
奴は斬神剣を根源に突き刺したまま、封印されていく。
ノウスガリアの体が消え、そこには奴を封じ込めた赤い宝石だけが残された。
「あなた如きの言葉、確かに幾度試そうとも、斬り損なうはずがありませんので」
今も昔も――
放たれた神の言葉を、確かにシンは斬り裂いていた。
神の言葉は絶対……でもなかったみたいですね……。