彼女の想いとともに
疾風の如く、レイは駆け、霊神人剣エヴァンスマナを一閃した。
「……はぁっ……!」
袈裟懸けに振り下ろされたその聖剣の刃を、アヴォス・ディルヘヴィアは、<四界牆壁>を全方位に纏い、弾き返した。
「<獄炎殲滅砲>」
発射された漆黒の太陽を、飛び退いてレイは躱す。
床に馬鹿でかい穴が空き、なおもそこは黒く炎上している。
「あら、意外でしたわ。アノス・ヴォルディゴードの心配はなさらないんですのね」
神隠しの精霊、隠狼ジェンヌルの中に俺は飲み込まれていた。
だが、レイはそれに一瞬たりとも気をとられることなく、アヴォス・ディルヘヴィアに斬りかかったのだ。
「アノスの心配をするほど、無意味なことはそうそうないからね」
霊神人剣を両手で構え、レイはじっと目の前の彼女を見つめた。
「君の方こそ、誤算だったんじゃないかな?」
「なんのことですの?」
不敵な笑みを崩さず、アヴォス・ディルヘヴィアは言った。
「暴虐の魔王である君は、僕とこの霊神人剣を相手にしたくはなかったはずだ」
「なにをおっしゃるのかと思えば、そんなことですのね」
アヴォス・ディルヘヴィアの右手に黒き雷が集う。
それは激しく渦を巻き、嵐と化して、レイに撃ち出された。
起源魔法<魔黒雷帝>。
けたたましい音を立て、室内を破壊しながらも押し迫った漆黒の稲妻を、レイは霊神人剣を一閃してかき消した。
「勇者カノン。あなたにわたくしが滅ぼせますの?」
「僕には、君を生みだしてしまった責任がある」
レイがそう口にした瞬間、アヴォス・ディルヘヴィアは彼の目前にまで迫っていた。
「……ふっ……!!」
エヴァンスマナが彼女の肩口を狙う。
ふわりとドレスを翻し、アヴォス・ディルヘヴィアはそれを避ける。
霊神人剣の剣先が跳ね、下から切り上げるように彼女を襲った。
しかし、その剣は途中でぴたりと止められる。
アヴォス・ディルヘヴィアの指先が、レイの手首をつかみ、押さえこんでいた。
「無理はおやめなさいな。たとえ、あなたにわたくしを斬る力があったとしても、あなたの心は、わたくしを斬ることを拒否していますわ」
少女の右手がすっとレイの顔に伸びる。
それを左手で、レイはつかんだ。
「僕が間違っていた……。架空の魔王の噂を広め、勇者として死ぬ。そんなやり方がうまくいくはずもなかった。僕が行おうとした歪な正義の代償が、アヴォス・ディルヘヴィア、君という悲しい存在だ」
霊神人剣を持った右手に、レイは力を込める。
対抗するように、アヴォス・ディルヘヴィアはその手をぐっと押さえ込む。
「君は生まれてくるべきじゃなかった」
「あら? 本当に、そう言いきれるのかしら?」
静かに彼女は微笑する。
「あなたは、本当はまだ迷っているんじゃなくて?」
レイの動揺を誘うように、アヴォス・ディルヘヴィアは言葉を突きつける。
「それでも、わたくしがいなければ、ミサが生まれることはありませんでしたわ」
彼女の冷たい魔眼が、じっとレイの深淵を覗く。
そうして、彼女はふわりと笑った。
「あの娘を、愛おしいと思っていたのでしょう、あなたは」
「……そうだね……」
「なら、その身を委ねなさいな」
アヴォス・ディルヘヴィアが両手に力を込める。一見やわに見えるそれは、けれども魔王の両腕だ。並の者では刃が立たないであろうレイの力を、ゆうゆうと押さ込んでいる。
霊神人剣は完全に封じられ、逆にレイは彼女の右手を押さえ続けることができない。その指先が、レイの頬にそっと触れた。
「わたくしのものになりなさい、カノン。仮初めの体は、今、真体となりましたの。わたくしはミサであり、アヴォス・ディルヘヴィアですわ」
「……君は、ずいぶんと僕の知っている彼女とは違うようだけどね……」
「些細なことですわ。ミサの気持ちは、わたくしの心に昇華された。あなたを愛おしいと思っていますもの」
レイはじっと目の前の彼女を睨む。
「断ると言ったら?」
「でしたら、力尽くでも。あなたをボロボロに引き裂き、その根源を魔力の瓶に詰めて、わたくしだけのものにして差し上げますわ」
レイの頬に触れているアヴォス・ディルヘヴィアの指先に魔力が集い、黒く染まった。<根源死殺>だ。
「……君が僕を愛おしいというのは、君の気持ちじゃない……」
アヴォス・ディルヘヴィアの<根源死殺>の手を、レイはぐっと握り締める。ミシミシ、と彼女の手首が軋む音が鳴った。
「その気持ちは彼女のものだ。ミサは君の中にまだ生きている」
「残念ながら、彼女は仮初めの人格ですの。わたくしが目覚めるまでのただの代理にすぎませんわ。今はもう、ミサという人格はどこにも存在しない。諦めなさいな」
<根源死殺>の爪がレイの頬を破り、血を滴らせる。
一瞬顔をしかめた彼は、キッと目の前を睨む。同時に、アヴォス・ディルヘヴィアの腕を力尽くで引きはがした。
「…………!?」
数瞬前とは比較にならぬほど腕力が上がったレイに、彼女は僅かに驚きを見せる。
「偽者は君だ、アヴォス・ディルヘヴィア」
レイの全身に光が纏う。
想いが魔力に変換され、彼の力を底上げしていた。
「……これは…………?」
アヴォス・ディルヘヴィアがその魔眼を自らの内側へ向ける。
その根源から滲む、消えたはずの想いに。
レイが使った魔法は、<聖愛域>。
二人の愛を一つに重ね、膨大な魔力に変換する勇者の奥の手。
彼と愛を重ねられるのは、この世にただ一人しかいない。
「……はぁぁっ……!!」
両者の力が拮抗する。
アヴォス・ディルヘヴィアが押し返そうとしたその瞬間、レイは流れるような動作で力を受け流し、彼女の関節をきめた。
彼を引きはがそうと、更に力を込めたアヴォス・ディルヘヴィアの腕の動きに逆らわず、レイはその手を放した。
二人の距離が離れ、ちょうど剣を振るう隙間が生じる。
「<聖愛剣爆裂>ッ!!」
霊神人剣エヴァンスマナから光炎が噴き上がる。縦一文字に振るわれたその剣閃の跡が、激しい大爆発を巻き起こした。
反魔法でそれを弾き飛ばしたアヴォス・ディルヘヴィアはしかし、その体を斬り裂かれ、血を流していた。
「……やってくれますわ……」
殺気を込めて睨めつける彼女に、レイは霊神人剣の切っ先を向ける。
「この魔法が証明だ。彼女は君の中でまだ生きている。こうして僕と共に戦ってくれている。暴虐の魔王アヴォス・ディルヘヴィアになろうと、その愛は僕と共に」
一歩、彼は歩を刻む。二歩目で急加速し、彼はアヴォス・ディルヘヴィアに肉薄していた。
「あら、でもいいのかしら? もし、そうだとすれば、あなたは愛しい彼女に剣を向けていますわ。怖がっているのではなくて?」
「君はなにも知らないっ。彼女のことを、なにもっ!」
霊神人剣の一閃を、寸前のところでアヴォス・ディルヘヴィアは躱す。しかし、直後に<聖愛剣爆裂>の爆発に巻き込まれ、彼女の体は弾き飛ばされた。
「魔族の統一が、彼女の願いだ。君を、皇族至上主義を推し進める君を、許すような人じゃないっ」
追撃をかけるように、レイは後方へ吹き飛んだアヴォス・ディルヘヴィアを追う。
「僕を守るために、君を倒すために、彼女が命を賭けられないなんて侮るなら、僕には彼女を愛する資格はないっ!」
レイはエヴァンスマナを大きく振りかぶった。
迎撃するかの如く、アヴォス・ディルヘヴィアが放った極大の<獄炎殲滅砲>を、レイは霊神人剣で一刀両断する。
黒い爆発が周囲に巻き起こり、壁を破壊する。
なおも追いすがり、横薙ぎに剣を一閃したレイに対して、彼女は<四界牆壁>を全身に纏った。
渾身の力を込めた<聖愛剣爆裂>が、闇のオーロラを斬り裂くと、彼女の漆黒の腕がレイの腹部に突き刺さる。
「<魔呪壊死滅>」
レイの体に、どす黒い蛇の痣が浮かぶ。
呪いの毒蛇が激しく暴れ回り、その根源に食らいついては、牙を立てる。
だが、彼は怯まなかった。
「暴虐の魔王の宿命を断ち斬り、君を取り返す――」
決意を込めて、レイは叫んだ。
「力を貸してくれっ、ミサッ!」
<聖愛域>が彼の体の内部で渦を巻き、<魔呪壊死滅>の魔法術式を吹き飛ばした。
「<聖愛剣爆裂>ッッッ!!!」
避けようのない、完璧なタイミング――
暴虐の魔王の噂と伝承を持つ、アヴォス・ディルヘヴィアは、やはり勇者カノンと霊神人剣には敵わない。
魔王を滅ぼすその聖剣が、彼女の反魔法を突破し、その根源を貫こうという瞬間――
どこからともなく、声が響いた。
「鎮まれ、神の剣。神の言葉は絶対だ」
霊神人剣が輝きを失い、アヴォス・ディルヘヴィアがそれをつかんだ。
彼女を滅ぼすための剣が、しかし、その力を失っていた。
「<獄炎鎖縛魔法陣>」
アヴォス・ディルヘヴィアが魔法陣を描く。
漆黒の炎が鎖となりて、それがレイの四方八方から襲った。
霊神人剣でそれを斬り払うも、輝きを失った聖剣では切断することは敵わず、レイはその四肢を獄炎鎖に縛られた。
闇の炎が黒く燃え上がり、レイの体を<聖愛域>ごと焼いていく。
「ははっ」
乾いた笑い声とともに、その場に姿を現したのは、ノウスガリアだ。
「すべては神の計画通りだ。アヴォス・ディルヘヴィアを生む役目は終わった、勇者カノン。恋人に殺され、消えるのが神々の描いた筋書きだよ」
敵の動きと魔力を封じ、同時に魔法術式を組み上げる起源魔法<獄炎鎖縛魔法陣>。
それが、今、国を滅ぼすほどの魔力を込めた<獄炎殲滅砲>を発動する。
照準は天に向けられていた。
アヴォス・ディルヘヴィアは言う。
「さようなら、レイ。大人しくわたくしのものになっていれば、よろしかったのに」
レイを中心にして、その<獄炎鎖縛魔法陣>は漆黒の太陽を召喚する。
巨大な球体の黒炎は、彼を丸ごと飲み込んでいた。
「根源もろとも、滅びなさいな」
アヴォス・ディルヘヴィアが魔法陣に魔力を送り、<獄炎殲滅砲>が撃ち出される。
しかし、その直前で、漆黒の太陽は、まるでガラスが割れるかのように砕け散り、そして跡形もなく消滅した。
はっとアヴォス・ディルヘヴィアが魔眼を向けた
「…………<破滅の魔眼>……」
すぐさま、<獄炎鎖縛魔法陣>が剣で斬られたようにバラバラと切断され、レイが解放される。
「つまらん筋書きだな、ノウスガリア」
神隠しの精霊の中から現れた俺とシンに、ノウスガリアは視線を向けた。
奴は泰然とした態度で、言葉を発する。
「これから面白くなるのだ、不適合者。君のすべてを奪――がばあぁっ!!」
最後まで言い切る前に、俺に殴り飛ばされたノウスガリアは、勢いよくすっ飛び、ドゴォォンッと壁にめり込んだ。
「頭が高いぞ、下郎。ものを申したければ、地べたに伏せよ」
まっすぐ俺はノウスガリアへ向かう。
「あら、どちらへ行かれますの? わたくしと遊んでくださいな」
行く手を遮るようにアヴォス・ディルヘヴィアが立ちはだかった。
彼女は、その両腕に<四界牆壁>と<魔黒雷帝>を重ねがけし、纏わせた。
その魔眼は油断なく、俺を見据えている。
しかし、構わず、まっすぐ彼女の前へ歩いていった。
俺の出方が不可解といったように、彼女は視線を険しくし、じっと身構えている。
攻撃をしかけようにも、誘われているのを警戒し、一歩も動けない様子だ。
コツン、と足音が響く。
シンが歩き出した。彼にアヴォス・ディルヘヴィアが視線を向けたそのとき、俺は彼女の真横に並んでいた。
鋭い殺気が俺に突き刺さる。
黒く染まり、雷を纏ったその両腕が俺に迫るより先に、俺は彼女の肩を叩いていた。
「しばらくレイに遊んでもらえ」
そう言い残し、俺はアヴォス・ディルヘヴィアの横をゆうゆうと通りすぎた。
「ノウスガリア」
地べたに座り込むように、壊れた壁にもたれかかった天父神をゆるりと指さす。
「お前は、恐怖を味わうがよい」
まずはノウスガリアから。