すべてを掌握するもの
デルゾゲードの中を俺たちは駆けていた。
目の前から、黒の法衣を纏った耳の長い女性がまっすぐこちらへ歩いてくる。
メノウだ。下の階を目指しているところを見ると、ノウスガリアたちの居場所はすでにつかめたか。
『メノウ』
そう<思念通信>で話しかける。
<幻影擬態>を解除し、彼女の前に姿を現す。
『わかったか?』
一瞬驚いたように目を丸くした後、メノウはこくりとうなずく。
『確実……じゃないんだけど、わかったことだけ話すわ。アヴォス・ディルヘヴィアは式典の間に、精霊王は玉座の間にいる。でも、ノウスガリアだけはどこにも見つからなかった』
『十分だ。確実じゃないというのは、姿を変えているかもしれぬということか?』
メノウはうなずく。
『アヴォス・ディルヘヴィアと精霊王は、たぶん、<幻影擬態>を使っている。私の魔眼でも微かに魔法術式が見えたわ』
ふむ。手の込んだ真似をする。
理滅剣が掌握できていない以上、真っ向勝負とはいかぬということだろう。
『生徒たちが幽閉されている場所は知っているか?』
『案内できるわ。何カ所かに散らばってるけど』
それも時間稼ぎの一つだろうな。
『では、エレオノール、ゼシアと共に救出してくれ』
三人に<幻影擬態>と<秘匿魔力>の魔法をかけ、姿と魔力を隠蔽する。
『行ってくるぞっ』
エレオノールが元気よく声を上げる。
メノウに先導されて二人は走っていった。
『玉座の間はデルゾゲードの本棟。式典の間は西棟にある』
先へ進みながら、レイは<思念通信>を送ってくる。
『わざわざ別の場所で待ち構えているということは、アノスの予想通り、アヴォス・ディルヘヴィアと僕を戦わせたくないんだろうね。この城の中は、<転移>の反魔法が張り巡らされている。恐らく自分たちすら転移できないはずだ』
万が一、<転移>を使われてしまうと、狙い通りの対戦が実現しない。
妥当な防衛策と言えよう。
『それと、<幻影擬態>がメノウ先生に見抜けたのは、たぶん……』
『わざとだろうな。暴虐の魔王であるアヴォス・ディルヘヴィアが魔力を隠しきれぬわけがない』
式典の間にアヴォス・ディルヘヴィアが、玉座の間に精霊王がいる。
だが、二人とも<幻影擬態>の魔法を使っている。
そう考えれば、式典の間にいるアヴォス・ディルヘヴィアが実は精霊王で、本物のアヴォス・ディルヘヴィアは玉座の間の方にいるのかもしれない。
しかし、わざわざメノウに見せたということは、<幻影擬態>はフェイクの可能性が高い。
『<幻影擬態>で目を欺き、入れ替わっている。と思わせておいて、実は入れ替わっていない、とも考えられる』
『そう思わせて、実は入れ替わっているという可能性もあるだろうね』
レイの言うことも一理ある。
『しかし、それでは、あちらも思う通りの相手と戦わせられるかは、運任せだな』
『じゃ、アヴォス・ディルヘヴィアはどっちにもいないのかもしれない』
『玉座の間と式典の間にいるのは、ノウスガリアと精霊王ということか?』
レイがうなずく。
『二人で行動してれば問題ないんだろうけど、一刻も早くアヴォス・ディルヘヴィアを倒さないと、混血の魔族たちが<闇域>の中でどれだけもつかわからないからね。僕たちが二手に分かれるしかないのを見越しているのかもしれない』
ノウスガリアとシン、どちらが相手でも俺は負けはしない。
レイはノウスガリアが相手では霊神人剣が効かないため、少々分が悪いが、逆にシンとならば全力で戦える。
魔王を滅ぼすための霊神人剣は同じ魔族であるシンには絶大な力を発する。勝敗はともかく、アハルトヘルンで戦ったときと同じようにはいくまい。
先程も考えた通り、奴らにとっての最善の策は、ノウスガリアとレイを戦わせ、アヴォス・ディルヘヴィアとシンの二人で俺に挑むこと。
だが、奴らが講じた今の作戦では、どうあっても戦う組み合わせは運次第になってしまう。それならば、ノウスガリア、シン、アヴォス・ディルヘヴィアの三人で俺たちを待っていた方が有利だろう。
それとも、確実に与し易い相手と戦える勝算でもあるのか?
『……ふむ。そうか』
大凡の狙いは読めた。
『レイ、俺は玉座の間に向かおう』
『誰がいるかわかったのかい?』
『いいや、近いからな。サイコロを振ると見せかけ、実際はどちらに行っても向こうの都合の良い出目が出る。ならば、それを利用させてもらおう』
そのとき、真正面から風が吹いた。
<風波>の魔法だ。
潜伏するのはこの辺りが限界か。
どのみち、アヴォス・ディルヘヴィアとの戦闘になれば、居場所は知れる。
後から増援に来られるよりは、ここで片付けておいた方がいいだろう。
「見つけたぞ、不適合者。全隊、構えっ!」
声が響き、目の前に魔法陣の光が見えた。
立ちはだかっているのは二千年前の魔族ルーシェを含む、十数人である。
俺はレイに<思念通信>で作戦を伝えた。
「了解」
言うや否や、レイは魔法陣を描いた。
神々しい光りがそこに集い、彼は霊神人剣を召喚する。
「撃てぇーーっ!!」
炎や氷、雷といった魔法の砲弾が雨あられのように飛来する。
<幻影擬態>で姿が見えないため、通路に一切の隙間なく魔法を撃ち放ったのだ。
「……ふっ……!」
レイの手元が煌めく。
その聖剣は黒き炎と氷、雷を一瞬にして切り刻み、霧散させた。
「……これは、霊神人剣の……!? アヴォス・ディルヘヴィア様の睨んだ通り、勇者カノンか。だが、この技は――」
ルーシェが目を見開く。
十数人もの部下があっという間に、その場に倒れていたのだ。
その中には、二千年前の魔族もいた。
「ちぃっ……!」
魔剣を抜いたルーシェは、発せられた魔力を魔眼で見据え、横薙ぎにそれを振るった。
くぐるようにレイは剣を避けたが、彼にかけられた<幻影擬態>の魔法術式に切っ先がかする。
魔剣には反魔法が込められており、レイの姿があらわになった。
「もらったっ!」
至近距離、振るわれたルーシェの魔剣を、レイは完全に見切った。僅か数ミリもない隙間を残し、その剣身が空を切る。
その頃には、左手で抜いた一意剣がルーシェの心臓に突き刺さっていた。
「……か、は……」
ルーシェは、一意剣を左手で握る。
だが、もうなにをする力も残ってはいない。
「……この魔剣と技……なぜ、貴様がシン様の…………」
レイが一意剣を引き抜くと、ルーシェがその場に倒れた。
俺は自らにかけた<幻影擬態>と<秘匿魔力>の魔法を解く。
それから奴ら全員に<仮死>の魔法をかけ、<灼熱炎黒>で燃やしておいた。
これでしばらく邪魔はできまい。
「レイ、お前は式典の間へ向かえ。警備は多いだろうが、加減しすぎるな。二千年前の魔族ならば、そうそう死にはせぬ」
「そうするよ」
分かれ道で、レイは式典の間がある西棟へ向かった。
俺とリィナは本棟をまっすぐ進み、玉座の間を目指す。
目の前にわらわらと、魔族の兵たちが集まってきた。
四七といったところか。
さすがに玉座が近いこともあり、精鋭揃い、皆、二千年前の魔族たちだ。
「おのれ、不適合者、ここから先、進ませると思うなっ!」
「殺せっ! 我が君に仇なす、下賤な混血めぇっ!」
下賤な混血か。
「ふむ。お前たちも、皇族ではないはずだが?」
俺が言うと、目を剥いて魔族は言った。
「我々は、アヴォス・ディルヘヴィア様より、名誉皇族の地位を頂いているっ!」
「お前のような不適合者とは違うのだっ!!」
ふう、とため息をつき、俺は彼らを睨みつけた。
「愚か者」
その言葉に、彼らは萎縮したようにびくっと震えた。
「この顔をよく見るがいい。その二つの魔眼で、とくと深淵を覗け。それでも、わからぬというのならば、この戦いが終わった後、貴様らには暇を出す。どこへなりとも行くがよい」
魔法陣を展開しようとしていた彼らは、ふっと力を抜いたかのように、その魔眼で俺を見つめた。
「二度は聞かぬ。俺は、不適合者か?」
困惑したような表情で、魔族たちは表情を歪めた。
「……ま…………魔王、様……? いや……」
「そんなはずは……私は……」
「アヴォス・ディルヘヴィア様にお仕えして、ずっと……二千年前……から……?」
「……なんだ、これは……わからぬ……頭が……痛い……!」
激しい痛みが彼らを襲ったか、魔族たちは頭を押さえる。
魔力を持った濃い暗黒が、彼らの背後にぬっと浮かび上がり、その頭を覆った。
「ぐ……ぐぬぅぅ……ぁぁ!」
彼らは、なにかに取り憑かれたように魔剣を抜いた。
「……と、突撃ぃっ! 奴を殺せ……!!」
「ふむ、よく抗った。褒美をやろう」
指を弾く。
その瞬間、<獄炎殲滅砲>の炎に包まれ、四七名の魔族たちは悉く膝を折った。
「しばし、そこで待て。すぐに楽にしてやる」
黒く燃え続ける配下たちを置き去りにし、俺は更に先へと進む。
やがて、目の前に玉座の間の扉が見えてきた。
『リィナ。お前は、時が来るまでここで待て。反魔法と魔法障壁をかけておく。動かなければ、死ぬことはあるまい』
『うん』
指先から魔力を発し、扉を開け放つ。
中へ進めば、そこには、漆黒の鎧と仮面を身につけた精霊王がいた。
玉座に座り、泰然と俺に視線を向けている。
「ようやく会えたな、アヴォス・ディルヘヴィア」
俺がそう口にした途端、<幻影擬態>の魔法が解かれた。
現れたのは、外套を纏ったアヴォス・ディルヘヴィアだ。
彼女が仮面を外すと、それは魔力の粒子となって消えた。
「ご名答。よくおわかりになりましたわ」
長く伸びた、深い海の色のような髪をかき上げ、アヴォス・ディルヘヴィアはふっと微笑した。
「種も仕掛けもない。ただ<根源等分融合>を使っただけだろう。お前はノウスガリアと根源を二等分し、融合していた。ここにいたのはアヴォス・ディルヘヴィアであり、そしてノウスガリアだった」
俺がグニエールの階段で、運試しの試練に挑んだときと同じことをしたわけだ。
「俺かレイが目の前に現れたとき、<根源等分融合>が解除され、元の根源に戻るようにしていた。俺が目の前に現れた場合は、アヴォス・ディルヘヴィアに、レイが目の前に現れたときには、ノウスガリアに戻る」
アヴォス・ディルヘヴィアは余裕の笑みを携えている。
「お前たちは必ず戦いたい相手と戦うことができた、というわけだ」
「その通りですわ。あなた方の運命が決まっているのと同じように、すべてのことはわたくしに掌握されています」
その言葉に、思わず俺は声を漏らす。
「……く、くくく、くははは。相も変わらず、贋物らしいことを口にするものだ」
笑声をこぼす俺を、見下すようにアヴォス・ディルヘヴィアは言った。
「あら、負け惜しみかしら? それとも、勇者カノンがノウスガリアと戦うことになったのは、あなたの思惑通りとでもおっしゃいますの?」
「ふむ。お前は本当に俺の伝承から生まれているのか。まさか皇族至上主義という馬鹿げた伝承に引きずられ、その頭まで馬鹿になったわけではあるまいな?」
余裕を崩さないアヴォス・ディルヘヴィアに、俺は言った。
「そうは思わないか、レイ?」
後ろから、足音が響く。
扉を通り、姿を現したのはレイだった。
「必ず戦いたい相手と戦えるというならば、俺の前には必ずアヴォス・ディルヘヴィアが姿を現す。なにせ、お前は俺を滅ぼす秩序なのだからな」
先にシンが現れる可能性もあったが、いずれにしても、アヴォス・ディルヘヴィアは俺の前に姿を現しただろう。
「ならば、わざわざ二手に分かれる必要はあるまい」
偽の魔王が現れたのを確認した後に、レイを呼べばいいだけだ。
「あら、そういうことでしたの。式典の間へ向かったカノンは、根源を分離した偽者ということですね」
レイがルーシェと派手な立ち回りをしたとき、すでに彼は二人に分離していた。
四つの根源を持つ本物のレイは、<幻影擬態>で姿を隠したまま、俺と共にここまで来た。
奴らの思惑通り、二手に分かれたと見せかけたのだ。
「あれでも、根源は三つ分けたからね。そこそこは本物だよ。一意剣はさすがに回収できないけど……」
レイが魔法陣を描くと、偽者のレイに持たせた霊神人剣が、距離を越えてそこに召喚される。
魔族の作った結界は、魔王を滅ぼすために作られた聖剣には意味をなさない。
「さて、アヴォス・ディルヘヴィア。なかなか大した掌握をしているようだが、これも思惑通りなのだろうな?」
とりあえず、戦う前に煽っておくのが魔王の流儀……。