二千年前からの伝言
デビドラを始め、俺の配下たちは体を震わせ、その場でただ泣き崩れている。
彼らの記憶から、ここで起きた出来事を奪い、イガレスを殺したという嘘を植えつけるのが、本来の目的を果たすには最善の方法かも知れぬ。
だが、彼らの懺悔、なかったことにできるほど軽いものではない。
気がついたはずだ。
本来の歴史でも、イガレスを殺した後、自らの過ちに。憎しみが、己の心を焦がし、闇に飲み込まれたことを彼らは悟ったに違いない。
ならば、二度と同じ過ちを犯さないために転生するはずだ。
今回も恐らく、そうするだろう。ならば、転生するという結果は同じ。
彼らの心に多少の変化はあれど、結果はさほど変わらない。
都合の良い考えかもしれぬが、希望はある。
つい先程、俺はそれを目にしたのだ。
「イガレス」
少年に手を伸ばし、体を起こしてやる。
「……あ、ありがとう……ございます……」
「行くぞ」
イガレスと共に、<飛行>で飛び上がり、観客席へ向かう。
ミーシャのそばに着地した。
「おかえり」
彼女は薄く微笑んで、俺を迎えた。
「助けると思った」
思いもよらぬことを言う。
この場に来るまで、俺は、自分がイガレスを助けるなど想像していなかった。
捨ておくことができず、ただ咄嗟に、体が動いたにすぎぬ。
それを、わかっていたというのか?
俺の心底を、俺よりも理解していたと?
「アノシュは優しい」
「……そうか」
「きっと、無駄じゃない」
さすがは、ミーシャといったところか。
なんとも、くすぐったい気持ちになる。
「そうだな」
俺は観客席から、高い位置にある建物を見上げた。
闘技場に隣接している塔だ。
「本当に無駄ではなかったのかもしれぬ。意味がなかったはずのことが、意味を持つこともあるだろう」
ミーシャが小首をかしげた。
「確認してこよう。イガレス、俺から離れるな」
「え、あ……はい……」
「心配するな。俺は魔族だが、お前の味方だ」
戸惑いながらも、イガレスはうなずいた。
<幻影擬態>と<秘匿魔力>の魔法で姿を消し、俺たちは闘技場に隣接した塔に向かった。
扉は固く閉ざされている。<施錠結界>の魔法だろう。それを解こうと、一歩前に出ると、目の前の扉に魔法陣が浮かんだ。
ぽおっと扉が光り、そして、ひとりでに開いた。
まるで俺を歓迎するかのように。
「なにがある?」
「書物が置かれているだけだ。俺が転生する前まではな」
魔力も姿も隠している俺たちに、まるで気がついたように扉は開いた。
それに先程の黒い光の粒。確かめぬわけにはいくまい。
塔の中へと入る。
所狭しと棚が並べられ、そこをぎっしりと書物が埋め尽くしている。
古代の魔法研究について記されたものもいくつかあるが、ここにあるのはさほど価値のない本ばかりだ。主にあるのは架空の物語などが描かれた、おとぎ話や伝奇の類である。
魔眼で注意深く視線を巡らせながら、俺は階段を上っていく。
黒い光の粒子がいくつか舞い降り、すうっと頬を撫でていった。
「魔力の粒子……?」
「ああ」
光の粒は最上階から、降り注いでいる。
階段を上っていくと、その魔力の粒子は数を増した。
更に歩を進め、最上階の六階に到着する。
魔力の粒子を魔眼で追えば、それは壁面から発せられていた。
正確には壁面というより、そこに映る剣の影からである。
しかし、影はあれど、それを投影するための剣の姿はどこにもない。
ひどく見覚えのある光景だ。
「ヴェヌズドノア……?」
ミーシャが呟くように訊いた。
「ああ、俺以外に使える者はいないはずだが」
この時代の俺はすでに転生している。
アヴォス・ディルヘヴィアはまだ誕生していない。
ならば、なぜ理滅剣がその力を発しているのか。
わからぬが、考えられることは一つ。
この時代の誰かが、俺に味方した。
俺が二千年後から来ることを、予測していたのだ。
「助けられるかもしれぬ」
俺は壁面の影に手をかざす。
影の剣が俺に引き寄せられるかの如く、宙へ浮かんだ。
「理滅剣を使おうとすれば、デルゾゲードの立体魔法陣を起動せねばならぬ。さすがにそこまで大それたことをしては、時の番神のみならず、ありとあらゆる時間の神に目をつけられる。理滅剣を抜く前に、<時間遡航>の魔法効果が終わり、俺たちを現代に戻すだろう。だが」
その柄に手をやれば、闇色の長剣、ヴェヌズドノアが真の姿を現す。
「この過去で理滅剣がすでに現れていたなら、時の秩序に矛盾はない。理滅剣を抜けば、時の番神が気がつくだろうが、この手にヴェヌズドノアがあるならば最早、後の祭りだ」
ヴェヌズドノアが真価を発揮した今、俺は時の枠組みから半分外れた存在となった。時の秩序に背き、過去を変えることができるだろう。
「イガレス」
少年に視線をやると、彼は脅えたようにびくっと震え、後ずさった。
「脅えることはない。お前に危害は加えぬ。必ず安全な場所までつれていく。以前もそう言ったはずだ」
<成長>の魔法を使い、身体年齢を二〇才ほどまで引き上げる。
<創造建築>で神話の時代に纏っていた衣服を用意した。
「……魔王さま……」
途端に、彼の瞳から涙がこぼれ落ちる。
無理もない。頼れる者もいない中、ずっと気を張りつめていたのだろう。
イガレスが俺のもとへかけてきて、ぎゅっとくっついた。
「魔王さま……。討伐軍第三部隊は、アゼシオンへ撤退中、巨大な化け物の襲撃に会い、僕を逃がすために、全滅しました……! 僕は一人でここまで……」
「よくぞ辿り着いた」
イガレスの背中を軽く撫でてやる。
彼は涙を浮かべながらも、声を上げることなく気丈に耐えている。
子供ながらに大したものだ。
「巨大な化け物というのは魔族か?」
沈痛な面持ちで、イガレスは言う。
「……わかりません。大きな獣のように四つ足で、鋭い角と爪、固い鱗と空を飛ぶ翼を持ち、口から炎を吐いていました……。人間の部隊だけではなく、魔族の部隊も攻撃していたようです。そいつは、何人もの人間と魔族を食らった後、地中へ潜り、姿を消しました……」
人間と魔族を食べる、ということは――
「竜か」
「竜? 竜というのですか、あれは……」
「恐らくな。滅多に現れぬ稀少な種族だ。餌にありつけず、とっくに滅んだと思っていたのだがな」
まだ生きている竜がいたとはな。
とはいえ、今は考えても仕方あるまい。
「イガレス。俺は二千年後からここへ来た。時間を超えたのだ」
「……時間、を……? そのようなことが……?」
「さっきの魔族たちは俺が死んで転生したと言っていただろう。あれは事実だ。俺は二千年後に転生し、そして時を越えてここまでやってきた」
イガレスはぽかんとした表情を浮かべる。
「信じられぬか?」
「……詳しいことはよくわかりません。しかし……信じます。命の恩人の言葉ですから……」
二千年前、捕虜になり、手荒に扱われていたイガレスを助けたときにも、似たようなことを口にしていたな。
魔族への憎しみを持たぬ、まっすぐな人間の子だ。
彼は希望の象徴だった。魔族と人間が、確かに手を取り合うことができるという。
「よい返事だ。少々厄介なことがあってな。本来の時間ではお前は死んでいるはずだ。俺が助けることができなかったからな」
彼はきゅっと唇を噛みしめる。
「時間概念の説明は難しいため、結論だけ言おう。まだお前は完全に助かったわけではない。お前を助けるには、この理滅剣でお前を一度殺し、転生させる必要がある」
本来、過去には生まれなかった新たな命を、理滅剣の力で生まれたことにする。そうすることで、イガレスはこの二千年前から現代に至るまで時間の秩序に対して、特異な存在になる。
簡単に言えば、イガレスが変えた過去については、時を司る神も認識できず、そのまま過去改変が成立する。
彼は生きることができるということだ。
「恐れはないか?」
まっすぐ俺の目を見つめ、イガレスはこくりとうなずいた。
「なにか、僕にできることはありますか?」
「なにかとは?」
「お礼がしたいんです。恩人に報いるというのが、勇者として相応しい行動と教えられましたから」
彼を育てたのはさぞ立派な人物だったのだろう。
会いたかったものだ。
「では、生まれ変わったらある噂を広めて欲しい。二千年後まで続く、暴虐の魔王アヴォス・ディルヘヴィアの噂だ」
イガレスの頭に指先を触れる。
「少々複雑でな。忘れぬよう<思念通信>で記憶に刻みつける」
魔法陣を描き、イガレスに噂の内容を伝えた。
理滅剣により、特異な存在と化した彼が広めた噂は元に戻ることなく、現代にまで伝わることだろう。
もっとも、うまく行くかはイガレス次第だ。
「……必ず、約束を果たします……」
「イガレス。誇り高き、小さな勇者よ」
理滅剣を構え、俺は言う。
「二千年後は平和な時代だが、決して悲劇がないわけではない。お前が暴虐の魔王に助けられた恩に報いたいと言うのならば、悲しい宿命を背負ったもう一人の魔王を救ってくれ」
「……勇気を持ち、信念を持ち、このイガレス、必ずや、魔王さまの期待にお応えしてみせます……!」
彼は覚悟を決めた表情を浮かべる。
「また会おう」
理滅剣を振るえば、少年は光の粒となり、風に吹かれるように消え去った。
それと同時に俺が手にした闇色の長剣が、元の影に戻っていく。
「ふむ。どうやらデルゾゲードにもう魔力が残っていないか」
立体魔法陣を利用して、世界を四つに分ける壁を作ったばかりだ。できれば、このまま理滅剣を使い続けたいところだったが、一度で限界のようだな。
ヴェヌズドノアはその影を薄くしていき、やがてはすうっと消えた。
「アノス」
ミーシャが俺を呼ぶ。
彼女は塔の壁面にじっと視線を向けていた。
先程、理滅剣の影が浮かんでいた場所である。
「見て」
暗い光の粒の輝きが消え、壁面の様子がはっきりと見えるようになっていた。
そこには、文字が刻みつけられている。
わたしの魔王さまへ。
二千年後に会いましょう。
今度は、三人で。
たぶん、きっと、必ず。
わたしはまた恋に落ちる。
魔王様のファンが書いたんですかねぇ。