通りすがりの旅芸人
イガレスを守るように立ちはだかった俺に、デビドラが険しい表情を浮かべる。
俺の力を覗うように、奴は魔眼を凝らした。
「……なんだ、この小童、どこから現れおった?」
「……この魔力は、魔族、か……」
「……誰の子供だ……?」
周囲を取り囲んでいた魔族の兵たちが言う。
彼らが動揺している間に、イガレスに<治癒>をかけ、その傷を癒す。
「大人しくしていろ、イガレス。すぐに終わる」
「…………君は?」
「ただの旅芸人だ」
ザッとデビドラが歩を刻み、鋭い口調で言った。
「小僧。お前も魔族ならば、なぜ人間を助ける? その人間はアゼシオンの第七王位継承者。我々の同胞を慈悲なく殺した人間の王、勇者ジェルガの血縁ぞ」
「デビドラ。こいつがお前の子を殺したというのなら、復讐を許す」
名を呼ばれたことに、彼は訝しげな反応を見せる。
「だが、イガレスは力なき子供。我らが同胞を殺めるどころか、傷一つつけておらぬ。罪なき人間を殺すことを魔王アノスは許可したか?」
その言葉に、デビドラは顔をしかめる。
「ジェルガの所業、小僧のお前とて知らぬわけではないはずだ。奴は戦う術を持たぬ魔族の赤子を人質に使い、残虐に処刑した。わざわざ悲鳴が聞こえるようにし、魔族の兵を誘き寄せ、非道な罠にかけている。お前の朋友とて、殺されたかもしれんぞ」
「友は死んだ。数えきれぬほどな」
睨みつければ、その殺気に、デビドラと周囲の魔族が怯む。
俺の深淵に潜む底知れぬ魔力に、奴らは気がつきつつあった。
「だが、アゼシオン憎しと、その誇りを地に堕とすならば、お前たちはお前たちが憎んだ人間となにも変わらぬ」
言葉と同時、デビドラの後ろにいた男が俺に飛びかかってきた。
「小僧がっ、どこで聞きかじったか知らぬが、知った風な口を叩くなっ!! 我らがこの国の盾となったからこそ、お前がここにいるのがわからぬかっ!!」
男は俺の胴に叩きつけるように、勢いよく蹴りを放つ。
まともに当たれば、壁が砕けるほどの威力だろう。
だが、それを俺は指先一つで受けとめた。
「……な…………!?」
「恨み、憎み、人間をどれだけ殺そうと、お前たちの心は闇に飲まれるのみだ」
男の足をつかむ。そのまま、そいつの体ごとひょいっと持ち上げてやる。
「う、お……」
咄嗟に魔族は<重加>の魔法で、自らの体重を増加させる。
あっという間に五百キロを超え、なおも重さは増していくも、意に介さず、俺はゆるりと彼を振り回す。
「お、おおぉ……なんだ、この小童……もう数トンを超えたはずだが……!?」
ふむ。六歳の体では少々重いな。
だが、月に比べれば大したことはない。
俺はそのまま体を回転させ、更に勢いよく男を回した。
「……ぬ、おおお……馬鹿なぁぁ……!!」
「そら、しっかり受けとめろ」
振り回した勢いをそのまま放つかの如く、数トンの塊と化した男を、周囲にいた兵士たちの集団めがけ、思いきり投げつけた。
「――なっ!」
ドゴォォォォンッと床が弾けた。想像以上に速かったか、<飛行>で避けようとした兵士たちは間に合わず、数人が投げつけられた男と一緒に吹っ飛んだ。
「この小童がっ!」
残った兵士たちが目の前に魔法陣を描く。中心が砲門の如く変化し、そこから、漆黒の太陽がぬっと出現する。<獄炎殲滅砲>だ。どうやら、俺の実力がわかったようだな。
「そこを退け。なぶり殺しとは言わんが、ジェルガの血統、生かしておいては、鬼籍に入った者たちが浮かばれぬ」
デビドラが言う。
その憎悪の視線を真っ向から受けとめ、俺は口を開く。
「この地に散った者たちはさぞ無念だっただろう。人間を恨み、憎悪し、死んでいった者は少なくない。だが、貴様の憎しみ、死者のせいにしてくれるなよ」
「ほざけ、小童がぁっ! お前になにがわかるというのだっ!!」
十数人の兵士たちが俺諸共イガレスを焼き尽くそうと、<獄炎殲滅砲>を放った。コオォォォォと激しい音を立て撃ち出された漆黒の太陽が、次々とこの身に着弾し、皮膚を焦がしては、肉を焼く。
しかし、後ろのイガレスに、その黒き炎は届かなかった。
「……な……んだと……?」
「……まさか……信じられぬ……十数発の<獄炎殲滅砲>をその身に受けて、まだ立っているなど……」
兵士たちから驚愕の声が漏れる。
彼らは油断なく俺の力を魔眼で見抜こうとするが、深淵を覗けば覗くほど、信じられないといった顔に変わる。
「……なぜ、反魔法を使わない……?」
デビドラが、鋭く問うた。
「……小童ながら、その魔力、尋常なものではない。反魔法で防ぐことなど、造作もなかったはずだ……」
「お前たちの憎しみはよくわかる。その憎悪の炎は、今俺を焼いた小さな火よりも、遙かに自らの身を焼いていることだろう」
俺は手をゆるりと眼前に持ってきて、ぐっと握る。
「憎みたくば、憎め。正しき相手をな。だが、終わらぬぞ。憎み、殺せば、お前たちの子孫がまた殺される。お前のその憎しみは未来永劫、子に伝わり、孫に伝わり、このディルヘイドを黒く焦がし続けるだろう」
デビドラは奥歯を噛み、ギッと目の前を睨めつける。
他の者たちも同じだ。憎悪と怒りと悲しみが、彼らの心に巣くっている。
「……我々は魔王様のようにはなれぬ。無様なのは百も承知。地に堕ちようとも構いはしない。それでも……俺は……」
血を吐くように、彼は言う。
まるで憎悪の炎に、その身を焦がすかの如く。
「俺は、人間が憎いのだっ!」
デビドラが魔法陣を描き、憎悪を叩き込むように魔力を送る。
先程の数倍もある漆黒の太陽が出現した。
他の兵士たちも、それに呼応するかの如く、<獄炎殲滅砲>を発動していた。
そうだろうな。
止まりはせぬ。言葉などでは。
そんなもので止められるようなら、俺は壁など作りはしなかった。
誰かが力尽くでも止めてやらねばならぬのだ。
「そこを退け、小僧っ! 最早、手加減はできん。人間諸共、燃やし尽くすぞっ!」
一斉に放たれた漆黒の太陽が、流星の如く、後ろにいるイガレスめがけ、降り注ぐ。
瞳に魔法陣を浮かべ、俺はそれらを一瞥した。
「滅びよ」
<破滅の魔眼>が<獄炎殲滅砲>に干渉する。究極の反魔法であるそれは、燃え盛る漆黒の太陽をいとも容易くかき消していた。
「……なっ……に……こ、いつ…………!?」
「……待て……アレは…………あの小僧の、アレは……!?」
魔族の兵士が動揺をあらわにした。
<獄炎殲滅砲>が消されたことについてではない。
彼らは、今、決してあるはずのないものを目の当たりにしていた。
「……その、魔眼は…………」
畏怖したようにデビドラが後ずさる。
魔族たちが皆、驚愕したように俺を見つめていた。
「……生きて……おられたのですか……」
「なんの話だ? 俺はアノシュ・ポルティコーロ。通りすがりの旅芸人だ」
打ちひしがれたかのように、デビドラが膝をつく。
地面に額を擦りつけ、まるで俺に懇願するかのように、獣じみた咆吼を上げた。
他の者も皆、戦意をなくしたかの如く、その場に崩れ落ちる。
彼らの頬を涙が伝っていた。
「……魔王様は、旅芸人が好きでいらした……今なら、我が君も、ここを覗いているかもしれない……」
平伏し、まるで魔王に懺悔するように、彼らはその胸の苦しみを吐き出す。
「……できませぬ……平和な時代になど、とても生きてはおられませぬ……」
「人間が、壁の向こうで、のうのうと笑い、暮らし、生きているのです……」
「我ら同胞を殺めた人間が、平和に暮らして……それを、どうして見過ごすことができましょうか……どうして……そんな恥知らずな生き方を……」
「それを忘れて、この憎しみを忘れて、そうまでして生きていたくはありませんっ。我らはすでに、死んだのです。あの大戦とともに、とうに滅びていたのです……」
「魔王様……偉大なる我が君よ……あなたの命を……私は……どうしても、どうしても……守ることが……できませんでした……」
嗚咽が強く、胸を打つ。
彼らは皆、忠実な配下。
俺が旅芸人だと言えば、旅芸人。俺が死んだと言えば、魔王は死んだ。
事実さえ、暴虐の魔王の命令一つで簡単に覆る。
だが、それでもなお、俺が亡き後、その命を守ることができなかった。
守ろうとはしたのだろう。その努力を続けてきたのだろう。
しかし、このことだけは。復讐を忘れ、平和を築くということだけは、適わなかった。
いくら壁があろうとも、魔王のいない国で、その言葉にすがり続けられるほど、彼らの憎しみは軽くない。
二千年前、俺は守れなかった。
こんなにも、多くの者をここに残してきたのだ。
そして、また――
と、そのとき、頭上になにかが見えた。
黒い、光の粒だ。見覚えがある。
ひらり、ひらり、と一粒の粒子が舞い降りてくる。
そうして、俺の手に落ち、すうっと消えた。
俺になにかを伝えるように。
今、この時間は、<時間遡航>が続く間の泡沫の夢にすぎぬ。魔法が終われば、この過去は秩序に従って元に戻り、彼らはイガレスを殺すだろう。
だが、もしかしたら――
変えられるのかもしれぬ。
「面を上げよ」
デビドラたちは顔を上げた。
それでも、俺を直視することはできない。
「暴虐の魔王からの伝言だ」
彼らに、力強く俺は言った。
「二千年後に会おう」
取るに足らぬ言葉であればいい。
時の秩序からこぼれ落ちるほどの、小さな矛盾であればいい。
彼らの行動を変えず、心だけを変え――
泡沫の夢が、現実に変わるほどの。
「素晴らしい世界がお前たちを待っている」
とうの昔に過ぎ去った、悲しい過去の出来事に、俺はそう願いを込めた。
果たして、イガレスを救うことはできるのか。
アノスは、なにかに気がついたようですが。