魔王のいない魔族の国
門をくぐり、俺たちはミッドヘイズに入った。
立ち並ぶ建物にはすべて魔法文字の意匠が施されており、それら一つ一つが巨大な魔法陣を構成している。
俺が二千年後のミッドヘイズに増築した地下街にそっくりだ。
ミーシャは興味深そうに、往来を歩きながらも、キョロキョロとその街並みに目を傾けていた。
ふと気がついたように、彼女はこちらを向く。
「熾死王はここにいる?」
「どうだろうな。ディルヘイドにあった熾死王の領土は、アゼシオンとの国境に近かったため、人間たちに落とされた。その後は、配下共々デルゾゲードに滞在することが多かったものの、戦況によって各地を渡り歩いていた」
「戦いが好き?」
「あいつの言葉を借りるなら、俺がどこまで高みへ行くのか見たいそうだが、さて、熾死王の考えは理解に遠い。奴の行動は己の破滅しか招かぬ。そうまでして魔王の敵を探すというのだから、いったいなにが楽しいのやら、といったところだ」
ミーシャは、じっと考え込む。
「熾死王の感情は苦手」
「まあ、あいつと気の合う奴はそうそういまい」
「でも、少しだけわかる」
ほう。さすがはミーシャだな。
「どういうつもりなのだ?」
「歪んだ憧れ」
淡々とミーシャが言う。
「暴虐の魔王がどこまでも遠い存在であってほしい。彼にとってはそれが第一で、そのためなら滅びても構わないと思っている」
「それが、よくわからぬがな。俺に憧れたなら、配下になればいい。敵など不要だ。それを期待するのなら、一人でも俺は遙か高みへ上ってみせよう」
考えるように俯いた後、ミーシャはまた口を開いた。
「たぶん、熾死王が見ているのは、偶像。彼は魔王を通して、自分の頭の中の憧れを見ている。理想を押しつけたいだけ」
ふむ。それで、歪んだ憧れ、というわけか。
「たまたま目についたのが俺なのであって、別段、奴にとっては俺でなくとも構わないというわけか」
ミーシャは迷うように、僅かに小首をかしげる。
「……同じぐらい強ければ?」
「そんな奴はいないがな」
彼女は目をぱちぱちと瞬かせて、こくりとうなずく。
「そうだった」
「結局は俺が奴の期待に応えてやらねばならぬというわけか」
面倒な話だが、しかし、他の誰かを熾死王の生け贄にするのも忍びない。
そう考えたところで、視界にデルゾゲード魔王城が見えた。
俺が壁を作ったときの魔力の余波で所々が破損している。完全に修復されるには、まだ時間がかかるだろう。
「あそこに、この世界をよく知る者がいた。熾死王の居場所もつかめるだろう。まだいればの話だがな」
「誰?」
「創造神ミリティアだ」
世界を創造する秩序にして、二千年前、俺と共に平和を誓い合った女神。壁を創った後も、彼女はデルゾゲードに留まり、しばし世界の行く末を見ているはずだ。
「良い神族もいる?」
不思議そうにミーシャが尋ねる。
「神は秩序だ。確かに俺は秩序を乱すが、中にはごく一部だが、俺と相性の良い神もいる。ミリティアは平和を求める。世界が荒れれば、せっかく創造したものが壊れてしまうからな。なにより、彼女は世界を愛している」
「アノシュなら気づかれない?」
「彼女は世界を見る。さすがに誤魔化せぬだろうが、<時間遡航>のことも理解している。俺に出会っても、過去を変えるような真似はしまい。それを実現するだけの力もあることだしな」
この二千年前において、ミリティアは数少ない頼れる味方だ。
熾死王を探すのにも、協力してくれるはずだ。
すると、ミーシャがぴたりと立ち止まった。
「見て」
彼女が指をさす。その方向に一〇歳ぐらいの子供がいた。
彼はデルゾゲードへ向かい、走っている。
「人間の男の子」
魔眼を凝らしながら、ミーシャは言った。
バレぬように魔力を隠しているようだが、確かに人間だ。
この神話の時代に、普通の人間の子が、ミッドヘイズにいるなどということは、まず考えられぬ。
「ふむ。見覚えがあるな」
少年の後を追いながら、俺は記憶を振り返る。
「アゼシオンの第七王位継承者だ。名は、イガレスだったか。こちらが攻撃したアゼシオン軍が護送中だったため、捕虜にしたと聞いている。配下が手荒に扱っていてな。仕方がないので、デルゾゲードへ連れてきた。壁を作る前に、ディルヘイドに侵攻していたガイラデイーテ魔王討伐軍のもとへ返しておいたのだがな」
ガイラデイーテ魔王討伐軍は精鋭揃いだ。部隊は違えど、カノンも所属しているから、なんとか壁を越えられるはずだ。
戦闘中の混乱で、討伐軍の部隊から離れたか。それとも、部隊が全滅し、王位継承者のイガレスだけでも逃がしたのか。
まもなく停戦だったとはいえ、魔族と人間が出会えば、そうそう戦いを避けられるものではない。
少年は必死に走り、デルゾゲードの正門までやってきた。
「待て、小僧。どこへ行くつもりだ?」
一気に正門をくぐり抜けようとしたイガレスは、門番をしていた魔族の兵に首根っこをつかまれる。
「……ぼ、僕は……魔王さまに用があるんです。お目通しをお願いしたい……!」
子供ながらに、毅然とした口調でイガレスは言った。
しかし、兵士は彼をつかんだまま、離そうともしない。
「魔王アノス様は身罷られた。お会いすることはできぬ」
「……え…………?」
イガレスが絶望的な表情を浮かべる。
俺に会えば、なんとか祖国へ戻してもらえると考えたのだろう。今のディルヘイドで彼を助けようなどという者はそうそういない。
「帰れ。騒ぎ立ててはアノス様も眠れぬ」
「待て」
と、もう一人の兵士が言った。
「こやつは、見覚えがある。アゼシオンの王家の子ではないか?」
「なに?」
彼らはその魔眼を少年に向け、注意深く深淵を覗いた。
「なるほど。根源魔法で魔力をうまく隠していたか。年端もいかぬ人間の小僧が、ここまでの魔法を使いこなすとは。勇者ジェルガの血統に違いあるまい」
その魔族は、もう一人の兵士からイガレスの体を引ったくった。
「おい……どうするつもりだ? ソレは魔王様があえて逃がされたはずだ」
「……我が君は眠りについている。見逃してくださるはずだ……」
そう言った魔族の目は、暗く淀んでいる。
復讐心に駆られるかの如く。
「は、離してくださいっ! どこへつれていく気ですかっ!?」
騒ぎ立てるイガレスの首根っこをつかみながら、その魔族は正門の中へ入っていく。
途中で、彼は<思念通信>を発した。
「アゼシオンの第七王位継承者、イガレスを捕らえた。これより、処刑を行う。参加したい者は闘技場へ来い」
<幻影擬態>と<秘匿魔力>の魔法で姿を隠し、俺たちはすぐに後を追う。
闘技場へ到着すると、魔族の兵士は、イガレスをそこに放り投げた。
「……っ……!」
少年の目の前に、一本の剣が突き刺さる。
兵士が投げたものだ。
「使え。お前も勇者ならば、最後は戦って死ね」
イガレスはすぐさま剣をつかみ、抜こうとする。だが、床に突き刺さった剣はなかなか動かない。魔族の兵士が思いきり、少年の腹を蹴り上げ、数メートル後方に弾き飛ばした。
「……ぐっ……が……!」
地面に体を叩きつけられ、少年は苦悶の声を上げる。
「俺の名はデビドラ。勇者ジェルガに殺された我が子の仇だ。その身をもって贖え、小僧」
デビドラが拳を握り、思いきり少年の顔面を殴りつける。やろうと思えば一撃で殺せたものを、まるでいたぶるように彼は手加減をしていた。
「……あ……ぁ……」
顔から血を流しながら、床を這いずり、脅えたように、イガレスが後ずさる。
「立て。勇者ジェルガの所業は貴様も知っていよう。我が子の苦痛、こんなものではなかったぞ」
「こ、来ないでっ……」
イガレスが震えた声を発する。構わず、デビドラはまっすぐ歩いた。
「うあああああぁぁぁぁぁぁぁっ……!!!」
イガレスは目の前に手を突き出す。身につけた指輪から、水滴が滲んだ。聖水だ。それを魔力源として、彼は<聖炎>を放った。
「ほう」
自らに襲いかかった聖なる炎を、デビドラは反魔法であっさりとかき消した。
「どうやら手加減の必要もなかったか」
眼光鋭くデビドラが睨めつける。
恐怖に染まった顔で少年は後ろへ下がり、よろよろと身を起こすと、脇目も振らず、逃げた。
だが、彼は顔面をなにかにぶつけ、その場に転んだ。
見上げれば、そこに別の魔族の兵士が立っていた。
「だめではないか。勇者が逃げては、な!」
兵士が思いきりイガレスを蹴り飛ばす。
「がっ……!」
呻き声を上げ、彼は石畳の床を転がった。
這いつくばりながらも、彼は必死に逃げ道を探す。
だが、通路からは続々と魔族たちが現れ、周囲を囲んでいった。
合計で二四名だ。
切り札の聖水を使っても、とても子供に逃げ切れるとは思えなかった。
「無様に逃げるのだな。お前たちがどういう風に逃げる魔族を狩ったのか、その体に教えてやる」
立ち上がった瞬間、イガレスは鳩尾に蹴りを食らった。
「ぎゃっ……!」
と、地面を転がっていく。
よろよろと立ち上がり、また蹴られ、そして地面を転がる。その繰り返しで、イガレスの体は、痣と血に染まっていく。
魔族たちは皆、憎しみに染まった冷たい瞳で、彼を見ていた。
「……助け……て……」
「人の王は、そう言った魔族をどうやって葬った?」
デビドラが少年の頭をガゴンッと踏みつけた。
「……助けて…………」
「生まれたばかりの魔族を浄化と称して火あぶりにした。それを餌に、魔族の兵を何百と殺した。お前たち、人間がっ! 殺したのだっ!!! その貴様が、今更助けてなどと恥知らずなことを宣うかっ!!」
思いきり、デビドラは少年の指を踏みつける。
骨の砕ける音が響き、イガレスは言葉にならぬ絶叫を上げた。
「……助……け……て…………痛いよぉ…………」
涙を流しながら、イガレスは呟く。
最早、周囲にいる魔族たちにすら、聞こえぬほどのか細い声で。
戦乱の最中、ガイラディーテ魔王討伐軍の部隊とはぐれ、イガレスは一人、このデルゾゲードへやってきた。
このディルヘイドで唯一の味方であろう暴虐の魔王を頼って。
だが、この頃には俺は転生していた。
助けなどくるはずもない。
彼は祈りながらも、ここで死んだのだ。
無残にも、俺の配下に殺された。
それが、すでに二千年前、通りすぎた過去だ。
「……アノス……」
ミーシャが悲しそうに、少年を見つめる。
平和な時代に生まれた彼女がどういう気持ちでいるのか、それは想像に難くない。
「助けたところで、泡沫の夢だろうな」
アゼシオンの第七王位継承者だ。彼を救えば、過去がどれだけ変わってしまうか、想像がつかぬ。それが巡り巡って、俺たちの見ようとしている、シンとレノ、ミサたちの過去にも影響を及ばさないとも限らない。
どのみち、過去が大きく変われば、神の秩序がそれを元に戻す。今ここで、彼を救ったところで、<時間遡航>の効果が続いている間だけの、泡沫の夢のすぎぬ。
ただリスクがあるだけで、なんの得もない。
神話の時代では、こんなことは当たり前で、彼の人生はとうの昔に、ここで終わっているのだ。
「生きながら、焼かれる苦痛をお前も思い知れ」
黒い炎を、デビドラがその手に召喚し、そして、少年めがけて放った。
「……助けてっ……お願いっ、助けて…………!!」
懇願するように、祈りを込め、彼は言う。
だが、どれだけ祈ろうと奇跡など起きぬ。
「……魔王……さまぁぁ…………!!」
ゴオォォォォとけたたましい音を立て、闘技場の一角が炎上する。デビドラは狂気に唇を歪めた。
しかし、その次の瞬間だ。彼は目を丸くし、驚愕をあらわにしていた。
<魔炎>が反魔法によって消され、デビドラの目の前には、背の低い魔族の少年が立っていたからだ。
「助けたところで、どうにもならぬのだがな」
呟き、デビドラを、そして周囲にいる配下たちを睨んだ。
彼らの気持ちもわからないではない。
だが――
「彼は一度無残にも死んだ。せめてこの夢でぐらいは、救われねば嘘だろう」
我ながら、愚かなものだ。
なにも変えられぬかもしれぬ。
本来の目的を果たせぬかもしれぬ。
だが、それでも、ここで見過ごすような俺ではないぞ。
黙って見てはいられないですよね。




