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剣の秘奥


 それから、しばらくが経ち――


 グニエールの階段を上っていると、前方にレノを見かけた。

 彼女は鉄のじょうろを両手に持ちながら、まるでスキップするように、階段を上っていく。


「レノ」


 声をかけると、彼女はくるりと振り返る。


「こんにちは。アノシュもお花畑に行くの?」


「ああ」


 レノの隣に並び、階段を上っていく。


 ふむ。シンがそばにいないのは珍しい。

 この機会に訊いておくか。


「一つ尋ねるが、一度生まれた精霊を、名が同じなだけの違う精霊にすることはできるか?」


「え……? うーん、どうかな? 噂と伝承が変われば、精霊はそれに応じて変わっていくんだよ。でも、最初に生まれたときの噂と伝承に一番大きく左右されるから」


 レノは頭を捻りながら、説明する。


「たとえば、私は母なる大精霊でしょ。あらゆる精霊の母っていうのが、私の根幹。だから、遠い未来に母なる大精霊レノは、精霊の母じゃないっていう噂と伝承が広まったら、それは私が潰えるのと同じ意味なんだよ」


「精霊の根幹となる噂と伝承に矛盾する噂と伝承は、ただ精霊の寿命を縮めるだけということか?」


「うん、そう。精霊は魔族や人間と違って、転生しないから。生まれ変わりとか、まったく別の精霊になるってことはないんだよ。その代わり、噂と伝承がある限り、なかなか潰えることはないけどね」


 アヴォス・ディルヘヴィアを噂と伝承次第でどうにかできぬかと思ったが、奴の根幹は暴虐の魔王だ。それを変えることはまずできない、ということか。


「母なる大精霊レノに相応しい噂と伝承なら、後からできたものでも、影響を受けたりするよ。たとえば、涙花がそう。私の涙が精霊の子を生むっていう伝承は、昔はなかったんだよ。だけど、それができて、母なる大精霊の噂に矛盾しないから、その通りの力が私に宿った」


 なるほどな。

 まあ、良い案が思いついたとしても、噂と伝承を広めないことにはどうにもならぬが。


「リィナに関係があること?」


「さてな。関係あるかもしれないが、まだわからぬ。調べているところだ」


「そっか。なにかわかったら、教えてよ」


 ちょうど見えない扉に辿り着き、レノはそこを開けた。

 涙花の花畑にはミーシャとリィナ、レイ、それからシンがいた。


 その背中を見かけて、レノが笑顔で言った。


「シンッ、お花に水あげよっ」


 シンは正面を向いたまま、目線だけを僅かにレノの方へやった。


「少々お待ちください。先に彼の相手をいたしますので」


 対峙しているのは一意剣を構えたレイだ。約束通り、シンに一撃を入れ、シグシェスタを返そうとしているのだが、苦戦しているようだ。俺が知る限り、今日で七度目の挑戦である。


「えー、レイの相手ばっかりしてずるいよっ」


「私に水やりは似合いません。どうせ、花を枯らすだけでしょうから」


 その言葉を聞き、レノはムッとした。


「どーしてそういうこと言うのっ。約束でしょ。絶対、大丈夫になるんだからっ。馬鹿っ、馬鹿シンッ!」


 むくれるレノの表情を、シンは一瞥する。


「困ったものです」


 二人の様子を見て、レイは小声で言った。


「良いことを教えてあげようか?」

 

 ぴくり、とシンが眉を上げる。


「なんでしょうか?」


「彼女のために、僕を早めに片付けると言えば、機嫌は直るよ」


 レイがいなければ、レノとシンがこんな言い合いをすることもなかっただろう。彼は、なるべく過去が変わらないように、そう提案した。


「結果は同じではありませんか?」


「剣と同じだよ。たとえ、それが斬れないとしても、刃こぼれを起こす斬り方とそうでない斬り方では、どちらが優位か、考えるまでもないんじゃないかな?」


 一瞬、シンは押し黙った。


「一理ありますね」


 シンが考え込んだ瞬間、レイは踏み込み、一意剣を振るった。


「――隙ありっ……はぁっ!」


 ガキン、と剣と剣が衝突する音が響く。

 シンは千剣が一つ、無刃剣むじんけんカデナレイオスで、レイのシグシェスタを打ち払った。


「レノ」


 シンの言葉に、少々むくれ気味にレノは応えた。


「なにっ?」


「早急に片付けますので、今しばらくお待ちを」


 すると、レノの表情が緩む。

 ニコッと彼女は笑みを浮かべた。


「うんっ、待ってるよ」


 ガ、ギッ、ガガン、ギィィンッと二本の剣が鬩ぎ合う。

 レイが繰り出した高速の剣撃を、シンは悉く打ち払っていた。


「驚きましたね」


「そういうものだよ。考える方向を少し変えればいい」


 一意剣と無刃剣が衝突した瞬間、まるで吸着するように二本の刃がぴたりと重なる。レイが一意剣に磁力を帯びさせ、無刃剣を引きつけているのだ。


「いいえ。驚いたのは、あなたの成長の早さです」


 ぐっとレイは足を踏み込み、シンを刀ごと押し込んでいく。


「戦う度に、あなたは私の剣技を吸収していく。出会った頃と比べれば、その剣は見違えるようです」


 シンの千剣の異名は、千の魔剣を持つことであるが、それ以外に彼の多彩な剣技を指す場合もある。

 その千の技を、レイは恐るべき速度で身につけつつあるのだ。


「そろそろ、この剣を返そうと思ってね」


 レイが一意剣に渾身の力を込める。シンが踏みこたえようとした瞬間、レイは刃の磁力を消し、無刃剣を受け流した。

 ほんの僅かに、シンが体勢を崩す。その隙を逃さず、レイはシグシェスタを振り下ろした。


「……せぇっ……!!」


 完全に捉えた。そう確信したレイは、次の瞬間、目を疑う。

 一意剣の軌道を完全に見切り、シンは最小限の動きでそれを避けた。その体と刃の間には僅か一ミリの隙間さえない。


「お見せしましょう」


 言葉と同時、レイが驚愕をあらわにする。


 シンの魔力が消えたのだ。

 完全に、さざ波一つ立たない、無と化している。


 魔力とはなにもしなくとも、根源から滲み出るもの。それを魔法を使って隠すのではなく、完全に消すというのは、並大抵の極意ではない。強大な魔力を持つ者ほど、それは困難だろう。


 次の瞬間、無刃剣の魔力がこれまでとは比べものにならないほど増大していた。

 ジジジジッと音を立てながら、カデナレイオスから荒れ狂うほどの膨大な魔力が立ち上る。


 彼はその剣を両手で構え、切っ先をレイに向けた。


 自然な所作で足をすり、上段から思いきり魔剣を振り下ろす。

 閃光よりもなおも速く、シンの刃が世界から消える。


 なんとか反応したレイは一意剣を構えた。

 ギィィィンッと弾けるような音が鳴り、花畑の花が宙を舞う。


「危ないところだったけど――」


 そうレイが口にした瞬間、彼はその場にがっくりと膝をつく。


「……な……ぐぅ……」


 肩口からへその辺りにかけ、ざっくりと剣の傷痕が現れている。

 確かに防いだはずの剣に、レイは斬り裂かれていた。


「ぅ……今、のは…………?」


「無刃剣の秘奥が一、<刹那せつな>」


 レイは立ち上がろうとしたが、力が入らず、そのまま花畑に倒れた。

 回復魔法で傷を癒していくが、なかなか治らぬようだ。


「……君が剣を振り下ろすより先に、僕はもう体を斬られていた……」


 シンは静かにうなずく。


「刃なき無刃剣カデナレイオスは、代わりに類を見ない重さと強度を誇る魔剣です。ですが、この魔剣の真の力は、剣の根源に働きかけることで、初めて目を覚まします。無刃剣の刃は現在の時には存在せず、それは常に刹那の過去を斬り裂く」


 シンが無刃剣を振り下ろす瞬間、カデナレイオスの刃は過去に遡り、数瞬前のレイを斬り裂いた。

 そのため、シンが実際に剣を振るうより先に、その刃が走ったのだ。


「……その魔剣の真の力を解放するために、君は、魔力を無にしたのかい?」


「ええ。これは無刃剣に限った話ではありません。魔剣や聖剣には、その奥に秘められた力があるものです。それを剣の秘奥と言います。どれだけ魔力を高めても、その剣に真の力が現れることはありません。剣とその身を一体にするだけでは足りません。無の境地に至り、その剣の根源を自らの根源でつかみ、一体とするのです。そうすることで、初めてその秘奥に手が届く」


 仰向けに倒れたまま、呆然とレイはシンを見つめていた。


「……勇者カノンに、その技は効いたかい?」


「残念ながら、負けた後に成った業ですので」


 無刃剣を魔法陣の中に収納し、シンは踵を返す。


「あなたならば、いつしかその遠く置いてきたという魔剣の秘奥に至るかもしれません」


「……それは、どうだろうね。魔力を無にする境地に辿り着けるかな」


 そう口にしながらも、すでにレイは魔力を消そうと実践している。

 シンはほんの僅かに笑みを見せた。


「転生前に見せられる相手が現れたことに、感謝します。生まれ変われば、もう二度と、この秘奥には届かないかもしれませんので」


 シンは、自らの剣技を、誰かに伝え、残したかったのかもしれぬな。

 根源魔法が苦手な彼が転生すれば、次の生でそれだけの境地に到達できるはわからない。それでも、なお、シンは転生を決意した。


 より強くなるために、と思っていたのだがな。

 ノウスガリアの言う通り、あの男は、心が欲しかったのかもしれぬ。


 たとえ、己の誇りであった剣を失い、今より弱くなろうとも、愛を求めた。

 にもかかわらず、結局シンは転生しなかった。


「お待たせしました、レノ」


「シンッ! ちょっとこれ、どういうことっ?」


 レノはその手に石の盾を持っていた。

 下半分が綺麗に切断されている。


 ティティたちがふわふわと飛んできて、シンとレノの周囲に浮かぶ。


「作った、盾」


「ティティたちが作ってみた」


「剣のオジサンと遊ぼうと思って」


「一秒で斬られた」


「真っ二つー」


 少し悲しそうにしながら、ティティたちが口々に言う。


「盾を作り、遊ぼうということでしたので、そうしたのですが」


「本気で斬っちゃだめだよっ。遊ぶっていうのは、チャンバラごっこみたいな、そういうごっこ遊びのことっ。せっかく作ったのに、本気で真っ二つにされたら、悲しいでしょ?」


「確かにあっけなく斬れてしまったことを考えれば、悲しいですね」


「そういうんじゃないよっ」


 むー、とレノは膨れている。


「罰として、この盾をどうにかして」


「どうにかと言うと?」


「直すとか、他の使い道を考えるとか?」


「真っ二つに割れた盾の使い道をですか?」


 大きくレノはうなずく。


「自分で斬ったんだから、それぐらい考えなきゃ」


 シンはじっと考える。


「……少々時間をいただけますか?」


「うん、いいよっ。じゃ、先にお水やろうよ」


 レノがシンにじょうろを渡し、魔法で水をいっぱいにした。

 ティティたちが飛び回り、「お水」「お水ー」「また枯れちゃう」「お花がなくなるー」などと楽しそうに声を上げる。


「ティティたちの言う通り、涙花が枯れてしまうと思いますが」


 そう言いながら、シンはじょうろで花畑に水をやる。

 花はみるみる内に枯れていく。


 その様子を、レノは嬉しそうに見つめていた。


「どうして叱らないのですか?」


「え? だって、私がやろうって言ったんだよ」


「初めに涙花を枯らしたときには、怒っていたでしょう」


 ニコッとレノは笑う。


「あれは、私が悪かったんだよ。シンのことをなにも知らなかったから。でも、今は違うよ。シンは一生懸命、お花に水をあげている。愛情をあげているんだと思う。それを受けとめてあげなきゃって、思うよ」


 冷たい瞳で、枯れていく花を見つめながら、シンは言う。


「愛情がなければ、枯れるのでしょう?」


「でもね、これは私の涙から生まれたお花だから。私がシンの愛情を受けとめてあげれば、きっと、ちゃんとお花が咲くんだと思う」


「……そういう伝承があるのですか?」


「うぅん。ただそうだといいなって思っただけ」


 シンは無言で花に水をやる。

 枯れるのを恐れているのか、じょうろをほんの僅かしか、傾けていなかった。


「そうですか」


 シンは水やりを続けながらも、ふと目を閉じた。そうして、目の前に手をやり、撫でるように動かした。隠狼ジェンヌルがいるのだろう。シンの反応から、まるで犬のようにジェンヌルがじゃれついているのがわかる。


 その様子をぼんやりと眺めていたミーシャのもとへ俺は移動した。


「なにか変わったことはあったか?」


「いつも通り」


 少し離れた位置にリィナの姿がある。

 彼女は腰を下ろし、シンとレノの様子を見守るように眺めていた。


 ふと小さな影が目の前をよぎる。

 妖精たちがこちらへ飛んできたのだ。


「アノシュだー、やっほー」


「旅芸人の子」


「物真似やってー」


「魔王の物真似」


 すると、隣にいたミーシャが俺に視線を向け、首をかしげた。

 どうする? と訊いているようだ。


「見せてやろう」


 そう口にすると、ミーシャは<創造建築アイビス>の魔法で玉座を作った。

 俺はそこに腰かけ、仰々しく言った。


夕餉ゆうげはキノコグラタンにせよ。なに? 示しがつかぬ? では、なんなら魔王らしい食べ物だというのだ? 人間? 人間が食えるか、馬鹿めっ!」


 きゃっきゃ、とティティたちが嬉しそうに笑う。


「俺が食い尽くした? ディルヘイド中のキノコをか? そうか、これだけ大戦が続けば、キノコの収穫量も減るか。仕方あるまい」


 俺は立ち上がり、毅然とした口調で言った。


「俺は悟ったぞ。争いはなにも生まぬ。それどころか、キノコグラタンを奪う。世界に平和を。そのためなら、魔王アノスは命をかける!」


 ティティたちがものすごい勢いで飛び回り、きゃっきゃきゃっきゃと声を上げる。

 ミーシャが感情のこもらぬ瞳を俺に向けてきた。


「……実話?」


「無論、創作だ。さすがの俺も、キノコグラタンに命はかけられぬ」


 ミーシャは目をぱちぱちと瞬かせる。


「信じる」


 すると、ティティたちが、俺のもとへ飛んできて、肩や頭に止まった。


「あのね、あのね」


「教えてあげる」


「面白いことー」


「首のない魔族の話」


 彼女たちは口々に言う。


「こないだ見たよ」


「アハルトヘルンを歩いてた」


「首がないの」


「こわーい」


 彼女たちはぶるぶると震える。

 

「首のない魔族?」


 サーシャが小首をかしげた。


「ふむ。それは熾死王の体ではなかったか?」


 俺が尋ねると、ティティたちは腕を組んで考え込む。


「熾死王?」


「こないだ来た人?」


「剣のオジサンに斬られた人?」


「どうだったっけ?」


「そうかもー」


 相も変わらず、要領の得ない言葉を口にするものだ。


「それで、首のない魔族はどこへ行ったのだ?」


 ぴょんっと俺の体からジャンプして、ティティたちは花の上に着地する。


「壁の向こう側ー」


「アハルトヘルンから出ていった」


「帰ったのかも?」


「たぶん」


 ふむ。なるほどな。

 

 ノウスガリアはシンにやられ、半死半生の状態だろう。

 しかし、現代で起きたことを考えれば、この先どうにか生き延びるはずだ。


 エールドメードも、まだどこかで生きている。


 奴はノウスガリアと手を結んでいた。

 なにか知っているかもしれぬな。


 もっとも、首のない魔族がエールドメードなのか、ノウスガリアなのかはまだわからぬが。


「行ってみるか」


「どこへ?」


 ミーシャが尋ねる。


「ディルヘイドだ。レイやサーシャたちを残していけば、視界は共有できるからな。どの道、なにが起きても手は出せぬのだから、問題あるまい」


 創った玉座を消し、ミーシャは自分を指す。


「行ってもいい?」


「ああ」


 涙花の花畑を後にし、ミーシャと二人で、ディルヘイドへ向かうことにした。


レイのパワーアップイベントを経たところで、いざ二千年前のディルヘイドへ。

きっとなにかが待っている、ような気がします。

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