熾死王の提案
シンとレノがエニユニエンの大樹の外へ出ると、熾死王エールドメードが待っていた。
背が高く、紫の髪と瞳を持った、優男だ。
長いトレンチコートとシルクハットを身につけ、杖を手にしている。
「やあ、魔王の右腕。そして、母なる大精霊。こんなときに、わざわざ手間を取らせてすまないね」
軽い調子でエールドメードは言う。
俺は、エニユニエンの大樹の中から、三人の様子を観察していた。
「ご用件は?」
単刀直入にシンが尋ねる。
油断なく彼は熾死王に視線を配っていた。
人間と魔族の戦いは終わった。四邪王族と魔王の間で交わされた同盟の契約は、すでに消え去っているのだ。
「おいおい、そう恐い顔をするな。オマエたちにとっても、良い話しを持ってきたのだぞ」
「なんでしょうか?」
「この熾死王は、大精霊の森に隠れている神族、天父神ノウスガリアの居場所を知っている」
シンが視線を険しくする。
「天父神の狙いは大精霊レノだ。あの神族は、二千年後に転生する魔王アノスを滅ぼすため、母なる大精霊を母胎にし、神の子を生もうとしている」
饒舌に喋るエールドメードの鼻先に刃が突きつけられた。
目にも止まらぬほどの速さで、シンは略奪剣ギリオノジェスを抜いていた。
「大精霊の森を味方とするレノにさえ、ノウスガリアの居場所はつかむことができませんでした。それを、熾死王、あなたに見抜けたとは思えませんね」
エールドメードがノウスガリアの居場所と企みを知っているのは、奴がその仲間だからという可能性が高い。
「話が早いではないか。そう、ノウスガリアの方から、オレに接触してきたのだ。魔王アノスを倒す神の子に、興味はないかとね。無論、興味はあると答えた――」
そうエールドメードが口にするや否や、鮮血が散った。
シンが彼の四肢を斬り裂いたのだ。
熾死王の手にした杖が、地面に倒れる。
腕を斬り裂けば、武器を持つ力が奪われ、足を斬り裂けば、移動する力が奪われる。エールドメードは身動きも出来ず、丸裸同然だった。
にもかかわらず、彼は愉快そうに笑っていた。
「カッカッカ、素晴らしい、素晴らしいではないか! さすがは魔王の右腕。反撃する隙すら与えず、この熾死王の手足を奪うとは。オマエの剣は初めて受けたが、いやいや、それだけの力を持ちながら、なんの野心も抱かず、ただの配下に収まっているのだからな」
少年のように瞳を輝かせ、熾死王は高らかに声を上げた。
「魔王アノスとは力だけではなく、なんと人望に優れた男かっ!!」
久方ぶりに見るが、楽しそうだな。
俺を称賛するかと思えば、敵に回るのだから、この男の感情は少々理解に遠い。
「だが、魔王には致命的な欠点がある。オマエならば、わかるはずだ」
「我が君に欠点などございません」
満足そうに熾死王はうなずいた。
「そう、まさしくそれが欠点だ。暴虐の魔王に欠点はない。欠点がなさすぎて、魔王アノスには敵がいない。奴には敵が必要なのだ。彼が今よりも強く、そして真の魔王となるために!」
エールドメードの演説を聞き、サーシャが隣で怪訝な表情を浮かべる。
「ねえ、アノス。あれは、なに?」
「あいつは子供でな。一度、軽く撫でてやって以来、俺にわけのわからぬ期待を寄せてくるようになった。意味もなくちょっかいをかけてきては、いつもやられて愉快そうに笑っている」
「……まったく理解できないんだけど、ミーシャ、わかる……」
ミーシャはその魔眼をエールドメードに向ける。
果たして、感情の機微を読むのに長けたミーシャが、彼の心中をどう計るのか。
「……気持ち悪い……」
「……そうよね……」
ミーシャにしてその評価か。
どうやら、あの男、手の施しようがないのかもしれぬな。
「ゆえにオレは、いついかなるときも魔王の敵だ。だが、決して神の味方ではない!」
エールドメードは力説している。
それが、この世で一番大事なことだと言わんばかりだ。
「魔王アノスを倒す神の子に興味はあるが、それが果たして本当に魔王に伍する力を持つのか疑問がある。だから、オマエたちにノウスガリアの企みを教えているのだ。魔王の右腕が、そして大精霊レノが、誕生を阻止できぬほどの運命に愛された御子ならば、魔王アノスと戦う資格があるだろう!」
まったく、幼いことを口にするものだ。
熾死王には、すべてものがオモチャで、すべてのことが遊戯にでも見えているのだろう。
「相変わらず、あなたの考えは理解に苦しみますが、要は私たちに倒される程度の神の子ならば、それまでということでしょう?」
「その通り。わかっているではないか、魔王の右腕」
熱のこもった口調で、エールドメードは言う。
「魔王アノスを更なる高みへ! オレは、それが見たいのだ。だからこそ、まず敵を、魔王アノスに相応しい敵を用意しなければならない。神も精霊も、あらゆるものを利用し、そして魔王の贄としようではないかっ!」
シンは小さくため息をつく。
「我が君はそのようなことは望んでおりません」
「望む望むまいと関係はない。これは覇者として生まれた魔王の宿命だ。決して避けられぬ。なればこそ、その宿命を彼は全うするのだろう」
神妙な声で、真剣な表情で、エールドメードは語る。
「アゼシオンとの戦争では、強き人間をアノスと戦わせるために、まずこの熾死王がふるいにかけた。だが、所詮は人間。ふるいの目が細かすぎて、勇者カノン以外は通過すらしなかった。そのカノンも魔王に到底及ばぬときては、最早、神の力でも借りる以外に方法はないではないかっ」
それがさも当たり前のことだと言わんばかりに、奴は頭のおかしな考えを堂々と主張していた。
「全力で神の子が生まれるのを阻止しよう。神の思惑がオレたちを上回るまでは、オレはオマエたちの味方だ」
意気揚々と言うエールドメードを、シンは睨んだ。
だが、彼はやましいことなど微塵もないという顔で笑っている。
「……シン。この人、絶対、おかしいよ……?」
レノがシンに小声で言う。
「お気になさらず。いつものことです。しかし、嘘をつく輩に比べれば、熾死王の思考はまだ読みやすい。その神の子の誕生を阻止すれば、そんなものかとあっさり興味をなくすでしょう」
「カッカッカ、よくわかっているな、魔王の右腕。その通りだぞ。なればこそ、答えは一つではないか?」
シンは熾死王に視線を戻す。
「ノウスガリアのもとへ案内しなさい。神の子など、生まれる前に斬り捨てて差し上げましょう」
略奪剣ギリオノジェスで、シンはエールドメードの両足を斬った。
奪った力がもとに戻ると、彼はすぐに歩き出した。
「ついてくるがいい。こっちだ」
エールドメードの後に、シンとレノはついていく。
<幻影擬態>の魔法で身を隠したまま、俺は三人の後を追った。
やがて、辿り着いたのは、森の中の泉である。
「ここにノウスガリアが?」
シンが尋ねると、エールドメードはうなずく。
「気配も感じられませんが」
「神族は秩序に従い、行動するのでね。この森に潜んでいる天父神ノウスガリアが現れるには、条件があるのだ。母なる大精霊よ、さあ、泉の中央へ」
レノはシンと目配せした後、こくりとうなずく。それから、泉へ足を踏み出した。
母なる大精霊の力か、彼女は沈むことなく、水面を歩いていく。
そして、その中央に立った。
「これでいいの?」
「問題ない」
エールドメードは泉に立つレノに正対する。
「天父神ノウスガリアは、神を生む秩序だ。彼の行動理念はそれに準ずるものとなる。すなわち、奴が現れる条件はこれだ」
エールドメードは被ったシルクハットを外し、その中に手を入れた。
引き抜けば、彼の手には砂時計が握られていた。
一瞬禍々しい魔力を発したかと思うと、砂時計の中に入った赤い砂が勢いよく落下し始める。
「……あっ……!」
レノが左胸を手で押さえ、苦悶の表情を浮かべた。
<幻影擬態>で隠していたのか、泉の周囲を取り囲むように、赤い砂の入った砂時計が四三個、並べられている。
熾死王が持つ、<熾死の砂時計>。
砂がすべて落ちきったとき、砂時計に呪われた者は命を失う。
しかし、妙だな。奴の腕は略奪剣に斬られた呪いが効いたままだ。
普段の熾死王であれば、<熾死の砂時計>は使えないはず。
「なんのつもりでしょうか」
シンが略奪剣ギリオノジェスを素早く走らせる。
四三個の砂時計が一斉に弾け、その呪いの効力を奪われる。
次の瞬間、バシュンッと音を立て、熾死王が手に持った砂時計も破壊された。
しかし、なに食わぬ顔で彼は言った。
「大精霊レノは、神の子の母胎。彼女が滅びれば、神の子が生まれない。すなわち、彼女を滅ぼそうとすれば、天父神ノウスガリアが姿を現すのだ!」
「狂言で、現れるとは思えませんが」
冷静にシンは言葉を返した。
「無論、滅ぼす気でやるのだ。本当に滅びたならば、それまでのこと。魔王の腹心として、損はないのではないか?」
「母なる大精霊を滅ぼしたなら、神の子の誕生を防げる。天父神が現れれば、それを斬り捨てればいい。どちらにしても、我が君への脅威を取り除けると言いたいのですか?」
「オマエは大精霊レノの護衛を命じられたが、それも彼女が神の子の母胎から逃れたという前提があってこそだ。魔王アノスを脅かす存在を、危険を冒してまで守る必要はないのではないか?」
苦しげな表情で、レノはシンを見た。
彼は変わらず、冷たい表情で熾死王に注意を配っている。
次の瞬間、エールドメードがシルクハットを投げると、そこから、次々と<熾死の砂時計>が落ちてくる。瞬く間にその数は一〇〇を超え、次の瞬間には三〇〇に達した。
その呪いが、牙を剥き、レノの胸を締めつける。
「弱者の理屈ですね」
シンが歩を刻んだ瞬間、周囲を囲んでいた砂時計が一斉に切断された。
宙を舞うシルクハットが細切れになり、そして、略奪剣ギリオノジェスは熾死王の左胸を貫いていた。
「……ぬ、ぐぅ……」
略奪剣は斬った部位により、効果の変わる呪い。
心臓を斬り裂けば、その魔剣は命を奪う。
「我が君は、アハルトヘルンまで大精霊レノを守れと仰せになりました。その命は、いかなることより重んじられます。それに――」
シンは熾死王の左胸から、略奪剣を抜く。
たたらを踏んでエールドメードは後退し、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
「彼女の命を危険に曝してまで、身を守ろうとしなければならないほど、暴虐の魔王は弱くはございませんので」
やっぱり、熾死王は変態でしたねぇ。