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大戦の樹木


「おいで、セネテロ」


 レノが声を発すると、チカチカと緑色の光が無数に立ち上る。

 精霊の医者とも言われる蛍たちが、夜の森を淡く照らし出す。


 彼女は両手を前に突きだし、魔法陣を描いた。


「<治癒緑光セネテル>」


 治癒蛍セネテロが発する光が増す。彼らは森中を飛翔しては、傷ついた精霊たちを癒していく。

 枯れた木々や草花に、鱗粉のような光が振りまかれると、それらはみるみる元の緑を取り戻した。


「怪我している子はおいで、治してあげるよ」


 背に現れた六枚の羽から魔力が発せられる。

 すると、レノの体が僅かに浮遊した。彼女はそのまま森を巡る。


 精霊たちがやってきては、彼女が発する<治癒緑光セネテル>の光に癒される。

 そうしながらも、彼女は傍らを歩くシンに尋ねた。


「アノスが壁を作ったのに、あの神獣たちはどうやって入ってきたのかな?」


「入ってきたわけではないでしょう。あの壁は神族には強い呪いです」


 シンが言う。


 <四界牆壁ベノ・イエヴン>は相応の力を持ってすれば突破することができるものの、神族に対しては更に一段上の強固な結界である。


 人間や魔族に対する<四界牆壁ベノ・イエヴン>を基準に考えれば、そもそも神族ならば、低位のものでも大体がそれを越えることができてしまう。


 強大な力を持つ神族の干渉を阻むため、勇者、魔王、創造神、大精霊、四人の魔力を結集し、神性を蝕む呪いがかけられているのだ。


 それにより、神獣や番神クラスでは、乗り越えることはまず不可能。たとえ天父神ノウスガリアであったとしても、あの壁を越えるには相応の代償を覚悟せねばならぬ。


「これだけの数の神獣が我が君の作りたもうた壁を越えてきたなど、天地がひっくり返ってもございません」


 努めて平静にシンは状況を分析している。

 俺が作った<四界牆壁ベノ・イエヴン>を神獣グエンが越えることはない。それは、魔王アノスの力を知る彼にとって、あまりにも自然な結論だ。


「でも、現に、ここに現れたよ? ティティたちみたいに、不思議な力があって、魔力が弱くても壁を越えられたんじゃ……?」


「いいえ。神獣程度では、その力があっても、神性を蝕む<四界牆壁ベノ・イエヴン>の前には役に立ちません」


 シンは周囲に視線を配りながらも、鋭い口調で言った。


「壁ができる以前に侵入していたと考えるべきでしょう。我々がディルヘイドへ向かった後、アハルトヘルンに入り込み、今まで潜んでいたと考えるのが自然です」


「……もしかして、あのノウスガリアっていう神族が?」


 少し考えた後に、シンは言った。


「神獣は神の使いです。主の命なしに行動することはまずありません。ノウスガリアかは定かではありませんが、この大精霊の森にまだ神が潜んでいるのかもしれません。油断なさらぬように」


 彼がそう口にすると、レノは浮かない表情で俯いた。


「ご安心を。我が君の命は大精霊レノを無事アハルトヘルンまで送り届けること。その神族を斬り捨てるまでは、あなたのおそばに」


 不思議そうにレノはシンを見た。

 彼はいつも通り、冷たい表情のままだ。


「ここはもうアハルトヘルンだよ」


「精霊たちの楽園こそが、アハルトヘルンだと我が君ならおっしゃるでしょう。まだ、あなたをそこへ送り届けてはおりません」


 それを聞き、ニコッとレノは微笑んだ。


「シンは頑固だけど、優しいところもあるよね」


「そう思われるのでしたら、それは我が君の慈悲にございます。この身は魔王の剣であり、その右腕なのですから」


 返す言葉に困った後、レノは言う。


「暴虐の魔王が優しいなんて、思いもしなかったな」


 シンはどこか誇らしげにうなずく。

 レノはまた前を向いて、森を進んでいった。


「シンはこれが終わったら、どうするつもりだったの?」


「仕える主君のいない時代を生きたところで意味はありません。我が君を追い、二千年後に転生いたします」


「そっか。この森に神族が隠れているのも、悪いことばかりじゃないのかな」


 一瞬の間の後、シンは言った。


「なぜでしょうか?」


「もうしばらく、シンと遊べるから」


 真顔でシンはレノの笑顔を見つめる。


「私は我が君の命を全うしたにすぎません」


「そうだね。でも、ありがとう。ここまで送り届けてくれて、今日まで守ってくれて」


「礼ならば、どうぞ、名誉の死を遂げられました、偉大なる我が魔王に」


 ふふっとレノは笑った。


「もう言ったよ。そしたら、お礼は直接、シンに言ってくれって。普段はアノス以外の護衛はしないんだって? こんな精霊の言うことを聞いて、振り回されて、本当は不本意だったんでしょ?」


「いいえ。我が君の命とあらば」


「嘘ばっかり。顔に書いてあるんだから」


 シンはいつもと変わらず冷たい表情をしている。

 その感情の機微を見抜くとは、しばらく一緒にいただけのことはある。


「レノーっ」


 高い声が響いた。

 ティティたちが木々の向こうから姿を現し、レノの周囲を飛び回る。


「おばあちゃんがっ」


「おばあちゃん、いなくなっちゃう」


「大変だよー」


「潰えるよー」


 騒ぎ立てる妖精たちとは裏腹に、レノは覚悟していたかのような表情で、こくりとうなずいた。神獣グエンにやられた、というわけではなさそうだ。


「みんなでお見送りしよう」


 レノは森の奥へ進んでいく。

 やがて、木々に挟まれた道の向こう側に、開けた場所が見えてくる。


 そこには一本の古びた大樹が生えていた。

 太い幹から伸びた無数の枝には、沢山の緑溢れる葉がついている。


 隠狼ジェンヌルが、風と雷の精霊ギガデアスが、水の大精霊リニヨンが、その場所に集っていた。


 レノが地面に足をつき、大樹にそっと手を触れる。


「……おばあちゃん……」


 そう口にすると、大樹に顔のようなものが浮かんだ。


「よく戻ってきたね、レノ」


 嗄れた声が、辺りに響く。

 レノは悲しげな顔でうなずいた。


「どうやら、今日は可愛らしいお客さんもいるようだねぇ。お名前は?」


「アノシュ・ポルティコーロだ」


「良い名前だね、アノシュ。あたしはミゲロノフ。大戦の樹木ミゲロノフ。人間に、大戦を生き抜く知恵を授ける精霊だよ」


 ミゲロノフがその魔眼を俺に向ける。


「こちらへおいで、アノシュ。連れの人たちも、名前を教えておくれ。あたしに触れるといい」


 俺はミゲロノフの大樹の前まで行き、指先を触れた。

 レイや、ミーシャたちも、名を名乗り、同じようにその木に触れる。


 ミゲロノフの魔力が俺たちの体にまとわりつく。

 大樹は、まずミーシャとサーシャに語りかけた。


「ミーシャ、サーシャ。あんたたちは、その身に本来の力の半分しか宿していない。一つにお戻り。そうすれば、本来の魔力に目覚めるだろうね」


 続いて、エレオノールに言った。


「エレオノール。あんたは、新しい魔法を覚えるといい。自分が戦うより、他の人を応援する方が得意かもしれないね。自分がなにに向いているのか、よーく考えることだよ」


 次に彼女はゼシアに魔眼を向ける。


「ゼシア。あんたには、素晴らしい素質がある。勇者の素質だ。それから、鏡の魔法が得意みたいだねぇ」


 ミゲロノフはレイにも言った。


「レイ。あんたのお手本は、そこにいるシンぼうやだよ。彼の剣が、あんたを導き、そして、いつか、違う場所へ辿り着くだろうね」


 リィナに彼女は言う。


「リィナ。あんたは戦いには向いていない。自分のなすべきことをお探し。心のままにね」


 最後にミゲロノフは俺に魔力を集中する。

 だが、他の者とは違い、すぐには言葉を発しなかった。


 やがて、彼女は言う。


「ああ……ないねぇ。アノシュ、あんたに授ける知恵はなにもない。たまにいるんだよ、あたしにもなにも見えない者がねぇ。ただ素晴らしい力を持っていることはわかるよ。大したものだ。あるいは、あたしの知恵など、あんたには必要ないということかもしれないねぇ」


 少し寂しそうにミゲロノフは言った。


「潰えると聞いたが?」


「ああ、そうだねぇ。あたしは潰える。二度と蘇ることもないだろうねぇ」


「噂と伝承が途絶えるということか?」


 ふふふ、と優しい笑い声が森に響いた。


「どうやら戦うこと以外なら、教えることがあったようだ」


 嬉しそうにミゲロノフは言った。


「噂と伝承が途絶えれば、精霊は潰える。けれども、精霊が潰えるときがもう一つある。それが、自らの噂と伝承に背いたときなのさ」


 精霊は噂と伝承より生まれ、それに従う生き物だ。


 隠狼ジェンヌルが神隠しの精霊であり、エニユニエンが教育の大樹であるように、彼らはその噂と伝承通りの行動をとっている。


「大戦の樹木ミゲロノフは、人間に大戦を生き抜く知恵を授ける精霊なのさ。魔族を倒すためにね。けれども、あたしは、魔族に、暴虐の魔王に協力した。魔族を倒さず、人間と彼らが、共に生きるために知恵を絞ったんだよ」


 魔族を倒すために生まれたミゲロノフが、魔族を助けたことで、その伝承に背いてしまったということか。


「アノシュ、いいんだよ、そんな顔をしなくとも。あんたは魔族だが、なんにも悪くはない。それに、あたしは十分に生きた。もう、まっぴらだったのさ。誰かを殺す知恵を授けるなんてねぇ」


 木の葉が散り、ゆらり、ゆらり、と落ちてくる。


「魔王には感謝をしているよ。こんなあたしが、平和のために知恵を絞れたんだからねぇ……こんなに嬉しい最期はないよ……」


「……おばあちゃん……」


 ぎゅっとレノがミゲロノフの幹にしがみつく。


「ごめんね……あたしが、わがままを言ったから」


「あんたのせいじゃないよ、レノ。それにね、どうせ大戦の樹木なんて、戦いが終われば忘れられる。遅かれ早かれ、あたしは潰える運命だったのさ」


 レノの頭を撫でるように、ミゲロノフの枝がそっと彼女に触れた。


「あんたにもいつか選ばなきゃいけないときが訪れるだろう。これは、精霊の宿命なんだよ。精霊として噂と伝承を守るか、それとも、噂と伝承に背き、大切なものを守るか」


「……どうすれば、いいのかな?」


「迷ったときはね、レノ、自分の心に聞くといいのさ。精霊は噂と伝承をもとに生まれ、それに振り回される半生を送る。振り回されたことにさえ、気がつかない。だけどね、心はいつだって、自分のものだよ。あんたは賢しい子だ。そろそろ、気づくだろうねぇ」


 ミゲロノフの大木が淡い光を放ち始める。

 すうっと存在が薄れていくように、その姿が次第に透明になっていった。


「守りたいものを守るんだよ、レノ。あたしは満足してる。きっと、もうすぐ、平和がやってくるんだから」


 一際強く、その場が照らされた。


 ゆっくりとその明かりが消えていくと、目の前にあった樹木の姿は綺麗に消え去っていた。

 大戦の樹木と呼ばれた精霊は、たった今、確かに潰えたのだ。


 レノはミゲロノフがいた場所を見つめながら、呆然と立ちつくす。

 どのぐらいそうしていたか、やがて、シンが彼女のそばまで歩を進めた。


「困りました」

 

 その言葉で、レノが彼を振り向いた。


「あなたの涙を止めようと思いましたが、私は言葉を知りません」


 すると、レノは泣きそうな顔で微笑んだ。


「ねえ。シン、魔王は私を慰めろって言ったかな?」


 その問いに、シンは返事に窮する。

 ニコッとレノは笑った。


「ありがとう。嬉しいよ」


 レノはシンをじっと見つめる。


「大丈夫。私は、悲しいときは泣かないよ。私の涙は、精霊になるんだから」


 嬉しそうに笑った彼女の瞳から、涙の雫がこぼれ落ちる。

 それは地面にすっと吸い込まれる。

 

 キラキラと光を放ち、大地から小さな芽が伸びてくる。


「そんな風に生まれた子は可哀相だから。子供が生まれるときは、やっぱり、嬉しい涙がいいよ」


 大地から伸びたその芽はぐんぐんと成長し、やがて幹になる。その木は枝をつけ、いくつもの葉がなった。

 ミゲロノフの大木より大きくなっても成長は止まらず、雲を突くような勢いでどこまでも伸びていく。


「素敵な噂を見つけたんだよ。色んな人が、色んなお勉強をするための平和な時代の学舎まなびや。少し頑固で、絵心のないお爺ちゃんが先生で、沢山のことを教えてくれる」


 目の前には、見覚えのある大樹がそびえ立っていた。


「紹介するね、みんな。新しい、私たちの仲間。教育の大樹エニユニエンだよ」


アノスだけ、あんたに教えることはなにもない……。主人公なのに。

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