狙われたアハルトヘルン
「よしよし、ゼシア。よく言えたね。偉いぞ」
エレオノールがぎゅっとゼシアに抱きつき、頭を撫でている。
彼女は嬉しそうにはにかんだ。
「がんばり……ました……」
「うんうん、はい、良い子にはご褒美だぞ」
エレオノールが聖明飴を手渡す。
ゼシアは棒の部分を持ち、ぱくりとそれを頬ばった。
「それにしても、この時代の人たちはやっぱりすごいなぁ。全然魔力を抑えてるのに、さっきの二人、すっごく強いぞ」
「……つよひ……れす……」
ゼシアは飴を舐めながら言った。
「レノとシンだ。二千年前とはいえ、並ぶ者はそうそういまい」
エレオノールに近づき、そう声をかける。
「わーお……シンとレノだったんだ……そういえば、馬鹿シンとか言ってたかな……? びっくりだぞ……」
驚いたように、エレオノールは二人が去っていった方角を見つめる。
仮面の形が違ったとはいえ、気がつきそうなものだがな。
「アハルトヘルンに戻るところだろう。後を追うぞ。ただし、あまり近づきすぎるな。シンに首をはねられる」
城門の方へ歩きながら、俺は言う。
「あなたの配下って、みんなああなの?」
サーシャが訊いてくる。
「ああとは?」
「強いけど、なんかちょっと話が通じなさそうっていうか……」
「シンは変わっていてな。まあ、悪い奴ではない。少々、融通が利かぬぐらいだ」
「少々ねえ……」
とてもそうは思えないといった視線で、サーシャは俺を見ていた。
「リィナ」
先程からなにも言わずに歩いている少女に声をかける。
「先程の仮面の男がシンだ。お前が会いたがっていた精霊王のはずだが、なにか思い出したことはあるか?」
「……まだ、よくわからないよ……」
リィナは俯く。
「でも、これから、なにかが起こりそうな気がする」
しばし口を閉ざした後、彼女は顔を上げた。
「よくないことが」
まるで未来を預言するかのような口振りだ。
彼女の失われた記憶には、これから先起こることが含まれているのだろうか。
「そうか」
ゼシアとエレオノールにも<幻影擬態>の魔法をかけ、姿を隠す。
そのまま、ガイラディーテの城門をくぐり、聖明湖に出た。
人気のないところへ歩いていけば、微かに声が聞こえた。
「ただいま、ティティ。おみやげ買ってきたよ」
遠くにレノとシンの姿が見えた。
辺りには霧が漂っており、そこから小さな妖精たちが姿を現す。
しかし、いつもと様子が違った。
ティティたちは激しく混乱した様子で、無軌道に飛び回っているのだ。
「レノッ、レノが帰ってきたっ!」
「大変大変っ」
「アハルトヘルンが大変だよぉっ!」
「リニヨンがやられちゃったっ!」
レノが表情を険しくする。
八つ首の水竜リニヨンは、アハルトヘルンの守り神でもある。それがやられるということは、何者かが精霊たちの森に襲撃をしかけてきたのだろう。
「誰の仕業っ?」
レノの問いに、ティティたちが答えた。
「銀の獣っ」
「神さまの猟犬」
「神獣グエン」
「食べられちゃうっ」
「みんな、食べられちゃうよぉっ」
レノが霧に向かって手をかざすと、大精霊の森アハルトヘルンが姿を現した。
その場所を黒いオーロラが壁のように取り囲んでいる。
<四界牆壁>だ。
精霊界を隔てる壁は機能している。にもかかわらず、神獣が森の中へ入ってきた。
彼女とシンは反魔法を身に纏う。シンが魔剣を抜き、全魔力を叩きつけるようにして、その壁を斬り裂く。
僅か一秒、細い道ができ、その隙に二人は<四界牆壁>越えた。
すぐに壁は元通りに戻っていく。
造作もなくやっているように思えるが、あの二人にして、相当の魔力を消耗している。
果たして、神獣に越えられるものか?
「どうする?」
ミーシャが問う。
「行くしかあるまい。中に入らねば、なにがあったかわからぬ」
「……えーと、これを越えるの?」
サーシャが呆然と目の前の黒いオーロラに視線を向ける。
「そう心配するな。俺の魔法だぞ」
<四界牆壁>に魔力を送り、それを制御する。漆黒のオーロラに一見してわからぬ抜け道を作り、俺たちはそこを通っていった。
目の前には変わり果てた光景が広がっていた。
緑豊かなアハルトヘルンの植物という植物が、枯れているのだ。
逃げ惑う精霊たちの悲鳴が聞こえる。
アハルトヘルンを駆け巡っているのは、銀の体毛と、鋭く巨大な牙を持った獣だった。それも、一匹や二匹ではない。そいつらは、アハルトヘルンの木々に牙を立て、食らいつく。すると、瞬く間にその緑が枯れ落ちていく。
精霊を食らっているのだ。
「気をつけてっ」
「噂と伝承が食べられちゃうっ」
「死んじゃうよぉっ」
「精霊でも死んじゃう」
ティティたちがレノの周りを飛び回る。
彼女はキッと神獣たちを睨んだ。
「おいで、ギガデアス、ジェンヌルッ!」
ぬっと巨大な隠狼、ジェンヌルがレノのそばに姿を現す。
その背中には、小槌を持った小人の妖精ギガデアスが立っていた。
「みんなを助けるよっ!」
レノが手の平に魔法陣を描く。
「精霊魔法――」
ギガデアスが小槌を振り下ろすと、雷が神獣グエンめがけて落ちてくる。
ジェンヌルの姿が消え、そして無数の雷狼へと変化した。
「<霊風雷矢>」
ギガデアスの落とす雷が、レノの放った無数の雷の矢を強化し、雷狼たちと共に、神獣グエンへ襲いかかる。
次々と雷の矢が銀の獣に被弾した。
だが、そいつらは、まったく怯まなかった。
それどころか、雷の矢を受ける毎に、神獣はその体積を増し、巨大になっていく。
「……<霊風雷矢>を……食べてる……?」
神獣グエンは、雷狼に飛びかかり、それらに牙を立てる。
雷狼が食べられる毎に、やはり神獣は巨大化した。
「助けてっ……!」
「食べられちゃうっ……!」
「恐いよー」
「恐いっ!」
ティティたちが、神獣グエンに追いかけられていた。
咄嗟にレノは精霊魔法を放とうとするが、しかし、寸前で思いとどまる。
精霊魔法は、ただ神獣たちを強化するのみだ。
「……どうしよう……?」
レノが、そばに佇む仮面の魔族に目を向ける。
「申し訳ございません。お待たせしました」
そう口にすると、シンは自らが描いた魔法陣の中心に手を入れた。
禍々しい魔力が溢れ出ている。
ぐっと彼が手を引き抜けば、そこに現れたのは錆びた魔剣である。
シンが持つ、千剣が一つ、斬神剣グネオドロス。
神のみを斬る、神殺しの魔剣だ。
神獣は神に近い力を持った、神の使いだ。生半可な力では滅ぼせぬ。
ゆえに、彼は自身が持つ魔剣の中で、神に最も有効な武器を手にした。
「それでは」
シンがそう口にした瞬間だ。
神獣グエンが百匹ほど、体を真っ二つにされていた。
一瞬の光としか思えぬほどの早業である。
「助かったー」
「ありがとうっ」
「ありがとう、剣のオジサンっ!」
「強いよ、剣のオジサンっ」
仮面を外し、シンが一歩足を踏み出した。
「あなた方は、なにをなさったのか、おわかりでしょうか?」
神獣グエンに向かい、言い咎めるように、シンは言葉を放つ。
一歩、彼が足を進ませれば、神獣グエンの遺体が転がった。
「我が君は平和を求められました」
冷たい声に殺気がこもる。
「その大望に、ケダモノ風情が泥をつけるなど、天に唾を吐く行為に等しい」
雷狼に食らいついていた神獣を、倒れた八つ首の水竜リニヨンにたかっていた銀の獣を、シンは悉く一瞬の内に斬り捨てた。
「万死に値します」
シンは精霊の森をゆるりと歩いていく。
彼が一歩を刻む毎に、神獣グエンの遺体が一〇〇は転がる。
次々とシンは、逃げ惑う精霊たちを助けていった。
それでも、神獣の数は多い。すべてを斬るには時間がかかるだろう。
「……アノス……」
ミーシャが呟く。
「見てる」
ミーシャが魔眼を向けたその先には神獣グエンが数匹いた。
奴らは獰猛な筋肉をたわませ、今にも飛びかからんばかりに、俺たちに視線を注いでいる。
「……どうして急に? さっきまで精霊たちを狙ってたのに……?」
「ふむ。さすがは神の猟犬だ。鼻が利く。気をつけるがいい。俺たちを敵と認識したようだぞ」
口にした瞬間、神獣たちは飛びかかってきた。
「……ど、どうすればいいのっ……?」
「一匹二匹、殺したところで問題あるまい。どのみち、シンに斬って捨てられる雑魚にすぎぬ。ただし、派手な魔法は使うな。こそっと滅ぼせ」
「こそっと滅ぼせって……そもそも派手な魔法を使わずに、どうやって倒せばいいのよ……?」
飛びかかってきた神獣グエンを俺は、<根源死殺>の手で突き刺し、一蹴する。そのまま握りつぶし、遺体すら残さぬように消滅させた。
「こうだ」
「……無理だわ……」
そうぼやくサーシャの手を俺は握った。
「……え……? あ、あの……?」
頬を赤らめ、サーシャはその魔眼で俺を見た。
「体に教えてやる。二千年前でも<根源死殺>を使えるのは俺しかいなかったが、お前とは相性が良いだろう。今のお前の魔力ならば、術式を制御できるはずだ」
サーシャの魔力と波長を合わせ、彼女に教えるように、<根源死殺>の魔法術式を構築してやる。
「呼吸を合わせろ。より深く、深淵を覗け」
サーシャは俺の描いた魔法陣をなぞるかのように、自らの魔力で同じ魔法陣を描く。
「ふむ。初めてにしては上出来だ。やってみるがよい」
目の前に浮かんだ魔法陣にサーシャはそっと指先をくぐらせる。
手全体とまではいかなかったが、彼女の人差し指が黒く染まる。
「試してみよ」
飛びかかってきた神獣グエンをサーシャの方向へ飛ばす。
「……えいっ……!」
可愛らしいかけ声とは裏腹に、<根源死殺>の指先は神獣グエンの根源を見事に貫き、絶命させた。
「……ぁ……できたわ……!」
頬を綻ばせながら、サーシャは神獣の体を<根源死殺>で抉り、消滅させる。
「ふふっ……」
と、彼女は黒い指先を嬉しそうに見つめた。
「お揃い?」
ミーシャがひょっこりと顔を出し、サーシャの目を見つめた。
「お、同じ魔法なんだから、当たり前じゃない……」
ミーシャの目から逃げるように、ぷいっと彼女はそっぽを向いた。
「……剣が……ありません……」
ゼシアが言う。
「そういえば、霊神人剣と一意剣も取り出せないね」
「ああ。言い忘れていたが、魔法具の類は過去に持ちこめぬ。まあ、倒すのが無理でも、逃げていれば、シンが片付けてくれるだろう」
サーシャが、<破滅の魔眼>で神獣を睨みつける。
僅かに怯ませはしたものの、神の使い手はその程度では滅びない。
レイたちは散開し、神獣から逃げていく。
「ふむ。これで最後か」
俺に襲いかかってきた神獣数匹を、こそりとすべて滅ぼしておいた。
視線を巡らすが、近くにはもういないようだ。
「……あれ、レイ君は?」
エレオノールが言った。
ミーシャ、サーシャ、ゼシア、リィナはそばにいる。
「丸腰だからな。神獣をまくのに苦労しているのだろう」
まあ、レイならば問題あるまい。
その気になれば、素手でもどうにかするだろう。
「そこにいるのは誰っ?」
鋭く声が飛んできた。
「ここは大精霊の森よ。私の目は誤魔化せない」
ふむ。さすがに少々騒ぎすぎたか。
だが、レノもはっきりとはわかっていないはずだ。
しばし息を潜めていると、彼女は表情を険しくした。
半分はカマをかけているのだろう。
しかし、このまま身を潜めてあの二人を見張っていても、肝心なときにそばにいられるものか?
俺たちが神族の手先と思われてしまえば、警戒されてしまうだろうしな。
となれば――
『ふむ。良いことを思いついた』
そう皆に<思念通信>を送る。
『良いことって?』
サーシャが言った。
『姿を隠していては怪しまれる。シンとレノに接近しつつ、気がつかれぬというのも至難の業だからな。それよりも、逆に姿を現して堂々と話してきた方が近づきやすい』
『は、話してくるって……どうするのよ……? あなたが行ったら、完全に暴虐の魔王だってバレるわ』
『なに、レイの魔法で根源は隠されている。外見さえ変えれば問題あるまい。ただの通りすがりの魔族としてならば、出会ったところでそれほど大きく過去は変わらぬ』
再びレノの言葉が飛んでくる。
「……三秒以内に姿を現して、名前と目的と名乗りなさい。そうじゃないと、敵意があると見なすよ……」
「敵意はない。今、行こう」
全員の<幻影擬態>を解除し、俺はレノの前に歩み出た。
「え……と……?」
レノが驚いたような顔をして、視線を下に向ける。
今の俺の背は、彼女よりも遙かに低かった。
<逆成長>の魔法を使い、六才相当に体を縮めたのだ。
「俺の名はアノシュ。アノシュ・ポルティコーロ。精霊に興味があってここまで来た」
アノシュ・ポルティコーロ登場!
※6才のときのアノスを、感想欄でどなたかが、『あのしゅ』と言っているのを拝見しまして、なんかものすごくしっくりくるネーミングだったので、そのまま使わせていただきました……!