皇族と混血の狭間で
「アノスちゃんっ!」
母さんが勢いよく俺に抱きついてくる。
「よかった、アノスちゃん! 無事だったのね……。あんな魔法放送があった後だから、お母さん心配で……もしかしたら、アノスちゃんがって……」
目に涙をいっぱいに浮かべながら、母さんが俺をぎゅっと抱きしめる。
「……ねえ。アノスちゃん。どうして、魔王様がアノスちゃんを殺そうとするか、知ってるの?」
真剣な表情で母さんは訊いてきた。
「ただの勘違いだが、詳しく説明するとなると難しくてな……」
正直、今のこの状況で母さんに理解してもらうのは至難だろう。
どうしたものかと思っていたら、母さんは笑顔でうなずいた。
「そうだよね。うん、お母さん、そうだと思ってた。なにかの間違いだよね、魔王様がアノスちゃんを殺そうとするなんて。アノスちゃんが勘違いだって言うなら、お母さん、ぜんぶ信じるわ」
魔法放送には俺の魔法体も映っていたはずだ。アヴォス・ディルヘヴィアとのやりとりは、母さんにはわからないことばかりだっただろう。
七魔皇老が向こうについている以上、俺が謀反を起こしたと思ってもおかしくはないはずだが……信じる、か。
普段は誤解されてばかりだが、こういうときは信じてくれるのだな。
「安心してくれ、母さん。じきに誤解も解けるはずだ。そのために頑張っている」
「そっか。そうよね。よかった」
俺から離れようとしない母さん。
「信じてたぞ、アノス。お前はなにがあっても、俺たちのもとへちゃんと帰ってくるってな。しかし、なんだな」
父さんはフッと笑いながら、言った。
「遠征試験に行って、またお前どこか、一回り大きくなったんじゃないか?」
気のせいだ、父よ。
「父さん。格好つけたいのはわかるけど、地べたに這いつくばりながら言わない方がいいと思うよ」
「はは。名誉の負傷ってやつだ。母さんを守るために」
と、言いながら、父さんはすっと立った。
「あれ? 意外と平気だな」
「出かける前に、<加護>をかけておいた。痛みはあっても、致命傷にはならないよ」
<加護>は対象の生命を守る魔法だ。
術式自体が自律的に判断し、反魔法や魔法障壁、肉体強化、治療などを行う。便利な反面、魔法術式が複雑極まりない。
また<加護>の維持に対象者の魔力を使っているため、魔法をかけられた者が自ら魔力を操ろうとすれば、その術式が破壊され、効果を失ってしまう。
神話の時代では弱者と言えど、魔力の操れぬ者はまずいなかった。これは母さんがエミリアに襲われた後に開発した魔法だ。
「そうか。父さん、実はかなり強かったのかと思っちゃったぞ」
普通に痛みを感じるようにしてあるのは、このように父さんが調子に乗らないようにするためだ。
「あ、そうだわ」
母さんがはっと気がつき、エミリアのもとへ駆けよる。
「ごめんね。庇ってくれてありがとう。外は危険だから、お家においで」
「……いえ……大丈夫です……」
「だめよ。それにほら、魔法で背中を怪我しちゃったでしょ。手当てするから、ね」
母さんは、彼女が俺の担任だったエミリアだとは気がついていない。
外見も年齢も違うのだから、無理もないだろう。
「……ですが……」
脅えたように、エミリアが俺に視線を送る。
「ゆっくりしていくといい。数日中には街の混乱も落ちつくだろう」
「ほら、遠慮しないで。行きましょ」
母さんがエミリアの手を引き、強引に連れていく。
「そういえば、お名前は?」
「…………エミリアです……」
「エミリアちゃんね。わたしはイザベラよ。よろしくね」
母さんと父さんは家の中へ入っていった。
「間に合ったみたいだね」
追いついてきたレイが言った。
「まあ、<加護>をかけておいたからな。あの程度の連中には、どうしようもなかったとは思うが」
「でも、その魔法がかかってることを知らなかったわけでしょ。まさかこんな状況で家の外へ出るとは思わなかったわ」
サーシャとミーシャが<飛行>で飛んできた。
「さすが、あなたのお母さんって感じね」
「優しい」
ミーシャが呟く。
「あー……やっと追いついたぞ」
「皆さん、速い、です……」
エレオノールとゼシアが到着する。
「リィナとあの子たちは?」
サーシャが振り返る。
<闇域>の影響はあるものの、魔法線がつながっているため、配下の視界は共有できる。ファンユニオンの少女とリィナは必死に走ってきているが、まだかなり遠くにいるようだ。
「ふむ」
人差し指で手招きする。
しばらくして、「きゃああああぁぁぁっ!」と嬉しそうな悲鳴を響かせながら、ファンユニオンの少女たちとリィナが、宙を飛んできた。
「す、すみませんっ!」
「一生懸命走ったんですが」
「お手数をおかけしました!」
ぺこりぺこりと彼女たちは頭を下げる。
「構わぬ」
リィナはじっと鍛冶・鑑定屋『太陽の風』を見た。
「入るといい」
家のドアを開ければ、カランカランとベルが鳴る。
母さんたちはいない。
奥の部屋でエミリアの治療をしているのだろう。
俺が魔法を使えばすぐのことだが、母さんが頼んでこなかったのは、エミリアを家に匿う口実だからだろう。それに、魔力が弱くなった彼女でも、あれぐらいの傷ならば自力でなんとかなるはずだ。
多少、時間はかかるだろうがな。
「この家は俺が作った結界だ。アヴォス・ディルヘヴィアの魔眼も届かぬ」
とはいえ、この辺りにいることはもう知られているだろうがな。
俺の家が結界化していることも予想がつくはずだ。
「問題はどうやって、デルゾゲードの中に入るかよね?」
言いながら、サーシャが考え込む。
「門から入ろうとしたら、絶対、二千年前のアノス君の配下や、皇族たちが、待ち構えてると思うぞ」
エレオノールが真剣な口調で言った。
「僕たちが手加減せざるを得ないのは、アヴォス・ディルヘヴィアもわかってるだろうね。たぶん、狙いはアノスの魔力を少しでも多く消耗させることだと思う」
レイがそう言うと、ミーシャが小首をかしげる。
「同じ暴虐の魔王なら、魔力が残ってる方が有利?」
「少なくとも、そう考えてると思うよ」
「それと、理滅剣を奪うための時間稼ぎだぞ」
エレオノールが人差し指を立てる。
「暴虐の魔王なのに、どうして理滅剣はすぐ奪えないのかしら?」
不思議そうにサーシャは言う。
「理滅剣に関しては噂と伝承がないからな」
滅多に抜かぬ魔剣の上、見た者は皆滅びた。
「とはいえ、デルゾゲードが暴虐の魔王の城だという伝承はある。その力と自らの魔力を使い、ヴェヌズドノアを手に入れる算段だろう」
あるいは、ノウスガリアが一枚噛んでいるのなら、破壊神アベルニユーを理滅剣の呪縛から解き放ち、世界の秩序を取り戻すのが狙いかもしれぬ。
「正面から堂々と叩きつぶしてやってもいいが、調べておきたいこともある。別の場所から入るとするか」
「別の場所って、どこから入るの?」
「デルゾゲードに、アヴォス・ディルヘヴィアの噂と伝承にない増築部分があるだろう。そこならば、奴の魔眼も届かぬ」
俺は足元に大きく魔法陣を描く。
すると、店の床が透けて、その地下へ続く階段が見えた。
「あっ。そっか。ゼシアたちが住んでる地下街だっ!」
エレオノールが声を上げる。
一万人のゼシアたちが暮らす場所として、このミッドヘイズの下に地下街を作った。転生後に作ったもののため、暴虐の魔王の噂と伝承にはない。
そして、それはデルゾゲードの地下ダンジョン最下層にあたる。
「でも、メルヘイスがいるから、そのことは知っているんじゃかしら?」
サーシャが心配そうに言う。
「地下街の構造までは伝えておらぬ。もしも、最下層に魔族たちを差し向けてくるなら、好都合だ。こちらの庭だからな」
「うんうん、ゼシアたちだって、攪乱するのに協力するぞっ」
ミッドヘイズと同じ規模の地下街だ。
<闇域>の影響が及ばぬ場所に、兵を差し向けてくるなら、思うツボだ。
まあ、わざわざ藪をつついて蛇を出すような馬鹿ではあるまいがな。
「全員で行く?」
ミーシャが俺をじっと見上げる。
「いや」
言いながら、ファンユニオンの少女たちに視線を向けた。
「お前たちはここに残ってくれ。父さんと母さんを頼む」
少女たちはこくりとうなずいた。
「わかりましたっ!」
「お守りしますっ!」
「ご両親には、うまく言っておきますっ!」
すぐさま、少女たちは奥の部屋へ去っていった。
「残りは全員、デルゾゲードへ向かう。覚悟はよいか?」
レイたちは、はっきりとうなずく。
わざわざ問うまでもなかったか、皆心を決めた顔つきをしている。
「行くぞ」
俺が階段を下りようとしたそのとき、ドアが開く音が聞こえた。
やってきたのは、エミリアだ。
彼女は俯きながらも、ちらりと俺に視線を送ってくる。
ふむ。物言いたげな表情だな。
「先へ下りているがいい。エレオノール、案内を任せた」
「了解だぞっ」
エレオノールを先頭に、レイたちが階段を下りていった。
エミリアに目を向けるも、彼女は俯いたまま、口を閉ざしている。
1分ほど経過したが、なにも言うことはない。
「時間がない。言いたいことがあるなら、言ったらどうだ?」
そう口にすると、エミリアは俺を見た。
「……も……う……」
声が震えて、言葉にならなかった。
彼女は脅えたような表情で、けれどもぐっと決意を固めたように、もう一度声を発した。
「……もう……気が済んだでしょう。転生の呪いを解いて、わたしを殺してください……お願いします……」
エミリアが混血になってから、どのぐらいだったか。その申し出から、さぞ辛酸を舐めただろうことは、容易に想像がつく。
最早、俺への憎しみすら枯れ果てたか、その瞳には敵意すらなく、心から懇願している風でさえあった。
「ふむ。皇族に戻せとは言わないのか?」
一瞬、躊躇し、エミリアは力なく言う。
「……戻せるんですか……?」
「たとえ戻ったところで、時間は戻りはせぬがな」
わからないといった風に、彼女は眉をひそめる。
「アヴォス・ディルヘヴィアが現れた。このミッドヘイズは、かつてお前が望んだ皇族たちの理想の街になっていくだろう」
浮かない表情でエミリアは俺の言葉を聞いている。
「美しいと思うか?」
「……なにが、ですか……?」
「支配する側にさえいれば、皇族でさえあれば、お前はその街を美しいと思って生きていけるか? 混血として過ごした日々があってなお、皇族に戻りさえすれば、自分が尊いのだと信じられるか?」
返事はなく、彼女はじっと俺の目を見つめる。
「もしも今まだなお本当にそう思えるのならば、元の姿に戻してやろう。アヴォス・ディルヘヴィアのもとへ行くがよい」
エミリアは口を開き、けれども、声は発さず、きゅっと唇を噛んだ。
彼女は俯き、じっと床を睨む。
うっすらとその瞳に涙が浮かび、床を塗らす。
どれだけ待っても、彼女はなにも言わなかった。
言えなかったのだ。答えが出ないのだろう。
混血として過ごした日々は、彼女の記憶に刻まれている。
もしも皇族に戻り、混血を虐げたなら、否が応でもそれを思い出すはずだ。
自分が虐げられたことを。
さりとて、混血として生きていく勇気もない。
だから、彼女は殺してくれと俺に懇願した。
皇族であることのみが誇りであった彼女は、混血として生きたことでその価値観を砕かれ、自分を完全に見失っている。
無理もない。
本来、皇族であることなど、なんの力にもならぬのだ。
彼女はようやくそれに気がつき始めた。
すべてが、虚構だったのだと。
皇族だから、混血だからと言い訳を口にするのではなく、一人のエミリアとして自覚を持たねば、前には進めぬだろう。
救ってやるほど、俺は優しくもないことだしな。
悩み、苦しみ、答えは自分で得るしかないのだ。
「エミリア」
俺の言葉に、彼女はほんの少しだけ顔を上げる。
「お前は母さんを庇ったな」
恥ずべきことだというように、エミリアは目を背けた。
「ありがとう」
ゆるりと足を踏み出し、俺は階段を下りていく。
しばらくして、俺がもういないと思ったのか、迷いに震える呟きが背中から聞こえてくる。
「……どうしろって……言うんですか……」
やがて、微かな嗚咽がそこに響いた。
闇落ちと改心の狭間を彷徨っています。




